島田荘司のLA自動車事情。

LAは関東平野。

  ダウンタウンを中心としたLAの生活圏は、東京でいえば関東平野に相当する広がりを

 持っている。こういう広大な空間での自在な生活を可能にするものが自動車というテクノ

 ロジーだ。まずはロスアンジェルスという都市と、東京という都市の比較から話をはじめ

 ようか。                                    

      LA自動車事情1イメージ1 LA自動車事情1イメージ2 LA自動車事情1イメージ3 LA自動車事情1イメージ4

  と書いてはみたが、こういう比較はまるで無理だ。たとえていえば夏目漱石の「坊ちゃ

 ん」と、スピルバーグの「ジュラシック・パーク」の面白さを較べるようなもので、これ

 は無理という以前に論理がなくなる。両者はまったくの別ものである。        

 「小説」と「映画」という両者は、ここまで成熟してきた道筋が違う。ということは、両

 者をそれぞれ傑作に押しあげた要因が、根本的に異なっている。「ジュラシック・パーク」

 は、エンターテインメントがフィルムやカメラという革命的なテクノロジーを得てからの

 作品なので、漱石の時代とは格段に自由度が違う。受け取り手のイメージの中に分け入っ

 ていくパワーが違う。                              

  LAと東京にも似たところがあって、東京は自動車が現れる前にいったんすっかり完成

 した都市、LAは自動車が現れてから成熟した都市である。この違いの性格を説明するた

 めに、いまぼくは自分の日常を想い起こしてみる。ノーウォークのアパートで目覚めると、

 ほとんど毎日のようにぼくはミツワ(旧ヤオハン)へ行く。ミツワというのは日本食マー

 ケットだが、その周囲に衛星のように、日本食レストランや日本の書店をしたがえている。

 ミツワはダウンタウンにもトーレンス市にもあって、だいたい半々に行くのだが、今ため

 しにトーレンス市のミツワのことを考えてみる。ノーウォークからトーレンスのミツワに

 行くには、まず605フリーウェイに乗ってわずかに南下、それから91号フリーウェイ

 に移って右折、終点まで西進する。91号を降りたらウエスタン・ブールヴァードを左折

 して南下すると、右側にある。この距離、地図で見るとおおよそ30kmになる。   

  次に東京の地図を開いてみる。東京ではぼくは吉祥寺に住んでいるが、ここからためし

 に新宿方向へ30kmの線分を延ばしてみると、新宿を越え、東京駅を越え、なんと浦安

 のディズニーランドに届いてしまう。これは驚くべきことだ。LAでぼくは、吉祥寺から

 府中の運転免許試験場へ行くくらいの気軽な気分でトーレンスのミツワに日参していたが、

 実際の距離は、ディズニーランドへと日参していたのである。            

  いつだったか東京で、昼食後、ふと思いたってディズニーランドへ行った日のことを思

 い出した。高井戸からまともに首都高速道路に乗ったものだからさあ大変、東京上空を延

 々とローギアで抜け、4時間かかってようやく湾岸道路へとたどり着き、ディズニーラン

 ドに入ったとたんに陽が暮れて、光のパレードだけ観て帰ってきたことがある。    

  だからぼくは今、LAに来るため成田空港へ行かなくてはならないような時、絶対に首

 都高に乗るなどという愚は犯さない。得意の抜け道を駆使して多摩川沿いをくねくねと走

 り、蒲田へ顔を出して、大井南インターから直接湾岸道路に乗ることにしている。途中、

 オートバイかユーノス・ロードスターでないと走りたくないような狭い場所が何ヶ所かあ

 るので、ハイヤーの運転手氏はハンドル切り返しで汗をかくが、大井南のランプをあがる

 頃には、みんなぼくに礼を言ってくれる。                     

 「いやあ、ありがとうございました。いい道教えてもらっちゃったなー。でももう一度走

 れって言われると、走れないなぁ……」                      

  LAのミツワ通いにぼくは、実際府中試験場への往復くらいのストレスしか感じていな

 い。距離は何倍も走っているのにである。その理由として、ぼくが馬鹿みたいな運転好き

 ということもあるとは思うが、それだけではない。LAという新式の都市が、自動車とい

 う移動手段に焦点を合わせた作られ方をしているためである。目的地へ速やかに移動する

 ための手段であるところのフリーウェイは、車の増殖を見越して車線が多く、しかもひた

 すら真っすぐに造られているから、車がよく流れてドライヴァーのストレスが少ない。下

 の道も同様で、まっすぐでよく流れ、家々の住所は道路名で表示され、番地の数字が壁に

 貼られて、車から探せるようになっている。公共建造物はすべて無料か、安い駐車場を持

 っていて、すなわち都市の細部までもが車での移動を基準にして設計されている。これに

 比較して、自動車を華美で不謹慎な新参者ととらえる古い都市が、ドライヴァーに圧倒的

 なストレスをもたらすのは当然である。                      

  こういう事情だから、LAの二次元的な広がりは、地上を蟻のように蠢く限りでは体感

 できない。両者を物理的に比較したいなら、われわれはその目を遙かな高みにまで上昇さ

 せ、関東平野全体を視野に入れなくてはならない。今たわむれにこの平野の東西南北の果

 てを決めてみよう。関東平野の北限は、大よそ栃木県栃木市といったあたりになる。これ

 を越えるともう足尾山地などが始まるからだ。この街とほぼ同緯度の東の線上に、太平洋

 岸の水戸市がある。南の果てはというと、大ざっぱにいって三浦半島の横須賀市あたりと

 いうことになるだろうか。東の果ては、これは文句なく銚子市だ。関東平野でここ以上に

 太平洋側にとび出した場所はない。西の果ては、関東山地が始まる山裾までということに

 なろうから、厚木市、小田原市、青梅市、飯能市、これらの街を南北に結ぶ線分あたりま

 でということになる。                              

  ここに正方形が現れたので、これの天地左右の距離を測ってみる。栃木と横須賀は、一

 本の経度的線上に並んでいるわけではないが、両市の緯度的な距離は大よそ120kmと

 いうところである。銚子・八王子間の東西の距離もだいたい120km。すなわち関東平

 野は、大よそだが、東西120km、南北も120kmの広がりを持つと把握することが

 できる。                                    

  ではロスアンジェルスはどうか。ロスアンジェルスという街は、住み暮らした感じでは

 ダウンタウン地区を含むLAエリアと、その南に隣接するオレンジ・カウンティ(オレン

 ジ郡)とで構成されている印象だ。こちらでもっともポピュラーな道路マップ「トーマス・

 ガイド」でも、ロスアンジェルス総図というと、常にこの二地域が示される。     

  しかし実際にはLAはもっと広大なスケールを持っていて、オレンジ・カウンティの南

 にはサンディエゴ・カウンティがあり、東にはリヴァーサイド・カウンティがあり、北に

 はロスアンジェルス・カウンティ、北西にはヴェンチュラ・カウンティが、それぞれ寄せ

 木のように接続している。これらはすべてフリーウェイでつながっているので、自動車は

 一日単位でこれらから先の二地域に流入流出を繰り返している。どこまでをLAのエリア

 に含めるかは判断に迷うが、一応先述の通り、LAとオレンジ・カウンティの範囲を思い

 描いてみると、北の果ては地震で有名になったノースリッジの北東、サンフェルナンドヴ

 ァレーあたりになるだろう。南の果てはというと、高級別荘地としてこちらでも有名なラ

 グナビーチあたりか。西の果ては、ヴェンチュラ・カウンティとの境界あたりにのサウス

 コーストということで、LAの住人にもたぶん異存はないだろう。東の果ては、リヴァー

 サイド・カウンティにほど近い、ドラッグレースで有名なポモナあたりにしておく。  

  そうすると、サウスコーストとポモナ間の東西の距離がだいたい130km、関東平野

 の八王子・銚子間の120kmより広い。サンフェルナンドヴァレーとラグナビーチ間の

 南北の距離はおおよそ85km、これは栃木・横須賀間の120kmに及ばないが、その

 名もロスアンジェルス・カウンティと名のついた北方までLAの領域を広げれば、120

 kmくらいの距離は楽に出てくる。もし先の近隣の郡までを視野に入れるなら、LAはど

 うかすると関東平野以上の二次元的広がりを持ってくる。すなわちLAとは、ほとんど関

 東平野ほどのスケールを持つ都市だということができる。              

  そして驚くべきは、LAのサラリーマンたちは、ラグナビーチ周辺からダウンタウンの

 オフィスまでとか、サンフェルナンドからダウンタウンまでといったスケールで通勤して

 いるということだ。LAにあっては、それはまったく特殊なことではない。東京において、

 栃木から丸の内の会社までとか、銚子から八重洲駅前まで毎朝自動車で通勤することを想

 像してみてもらいたい。気が遠くなって、誰もが会所のそばにワンルーム・マンションを

 借りるというであろう。吉祥寺から東京駅へ行くだけでもうんざりするのに、それがまし

 て朝の通勤ラッシュ時なら大半ローギアであろう。昼休みまでに会社に着ければおんの字

 だ。                                      

  しかしひるがえって考えれば、道路と駐車場さえ徹底整備するなら、自動車という圧倒

 的なテクノロジーは、栃木から丸の内のオフィスにだって連日の通勤を可能にするポテン

 シャルを秘めているということだ。問題は渋滞なのであって、これは自動車自体の責任で

 はない。すなわちLAは、渋滞を最少に、自動車を、最短距離を速やかに移動させること

 を第一目的にして作られた都市だということである。一方日本の道は、江戸時代から位置

 も、大半の道の幅も変わっていない。このため日本人は、この驚くべき文明テクノロジー

 の世界増殖に大いに貢献しながら、自身はその潜在能力のごく一部分しか活用していない

 ということになる。                               

  そんなことはあり得ないが、銚子から東京まで片側5車線の自動車専用道路を造る。江

 戸川を渡ったら、これをさらに8車線に増やす。自社前までやってくると、高架の自動車

 専用道路から、自社ビルの隣に建てられた駐車場ビルに直接乗り入れる。車線が多いから

 渋滞はなく、居住地域は地方となるからみな家が手に入れられ、殺人的な通勤ラッシュか

 ら解放されて、カーステレオでモーツァルトでも聴きながらの通勤。こんなことが可能に

 なったら、わが企業戦士たちもずいぶんと性格が円満になるであろう。親子、夫婦間も平

 和になり、キレる若者、ひきこもりの息子もいなくなる。おっと、これだけではまだ駄目

 で、この通勤高速は、無料開放されなくては平社員が利用できない。         

  だが現実に立ち返れば、地球が逆回転する確率でこんな夢のプロジェクトが実現したと

 して、通行使用料は1日5000円となり、重要社員だけに社用ティケットを配布すれば

 道が混まなくてよい、と例によって陸運局のお偉方は発想するであろう。通勤高速の届い

 た地域は、たとえイタチを蹴散らす田舍であろうと土地代は1000倍となり、企業が大

 半を買い占めて土地の値段は急沸騰、こうなればサラリーマンのストレスはさして変わら

 ず、もう親子揃ってキレるほかはあるまい。まことにわが発展途上型思想に思いを馳せる

 と目が覚める。                                 

  まあ、わが政治家先生の脳裏にこんな発想は起こり得ないから別段かまやしないが、L

 Aに暮らしていて気づくことは、東京という奇妙な都市では、「個人円」と「法人円」と

 いう二種類の貨幣が流通しているということである。この「法人円」というものは、「個

 人円」のだいたい「掛ける5」くらいのプライスタッグに対して支払われるのが常で、た

 とえばそれは赤坂の料亭の請求書であり、銀座の高級クラブの接待料である。つまり「法

 人円」とは、企業が使用する「掛ける5」の高レヴェルにある庶民立入禁止区域の貨幣で、

 東京の首都高速道路がまさにこの「法人円」の世界に着々と近づいている。いや、すでに

 もうそうなっているのかもしれない。首都高速道路公団の広報担当者と話した時、「現在

 の首都高利用者の八割は、会社単位で大量にティケットを購入した方々でございます」と

 明言していた。                                 

  こちらには、「法人ドル」的発想はないようである。東京でなら明らかな「法人円」レ

 ストラン、つまり一人最低一万円は取られそうな店構えをしていて、到底近づけないよう

 な店でも、LAでなら一人20ドル強程度であがるから、個人で入っていくことができる。

 日本国はまだまだ田舍で、「うちはしもじもの者が来る場所ではない」式の威張った考え

 方が、食い物屋間でまかり通っている。もっともこちらでも、有名人しか予約をとらない

 レストランは存在しているようではあるが。しかしそれは、LAで数えるほどである。 

      LA自動車事情1イメージ5 LA自動車事情1イメージ6 LA自動車事情1イメージ7 LA自動車事情1イメージ8

  というようなわけだから、東京にいる時はぼくもせいぜい電車を利用することになる。

 先にも書いたように、ぼくは車の運転なら一日中やっていても疲れるということがない。

 だから作家にならなかったとしたら、たぶんタクシーの運転手か、長距離トラックの運ち

 ゃんになっていたであろう。しかし疲れないといってもそれは最低40km/hで前に進ん

 でいる車のことであって、渋滞したら一時間でもぐったりと疲れてしまう。      

  しかし、とはいうもののLA暮らしが長くなると、やむなく電車を利用する東京型の生

 活が、作家島田荘司をずいぶん支えていたのだということにも気づくようにもなった。電

 車の中でかなりの仕事をこなしていたということである。資料を読む、推薦するか否かを

 決めるため、新人の小説作品を読む、こんなことは何の苦もなく電車でできる。自分のワ

 ープロ原稿を読み返し、赤を入れる、またゲラに赤を入れることもしょっちゅうやる。さ

 らには頭の中から逃げていかないうちにと、小説の下書きさえ書くことがある。    

  こういう作業が途中に割り込むことは、大いに気分転換となり、連続した執筆を可能に

 するのである。書斎の机について、来る日も来る日も朝から晩まで仕事をする、などとい

 うことはまともな神経の人間にはできるものでない。人と会い仕事の話をし、帰りに電車

 の中でまた仕事をする。家に帰れば本格的に仕事をし、部屋でパンでもかじる時は、資料

 として信頼する「NHKスペシャル」のヴィデオを観る。東京ではまったく無駄のない生

 活をしていた。                                 

  LAにやってきて、なんだか調子が狂ったなと思ったことのひとつに、電車に乗る時間

 が一分だってなくなったということがある。だから軽めの仕事を外でやるということがで

 きない。移動は常に自分でハンドルを握る車である。自分でハンドルを握りながらゲラに

 朱を入れることは、さすがの車好きにもできない。運転は歓迎なのだが、すべての仕事が

 デスクワーク時に集中するようになり、結果としてやや能率が落ちたと思う。意図的な気

 分転換が必要となったからだ。                          

  だから言うわけではないのだが、LAももっと電車を走らせるべきであるとは思う。住

 民の移動を、100%個人の車に頼るという今のやり方は、もう限界にきている。朝夕の

 フリーウェイのラッシュは、こちらでも相当に深刻である。住民の全員が、基本的に一人

 一台車に乗ってフリーウェイに入ってくるのだから、これも当然だ。         

  ただし問題は治安で、電車通勤が一般化すると、OLたちが陽が暮れてからの駅までの

 道や、駅から家まで生身をさらして歩くことになる。そういう際のこちらの危険は、東京

 の比ではない。車両内の治安も心配だ。今LAにも電車がなくはないが、この多くが治安

 のよくない地区を結んでいるため、電車内もそのまま治安が悪い地区となり、深夜など乗

 れないという。                                 

  だが仕方があるまい。これもまたかつての奴隷使役時代のつけと心得、政府は治安を金

 で強引に現出、維持する以外にない。つまり一両に一人ガードマンを配するとか、そうい

 ったやり方である。                               

  LAとは、こう見ていくと、まことに興味深い実験都市という印象だ。この都市に人口

 は現在約350万人といわれる。かつては白人が大多数を占めていたが、現在はそれも4

 割強、ヒスパニック系がこれに続いて4割弱、1割くらいが黒人、そして1割弱がアジア

 系といわれる。ちょっとした盛り場へ行くと、スペイン語、中国語、韓国語が、ごく自然

 に耳にとび込んでくる。この都市では80数種の言語が話されているといわれ、言語も歴

 史も、発想も体質も異なる異人種が入り混じり、別々のものを食べ、別々の神を信じ、本

 来的には無理な共同生活という一大実験を続けている。               

  渡り鳥の避暑地、避寒地を連想する。渡り鳥たちは故郷では縄張りを持つが、一時的に

 暮らす飛来地ではこれを持たず、さまざまな種が入り乱れて生活する。LAはちょうどそ

 んなふうで、世界中からさまざまな人種が避暑、避寒のためにこの気候温暖の地に渡って

 きて、帰国を忘れて暮らしている。そんな印象を抱く。               

  そういう彼らが電車を造らず、移動を自動車だけに頼ったらはたしてどうなるのか? 

 市民のこういう発想は、移動に愛馬を利用した西部開拓時代の伝統に違いない。こういう

 実験もまた、世界最先端の都市であり、同時に大いなる大平原でもあるここLAでは進行

 している。                                   

               写真はすべてLA、ピーターセン自動車博物館の展示から

戻る

Copyright 2000 Nanundo All Rights Reserved