このホームページ
ホームページには様々な目的があると思います。
- 当振興会は「駅に近い街道型」と言えましょう。当ホームページは1996年当初は、商店街や商店の宣伝目的で開設したものです。
- しかし、その後社会の変遷で店舗も徐々に減ってきました。2000年代に入ると共同住宅化が進む気配が強まりました。商圏が駅中心型となり、我慢してきたが商店経営では立ち行かない、幸いにも駅に近い場所であるので、共同住宅にしようという商工業者の職種転換とも言えるものです。
- こんなことで、2000年代からは会としての商業活動(イベントなど)はほとんどなくなってしまいました。
- また、この街道は高津の生活基幹街道とも言えるものです。歩く人は多くないと言えましょうが、車の利用者はほとんどこの街道を利用せざるを得ません。現状のまま放置すれば、開発者のなすがままにすれば、皆ばらばらな考えで開発することになります。
- そのような状態は、歩行者と車双方に事故確率を増やすという問題を生じます。共同住宅も商売です。危険な街道では住宅商売にも影響を与えます。
- こんなことで、2000年頃には商業活動はなくなってしまい、ホームページの「商業宣伝」の目的は半ば失ってしまいました。
- 1999年末に水銀灯を更改しました。2003年になると、あることを切っ掛けに「大山街道活性化推進協議会」が発足し、様々な活動が企画・推進されはじめました。地域のつながりを求めた「大山街道フェスタ」や街道の安心と安全を求めた「景観条例」などです。これが推進できたのは、昭和10年代の人々が役員に多く居た結果です。スタート時点はまだ五十代後半でした。地域的には勿論、慣習的にも諸々古い地域ですが、昭和10年代の人々の頭は戦後のいろいろな社会でもまれ柔軟で一致団結していたからです。
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このような活動も継ぎはぎで更新してきたホームページは、
- 商工業活動的なものは減り、
- 徐々に会の記録的なものが増え、
- 街道の環境改善的なものが増え、
となってきました。
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地域の商工業者というものは、情報の保管は苦手です。そこで、継ぎはぎなホームページ状態の中で、
- 活動情報は勿論、規約・水銀灯配置など会の様々な情報を置き始めました。
- ユビキタス「いつでも・どこでも・誰でも」という言葉も聞こえはじめ、こうしておけば苦手な面を克服できるからです。役員なども手間が省けます。何回も同じものを配付する必要もありませんし、何回も説明する必要もありません、忘れたら見ることが出来ます、会合に出ない会員にも情報は開示できます。
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2013年当初には、下記理由から掲載していた店舗情報やリンクはすべて削除しました。
- 維持管理をし難い(情報に変化が出ても、放置されてしまう、まとめ役も大変、形式的なページなど見にも来ない)
- 約20年も前と比較すれば、ネットワーク内の検索エンジン(googleの検索機能)が発展し、店舗名など知っていればたちどころに検索出来る。店舗写真まで見える。
- 今時、必要ならホームページは自分で責任を持つもの。
と言うことからです。
川崎市商店街連合会などでも10年程前にホームページに全店舗を掲載しようとして推進しました。当地区の高津では「市内5000以上もある店舗を掲載し維持管理するのは不可能、せいぜい商店街にリンクするだけでよい、リンクも出来ない商店街は名称だけ掲載しておけばよい」と商店掲載を断りました。維持管理不可能なまま、それを10年ほど放置した結果「半分の商店がなくなっている」などの意見が出始め、全面削除しました。こんなことは各々の商店街にも及んでいます。
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変化ある組織というものは、
- 時々は、情報構造の大幅な変更をしなければなりません。
- いわゆる整理整頓ですが、これをしなければ、情報が伝わりやすくなりません。
この会の活動はここ十数年で大きく変化したと言えましょう。2013年ホームページの大幅な情報構造変化に着手したは以上の理由によるものです。
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「変化ない組織」に触れておきましょう。
- 社会は変化していますから、一般的に「変化ない組織」は存在しません。外界の変化に気付かないだけです。民間企業なら売る物がなくなって倒産してしまいます。民間企業なら衰退組織はさっさと統廃合してしまいます。
- しかし、地域には「変化を感じない組織」は多々存在し、いつまでも維持を続け、ある種の人々がいつまでも役員を続けています。
これは一言すれば「日本の老齢化問題そのもの」と言えるでしょう。
こんな点では、この振興会のここ十数年というものは「大きな変化があった、やれることはやってきた」と言えるのでしょう。