島田荘司のLA自動車事情。

LAの自動車流通事情。

  この稿は、将来読者諸兄姉がLAに観光旅行で来たり、留学などで住むために来たりした

 際、レンタカーに乗ったり、自動車を購入する時に戸惑わない知識を得てもらうことが第一

 目的なので、具体性を心がけている。そこでこういう目的に沿い、ここでは「ロス」という

 日本語の呼称は避けることにする。                     

  この日本語は、そう話しかけてもアメリカ人には通じない。「ロス」はスパニッシュの一

 般的な冠詞で、それ自体には意味がない。こちらにはロスが頭に付く地名がいっぱいあって、

 ロス・アラミトス、ロス・セリトス、ロス・フェリツ、などなどのひとつとしてのロス・ア

 ンジェルスなのだから、冠詞だけを取り出し、これを省略形と解釈してもの馴れたふうを気

 取るのは、土地の者にはかなり野暮に聞こえる。また「ロス」という名の人間がいるから、

 混乱も招く。こちらでこの言い方を避けるのは、セルフサーヴィスのガス・ステイションで

 どのボタンを押すのかを知るのと同様、生活上の必要技術の範疇である。

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  さて、日本で一般に考えられているように、ロスアンジェルスが自動車王国であることに

 は間違いがない。LAは全米第二の都市であるが、この都市には、東京やパリ、ロンドンと

 大きく違う要素がある。それが何かというと、プロローグで述べた通り、東京やロンドンが、

 自動車が歴史に登場する以前にひととおりの完成をみた都市であるのに較べ、LAという若

 い街は、都市が発展成熟する段階で自動車という文明の利器がすでに存在していたというこ

 とである。これが両都市の性格に、圧倒的な相違を作りだした。

  LAは、都市を構成するさまざまな要素が驚くほど広範囲に散らばっていて、民主々義の

 国らしくそれらに格差がない。つまり中心部のレストランの方が、周辺部のレストランより

 格が高いといった発想は原則としてない。種々のオフィス、スーパーマーケット、ショッピ

 ングモール、ヴィデオ・ショップ、これらがなんとも広範囲に拡散している。   

  そしてこれらを結ぶ地下鉄、電車がない。東京型の都市なら、繁華街というものが必ず駅

 前にあるから、にぎやかな場所に行きたければ電車に乗って名の通った駅で降りればそれで

 よい。だがLAでは、そういう東京型の常識が通用しない。高層ビルが林立するダウンタウ

 ンのオフィス街というものがここにもあるが、行ってみても喫茶店やブティックが軒を連ね

 ているわけではなく、言葉通りただオフィスがあるだけだ。

  LAは、日本人に解りやすい説明を試みれば、平安京の巨大版とでもいうべきもので、東

 西に碁盤の目のように整備された道路が走り、平屋造りの民家がその間を延々と埋めて広が

 る。                 

  LAには郊外という概念がない。ダウンタウンに隣接してもこういう住宅街はある。どこ

 もが都心であり、そこに家が並んでいれば、どこも住宅街である。よくいえば雄大であり、

 悪く言えばしまりがない。              

  こういう都市は土地代が高くないから、民家もスーパーマーケットも、ショッピングモー

 ルもオフィス・コンプレックスも、上へ伸びる必要がない。たいてい一階建てで横へ横へと

 平たく広がる。家も安いが、土地の値があまり上ることがないので、不動産の資産価値は日

 本ほどはない。                

 「自動車」という驚くべき発明が、こういう新しいタイプの都市を創りだした。自動車は、

 あっというまに、しかも手軽に、人間を何マイルも移動させることを可能とした。市民の一

 人一人がこういう贅沢な移動手段を持つなら、都市は小さくまとまる必要がない。

  しかし裏を返せばこれは、自動車がなければ夜も日もあけない都市ができたということで

 もある。決して大袈裟でなく、ここでは車は命の綱だ。LAの水道の水は飲めないから、活

 水機を付けるか、そうでないならマーケットに買いだしに行かなくてはならないのだが、も

 し車がなければ、そして友人もいないなら、食料や水のある場所にもたどりつけずにアパー

 トで死ぬかもしれない。だからこの都市への適応の資質は、英語力という以前に自動車の運

 転能力である。                    

  こういう条件が、逆説的にLAを自動車天国にした。東京みたいにドライヴァーを苛めて

 いては人が死ぬのである。東京でもロンドンでも、郊外から都心に自動車を乗り入れること

 は、行政にとって歓迎ではない。地下鉄などの公共交通機関が完備しているのだから、それ

 に乗るのが市民の正しいありようで、都心で自家用車を走らせることは、どこかたしなみに

 逆らう後ろめたい行為であることを絶えず自覚させられる。しかしLAでは全然そういうこ

 とはなく、どこへ行くにもポリスや行政に気がねすることなく、自動車で行ってよい。目的

 地には、よほどのことがない限り無料の駐車場がたっぷり用意される。この点ひとつで、も

 う東京からきた車好きは大いなるストレスの消滅を感じる。

  さらに加え、LAにはフリーウェイ、日本でいう高速道路が縦横に完備していて、遠出を

 しようと思えばどれかのフリーウェイに乗ることになるのだが、これらがすべてタダなので

 ある。フリーウェイ同士で交差した場所があるなら、ごくごく少数の例外を除いて、右左折

 によってそのフリーウェイに移れる。わが首都高速のように、高い金を払って環状線外廻り

 を湾岸に向けて走っていて、江戸橋上空で上野方向へ曲がろうとしたら左折の道がない、な

 んてことはない。                         

  フリーウェイは、すべて4から5車線を持っていて、アウトバーンより車線の数は多い。

 しかしこの道幅と車線数でも、5時以降の会社帰りの時間帯、また道によっては、3時間の

 時差があるニューヨーク時間で行動するエリートたちが下社しはじめる2時以降、7時くら

 いまでの間は渋滞の危険がある。すると一番内側の一本はカー・プールレーンと称して二人、

 もしくはそれ以上乗車している車に限り走行してよく、友人でも横に乗せてここを走れば、

 まずすいすいと走行ができる。                           

  こちらではガソリンが大変安い。セルフサーヴィスのGSがほとんどで、ここを利用して

 自分でガソリンを入れれば、最もオクタン価の高いプレミアム・ガソリンを入れても、リッ

 ターあたりだいたい47円の計算になった。日本でのほとんど3分の1に迫る。

  こちらでは雨に降られるということがまずない。一年のうち、雨が降るのは冬だけで、し

 たがって車を磨いておけば何週間でも光っている。           

  日本にまずない風景のひとつに、フリーウェイを行くピカピカのトラックというものがあ

 る。日本ではトラックやステーション・ワゴンは単なる商用車で、完全な脇役といった階級

 意識が根強いが、ここカリフォルニアでは決してベンツばかりが主役ではない。シヴォレー

 のピックアップ、エルカミーノなど、運転席からテールまで連続した奇麗なサイド面を見せ

 ながら、ワックスでピカピカに磨かれて、堂々と高級車に対抗している。

  シルエットの美しいトラックや、後輪はダブルにタイヤを履いて、後ろのフェンダーを迫

 力満点に左右に張り出させた大型トラックも数多い。感涙ものはトラックのオープンカー。

 こういうものに上半身裸の若者が乗っているのを見かけると、まるでプールを背負って走っ

 ているようだ(上半身裸での運転は、現在はもう違法となった)。アメ車の一番の得意は、

 トラック造りではあるまいかとさえ思えてくる。                  

  かつてひとつの時代を創った大きくて平たいアメ車は、考えてみれば、二人乗りにしてト

 ランクの蓋を取り去ればピックアップとなる。佳き時代のアメ車の伝統は、今ピックアップ

 に生きている。                   

  加えて車検は排ガスのチェックしかないので、やっと動いているような車も、超ワイドタ

 イヤを派手に左右にはみ出させた車も、わがもの顔でフリーウェイを走っている。ワイパー

 がなくても、バッテリーがむき出しでも、屋根も幌もなくても、いっこうに平気で、からり

 としたカリフォルニアの風に髪をなぶらせ、車好きたちが走っている。雨は案外車を故障さ

 せる。                        

  こちらの風物詩として、ビートルの「バハ・バグ」というものをよく見かける。「バハの

 虫」、バハというのはカリフォルニア半島にある砂漠だ。これはフォルクスワーゲンの前後

 を切ってワイドタイヤを履き、エンジンをチューンアップして砂漠用のバギーに仕立てあげ

 たものだが、このエンジンが、たいてい後部にむき出しで載っている。

 たとえ道の中央で車がエンコしても、車線が多く、道がすいているから、発狂して後ろでク

 ラクションを鳴らしまくる不可解な輩はいない。実際日本のあの習慣は、まったく意味がな

 い。むしろ降りていって手伝うべきだ。こっちの男たちはみんな車が大好きだ。だから「ス

 ポーツカー・トレイダー」なんていう雑誌を開けば、マニア垂涎の車が、日本人なら目を疑

 う価格で並んでいる。                      

  ジャガーEタイプが1万ドル台なんてざらである。ポルシェ914、2600ドル。68

 年型カマロ350ターボ、7500ドル。53年型ジャガーXK120、16900ドル。

 ポルシェ912、6500ドル。77年型ロータス・エスプリ12800ドルといった具合。

 車検と雨がなく、道と人情に余裕がある土地柄ならではの値段で、民間同士でのこういう売

 買にも特に規制はなく、自由だ。                    

  日本の車好きからは、これはもう車天国以外のものではない。ジャガーEタイプ・ロード

 スターを100万円代で買い、安いガソリンを自分で入れて、カリフォルニアの陽光のもと、

 さわやかな風を受けてひた走る。ここに来ればそれを阻むものはない。誰でもそういう喜び

 が味わえるのだ。車好きなら一度は憧れる場所、それがカリフォルニアだ。

  あなたがもしLAがはじめてで、アメリカを実感する道を走りたいと思うなら、たとえば

 トーレンスあたりから110フリーウェイに乗り、北上して101に抜けるコースをお薦め

 する。まるで血管のように高々と入り組んだ立体交差の下を抜けると、ダウンタウンの高層

 ビル群が徐々に近づいてきて、みるみる視界いっぱいを埋める。自動車が創りあげた世界最

 大級の都市に圧倒される一瞬である。                   

 上空のサインボードに気をつけながらうまく101に移れば、それは映画の都ハリウッドに

 運んでくれる道である。北上しつつ車線を右にとっていき、ハリウッド・ブールヴァードか

 サンセット・ブールヴァードへと降りれば、パームトゥリーが高々と立ち並ぶLA特有の南

 国的風景のもと、気分のよいドライヴが楽しめるはずだ。               

  ビヴァリーヒルズ・ホテルが右手に見えたら、ちょいとロデオ・ドライヴに左折、すると

 しばらくは絵のような高級住宅が左右に並ぶ並木道が続き、これが切れたら高名な高級ブテ

 ィック街が始まる。ブランド物の店が軒を連ね、日本女性が最も憧れる道である。

  もしドヒニー・ドライヴに分け入れば、LAの中心部にもかかわらずうっそうとした森が

 ひらけ、樹々の間にはまるでお伽の国のもののような愛らしい家々、城のように豪壮な建物

 が見え隠れする。ここがスターの家が多く点在するので有名なビヴァリーヒルズだ。ビヴァ

 リーヒルズは治安もよく、車も少なく、LAで最も美しい場所のひとつである。

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  しかし、アメリカも夢の国ではない。こと自動車に関しては、そしてここカリフォルニア

 と限るなら、いくらかそういう面はあるが、これからここにやってくる人のため、ネガティ

 ヴな部分や、要注意点についても触れておこう。             

  LAの人口の7割を、かつて白人たちが占めていた。今は4割を占めるばかりである。あ

 とはすべてカラードといってよく、黒人、メキシコ人、中国人、韓国人、むろん日本人もい

 る。彼らの大半は真面目な人たちだが、中にはギャングも混じる。LAは述べた通り雨が降

 らないので、家を失い、食いつめた人々が集まって生きるには向いている。そういう彼らは

 動物のように路上で眠り、盗みを働き、麻薬の売買に手を染める。彼らが住みつく場所は、

 たいていLAの最もLAらしい場所である。観光客の多いそういう地区の方が、非合法の仕

 事をしやすいのだ。すなわちそれがハリウッドであり、ダウンタウンとなる。したがって観

 光客に人気の高い地域は、どこもたいてい夜の独り歩きは要注意の場所となった。

  ギャングはむろんカラードばかりではなく、白人にも凶悪な者は多い。しかしもっとも目

 だつ人種はメキシカンと黒人といわざるを得ない。こういう人々にLAの中心地は徐々に占

 拠されていき、裕福な白人層は、清潔で安全な居住地域を求め、郊外の新興ベッドタウンへ

 と逃げだしている。                    

  こちらでは、先述の通りヨーロッパ産のヴィンテージカーが割合安いが、かわりに日本車

 が高い。われわれから見ると不思議なこの現象の理由は、まさしくこの点にある。日本車は

 故障が少ない。先に車は命の綱と書いたが、夜治安の悪い地区を走っていて、車が故障した

 ら大変である。そういう時、車の値段は文字通り命の値段となる。  

  そういう事情も手伝い、トヨタのセルシオ、こちらでの呼称、レクサス・LS−400は、

 今やBMWに並ぶステイタスを獲得している。セルシオ、アリスト、ソアラ、ウインダム、

 こちらではすべて「レクサス」のブランド名で統一されているが、四台ともすっかり高級車

 と認知された。                        

  こんな話を聞いた。めったにあることではないが、メルセデスのSLに乗っていたら、信

 号待ちの時黒人に拳銃をつきつけられ、降りろと言われた。したがうと、そのまま車を奪わ

 れた。SLやフェラーリなんて、危なくて乗れたものではない−−−。カリフォルニアは自

 動車天国ではあるが、悪運と出遭えばスポーツカー地獄ともなり得る。

  最近ではこういう乗れない車に、高級スポーツカーやメルセデスばかりでなく、わがレク

 サス・LS−400も加わったらしい。スラムのギャングたちの乗りたい車に、光栄にも日

 本車もリストアップされはじめたのだ。                  

  日本人は、治安が悪いとはどういうことかという認識が充分でないので、夜のハリウッド

 を足を出した娘の二人連れが平気で歩いたり、買った品物や膨らんだ財布をシートに置いた

 まま車から離れたりする。LAの繁華街でこれをやって、戻ってきてもまだ金があったら、

 それはたまたまの幸運と考える方がよい。                    

 かつて奴隷制度がこの国にあった。奴隷を解放したものは、自動車に代表される機械科学で

 ある。その自動車が、LAという新型の都市を同じ国に創りだした。その街を、かつての奴

 隷の末裔たちが占拠しつつある。文明の皮肉は、このようにして歴史の帳尻合わせをする。

  しかし以上のようなことは、たぶんこれまでに一度くらいは聞いたことがあるだろう。で

 は以下に、おそらくは耳新しいことを述べておこう。治安以外で、日本人ドライヴァーに最

 も気をつけて欲しいことは以下の点である。この土地のフリーウェイには、日本の道にない

 大きな危険がある。                    

  カリフォルニアの車天国は、ひとつには車検がないことから来ている。これが車趣味の自

 由度を増すのである。しかし車検がないということは、古い車が道にオイルをこぼすという

 ことである。そして雨が降らないということは、このオイルが渇いてフリーウェイにオイル

 の膜を作っているということだ。そして年に一度の雨期、はじめての雨の日など特に、降り

 だしの2時間ほどはこのオイルが雨水の被膜の上に載って、フリーウェイを異様に滑りやす

 くする。2時間が経過すれば、オイルのかなりが流れ去って、グリップは回復する。はじめ

 ての雨の日、フリーウェイを走れば路上に点々と事故車が並ぶ。多くは事情を知らない旅行

 者である。車検の厳しい日本からの旅行者は、こういう時期、運転に厳重注意である。

  何故なら、集中治療室に入るような大事故の場合、保険制度の発達したこの地の治療費は

 異様に高額だからだ。しかし観光旅行者は、留学生も含めてせいぜい海外旅行者傷害保険に

 しか入っていない。この保険は最高額500万円程度である。万一重傷重篤患者にでもなれ

 ば、この金額ではとうていカヴァーしきれず、生涯を返済にあてても足りないほどに巨額の

 借金を背負うことになる。脅かすわけではないが、こういう日本人事故者の実例はなかなか

 多い。                                     

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