今年のイースターは3月31日でした。
3月29日から4月1日までイースターホリディでした。
私の住んでいる地域ではイースターの前夜大きな篝火を焚く習慣があります。
大地を浄化するという意味があるそうです。
私の家の周りはだだっ広い畑とその周辺を森に囲まれた地形なので、周囲がはるか彼方まで見回せます。そして街灯もありません。
8時から始まるというそのイベントに出かけようとして家の前の道路に出たら、私が目指す方角に火柱が見えました。そして1キロぐらい先にも同じように火柱が上がっているのが見えました。
反対の方角を見てみると、やっぱり1キロくらい先に火柱が見えます。

私は懐中電灯を手に、そしてコートから反射板を下げて歩き始めました。
街灯の無い夜道では懐中電灯は必需品です。
私が使っている懐中電灯は携帯に便利な太いペン状になっているもので、なかなかの優れものです。夜道を歩くときは足下を照らして、また、停電の時などはテーブルに立てて置くとトーチのように回りを照らしてくれます。そして、車との事故を避けるためにヘッドライトに照らされるときらきら光る反射板も必需品です。
これを付けているのは子供が多いのですが、でも結構大人も付けているのを見かけます。
私の物は手のひらに納まるくらいの大きさで、雪の結晶の形をしています。
ハートだったり、熊だったり、いろんな形の反射板があります。
その反射板に25センチぐらいの長さの紐がついていて、安全ピンでコートに留めます。
私は忘れないようにいつもコートのポケットの内側に安全ピンで留めて反射板をしまっていて、使うときにはそれをポケットの口から外側にぶら下げて歩いています。
歩くたびにゆらゆら揺れるので、これだったら車のドライバーも気づきます。
でも、念を入れた私の友人はいつも車がやってくるとぐるぐると回していました。
彼女のしぐさがあまりにも可笑しいので、私が理由を訊ねると「こうするともっと私はここを歩いているのよ!とドライバーにアピールできるでしょう。それに気の効いたドライバーはそれに答えるようにライトを落としてくれるのよ」という返事が返ってきました。
それから二人で歩くときは二人一緒に反射板を勢いよくぐるぐるまわして、賭けをしたものです。次の車はライトを落とすか否かと。
歩くこと15分、もうすでに火はすごい勢いで燃えていて、火柱が天高く上がっています。
小学生の時のキャンプファイヤーの比ではなかったので驚きました。
直径5メートル、木がくべられている高さも3メートルくらいはあります。

その周りをぐるっと村の人たちが取り囲んでいました。
火を燃やしている場所は畑の中で、雪解け跡でぬかるんでいました。
長靴を履いてこなかった私は後悔しました。
ここでは長靴も必需品です。

村の人たちは厳かな雰囲気で話をしています。
お酒も飲まず、もちろん焼きそばなどの屋台もなく、ただ火を見つめて立ち尽くしています。
どんな話をしているのでしょうね。
作物の話か、春になる喜びの話か、それとも近所の池にやってきた白鳥の話でしょうか。
私はまだフィンランド語が上達していないので耳をそば立てていてもわからないのです。
残念でなりません。来年になったら、私も話の輪にきっと参加できるでしょう。

暖かな炎に照らされ、燃えさかる音を聞きながら、私は真っ暗な空に向かって立ち上る火の粉を眺めていました。

光の少ない真っ暗な冬から、太陽の光が日増しに輝いてくる春に向かっていることを象徴しているようでした。

いつまでも立ち尽くして眺めていたかったのですが、寒さに負ました。
これが日本だったら、甘酒なんて飲めたら幸せだろうなと思いながら家路につきました。

次回はイースターの過ごし方について書こうと思います。






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