推進環境
このようなことを推進するためには、いろいろな環境がある。賛成者も出るが、反対者も出る。行政の支援も必要であり、行政からの環境もある。そんな点を記述してみたい。
- 景観条例は「安全・あかり・色彩・広告物」の4項目からなっている。
- 議論は限りなく100%に近く「安全」即ち建物の1階部分の壁面後退だけにあった、と言って良い。
- 共同住宅が結構ある。大家さん所有の建物の場合は大家にさんへの意見聴取でよいのだが、分譲の共同住宅の場合には、これも各々地権者となることから、意見聴取の結果の評価方法では、その辺の事情も考慮し評価することになった。
- 1軒1軒ヒアリングして意見を聞くことなど不可能だから「意見なしは賛成と考えさせていただく」ことを前提に推進した。
選挙においても、例えば30%程度の投票率で、ある政党への得票がその半数にも満たないもので政権が決まるのだから、こんなことも仕方がないし当然のことと考えなければならない。
《賛成者》
- この推進に当たっては、《意見なしは賛成と考えさせていただく》ということで推進している。溝口地区と二子地区には約250〜300件の地権者が居るのだが、はっきりと賛成というものは、30〜50位ではなかっただろうか。
- このような推進では「住民への説明会」などが実施される。賛成者は「自分は賛成だから、どうぞ」と出てこない場合が多い、反対者は「阻止しよう」と必死になって出てくる。まず、出席者数では反対が賛成を上回る可能性が出てきてしまう。こんなことで、賛成者には「出てきてください」と声をかけなければならない事態も生じる。
- 反対者はどんどんと意見を述べる。質疑応答集にも示したように、反対者は反対を裏に隠しながら意見を言う。ところが、賛成者のほとんどは静かである。推進側が応じるだけになる。これがまた困る。賛成意見も述べて欲しい、と言っておいてもなかなかそうしてくれない。委員ですら静かである。
- 二子地区の推進において、二人の委員が、反対者に対して反対者を押さえながら、強い賛成意見を述べたことがある。これが唯一のものだった。溝口では、地域重鎮一人がやむを得ず同様な行動をとってくれただけだった。
- 一般の人はこのようなものに対して「好意的」に思える。世の中捨てたものではないと思う。
《反対者》
- 安全に対して真正面から反対を述べることはできないから、間接的な表現で反対したりする人が多いのは、質疑応答集に示した通りである。
- 両地区を合わせて、文書で反対する・会合に出てきて反対するは10人に満たなかったように思う(10/250〜10/300)。
- その中でも「あれは反対意見?」などと思うものがあって、厳密にはわからない状況である。
- 推進委員中にも一人だけだったが「あわよくば反対し反古にしよう」と、それを隠し当初から委員に参加したと思われる人が居た。また「(安全面の削除目的で)全体的には賛成なのだから」と委員登録を強く要求し、議決直前のある段階で委員許可をした人も居た。
- 個人名入りで、ある政党の情報誌に、この推進を批判する記事が掲載されたことがあった。地権者や委員しか知らないことが文面になっているから間者が居るということである(何の影響も受けなかったが)。
- 前文に「世の中、好意的、捨てたものではない」と書いたのだが、不思議に感じることなのだが反対者の多くが「今あるいは過去に公職者」ということが多い。偶然なのだろうか。
《行政》
- 行政マンである以上、自分が仕事する地域を良くしたいと思うのは自然でノルマなのであり、強く推進したい人もいるだろう。
- しかし、正面切ってそれを言い、推進できるような世の中ではないから、支援の立場として行動することは仕方がないだろう。
- 日本国民は戦後甘えの国民、甘えを許す行政になってしまった。一人でも反対者が居れば、それが明らかに異常であっても、手間暇がかかることになってしまう。
- 「住民の100%合意」などを適用しようとしたら、こんな事は不可能になり、それを推進する民間人は誰も居なくなってしまう。もっと現実的な社会ルールが欲しいものである。