会の人

  1. この会は、男性部(組織はない)と婦人部と言うような編成になっている。多くは男性が中心となっているが、婦人の方が好ましいところは婦人の手を借りるやり方で、看板や街路灯の形状検討、大山街道フェスタの食品販売・提供などは婦人部の役割である。

  2. 20年ほど前には、総会などとなると50人ほどの人が集まっていた。その後20年あまり経過した2010年頃には男性中心の20人ほどの集まりとなっている。活動の中心は、この約20人の人々の中の2/3程である。人数減少は、老齢化や廃業などの影響である。

  3. 2013年現在の中心は、昭和十年代後半生まれ(約70歳前後)が1/3を占め、昭和二十年代はあまり居ず、昭和三十年代や昭和四十年代が少々加わりながら、約20人を編成している。この70歳前後の人々は20年以上も前から継続的に関わってきた人々である。後期高齢世代は役員や活動メンバーには居ない。

  4. ここ20年ほど、現在の70歳前後の世代が(と言うことは少なくとも50歳くらいから)、ある時には上になり、ある時には下になりとこだわりなく、仲良く協働して活動してきているのは特筆に値する。彼等はこの会の外でもいろいろな役割を背負っている。婦人部も仲良く交流しているし、地域でもいろいろな役割を持っている人も多い。

  5. 徐々に世代交代の気運となっていて、一部には交代が進んでいるが、次の世代が少ないのが悩みである。しかし。これは基本的に解決の見込みはない。

  6. 慣習中心の地域で、ここ10年ほど、大山街道活性化推進協議会(大山街道フェスタの開催10回、2013年にNPO化)、大山街道景観形成協議会(街道への条令の告示)、大山街道マスタープラン、大山街道アクションフォーラムなどよく推進してきたもので、今までこんな変化を自主的に生んだ世代は居ない、と言うのが感想である。