小太郎ヶ淵

戦国時代末期、塩原城主小山越前の守は、家老の言葉にも耳を貸さず里人に重税をかけていたため、ついに家老たちにより暗殺されてしまいました。家老は善政を行っていましたが、家老を快く思わない一部の家来たちは、若君小太郎をそそのかして、ここで紅葉狩りを行い、家老の暗殺を謀りました。しかし計画が事前にもれていたため逆に攻められ、矢傷を負った小太郎はこの淵に身を投げて果てたといわれています。なお、小太郎の墓は門前町の妙雲寺にあります。

 
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