網野善彦



第44回定例会 11月11日 プレスセンターホール
                         

演題:『 −海を超えて活発に動いた日本社会の歴史− 土地に縛られ、孤立した島国国家はまっ赤なウソ』

                     神奈川大学特任教授   網野善彦                     1997年11月11日  プレスセンタ −  日本は土地に縛られた農業国家、孤立した島国国家であったというのがこれまでの 日本史の常識であった。この日本史の常識を根底から問い直し、日本は意外と人とモノ の動きの活発な国であったことを史料を駆使して実証し、日本列島の新しい社会史像を 打ち出している網野善彦氏の歴史学がいま注目されている。岩波書店から「日本社会の 歴史」(網野善彦著 上・中・下 岩波新書)も出版され、専門家だけでなく、一般の 人たちの網野歴史学に対する関心は高い。昨年11月11日に行なわれた月例会では、一般 に見られる日本地図を日本海を中心に上下逆さにして見た環日本海諸国図ともいうべき 珍しい日本地図を使いながら、網野史学のエッセンスを講演していただいた。不思議な もので、この地図を見せられると日本は決して孤立した島国国家でなく、古来から日本 海を挟んで中国大陸とも、近隣諸国とも人、モノ、情報の活発な動きを通じてつながっ た海洋国家であったことが直感的に理解できる。  日本は孤立した島国国家、土地に縛られた農業国家というのは明治政府の作り出し た幻想である。百姓=農民と考えるのは誤りで、士農工商という身分制はまっ赤なウソ で ある。 中・近世における百姓といわれる人たちは決して農業だけをやっていたわけでなく、 鉱山業、製塩業、木材業、廻船業さらには金融業まで非常に多角的な事業を生業にして いた。とくに土地を持たない水呑百姓にこの傾向が強かった。網野氏はこのことを史料 を通じてわかりやすく解説する。例えば、日本海に面した石川県輪島村の百姓は土地や 農業にほとんど関心がなく、主として輪島塗り、製麺業、日本海の海上交易などを生業 としていた。「村=百姓=農業」という常識は疑ってかかる必要がある。  明治5年に政府は人身戸籍を作るのだが、そこには日本のほとんどで「村=百姓= 農民と書いてあるのだが、史料を通じて実証的に調査してみると実際の百姓は農業だけ でなく、いろいろな事業を生業にしていた。当時の戸籍を見ただけでは真実はわからな い。多くの百姓は陸のル−トだけでなく、海のル−トを使って米、鉄、塩、木材、特産 物などの取引を活発に行なっていた。百姓は土地に縛られた農民といよりも、海を超え て活躍する海民というイメ−ジに近かったという。いずれにしても、中・近世の日本社 会は土地に縛られた動きの少ない農業社会でなく、陸や海のさまざまなル−トを通じて 人、物 、情報が活発に動いた国であったと網野氏は指摘する。  日本社会の歴史をアジア諸国を中心とした海洋貿易など海洋という視点から見直し ていこうとする最近の研究は角山栄氏(「アジアルネサンス」PHP研究所)、川勝平 太氏(「文明の海洋史観」中央公論社)などの学者によってなされているが、網野歴史 学は海から見る歴史観をベ−スに日本社会を根底から見直し、新しい歴史学を提示して いこうとする非常にスケ−ルの大きな研究である。大変刺激で、興味深い講演であった。                                野口  恒


元へ戻る