ようこそ、栄聖書教会Webサイトへ!!

教会写真

教会案内

素朴な疑問・質問です

Q1. キリスト教の神様はどういう神様なのですか?

A1. 聖書に書かれているように、唯一の神で、天や地、太陽や月、水や空気、動物や植物などすべてを創られたお方です。この地球が存在する以前からおられたお方です。


Q2. 聖書とは何ですか?

A2. 神様について、そしてキリスト(救い主)について、書いてある書物です。書いたのは人間ですが、書いた人の考えたことではなく、神様の導き、教えによって書かれました。紀元前14世紀頃から、紀元1世紀に至るまで、約1500年の間に、40人以上の人々の手によって出来上がりました。しかも驚くべきことには、一冊の本としてバラバラではなく、見事にまとまり一貫しています。


Q3. 聖書にはどんなことが書いてあるのですか?

A3.まず神様がおられて、この世すべてを創られたこと。そして私たち人間のために、人となってこの世に来られたのが、イエスキリストであること。さらに、私たち人間が何のために、またどのように生きるべきか、について書かれています。
聖書は私たち人間に対する神様の愛のメッセージです。
聖書が書かれてから1900年以上たった今、考古学上のいかなる発見も、聖書の真実性をあかししています。


Q4. もう少し具体的に言うとどういうことですか?

A4. 何が書かれているか:たとえば、有名なことば「目には目を、歯には歯を」「人はパンのみにて生きるにあらず」「狭き門より入れ」「剣をとるものはみな剣で滅びます」「目からうろこ」など、聖書からのことばがたくさんあります。しかし、「目には目を」などは間違って理解されています。古代オリエントの教えでは、目をやられたら、目をやり返せなどのように、報復の教えとなっていますが、聖書では、他者の目を傷つけた者は自分の目をもって償え、という刑法関係の教えです。新約時代になると、キリストは、「目には目を」から、復讐するなと教えています。ですから全く逆の教えなのです。この新約のキリストの教えによって、旧約は完成したとも言うことができます。このような素晴らしいキリストの教えが聖書にはあふれています。これぞ「目からうろこ」です。


Q5. キリスト教の教会は、いい人の集まりのようで、行きづらいのですが。

A5. そんなことはありません。教会は罪人の集まりです。


Q6. 罪人ですか?私は罪など犯してません。

A6. キリスト教で言う罪とは、盗むなどのような悪いこと、法律違反をしたことではなくて、「的はずれ」ということです。的とは神様のことで、神様の方を向かずに、自分勝手に生きているということです。


Q7. どういうことかよくわかりません。

A7. 人がみな自分勝手に生きているとは、自分さえよければよい、自分の家族さえよければよい、自分の会社さえよければよい、自分のグループさえよければよい、関係している社会さえよければよい、この国さえよければよい、と。このように考えてしまうことです。争いや問題はここから生ずるのです。これが罪なのです。でもこの問題を真に解決することは、人にはできません。問題を解決するのに、人がみな自分ではなく、相手やまわりが変わることにおいているのではいつまで経っても解決に至ることはありません。自分中心ではなにも変わるはずがありません。すべての人が神を見上げて、神中心に生きることです。
もう少し具体的に言えば、ある人がいて、自分のために生きているとします。あなたはそんな人に魅力を感じますか?また家族のために生きていると人は言いますが、本当にそうでしょうか?唯一「母が子のためには死をもいとわない、」ということはあると思います。でもほとんどは自分の方が可愛いと思います。やっぱり最後は自分のためなのです。ましてや人のために、ということはほとんどなくなってしまっているのが現状です。人を人と思わず、物のように思い、傷つけたり、殺してしまったりしているのが今の世ではないでしょうか。だからこそ人は自分のためではなく、神のために生きるべきです。なぜなら神はすべての人が幸せに暮らしていくことができるようにと、この世を創られたのですから。そして、すべての人が自分勝手ではなく、罪から解放されるようにと、イエスキリストを送ってくださったのです。それができるのが神です。


Q8. プロテスタントとありましたが、カトリックとはどう違うのですか?

A8. 簡単に言えば、プロテスタントは「聖書のみ」であり、カトリックは「聖書も」です。キリスト教は紀元後(これはイエスキリストを基としています)に始まりましたが、最初はカトリックだけでした。それが16世紀に入ってルターがカトリックに対し、異を唱えたのです。ここからプロテスタントが始まりました。カトリックの教えは、聖書だけではなくて、使徒以降の教皇、司祭たちによる伝承、教会会議の決定、聖書以外の外典、言い伝えなどが聖書と同等の価値を持っているとしています。また、煉獄の教え、イエスの母マリヤの神格化、教皇の神格化、殉教した司祭を聖なる者とすること、免罪符(お金を出して、罪を赦してもらうこと)など聖書に書かれていないことまでもが教えられています。そこにルターが反対したのです。これが、1517年のできごと、「宗教改革」です。



Q9. 9月10日に洗礼式があったということですが、洗礼って何ですか?

A9. 洗礼=バプテスマとは、イエスキリストを信じた者が、キリストのからだである教会に加わるために、キリストに対する信仰を見える形で、公に表明するために行う儀式のことです。
プロテスタントでは、礼典は二つで、この洗礼と、聖餐を、世の終わりまで守り行うようにと、主がお定めになった礼典です。
カトリックでは、礼典は七つあって、この点においてもプロテスタントとは違っています。
バプテスマの持つ意味
1.その人の心における霊的な回心と、新生の出来事を象徴する行為である。
2.信じる者のうちに神が行われた霊の事柄を、形に表して公に人々の前で明らかにすることであり、公の告白である。
3.「その人は既に罪に対しては死んでおり、新しいキリストのいのちに生きていることを告白した者の当然の行為として、それにふさわしい生き方をすべきである」という聖書の主張を受け入れて、これから生きるというあかしとしての意味を持つ。


礼拝

集会,行事

話題,報告

あかし

Q&A

日本福音キリスト教会連合

交通手段・地図

教会リンク



栄聖書教会は、プロテスタント(新教)のキリスト教会です。エホバの証人(ものみの塔)、統一協会、モルモン教等の新興宗教諸団体とは一切無関係です。

トップへ戻る
since 2006/05/01
Copyright © 2006 "Sakae Bible Church" < mailto:sakaebible@church.email.ne.jp> , All Rights Reserved.
Lastupdate 2006/09/10