活動の背景
最近「協働」はやりである。協働という名の下に「相手を使う」というようなものがある中で、これら協議会の活動は典型的な協働と思っている。使う・使われる感覚はお互いにほとんど感じなかったのではなかろうか。
まず、出発点だが。大山街道では、過去何回となく活性化や環境改善のための調査などが行われてきている。しかし、いずれもレポートを作って終わりという状況に終始してきた。これにはいろいろな原因や背景があることを知っており、今回の活動は「必ず何か実現する。そうならなければ活動する意味はない」を官民双方で当初から「現実論重視」を確認し活動を開始し続けた点に大きな違いがある。とはいえ、土地の利用に制約を加える景観条例中の「建物の1階部分の壁面後退」などは通常では理想論に入るようなものかも知れないのであるが、小手先の景観はさておき、根本面も時間がかかっても何とかしようとの強い意思が特に民にあった。
- 《人の面》
民
- いろいろなタイプのリーダやサブリーダーの存在がある。
- 特にトップリーダーの若さと人格がある(スタート時は50代)。
- それらの人々がうまくかみ合った点がある。
- 60歳前後を中心として活動した点がある(意識的に高齢者が役職に就くことを最初から避けた。高齢者は過去のことばかり言及したり、自分の能力を超えるようなものを否定する傾向が出ると困るので)。
- 古い体質の街道だが、この世代は、しがらみや慣習に縛られることが少なかった。
- 支援的に支えてくれた、年配者も多かった。
- 逆に若い人は、肉体的な衰えを補ってくれていた(フェスタの力仕事)。
官とコンサルタント
- お役人臭い人は皆無で、不思議に思う程である(本庁も区役所も)。仕事の内容からだろうか。官や民を意識したりすることは皆無に近かった。
- コンサルタントの力も大きかった(特に企画事務面で)。
- 《組織の面》
- 推進母体となっている両商店街が何かにつけの交流しているよさがあった。
希には一緒の宴会や防犯灯形状の統一など。
- 60歳前後が商店街役員に就任しており、頭の若さや持久力がまだ残っていた。
- 商店街でも官の機能依存より、独立して行く考えが浸透しており、独立に努力していた。フェスタは当初は完全にコンサルタント依存、しかし慣れて現在はほぼ独立(まちは新しいことや大きいことや難しいことには弱いが、慣れる数回までは「まち」が弱い綿密な計画書作成などでコンサルタントがカバーしてくれていた)。
- 《物の面》
- 一時的には、行政の物を臨機応変に貸してもらえる事もあった。
- 《金の面》
- 行政でコンサルタントの予算付けなどをしていただけた(当初2年間)。
- フェスタなども初年度スタート後の立案にも、区が予算上臨機応変に対応していただけた。
- その後は、少額だが補助金もいただけた。
- 《情報の面》
- 景観形成など、慣れていない面には行政支援をいただけた。
- 景観形成事務局機能においては、「まち」の苦手な事務局(会合の記録や資料作成)などを完全にバックアップしていただけた。
-
最後に特筆すべき点は、月1回程度の会合の都度、官民一緒に「会合後、飲食する」である。役所絡みの会合は2時間と言うものが多いが、都合がつく限り、その後も割り勘で飲食し延べ4時間ほどの会合を実施してきている。大変だったが、本日会合の補い、次回会合へのヒント、気心がわかり、この効果は絶大であったと思う。官からは「こんなこと(会合後毎回飲食)ははじめて」と言われ「だから役所事は進まない」などと話したこともあった。
こちらは地元、飲食後の帰りも至近だが、お役人は遠方までの帰り、大変だろうと思うこともしばしばだった。
最近は定常化してきたことと、こちらの年齢が増し体力落ちから、回数が減ってきたことが少々寂しい。