現代写真術を検証する    多摩美術大学教授* 脇 リギオ

                               *発表当時 / 現在多摩美術大学名誉教授


―ユーザーの立場に立った、人を尊重する、地球にやさしい写真システムの完成を―

本稿の内容は、1994年11月発行<映像学第三巻通巻53号>に掲載されたものです。

写真システムは完成されたか

 今日は、すべてのものがいったん写真に置き換えられることによってはじめて確認され、伝達され、納得されるという時代である。だから、写真術はまさに言葉であるだけでなく、言葉以上に重要な表象手段ということができるわけだが、そのための写真システムは、これまでの発展過程で、高度な表現手段ののシステムとして進歩し、完成される方向にあるのか、またあったのであろうか。これは、多くの人が抱いている、また、明らかにしたい疑問点ではないだろうか。

 写真術の道具としてのカメラは、暗い部屋から暗箱へ、そしてローテクからハイテクへと進化し、現在では人間の意志通りの表現を可能にするための精巧なメカを、また、実質的に写真術を実現させた記憶材料としての感光材料は、銀板からガラス板、フィルムへと、そしてフィルムはモノクロームからカラーへと進化し、材料そのものも、また、プリントする機械などもたしかに発達し優れた性能を備えるようになった。

 しかし、一般の写真術はカメラとフィルム、そしてプリントシステムがドッキングしてはじめて成り立ち、どれかが欠けても成り立たない。写真術をこのように定義すると、これまでの写真術の歴史は、一方の、ほどほどに写っていればよいという大衆写真術は、それなりの発展を遂げ、そしてあとで述べるような意外な展開によって、決着したとみることができるが、きちんとした写真システムは、とうとう編み出せなかった歴史とみることができる。

 高度な写真表現では、画像の濃淡や色調は、構図やシャッターチャンスなどとともに、きわめて重要な要素であり、それらが少しでも偏ったりすれば作品が損なわれることになる。そして、本来、カメラの露出機構やフィルターなどは、表現目的に応じて、それらを自在に調整し決定する非常に重要な表現技術であることは改めて云うまでもないことであるが、その高度な記録と表現を目標とするハイテク写真術は、主流となったネガポジ法カラー写真においては、依然として、<正しい撮影をしても、正しいプリント結果が得られない>という大きな矛盾をかかえたまま今日を迎えているからである。

 最近、写真関係者だけでなく、一般の市民にも聞き捨てにできないニュースが流れた。それは、一九二五年のライカの登場以来、四分の三世紀もの期間すべての人に愛用されされてきた現行の35カメラと35ミリフィルムが、世界のフィルムとカメラの五大メーカーの連携によって、まったく新しいフォーマットにつくり直されるという話である。

 しかしそれは、データの磁気化といったことが伝わるだけで、どのような問題が解決されるのか、これまでのカメラや機材、ネガ等はどうなるのか、内容がさっぱりわからないことも手伝って、原状の問題を放置したままのプランは、新需要喚起のための、単なる商業的な作戦ではないかとと勘ぐられても仕方がない。

 昨年のカメラ生産は約二0%減とされるが、それでも285万台ものフォーカルプレーンカメラが生産され、生産金額は七七一億円とされる。(一九九四年日本写真年報)今日の高級カメラは、昔とは違い、アクセサリーやステータスシンボルとしてではなく、より高度な記録と表現のための実用カメラとして求められる。しかし、その期待はサービスプリントにおいて見事に裏切られることになる。ブラケッテイングをしても、露出補正をしても、フィルターをかけても、結果はプリントに反映されないからである。

写真の創造性にもかかわる社会問題

 この問題は、ジャーナリズムの姿勢が消極的なこともあって、なかなか表面化しない。一九八五年のアサヒカメラ一一月号の言いたい放題の欄には、「サービスサイズ」のタイトルで中村立行氏による、インチキの代表はサービスサイズのプリントであると、写真業界に対する痛烈な批判が掲載されたことがある。しかし、これは稀な例であると思う。今でも、写真雑誌には、現状のネガプリントでは意味をなさない<露出の決め方>が重要なテクニックとして取り上げられるが、結局はいいラボを選べといった回答で濁されている場合が多い。

 またこれを、僅か三五円のサービスプリントだけの問題と考えるとすれば間違いである。機械的なプリントで正しい結果がだせないということは、確かな記録もできない、そしてたしかな表現もできないということを意味し、写真の創造性の基本にかかわる大きな問題でもある。ラボにまかせればできるという反論は詭弁である。もしそうであるなら、撮影時に厳密なコントロールをする意味はどこにあろうか。

 一般紙には、ときどき、この種の深刻な投書が掲載される。たとえば、朝日新聞の<声>の欄には、一九八九年一一月九日号には、<不満な現像は苦情を言おう>、一一月二八日号には<写真処理の過程を業界は明かして>と立て続けである。両者とも、「プロ並みの正しい撮影にもかかわらず」、前者は「一流ラボへ依頼したにもかかわらず、雪景色が、赤土色に覆われたプリントに、新緑の景色が秋景色に、そして黒い絵が薄灰色の絵に」、そして注意書きを添えて焼き直しを依頼しても前よりひどい写真を渡されることも多い。心のこもった現像(プリント)のプロは育たないのか」。後者は、「白バックで写した金貨がタドンのような黒い金貨となった。同時プリントと焼き増しがあまりにも色が違い過ぎる」、「処理の種明かしをするとともに、値段は高くても、人手によるルートも必要ではないか」と同じ体験をさせられている我々の不満を代弁している。五年前だが、事情は少しも変わってはいない。いや、二〇年もっとまえから同じ状態なのである。

 このような明らかにアンフェアーなことは、写真及び社会に対する不信感につながっていることを重視すべきである。その欺まん的な状況は、写真と社会の健全な発展を妨げるものであることはいうまでもない。写真に対するイメージもどんどん悪くするばかりである。また今のサービスプリントの氾濫は、あきらかに人間の色彩感覚を鈍らせる大きな原因もつくっている。

 ところで、それを改善するにはどうすればよいであろうか。投書では両者とも、人手による解決しかないのではないかと意見であり、世間でも同様の考えが支配的のようであるが、これは、はっきりいって間違いである。色再現そのものは基本的にはサイエンスの問題であり、本来、人が感覚的にコントロールすべきものではない。あとで述べるように、この問題は、<プリント基準を明確に>し、現状のプリント機械から余計な調整をおこなう<間違ったオートマチズム>を取り去れば、人の手を借りずとも簡単に解決できるからである。

<あなたにも、写せます>の技術思想の出発点と終点

 これまでの写真術の歴史は、システム化とオートマチズムの歴史であった。

 一八八八年に、<あなたはボタンを押すだけ、あとはこちらで>というキャチフレーズで発売されたカメラ<コダック>は、カメラとフィルム(最初は印画紙)をドッキングさせ、撮影したあとの現像とプリントというやっかいなプロセスの一切をメーカーラボが引き受けることによって、誰にでも可能にするという画期的な写真システムが登場した。これによって、誰にでも楽に写真が写せるという人類の夢がはじめて実現される。そして翌年の一八八九年には、世界で初の透明フィルムが使われ、必要とあれば、自分でも現像ができるシステム、つまりは、実質的に現在と同じ写真システムが誕生する。(注1)だから、一八八九年は、透明なフィルムにネガをつくってポジを紙につくるという現在のネガポジ法写真術の出発点ということができるわけである。

 <コダック>をはじめとする初期のカメラは、レンズとシャッターがあるという程度のものから、次々と新たなハイテクが開発されるたびに進化し、ついには人間の視線に応じてフォーカスが自動調整されるカメラまでが登場するという自動化の過程を一直線にたどることになる。したがって、つい先頃までは、将来の大衆カメラは、さぞハイテクの塊になるだろうと想像されていたが、ある日、突然変異が起こった。

 それは、<コダック>の出現からおよそ一〇〇年間かけて進化させてきたすべてのハイテクを全部取り去った<コダック>のリバイバルといえる<フィルム付きのおまかせカメラ>が出現する。使い捨てカメラの登場である。これはレンズ付きフィルムと呼ばれるが、ここでは、フィルム付きカメラと呼ばせて貰う。でなければ、フィルム付き<コダック>もカメラでなくなる。それに、そこにあれば、それはカメラ以外の何物でもない。

 このフィルム付きカメラは、メカはオモチャ同然だが、使ってみるとその出来映えに皆がびっくりする。ハイテクカメラと区別できないほどの出来映えに、注文が殺到する。驚くべきことに、昨年のフィルムの輸出を含めた総出荷量では、何と、通常のロールフィルムの二倍(二分の一ではない)近くに迫っているという。(一九九四年日本写真協会報)

 皮肉なことである。カメラ業界は、<コダック>以来、総力をあげてあらゆるメカを高精度化してきたにもかかわらず、結局、大衆カメラは一〇〇年前とまったく同じ原始的カメラに落着したからである。この意味するところはは重大である。これまで使われていたカメラの多くが使われなくなった、すなわち、これまでのカメラの大半がもともと必要ではなかったかもしれないということをも意味するからである。

プリントシステムは、<おまかせカメラ>用であった

   このフィルム付きカメラの成功は、ほどほどに写っていればいいというのであれば、撮影での露出調節はほとんど必要がなかったこと、そして、現プリントシステムが、実は、<おまかせカメラ>用以外の何物ででもなかったことが世間に証明されることになった。

 つまり、フィルム付きカメラは、露出が一定だから、明るい場所では濃く、暗い場所では淡いネガとなり、いわゆる適正ネガにならない。しかし、プリント機械は、とっくの昔に、AEカメラと同じように、プリントするネガの濃淡に応じて露光を、つまりはプリントの濃さを自動調整する機構を備えるようになっていたのである。

 そして、プリントの色調は、ネガの全体の色調が中性の灰色(グレイ)になるように自動調節すれば、ごくありふれたネガは大体ノーマルな色調にできる。それは、平凡なシーンの画面全体にある色を平均的に混ぜ合わせると大体無色になるからである。これが現プリント機械の色(カラーバランス)に対する自動調節機構の原理である。撮影光源が変わっても、多くは満足できないが、ほどほどの色になるのはそのためである。

 つまりは、プリント機械側の発達が、カメラ側の露出調整を不要にし、そのおかげで<おまかせ>カメラが登場したということである。

高級カメラにとっての間違ったオートマチズム

 しかし、それは平凡なネガ以外についてはうまくいかない。つまり、濃度に関しては、白バックのネガは焼きすぎ、黒バックのネガは焼き不足になるというデンシテイフェリアが、また色に関しては、画面に強い色が含まれればその色が自動的に抑えられて補色方向に色が偏るというカラーフェリアが生じ、先の投書と同じ結果となる。

 ゴルフボールを、背景の色紙を取り替えて写し、これを手補正なし(裏面の印字がオールN)の同時プリントに出せば、七色の背景を使えばボールが七色に変化した写真ができあがる。これで、プリント機械が何を行うかがよく理解できる。なお、私は、5、6年前から、この問題をアピールするために、この望ましくない調整原理を応用した<ゴルフボールシリーズ>をはじめとする、サービスプリントで構成した作品をつくりはじめた。(xxページ参照)

 良心的なラボでは、その困った機械調整を修正するために、フェリアが出そうなネガに対しては、濃度調整ボタンと色調整ボタンを操作して、ユーザーが気に入るであろう調子に調節される。つまり、機械の自動調整を更に感覚で補正するという操作が加わえられる。したがって、ここでは勘がものをいうことになり、上手下手が生じ、注文するたびに色や濃度が違ってくることは避けられない。

 したがって、現状では、ハイテクカメラの存在価値は、こと色と濃度に関しては、完全にゼロである。露出やフィルターの調節もまったく水の泡である。つまり、ハイテクカメラにとっては、現行のプリントシステムは、はじめから<間違ったオートマチズム>であったということである。少なくとも、失敗が救済できるシステムであっても、正しい撮影結果がだせるシステムではなかったということである。

プリント基準とシステムが欠けている

 現代写真術における<おまかせ>の逆転劇は見事であったが、同時に浮き彫りにされたのが、ハイテクカメラに対する業界の無策ぶりであった。では、どうあればよいのであろうか。

 撮影時の正しい結果をプリントに発揮させるには、それなりのシステムが必要になる。しかし、現状では、プリントするときの明確な基準がないから、機械焼きであろうと、あるいは手焼きであろうと、正しいコンタクトプリント(いわゆるべた焼き)すら容易につくれない。

 ここでいう正しいコンタクトとは、被写体に含められた灰色が正しい色調、正しい濃度で再現されたものを指すが、現状では、ある基準値、例えばメーカーの指示値で、ポンとボタンを押せばできるというわけにはいかない。そこが問題なのである。

 つまり、プリントではフィルムの種類、そして同じフィルムでも乳剤番号により、また印画紙により、焼き付ける光により、また現像により、色も濃度も微妙に違ってくる。だから、プリント基準が明確でない現状では、正しい撮影をしても、コンタクト全体を眺め渡して、まあ、この程度、といったあいまいな調整しかできないのである。

 理屈はサービスサイズの場合同じであるから、現状のように、撮影で人が調整し、次にプリント機械が調整し、更にそのデータを人間が調整をするという、誰が考えても実に馬鹿げた、そして無駄なことが、世界中で行われているのである。そしてここでは、まだ人間が機械の奴隷になっている非人間的な姿を見なければならないのである。

 お断りしておくが、写真は、最終的にはきわめて手工芸的なものであるから、感覚がものをいう。しかし、ここでは単なる色再現でも、機械的に簡単に処理できない現状を問題にしているのである。スーパーコンピューターなら解決できるという人がいるが、それはただ計算が早いというだけのことではないか。

照明光によるグレイバランスなら正しい色再現ができる

 要は、明確なプリント基準をつくって正しい色がだせる<システム>をつくることである。私は、二〇年前に、撮影光源からの照明光をフィルムに記録してプリント基準をつくり、その照明光記録部でグレイバランスをとってプリントするという<標準カラープリントの製作法>の原理特許を出願し、後に特許を獲得した。(注2)そして<こうすれば正しい色が出せる>というタイトルで、そのノウハウを日本カメラ誌(注3)に発表した。グレイバランスシステムのはじめての提案である。

 最終的なプリントの色と濃度は、先のように使用フィルムにはじまり、撮影時の色温度その他、無数といってよい多くの要件に支配されるが、これらをいちいちチェクするのではきりがない。また、その必要はない。

 私のグレイバランスは、中間の要件は放っておいて<頭>と<尻尾>を捉えればよいというセオリーである。つまり、撮影では、被写体とは別に撮影光源からの照明光(頭)をフィルムに記録し、これが最終プリント(尻尾)で中性灰色(グレイ)になるように調節し、その条件で被写体画像をプリントする。

 この方法は、<頭>の部分でグレイにするための調節を行うが、従来のように被写体画像の調整は行わない。しかし、正しい撮影さえ行われていれば、被写体の灰色は必ず灰色として再現され、さきに述べた、フェリアのない、正しい撮影結果がプリントにだせる。

 特許では、今のホワイトバランスを自動的におこなうビデオカメラのように、照明光をカメラに導入する方法が第一の方法として記載されている。しかし、この方法はカメラからつくり直さねばならない。そこで、カメラレンズ面にDF(デイフューザー、乳白拡散板)を装着して照明光を記録するという第二の方法を実施した。これなら、どんなカメラでもプリント基準のための<照明光記録>が簡単にできる。

 撮影時の操作は、そのDFをレンズ面にあてがって、カメラを撮影光源に向けて露出を合わせてシャッターを切るだけである。こうすれば、グレイカードを撮影位置においてこれを画面一杯に写し込んだのと同様の照明光記録部が簡単につくれる。これをグレイネガ(Gネガ)と呼ぶ。これが、プリント上で反射濃度0・7の正しいグレイになるようにして被写体画像を焼き付ければよい。こうすれば、機械的に、ポンとボタンを押せば簡単、確実に正しい撮影結果がだせる。

 もっとも、自家プリントでは、グレイを調整し判定するそれなりのノウハウが必要になる。そこで、グレイの基準となる<グレイサンプル>、及び、使用すべきYMCフィルターが容易に見いだせるカラーチャート<CCフィルターガイド>を製作し、オーダーのシステムと自家プリント、また、リバーサルの問題を解決できるようシステム化し、これを市販(注4)した。

 このシステムでは、複写の場合はグレイカードをワンカット写して同じ露出でオリジナルを複写し、実写ではディフューザーで照明光を記録して適正露出で被写体を撮影し、いずれの場合も、Gネガ部分でグレイバランスをとってコンタクトをつくる。こうすれば、被写体ネガのテストをしなくても、被写体に含められた灰色が正しい灰色として再現された正常なコンタクトが簡単につくれる。

 撮影光源が変わっても、各光源を写したGネガでグレイバランスをとれば、蛍光灯であろうと、タングステンであろうと正しい色(被写体のグレイがグレイにという意味での)が可能になる。

 自画自賛で恐縮だが、自家プリントでも数枚のテストだけでほとんど失敗なく、簡単に質の高い美しいカラープリントが可能になる。その具体的な方法はシリーズ日本カメラ八四号<現像・引き伸ばし入門>(日本カメラ社)に解説した。これを読んで自家プリントに成功して感激された中川敦夫氏の日本カメラ誌への投稿「カラープリント初体験に感激」(注5)にも見られるように、この方法は実際的にもきわめて有効であることが実証されている。

 多摩美術大学の私が担当するカラー写真実習では、このシステムの応用と写真研究室の努力によって、一学年一六〇名という多数の学生に、それも半日で、複写と実写の2本分のコンタクトと確実な二枚の8x10プリントをわずか二、三回のテストで成功させるという実習が可能になった。

 確実な表現技術を学んだ学生たちは、作品制作が意のままに行えるので意欲的になり、作品の質も明らかによくなり、全紙やロールカラー印画紙を使っての作品製作も珍しくない。あとでのべる感光材料の平面性を保持するバキュームシステムの併用もあって、プリントの質はラボ以上といっても言い過ぎではない。意志通りにシャープな仕上げが可能になるからである。

 機会があれば、できるだけ書き、講演もするようにしている。多摩美で毎年秋に開催している「50人の眼」展では、そのためのワークショップを併設している。一昨年は筑波の大学院で、また、今夏は、ニューヨークのロングアイランド大学のサウスハンプトン校でも開催して好評を得て、現状の色の問題を解決するには、グレイバランスしかないことを、あらためて痛感してきた。他の大学や、専門学校でも、カラー写真教育にご利用いただければと思う。できるだけ無駄な失敗は避けたいものである。プリント基準が不明確なまま、ゼロ点調整なしに、曖昧な記憶や推測だけで被写体画像のテストをおこなう従来の方法は、嫌気を誘う原因になるだけでなく、はっきりいって、印画紙と時間と労力の無駄であると思う。

フォーマットフィルムなら、リバーサル並みの結果がだせる

 ところで、照明光記録法は撮影現場でのいちいちの照明光記録が必要なのが欠点といえば欠点である。もっとも厳密な結果を得るにはいずれにしてもこれは不可欠である。しかし、現在のリバーサルフィルム同様の結果が得られればよいというのであれば、別の方法がある。<フォーマット法>である。

 これは、基準光(昼光用には昼光、タングステン用にはタングステン光)をあらかじめ、例えばフィルムのリーダー部にインプットしておき、そこでグレイバランスをとる方法である。おそらく、これが、通常カメラによる決め手の解決法になると私は考えている。(注6)

 この方法は<正しい結果>を可能にするためのフローッピーデイスのフォーマットと同じ考え方なので、これを<フォーマット法>と呼んだ。これなら、カメラをつくり直す必要はない。撮影時にいちいち照明光を記録する必要もない。リバーサル並みの撮影をすればリバーサル並みというより、グレイバランスはリバーサルより優れ、もちろん、撮影時の露出補正やフィルター効果も夕焼けなどもプリントに正しくだせる。この方法では潜像退行が問題になるとはいえ、現像直前にインプットすればその問題は生じないことを追記しておく。

 ネガからのスライドづくりでも同じことがいえるから、この方法をラッシュに応用すれば、質の高い、スライド製作が可能になる。また映画づくりにも、また電子カメラにおいても応用できる。したがって、この問題解決には、フォーマットフィルムやデイスクをつくればよいということである。

ミニラボでも、もう一つのメニューができる

   あとは、これに対応するプリントシステムを整備すればよい。感材メーカーの基幹ラボには、いわゆる、学校写真用のデータを固定して使える機械がある。自動調整の機械は、さきの理由から服装の違いで色や濃度が変わるので困るからで、それを使えばグレイバランスプリントは今すぐにでも実施できる。

 街のミニラボの機械はさきのAE機構が簡単には解除できないが、Gネガでグレイバランスをとったそのデータを固定して被写体画像をプリントできるチャンネルを専用につくればよい。いってみれば、マニュアル操作を追加すればよいだけの話であるから、実現は案外簡単な筈であり、そうすれば自動的に、コンタクトと同じ調子の機械プリントが容易安価、迅速に可能となり、操作する人の問題も生じない。

 プリントの良否は、グレイの調子で判定ができる。そしてこの方法なら、プリントの仕上がりに対する許容範囲を決めることも可能である。実例をあげれば、さきの<グレイサンプル>には、反射濃度でプラスマイナス0・1の範囲ならOKという暗黙の了解が得られるよう、比色窓に色票が配列されている。また、色調については、CCフィルターガイドで許容範囲を決めることもできるなど、このグレイバランスなら、ユーザーの要求のほとんどは満足させることができる筈である。そして何よりも、カメラと人を裏切らないメニューがつくれる。現状は明らかに時代に遅れをとっている。

ダイトラの自家処理もできる

 またこれをリバーサルに応用すれば、やはり基準が明確になるので、フィルター選択、フィルムの管理、プリントの色改善にも役立つ。プリントでもゼロ点調整がやりやすくなる。そしてカラープリントの最高峰であるダイトランスファープリントでもこの原理を応用することにより、画像の試し焼きなしに、自家処理で比較的簡単に標準プリントをつくることができる。多摩美の「50人の眼」展併設のワークショップでは、例年、ダイトラのデモンストレーションも行っているが、昨年、カラーネガからつくるパンマトリックスフィルムが製造中止になるという知らせを受けた。海外の有名作家のカラー作品は、ほとんどがダイトラでフィニッシュされていることを考えると、表現の世界にとってきわめて不幸な出来事である。リバイバルは世の常であり、諦めたわけではないが、その文化遺産がこの世から消えていくとすればまことに惜しい。

ハイテクカメラには入射光測定の機構を

 このグレイバランスによって色の問題が解決したあとに生じた次の問題は、撮影時の露出であった。いうまでもなく、撮影時に正しい露出が与えられていれば、グレイバランスをとるだけでノーマルプリントができる。ところが、一般のTTLカメラは、反射光測定であるからカメラまかせでは、白いものは露出不足、黒いものは露出過度になり、正しい露出は与えられない。最近のマルチパターン測光カメラはそれを自動調整するとはいえ、TTLであるかぎり厳密な撮影をするには18%グレイカードを撮影位置に置いて測定するか入射光メーターが必要になる。

 私は、グレイバランスのためにDFをつくったが、これならグレイカードでは問題になる表面反射光は生じない。携帯にも便利である。そして、このDFの光透過率をうまく調整すると、レンズ面にあてがったときに入射光メーターの結果にきわめて近い適正露出(18%グレイカードが再現できる露出)が判定できることがわかり、RWDFSとして実用化しこれを世に出した。(注7)

 しかし、何でもそうであるが、出来てしまえばごく当たり前のことである。TTLカメラは反射光メーターそのものであるから、レンズ面に適当な透過率の拡散板を装着すれば入射光メーターになるのは理の当然である。だから、RWDFSさえあれば、Gネガづくりと同時に入射光測定ができるので一石二鳥なのであるが、ここではその宣伝を行うのが目的ではない。

 結論をいえば、何故これまで、ハイテクカメラにTTL測光(反射光測定)とともに、露出決定の上できわめて重要な入射光測定の機能が付かなかったかということである。

 やはり、これまでの写真術の技術思想は、<ほどほどのプリントができればいい>ということだったのであろうか。とすれば、ブラケッテイングや露出補正等は、何のためであろうか。またリバーサルだけを考えての機能であるとすると、正確な露出が必要なリバーサルこそ、入射光測定の機能が必要であろう。

いずれにしても、ハイテクカメラであるかぎり、いわば絶対値である入射光測定を兼ねる機能を備えてこそ、ハイテクカメラなのではないか。

フィルムの平面性 ■■■■ 乾板時代のシャープネスは取り戻せる
   フィルムの出現によって、現代写真術は、それまでの、割れやすく重くかさばるガラス乾板から解放された。しかし、一方では平面性という、シャープな画質を得るための必須の条件が犠牲となり、その結果、画像のシャープネスが低下するというマイナス要因がつくられた。

 撮影であろうが、引伸しであろうが、ピントは感光材料面に確実にぴったり合わなくてはいけない。しかし、ピンボケや、部分ボケ、あるいは像の歪みが、フィルムの平面性に大きく関わっていることは案外知られていない、また、積極的には知らされているとはいえない。

 数年前に、フィルムをエアーで吸着させるバキューム付きの高級35ミリカメラ(注8)が出現したのでその重要性が少しは認識される時代になったようでだが、我々はピントグラスにピントを合わせると、それでピンとが合ったように錯覚し、安心してしまう習慣が身についてしまっている。しかし、フィルムはもともと平面でない上に、湿気により、また熱による変化はかなり大きいと考えるのが無難であり、油断大敵なのである。

 たとえば、8x10サイズのカットフィルムをホルダーに詰め、フィルム面を下にすると、フィルムの中央は何と2ミリ近くも垂れ下がってくる。あきらかにピンボケの原因となる。そのため、通常の撮影でも部分ボケや像の歪みは程度問題であって避けることはできない。

 また、35ミリカメラは、圧板でフィルムが押さえられているように考えられるが、実際は、狭いトンネルをフィルムが通過するようにつくられているだけである。

 もちろん、レンズを絞れば深度が深くできるが、それでは開放撮影ができない。開放撮影も大切な表現技術の一つである。いずれにせよ、感光材料の平面性不良というより、その保持性不良は、これまでどれだけ多くのカメラマンやプリントマンを泣かせ、多くの優秀なレンズもいわれのない汚名を着せられてきたことかしれない。

 しかし、その問題点は、実は、フィルムの平面性にあったのではない。これまで、平面性を確保する実際的なノウハウが欠けていたことに原因があったと私はみる。大体、フィルム自体に平面性を求める方が無理である。

 私は、自分の作品をプリントするために印画紙をエアーで吸着させる厚さ1ミリのこれまでにない超薄型の吸着式イーゼル(注9)を開発できたことをきっかけに、4x5,5x7、8x10といったカットフィルムの実用的で安価な吸着保持システム(注10)を、次いで、ガラス一枚でネガを平面に保持でき、ニュートンリングのでない世界初の吸着式のネガキャリヤー(注11)を完成することにより、フィルムの登場以来、おそらく、世界ではじめて、すべての使用形態で感光材料を平面に保持できるシステム(注12)をつくることに成功した。

 こうして、私はフィルムを使用しながら、乾板時代のシャープネスを取り戻すことができたと自負しているが、これらの技術は、グレイバランスと同様に、今後の高画質写真に役立てたい。すべてのハイテクカメラは、これらと同様、たとえ開放絞りでも常に確実なピントが約束されるように改善されるべきである。

4x5もロールフィルムで撮影ができる

   フィルムをエアーで吸着保持させれば、フィルム自体の平面性はそれほど重要ではなくなるから、薄膜にしてより撮影枚数の多いフィルムが可能になるというメリットがあり、データ記録にも役立つ筈である。薄膜フィルムは、平面性に問題ありとされてきたが、カメラやネガキャリヤーがバキュームになれば、少なくとも平面性の問題からは解放される。そして、4x5サイズはもちろん、8x10シートでさえ、ロールホルダーで撮影が可能になるという展開が期待できる。

地球にやさしい、コンタクトシステムの普及を

 現状では、同時プリントが当然のコースとされているが、果たして、撮影した駒を全部サービスサイズにする必要があるであろうか。撮影の失敗や不要な駒は数え切れず、そして大半は捨て去られる運命にある。膨大な量であるから、環境と公害に直結した大問題である。

 モノクロの場合のように、撮影したあとはまずネガから正しいコンタクトをつくって、必要な駒だけを希望サイズにプリントすべきではないか。コンタクトは色見本にもなるから、焼き増しに、また整理と保存にも便利である。コンタクトがない現状は、ネガを捜し出すことも大変である。

 材料面積を比較すれば、35ミリ24枚どりのコンタクトなら8x10インチサイズの印画紙一枚でも充分すぎる。8x10サイズはE版で5枚分であるから、同時プリントでは、コンタクトの約五倍ものカラーペーパーが消費されていることになる。

 もっとも、現状では、コンタクトを注文したくとも、先の理由から正常な結果が得られない上に、それにしては値段も高く仕上がりも遅いという背景があるが、グレイバランスなら問題なく、迅速、安価なコンタクトシステムが可能になる。なお、<おまかせカメラ>の場合はネガ濃度がバラバラだから、駒ごとに色と濃度を調節してネガを原寸大に焼き付ける方法によって、<コンタクトもどき>をつくればよい。このフィルムにも基準光をインプットしておけば、これを参考に色補正の改善に役立つ筈である。

 このように、正しいコンタクトを、早く、安く仕上げるシステムを整備すれば同時プリントの氾濫に歯止めをかけ、パルプも節約でき公害源を減らすことが可能になる。これを待望しているユーザーの数はきわめて多い筈である。そして、今後のデジタル時代は、モニターで鑑賞する機会が増えるから、ネガの整理と管理のためにも、これは時代の要求でもあるといえるのではないか。

改善を妨げてきたものは何か

 私は以上に、問題点とともに、高度な写真システムは基本的にはこうあるべきだという解決策も同時に提案してきた。それが私の独りよがりでなければ、現状の写真システムの問題点と私がこれまで攻めてきた問題点とがあまりにも一致していることに私自身、不思議な思いがする。

 ところで、私が日本カメラ誌に<こうすれば正しい色がだせる>を発表した時点で、業界がこれを有効な方法として考えていなかったかというとそうではなさそうである。私の原理特許の出願後9ヶ月後、日本カメラ誌が発刊されたその時期に大メーカーが同じ主旨の特許を出願しているからである。他の応用出願もほかにあったような気がする。ということは、その時点で、実際的に有効な方法であることがわかっていたということであり、したがって、早い時期に解決できた可能性もあったということになる。

 この解決策は 映像学会(注13)でも提案し、日本写真協会報(注15)でも何度か紹介されている。私の著書<写真技術ハンドブック>(ダヴィッド社)にも加筆した。一九八五年には、光学四学会(注14)共催の「第二回色彩工学コンファレンス」でも<画像濃度とカラーバランスのコントロール法>のタイトルで具体的なノウハウを発表した。

 一九八九年九月には、大学の海外研修の機会を得たので、この色再現のノウハウを含め、主な研究成果(注16)を写真術の生みの親であるコダック本社に正式に提案してきた。ジョージ・イーストマンがやり残した少なくとも二つの大きな問題点は私が解決できたという自負心もあった。提案そのものはストラテジーに合わずという結果に終わったが、残念に思ったのは、先にも書いたダイトラのパンマトリックスフィルムが製造中止になるという知らせを受けたときである。使いこなせるノウハウなしには、ダイトラのマスターなどは夢のまた夢であることがわかり切っていたからである。ここでも、グレイバランスのバックアップが早く導入されていれば、事情はあきらかに違っていたと思う。今でも、確実にできるならダイトラの希望者は少なくない筈である。

 いずれにしても、私の知る限りでは、少なくとも、これまでの業界はハイテクカメラにとっての<間違っているシステム>の改善には積極的ではなかったといえる。たとえそれがユーザーに不自由と不利益を与えていてもその体制は崩したくなかったといえば、言い過ぎであろうか。手焼きよりも質のよいプリントが、手焼きより安く、機械焼きで簡単にできるシステムは業界にとっては利益を損なう不都合なものであったかもしれない。

 ユーザーがもっと賢ければということもある。しかし、これはむしろ、首をかしげたり、怒っているユーザーに、その問題点を率先して知らせるべき立場にあるジャーナリズムと、業界のチェック機関でもある行政官庁がそれを長い間無視して本来の責任を果たさなかったということにその原因があるというべきではないだろうか。

 話はもどるが、私はさきの<声>の投書を黙視できず、「色再現はサイエンスで解決できる」という一文を「論壇」へ投稿したが、内容が「かなりに高度で専門的なので、一般読者には難しすぎる」とボツにされた。果たして、それほど難しい内容であろうか。

 そこで私は同社の専門誌に提案することになったが、さきのように業界に対する批判を載せた同誌も、私の提案後のカラープリント特集では、編集部の姿勢は逆向きとなり、「サービスプリントの色は直る」の内容が、何と、サービスプリントの色は焼き直せば事足りるという内容(17)であったり、2年後の特集では、「楽々カラープリント」という表題とは裏腹に、”どのシステムでも思った色がでない”(注18)と決めつけて従来の方法を紹介し、更に「ネガカラーの可能性を見いだす!」では、こうすればいい色がだせるという私のノウハウ同様の内容が、拡散板をトレペに置き換えられて掲載された。これはライターが事前に私を取材しておきながらの結果である。

@一事をもって万事を推し量るのは危険であるが、<正しい操作をしても、正しい結果が得られない>事実も、そして、その問題を改善するための情報も正常に伝達されないどころか、事実が隠ぺいされ、歪曲されるなど、今の時代には絶対に起こってはいけないことが起こっているその背景に、一体何があるのであろうか。公正であるべきジャーナリズムがこれではゆく先が恐ろしくなるのは私だけではないと思う。

 現代写真術をこのように検証してくると、そこに見えかくれしてくるのは、建て前と本音を綯い交ぜにした業界の商業主義と、業界保護のために奉仕しているようにもみえる周辺の環境ではないだろうか。したがって、これまでの経過をみる限りでは、今度の五社プランも業界利益が先行し、またもやユーザーはひどい目にあうのではなかろうかと危惧されても仕方がないだろう。プリントの効率化は理解できるが、磁気化によって以上のべたような問題点も矛盾なく解決できるのであろうか。その内容は早い時点で公開され、十二分に論議が尽くされるべきである。

 また、教育関係については、色再現についての基礎的な色彩教育や映像教育、また、実際に必要なサイエンスの教育が遅れていることも、写真システムの早期の点検と軌道修正ができなかった大きな理由であろう。ジャーナリズムもまた多くのユーザーも、また多くの教育関係者がもう少し色に詳しければ、問題がこのように長期間放置されるということはなかったのではないだろうか。

 これからの色彩教育は、マンセルばかりでなく三原色のシステムを義務教育にも追加して充実すべきであると思う。将来のマルチメデイア時代のためにもきわめて重要であり、私は、色についての最初の基礎研究であるCCフィルターを使用したカラーシステム(注一六)を更に発展させた三原色の色のシステム(注1九)を完成させてお役に立てねばと考えている。

結語

 以上のように、現在の写真術の改革されるべき大きな問題点はいずれもその解決策は用意され、今すぐにでも実施可能なことばかりである。したがって、それらを放置したまま新しいフォーマットへの切り替えがあるとすれば、それは暴挙というものである。少なくともその前に、現35システムを<正しい操作をすれば正しい結果が得られる>ようきちんとチューンナップし、地球上の35カメラ愛用者のすべての人達から感謝され、喜ばれる、確かな写真術として完成されなければならない。

 そのために今一番必要なことは、業界におもねることのない、各界、各分野からの勇気ある発言であろう。五社が、束になって動けば敵はなし、世間は黙るでは、将来に更に大きな禍根を残すことになりかねないからである。

 どんな世界、どんな分野であろうと健康な意見と批判が入れられないところでは、健全な発展など望めない。そういう意味では、かくいう私が、もしここに、私に都合のよい論理だけを展開してきたというのであれば、容赦ないご批判をいただきたい。喜んで受けるつもりであるが、この一文が写真術の軌道修正と活性化につながってくれることを切に願うものである。

(多摩美術大学教授*、脇色彩写真研究所主宰)*発表当時 現在多摩美術大学名誉教授

(注)
1  ニューホール著 白揚社 写真の歴史 一五六頁
2  特許一二四七〇二五号、昭和四九年一〇月出願
3  日本カメラ 昭和五十年八月号、一四六頁
4  <RWカラーバランスシステムα>(株)ケンコーより発売
5  日本カメラ 一九九〇年六月号 一四九頁 
6  特許出願昭和六三年一八六六四一号
7  <RW適正露出デイフューザー>(株)ケンコー発売
W  コンタックスRTS■(京セラ)
9  <RW吸着イーゼル>(特許一六六三二二三号)
10 <RWバキュームバック45810>(実用新案出願昭和57年124712号、実用新案出願八三九四号ほか)
11 <RWバキュームキャリヤー>(特許一六一三三一七号)
12 <RWフォトバキュームシステム>
13 照明学会、応用物理学会、光学懇話会、日本色彩学会、日本写真学会
14 一九八九年第一五回大会(フォーマットシステムを発表)、一九九一年第一七回大会(ゴルフボールシリーズ作品を展示)、一九九二年第一八回大会(36EXP<MOMA>シリーズ作品を展示)
15 一九八五年四月号六頁、一九八九年三月号七頁ほか
16 色再現のシステム、フォトバキュームシステム、及び、CCフィルターを使用した減法三原色によるカラーシステム(一九七五年写真工業七月号二二ー二七頁参照)
17 一九九〇年アサヒカメラ一〇月号
18 一九九二年アサヒカメラ一二月号一九六頁
19 注16の減法三原色によるカラーシステム及び、その計算をコンピュターで処理することのできる未発表のコンピュターカラーシステム(特許出願平成3年一九七五三六号)参照



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