大山街道景観形成協議会・ステージ0  大山街道活性化推進協議会発足前(2003年以前)

段階 記事


溝口大山街道振興会内での
活動

役所からの働きかけと
準備活動
     具体的なスタート前から、こんな経緯があります。
  1. 大山街道は昔は荷馬車の通りでした。戦後まもなく多少は拡幅が行われたようですが、これを定かに記憶している年寄りももう居ません。

  2. その後、自動車の発展がはじまり街道には自動車が行き交うようになりました。昭和30年代に拡幅という話しが起こったと同世代の昭和10年代生まれの人から聞いたことがありますが、お定まりの党派の市会議員を先頭に反対運動を起こし没にしてしまったそうです。これを話してくれた人は「あの時行動していれば、自分も若くてそこまではわからなかった」と言っていました。

  3. その後は街道の悪さを憂えるばかりで何も起こりませんでした。行政も県道や国道の拡幅には義務的に一生懸命になりますが、事を起こす義務もなく、街道に面する地権者のなすがままの開発に放置されておりました。私は1993年にこの街道に4〜5メートル建物をセットバックして建築したのですが、せめて近所だけは真似して欲しいという思いでやったものです。

  4. 1997年に「振興会の規約改定(当時は商店会)」の必要性が生じ、規約改定が行われました。私はこの改訂時に商店街に具体的なかかわりを持ちはじめました。以前の規約は良くできていた規約ですが、30年間も放置されたままで、社会活動の現状(特に時間的や社会環境的な面)にはそぐわなくなっておりました。

  5. 規格改定の中に、事業として「街道の環境を改善する」を入れました。出来るとは思ってはいませんでしたが、必要なことは明かで、入れることにしたのです。さらに、KJ法などという簡単な手法を使って「商店街や街道の諸問題」を取りまとめました。当然のことですが「街道の危険問題は一番の問題」として挙がりました。この記憶が残っているのは多分私だけでしょう。とは言え、先にどう動いたらよいかは皆目わかりませんでした。何せ、法や条令など私は何も知らないのですから、以降数年は何も出来なかったし、先への考えもなかったのです。

  6. その数年後の2000年に前会長の急逝から、地域で役職を持たない外様の私が偶然私が会長になりました。しばらくして、市の知り合い部長のMAさんから「街道で何かやらないか」と言う打診がありました。「商店街の衰退は目に見えており、お定まりの”商店街活性化”なら結果が見えているのでやらないが、街道の環境改善ならやりたい」と応じました。その結果「政策課題研究チーム 歴史を生かしたまちづくり手法の検討 〜大山街道をケースとして〜」が設けられ、調査や検討が行われました。これにはヒアリング調査などもあったのですが、私は若い人を中心に推薦しました。年寄りの昔話は何の意味も持たない時間つぶしと思ったからです。私は間もなく60歳という年齢でしたが、このヒアリングは受けないようにしました。チームは3チームで中には海外にも行けるチームがあったようで、大山街道チームはひがんでいたようでした。

  7. 成果は年度末(2001年3月)にまとめられ、成果発表が市の本庁、更にはこの街道に面する大山街道ふるさと館などで行われました。ふるさと館では地域の人も含めてのワークショップも持たれました。しかし、これも覚えている人はほとんど居ないでしょう。行政事はとかく一過性のことで終わってしまいますが、継続作戦は進められていました。

  8. 2001年度に入り、MAさんは市の中での予算取得に動き始めてくれました。翌年の2002年度の半ばに予算が確定し「大山街道活性化推進協議会」の設立に動き始めることとなりました。

  9. 委員長にはSMさんをお願いしようと思っていましたので、何回もお話ししてお願いし、お引き受けいただくことになりました。自ら委員長に就任したくなかったのは、私が「まち」の出身ではなく俺・お前という仲の人が少なかったこと、景観条例という悪役引受を覚悟していましたので委員長になってはやりにくい、と思っていたからでした。設立準備委員会には地域の長老達もお願いしましたが、委員会の主要委員は長老達はご遠慮願うことにして、60歳以下基本での委員会を構築しました。長老に気を使う、昔話ばかり、の活動は避けなければ先に進まないからです。
     さて、ちょっと脱線しますが、最近は多くの人がパソコンやスマートホンなどという情報機器を使うようになり「OSとかアプリなどという言葉」が聞こえてきます。OSとは基盤、アプリとはその上で動く様々な便利なソフトウェアを言います。
  1. 街道で言えば「OSは街道の広さや安心や安全の質」と言えると思います。アプリは「街道で行われる様々な活動」で人や車の流れ、商売、美化運動、景観などです。
  2. 安心して歩ける街道でなくては、何を活動しても駄目です。危ないからと言って街道に人は来てくれません。共同住宅だって人は好んで住んではくれません。体裁の良い建物を建築しても、街道が危険ならば眺めている余裕もありません。
  3. こんなことで、私は何事もOS狙いです。OSさえ良くしておけば、アプリは後の人がやってくれる、やりやすくなる、と考えています。
  4. 見栄っ張りではありませんが、誰でもやれることもやりたくはないです。それは誰かがやってくれればよいのです。
  5.  こんな事が多少の困難に遭遇しても、やろうとした理由です。勿論自分の商売にも間接的には影響します。ただ、日頃の交流や意見交換から同世代の人々の支援が得られる保証はありました。これなくしては「やらなかった、やれなかった」でしょう。ある私より若い地域の大物ですが「私は何をやったかしか評価しない、何を言ったかは評価しない」と言っています、私も同じです。