条例実施までの質疑応答
条例実施までには、実に多くの質疑応答を実施してきた。新たな人が加わる度に同じ質問が出る、老齢者も多いから忘れてまた同じ質問を出す、反対者は何度も同じ質問を出す、などがあるからである。「また出た、やれやれ」という感じで、同じ質問に何十回と回答しているものもある。代表的なものは一方通行化と電線や通信線の地中化であった。
- 大山街道の場合には、当初から、景観に安全要素を加えることにした。むしろ、安全第一、景観第二で臨む方針とした。建物の形状や色が良くても、歩くのも危険な状態では何にもならない、建物や「まち」を鑑賞しながら観ることも出来ない、からである。多くの街道には歩道がある。その上での景観ならよいのだが、ここはそうではない。行政としても未経験のことだったが「条例などは後手のもの」という当方の主張を受け入れてもらえた。
- この街道はこの辺の住民の生活のための基幹街道で、自分もそこを歩くし、車も使う。歩道がないので、歩行者は危険だし、子供や老人ともなれば一層危険だ。
- 車の運転者すら事故でも起こせば加害者である一方、街道の悪さから来る被害者とも言える状況である。
- こんなことは誰でもそう思っているはずである。だから、改善して欲しいと思っているはずである。
- ところが、多くはその問題を他責にしてしまう。行政が悪い(悪かった)、一方通行にすればよい、などである。確かにそんな面もあるだろう。でも、すべて外部が悪いわけではない。それを言っても何の解決にもならない。
- 戦後しばらくして大山街道の道路改善に取り組もうとする動きもあったらしいが、ある党派議員の反対活動に地権者が乗って、反古にした経緯もあるらしい。
- 「安全および景観」として当初から推進をはじめているので、内面は反対でも、なかなか正面切って「安全に反対」とは言い難い。そこで質問者は、間接的な言い回しで反対を表明したり、他責問題として逃げようとする場合が多かったような気がする。
- もう、一つ「もう少し考えて質問いただきたい、もう少し考えたならば質問にはならないだろうに」と言うものも多かった。質疑応答に備えて事前に想定質問などの練習もやるものであるが、それも一切しなかった。しかし、希にだが「そんな質問をよく考えるものだ」というものもあった。
- 物事を単純に考えないことは必要である。「こうすれば、こうすべき」と思ったときには、そうするためにはどんな条件が必要、どういうハードルがあるか、そのハードルをどう乗り越えるのか、どの位時間がかかりそうか、地域や自分でやらなければならないことは、地域や自分でできることは、などなど各々が考えていただきたいものである。とかく最近の世の中は、問題だけ提起し、後は他人や他組織任せや批判、このようにならないようにしたいものである。昔、ケネディー大統領が国民に向かって「国が国民に何をしてくれるか問うのではなく、国民が国に何が出来るかを問うて欲しい」という演説があった。「国を街道と置き換えて」考えて欲しい。
質疑応答集
この質疑応答集はほとんどを05年2月に記述したもので、その後少々追加しているものである。
ほとんど当初から変わっていないものである。
なぜ、このように質疑応答集を掲載しているかである。似たようなものの推進が行われる場合、これを参考にして賛成するものも出るだろうし、反対するものも出るだろう。しかし、ここに書いた一部のように「馬鹿馬鹿しい質疑応答はしてほしくない、それは双方のロスである」と言いたかったからである。