第48回定例会 9月25日 東京国際フォーラム
                         
 

分科会「パーソナルコンピューター再考」 第1回ワークショップ「ユーザーの疑問と提案」

電通テック経営企画室専任部長 仲村宏氏 「パソコンを考える_____疑問と提案」

 わたしの朝日新聞への投書がお目にとまってここで話しをすることになった。 主婦の投書の「68歳の父親がパソコンを購入したが、なかなかむずかしい。購入 者向けの基本装備のみの使いやすいパソコンをぜひに」という趣旨に賛同して書き 送ったものだった。わたしの周囲ではワープロかせいぜいメールで使うくらいで、 その程度の利用には明らかにパソコンは機能過剰だ。また、家電製品と比べても、 複雑で使いにくい点も目だつ。また家族一人一台の時代を迎えようとしているにし ては値段も高すぎる。利用者の受け入れやすいよう、文字通りパーソナルな基本機 能に徹したシンプルな機種の開発を望みたい・・・という趣旨であった。  きょうは、もう少しいろいろな角度から申し上げてみたい。  わたし自身のパソコン環境は会社で卓上でWinとMacのパソコン2台、ほか に手持ちのワープロと共用の大型ワープロ。家庭でも、WinとMac各1台に、 ワープロ(0ASYS)の卓上型とポケット型各1台である。ノート、電子手帳は、 まだ様子を見ている。ポケットオアシスで出先でメールを見たり、原稿を送ったり もできるので、これで十分だ。要するにわたしにとってはパソコンは文房具という ことだ。  家族も中学生はパソコンをすぐ使いこなしている。家庭では一人一台の時代だが、 そんなに高機能はなくてもいいから、専用ワープロ機に毛がはえた程度で十分だ。  そこで、パソコンの現状への疑問だが、まず、何のためのパソコンか、はっきり しない。健さんと倍賞千恵子さんのコマーシャルも、何をいっているのかはっきり しないのは象徴的だ。あえていえば、パソコンをもつことによる知的刺激というこ とか。目的ははっきりしないが、何となく使えそうだと思いこんでしまうある種の 魔力か。  使い方、ならい方、使いこなし方の情報を得る機会や場所がないまま、目的意識 もなくいきなり、アプリケーションの使い方に入ってしまうので、ますます、何が なんだかわからずに技術的な部分に目をうばわれてしまうのは、問題ではないか。  中学の参観でコンピューター教育をみたが、学校でもこういう傾向があるようで、 「技術家庭」としてしか位置づけていないようで、ほかの勉強とリンクしていない のは、おかしいと感じた。  新しいパソコンについてくるいわゆるバンドルソフトが多すぎる。不要なソフト がハードデイスクの場所をとるうえに、いちいちバージョンアップにつきあわされ、 ふりまわされるのはかなわない。  パソコンの周辺機器のプラステイック部品など、構造がもろくてながもちしない のは困らされる。  日本語入力の問題も議論はあっても全然解決していない。わたしはオアシスの親 指シフトだが、いまのところ日本語入力にはこれが一番と思っているが、JISキ ーボードの使いにくさはなんとかならないのか。また、若い人たちがみなパソコン で文章を書くようになるとすると、ローマ字でしか日本語をかけなくなるわけで、 これはゆゆしい問題だ。日本語で入力しやすいパソコンが登場することを切望する。  そこでパソコンについて提案をわたしなりに考えてみた。 (ヴァージョンの古い機種でいいから基本機能機を安く)   少しくらい古いOSやモデムでいいから、基本機能に表計算と通信機能ていどの、 安い、数万円のパソコンがほしい。家庭で一人一台がすぐ実現できるし、高齢者に も歓迎されるだろう。簡単ならやろうという人が多い。一昔前で十分。MS−DOS で十分という人もいる。(高速・大容量のスペック別の製品ラインではなく、使用目 的別の定番品を)  なんでもできますというパソコンの新製品は、製品ラインがメモリーのスピード やハードデイスクの容量という技術スペックで分けられていて、われわれのほしい 基本機能のものがない。 4年くらい前のヴァージョンで固定したある種のスタン ダードモデルを、旧型フォルクスワーゲンのように、使い込むということができな いものだろうか。    ある種の定番ものはいつまでもパーツがあるというサービスがあれば、安心できる のだが。 (サポート体制に問題あり)  電話がまずつながらない。また、日中しかつながらないのでは、仕事のあるもの は使えないので、かなり失礼なはなしだ。クレームを申し込む先がさだまらない。 たらいまわしも問題。 (文化がパソコン向きでない)  個人で使いこなすという文化が、アメリカと違って日本には育ちにくい。パソコ ンWP自分のマシンにできるかに、文化や習慣が影響する。 (ハード優先)  非常に優秀なマシンが先にあって、どう使うかが後回しになっている。  使いたい高齢者がたくさんいる。その人のためのパソコンがさきではないか。   [話し合いの主な論点] ・ノート、電子手帳などは、パソコンのマニアックな世界。仲村氏が敬遠する気持 ち分かる。のめりこむこと分かって、ほかのことにに時間配分のため敬遠。 ・いくら単機能といっても、パソコンはまだるこっしい。起動している間にほかの 用を思いついてパソコンを忘れてしまうこともあるくらいだ。第二に、リンクを検 索すれば便利というが、検索の過程の連想に自由な発展がなく、機械のプロセスを 押しつけられるのは我慢がならない。プロセスを追うのに精一杯で、連想を楽しむ どころの騒ぎではないのが実態だ。 ・ワープロならといっても、徹夜の原稿が最後の一瞬に消えてしまう。これはだれ もが経験すること。フロッピーが途中でいっぱいになった時も困る。 ・ワープロ、パソコン通じていえるが、保証期間が切れたとたんに壊れるのは、ど うしたことか。 ・キーボードも昔より壊れやすくなった。 ・これらの、パソコンの商品世界の問題は、普及率19%の範囲内で消費者問題に なりつつある。いまのところ65歳以上2000万人の市場が動いていないからま だ顕在化していないと見るべきか。これからが大変だ。 ・講座は花盛り、雑誌も多いが、機械は教わった通りには壊れない。個別の相談に 対応する体制が肝心。一定の年齢以上の教育をどうするかが問題。 ・もともとパソコンなんか必要でない人が騒いでいるだけ。メーカーにだまされる 方が悪い。使いこなせない人が使っているのだから、使えない人の問題だ。 ・パソコンやる以上ちゃんと勉強しなさい。勉強しない人はできなくて当然という 風潮。お手軽に聞くだけでやるのはけしからん。というのは間違いだ。聞く程度で 分かるのが当然だ。そういうマニュアルの工夫があってしかるべき。だれでも使え るようになるべきだ。 ・使うたために必要なことだけ教えるべき。ラジオはどんな真空管かなんて知らな いで使っているのに、パソコンはラジオでいえば真空管の種類まで勉強させられて いる。また、難しいのは、パソコンは正常状態が多いこと。異常がすぐ分かるよう に作られていない。素人には判断しにくい、パソコンが正常に動いていてもわかり にくい。 ・メーカーの体質でパソコンの問題はずいぶん違っている。メーカーの名前をあげ てでも問題を洗う必要がある。 ・日本人が育てようとしたワープロの問題(ワードが市場を支配するのは問題)、 漢字の枠をアメリカ人にはめられてしまった問題も重要。 ・16キーの日本語入力の合理性も忘れたくない。 ・パーソナライズの可能性、シンプル定番の愛用。 ・クレームの現状を国民生活センターに聞くことも。 ・ホームページなどで実態をきくことも。 ・パソコンは文化を壊しているかも重要な論点だ。  メールの文体論(データ表現にすぐれても、雰囲気が伝わらないことも)もわす れたくない。  ・パソコンはもともと複合機能、単機能はソフトで使い分ければよい。 ・そういう考え方が、パソコンを複雑にしているのではないか。                                    以上  (報告 金澤 寛太郎)


元へ戻る