魅惑のメコン圏


- 共飲一江水の世界 -

 

 新しい時代を迎えるつつある波乱の歴史と色鮮やかな文化を擁するメコン圏を切り口・契機に、

 活力・熱情・ひたむき・清々しさ・飾りのない自然らしさ・ロマン・ゆとり・安らぎ・大らかさの回復

 

 アジア全体ではなく、メコン圏と言う一つの地域圏を切り口とするのは?

 アジアは、日本にとって国際関係・経済の観点からも重要であり、アジア全体のより深い理解・認識や、日本とアジア全体との新しい関係を考えていくことが必要なのは言うまでもない。ただアジア全体は対象として余りにも広く数も多く全体を深く理解していくことは容易ではない。また一時の「アジアブーム」で、「アジア」と言う言葉だけが、対象認識から離れた語法で氾濫している感がある。大国である中国をどう扱うかも大きな問題で、アジアを語るとき、一般には、中国・朝鮮・韓国・台湾の東アジアに深くはまりすぎるか、東南アジア全体に中心をおくか、あるいは南インド、中近東、中央アジアなどを入れた広いアジアを指すか、さもなくば個々の国ごとを意識するのではなかろうか?

 しかしながら、メコン圏という地域圏は、その国際政治・地域経済・民族・社会文化・自然環境などの観点から強い相互関係や共通性を持つ適度な広さであるとともに、その一方で多くの異質性を残しながら多彩な魅力や様々な問題を抱えている。またこの地域は歴史・文化・経済などの面で日本と強い関係がありながらも意外と知られてこなかった上に、新しい時代をどう迎えていくのか注目できる面白いエリアと言える。

  大国・中国全体を取り込まず、西南・南部という適当なサイズで南周辺からの中国という視点で中国を見ていくことができる。国益や国の政策という視点はもちろん重要であるが、現在の国境・国力・支配民族・経済マーケットにとらわれない視点によるグローバルな地域文化圏の世界をも、関連展開する領域として取り上げていきたい。

 

 メコン圏の魅力

メコン圏ータイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、ミャンマー、中国・雲南省を総称するこの地域圏(マレー半島南部を除き中国西南部を加えた東南アジア大陸部世界)では、この6カ国地域を流れる東南アジア最大の国際河川たるメコン河をはじめとする大河が豊かな緑と水の自然風土が育まれてきた。ここでは、多彩な民族による波乱の歴史が繰り広げられ、色鮮やかな文化が醸成されてきた。この地域の持つその多様性・飾りのない自然らしさ・雑然混沌さが、とりわけ、画一的で企画管理的な閉塞社会の下、ゆとり・清々しさ・潔さ・活気を無くしかねない日本人を魅了し、この地域に原郷に通じる懐かしさや居心地の良さを感じる人も少なくない。

 共飲一江水の世界

『共飲一江水』とは、1961年、中国・周恩来総理が、ビルマを訪問した折、同行の陳毅元帥が、ビルマ友人に送る詩として詠んだ詩句の一節である。河の上流と下流にある両国の関係の深さを歌ったものであるが、現在の国家、民族など異質なものの間で共生関係を作ろうというこの地域の在り方を表すのに、適切な句ではなかろうか?

今、この地域で、冷戦の終了、経済のボーダレス化、情報化の進展、価値観の多様化などを背景に、多くの課題・問題を抱えながら、新たな時代が拓かれつつある。現在は、新しい世界・社会編成の在り方として、機能発想の下での異質性の排除という従来の考え方から、異質な個性を認め合っての共生関係の構築が志向され、また人の生の在り方として、真の心の豊かさ・生の充実が問われる時代状況にある。

 異質・多彩の中での共生

そのような中で、この地域圏をより深く、見つめ理解することによって、メコン圏内の各国間の共生だけでなく、メコン圏と日本・日本人、自然と人間、都市と農村、支配民族と少数民族、開発と伝統、日本企業とメコン圏経済、などのあるべき共生関係を想い考えることは、有意義なことと考える。

今後、地域圏からの視点から、このメコン圏の政治・経済・社会の変化を捉え、歴史・民族・文化の理解を深めることによって、メコン圏・アジアひいては、日本の社会の在り方や人の生を見つめ考えたい。

 

    (清水英明、1998年5月)

 

 

メコン圏を捉える視点  

                           (1998年5月執筆、清水英明)

【政治・国際関係】

 

●注目される拡大アセアンの機能と中国の東南アジアでの影響力

  1967年設立の東南アジア諸国連合(アセアン)は、1995年にベトナムが加盟し、1997年には、ラオス、ミャンマーの加盟を認め、九カ国体制に拡大した。1997年の外相会議で見送られたカンボジアの加盟も、1998年12月ハノイで開かれる首脳会議までに決定される見込みだ。(注:1999年4月、カンボジアのアセアン正式加盟が認められ、10カ国体制に移行した。) 1975年のインドシナ諸国の共産化の際には、原加盟国間で、反共産主義の政治協力強化が図られたこともあったが、名実共に東南アジア全地域の地域協力機構たるべく、冷戦終結後には、インドシナ諸国の積極的な取り込みを行ってきた。国際社会の反対を受けながらも加盟を認めたミャンマーといい、共産党一党独裁を今尚堅持するベトナム・ラオスといい、また政情が不安定なカンボジアといい、政治体制が異なり、経済発展レベルの異なる国を抱え、今後アセアンが従来のように協議し結束しあい、国際的発言力を高め主導的な役割を果たしていけるのか、当面、カンボジア情勢正常化(注:1998年7月に総選挙が開催され、1998年11月には、フンセン氏を首相とする新政府が樹立された。)、民主化弾圧と人権侵害で西側諸国の批判にさらされているミャンマーへの関与、西沙諸島・南沙諸島の南シナ海での紛争、地域経済安定と統合への対応を試金石として、今後の運営展開が注目される。

  一方、その対極として、大国・中国の動きが見逃せない。特にアセアン原加盟国が、通貨・経済危機で元気が無い今、南方海上への権益ルート確保とアジアでの影響力を高めるために、この地域各国に対し、経済協力を武器に個別外交を積極化させている。昨年(1997年)10月末には、呉邦国副首相を団長とする政府・経済代表団が、ミャンマー・タイ・ラオス・ベトナムを訪問し、経済関係の強化を図っている。

 

●国境画定、難民、反政府活動拠点の問題などを抱える域内2カ国間関係

   近接する2カ国間では、歴史的経緯を引きずり複雑な関係にあり、未だ種々問題を抱えている。まず国境問題が画定しておらず、係争地周辺では、緊張が続いている地域が幾つかある。タイ=ラオス間では、1,810kmの国境を接し、未だタイのピサヌローク県・ウタラディット県の一部を、ラオス側は、サイニャブリー県の一部と主張し係争中。2,100kmの国境を接するタイ=ミャンマーでも、タイ・ターク県メソットのモエィ川で、1993年以降、衝突が絶えない。タイ南部ラノンの対岸の諸島でも領有権が争われている。また政治的混乱や内戦による難民問題がある。特にミャンマー、カンボジア難民がタイに流入している。タイ北西部では、今約10万人と言われるミャンマーからのカレン族難民キャンプがあり、ここがまた親ラングーン政府と見られる民主カレン仏教徒軍(DKBA)によって襲撃されるという事件が続発した。タイ東部にては、カンボジア難民を1975年から1993年まで約30万人以上収容してきたといわれるが、昨年(1997年)7月の武力政変以降の戦闘で、約6万人の難民がタイに流入したと言われる。

   近隣諸国への反政府活動が、タイをベースに行われているとされる問題もある。ラオスからのタイへのモン人難民は、約13,000人と報じられているが、タイ・サラブリ県で収容されているモン人難民に反ラオス抵抗勢力が紛れ込み、タイ側が彼らを支援しているとラオス政府は主張してきた。またミャンマーについても、全ビルマ学生民主前線(ABCDF)の本拠がタイであり、他シャンやカレンなどの少数民族の反政府活動もタイを拠点に展開されていると言われる。しかし、過去数世紀、ビルマの少数民族がタイ政府によってタイ=ビルマ間の緩衝として利用されてきたこと、同様にラオスの少数民族やカンボジアのポルポト派も、政治的目的で他国に利用されてきた歴史的経緯は見落とせない。

 

開放経済改革をすすめる新指導体制下の社会主義諸国

    各国の国内政治状況を眺めてみれば、共産党一党独裁体制を堅持しながら経済開放改革をすすめるラオス、ベトナム、中国において指導体制が最近一新した。ラオスでは、1998年2月に、カムタイ新大統領、シサワット新首相が選任された。ベトナムでは、昨年(1997年)9月にチャン・ドク・ルオン新大統領、ファン・バン・カイ新首相が、更に今年(1998年)2月には、レ・カ・フェ新共産党書記長が選任されている。ベトナムでは昨年(1997年)、タイビン省、ドンナイ省にて、大規模な農民デモが発生。中国でも各地で農民暴動が起こり、官僚の汚職と貧富の差が拡大することへの社会不満が大きくなっている。今後、国営企業の効率化等による失業率の増加や治安悪化も心配され、新指導体制の下、改革派と保守派との間で、どういう政策が遂行されていくのかが注目される。ミャンマーについては昨年(1997年)11月、統治組織の国家法秩序回復評議会が国家平和発展評議会に改組された。昨年(1997年)アセアンへの加盟を果たし、日本・中国との関係も緊密ではあるが、経済制裁を続ける欧米等の西側諸国との関係をどう改善していくのか先が見えていない。軍事政権から民政への移管の方法とタイムスケジュールも未だ示されていない。カンボジアでは、今年(1998年)7月26日に、5年ぶりの総選挙が予定されているが、実施により政情が安定するのかどうか眼が離せない。(注:1998年7月26日総選挙が実施され、その後新政府樹立までには、混乱と政治空白が多少続いたが、98年11月30日に新政府が発足した。)

 

【経済・ビジネス】

 

●日本の有意義な国際協力関与が求められる大メコン圏地域開発

    タイの高度経済成長と冷戦構造崩壊を背景に、1988年のチャチャイ首相(タイ)による『インドシナを戦場から市場へ』のメッセージが生まれ、タイを中心とする新しい経済圏の誕生として『バーツ経済圏』という言葉が使われた。一方、19世紀半ばにフランスにより始められ、第2次世界大戦後、国連主導の下に進められたメコン河下流域開発計画は、インドシナ諸国の政情激変で停滞していたが、1995年に下流4カ国にてメコン河委員会が発足した。河川開発利用の国際協力が再開することになり、近い将来、ミャンマー、中国の加盟も期待されている。

 

またアジア開発銀行(ADB)が中心となり、1992年から6カ国を開発対象に、河川流域開発のみならず地域開発として、大メコン地域開発計画を策定し推進しようとしている。域内協力分野としては、交通・運輸、エネルギー、人材開発、環境、観光等が挙げられ、交通・運輸については、ADBにて動脈道路建設・改善(左図参照)や、鉄道網整備、空港整備等が計画されている。鉄道についてはマレーシアの提唱で、1995年アセアン首脳で承認されたトランス・アジア鉄道プロジェクトが話題を呼んだ。これはシンガポールから雲南省・昆明間での鉄道計画で、複数ルートが検討されている。更に超高速列車が導入されれば、バンコクから2時間以内でプノンペン、ヴィエンチャンに、3時間以内ではホーチミン、ヤンゴンまで往来できることになる。

 

ただ、メコン圏地域開発は関係機関・国の調整が容易ではなく、それぞれの計画が整合され検討の成果が共有される必要があることや欠乏がちのデータの整備の問題が、当初から指摘されている。加えて昨年(1997年)からのアジア通貨・経済危機により、関係国の予算計上や、期待されていた民間資本の積極参加に大きな困難が生じてきている。

 

経済・社会インパクトが大きく、地域の安定・発展をもたらすことが期待されるメコン圏地域開発に、日本は、資金・技術面で当事国・地域より強い期待を持たれている。日本は、単なる資金援助や、開発関係者だけに益がある形では無くて、この多国間の地域圏開発に、広く農業基盤・社会基盤・環境・人材開発までも視野に入れた建設的な協力関与が、どう展開していけるか、今後の推移が注目される。

 

●再度期待されるアジア企業家による地域経済発展推進の役割

 

  メコン圏の各国は、昨年(1997年)のアジア通貨経済危機の余波もあり、外貨準備高減少、通貨価値下落、外国投資減少など、厳しい経済運営を強いられている。一方、米をはじめとする農産物や水産資源などの国際輸出市場では、タイ・ベトナム・ミャンマー間で競合しあい、また低廉労働力を売り物とする外資誘致についても各国間で競合となる。

 

  一方、当該圏内の国境貿易は各国の開放経済政策もあり、これまで順調に数字を伸ばしてきたが、厳しい経済状況のために、特に入超にある国では輸入制限を課すとともに、外貨管理も強化する方向に動いている。特に外貨準備がかなり減少しているミャンマーでは、昨年(1997年)11月よりの国境貿易制限、更に外国製消費物資の輸入禁止などの措置が取られている。また昨年7月(1997年)の武力政変より国境付近で武力衝突が起こっているタイ=カンボジア国境でも、合法な貿易額は減少しており、密輸と言う形ではない国境貿易の正常な回復が求められている。

 

  同圏内の投資については、日・欧米からの投資もさることながら、やはりタイをはじめマレーシア、シンガポール、韓国、台湾等のアジア資本のこれまでの存在を抜きにできない。数年前から最後の投資の楽園とか残された処女地などと称されて、インドシナ諸国・ミャンマーが騒がれ、各国より多くの投資・経済視察ミッションを誘った。しかし、効率の悪い官僚主義、蔓延る汚職、不整備な法制度とインフラなど、投資環境のマイナス面も語られるようになり、投資フィーバーもすっかり冷めたようだ。昨年(1997年)からの自国通貨・経済危機で、特にタイ・韓国企業の同地域からの撤退・事業規模縮小が相次いでいる。

 

  しかし、アジアの企業は、今回のアジア経済危機でその強固ではない経営体質や過信気味の積極体質、甘い事業計画見通しなどが浮き彫りになった感はあるが、企画創造、情報収集、人脈網、迅速で金のかからない対応・決断・推進などの点では過少評価すべきではないと思う。メコン圏での事業展開を積極的に図ってきたタイ企業はこれまでも少なくなかったが、強いミッションとパッションを持った一味違った起業家的企業人もいた。メコン圏での地域経済発展には、進取の精神のあるアジア企業家の再度の活躍が待たれる。

 

  更にメコン圏も遅れて組み込まれるアセアン自由貿易圏のCEPT・AICOの特恵関税協定の実効が注目される。またグローバルな事業展開をする個々企業の視点からは、メコン圏ひいては東南アジア地域全体のオペレーションセンターをどう設定し、アジア地域全体での生産分業や市場・販売・人材活用・サービス体制での戦略をどう練っていくか、各企業の対応が見ものだ。

 

【歴史・民族・文化】

 

●現在の国境、国力、主要民族分布にとらわれない歴史の世界

 メコン圏の歴史に入り込めば、その多くの民族と大小多数の国の興亡、多様な文化伝播に驚かされ、現在の国境、国力、主要民族にとらわれない新しい世界が開けてくる。先史時代の新石器時代遺跡は、カンボジアのサムロンセン、タイ・カンチャンブリ近くのバンカオ、東北タイ・ウドンタニ近くのバンチャン、ベトナム北部のドンソン他、雲南省各地で発見されている。古代史の世界は、古代地名の現在地探索を含む漢籍の解釈、建国神話・説話・伝説の解釈があり、筆者のような単なる歴史好きの素人には、勝手な想像を展開でき、ロマンが掻き立てられる。現在では、影が薄くなってしまった感のある先住民族の南亜語族(オーストロアジア語族)であるモン・クメール系や、南島語族(オーストロネシア語族)のチャム人が、林邑、扶南、真蝋、ドバーラバティー、ハリプンチャイ等の初期国家を形成し、その後のタイ族(シャム人・ラオ人等)、ビルマ族、ベトナム族等に大きな影響を与えた。現在メコン圏に生活する南亜語族には、クメール人や、ミャンマー・タイに住むモン族以外に、タイ東北部・ラオス中南部、タイ北部、ラオス北部の先住主要民族であったクイ族、

ソー族、ラワー族、カム族等がいる。ベトナム人(京族)は、ベトナム語が、中国語・タイ語・ラオス語のように声調を持つ言語であったため、色々と議論があったが、現在では、タイ・カダイ諸語ではなく、南亜諸族であるとされている。

 その後、現在この地域の支配民族、即ちタイ族ーシャム人・ラオ人・シャン人・ムアン人(北タイ人)等、ベトナム族(京族)、ビルマ族が移動し、先住民を侵略。建国あるいは従来の国土の拡張を行っていった。13世紀には、元(モンゴル)による大越・チャンパへの侵攻があり、大理国及びパガン国が倒壊させられた。またそれまでパガン朝に服属していたシャン人による自立・建国や、クメール人の真蝋アンコール朝の西北辺境地区でのタイ族によるスコタイ王国の独立、更にタイ族によりランナータイ王国が建てられ、タイ北部ランプーンに栄えたモン族の国・ハリプンチャイの滅亡があった。翌14世紀には、クメール帝国の影響下にあったラオスで、ラーンサーン王国が、ルアンパバーンを王都として建国され、ラオ族による南部を除くラオスが統一された。

現在では小国のラオスであるが、雲南南部やシャン族諸国を属国あるいは友好国としたり、北タイのランナーと一体化したこともある。17世紀には南部を含む全ラオスとタイ東北部の半分を勢力下に置く内陸の大国にまでなっていた。

 

 しかし19世紀には、インドシナ・ビルマを英・仏の植民地主義が制覇し、波乱の近・現代を迎えていくことになる。これほど色鮮やかな歴史が、身近なアジアで展開されているのに、日本での世界史行為句では、一部の近・現代史を除き、ほとんど取り上げられていない。これはメコン圏の歴史・文化が他世界に大きなインパクトを与えてきたものではなかったとの認識からきているのであろうか?今この歴史研究の分野において、地方や少数民族からの歴史考察や、国を越えた研究交流などが進んでおり、より一層深く新しい歴史世界の登場が期待される。

 

●政治的に利用されたタイ族の起源論議と大タイ主義

   中国の辺境にあり開発の遅れてきた貧しい地区と思われがちな雲南省には、メコン河のみならず、紅河、サルウィン河、揚子江(長江)というアジアの4大河川が、昆明、大理、永昌の広大な盆地を貫いている。稲作文化の発祥とも言われ、照葉樹林文化圏として日本文化のルーツとの関連が論じられもした。この地で唐・宋の時代に南詔・大理王国が繁栄した。タイ族のルーツに関し、タイ族はこの南詔国の主要民族でありその後東南アジア北部に南下したという学説が、従来長らく支持され、いまだタイの学校教育の中で教えられている。1932年のタイの立憲革命を敢行し、第2次世界大戦期前後の首相であったピブーンは、タイの独立維持の為に、仏印植民地にいる広義のタイ族の解放のみならず、糾合して大国化しなければならないという大タイ主義を唱え、クメール人は長く高度な文明を持つタイ族の一種族であるとさえ主張した。ピブーン政権下、ドッド氏による広義のタイ族に関する研究著作が、大タイ主義政策を進めるタイの国家歴史認識に利用され、如何にタイ族の文明は中国人の文明より古いか、如何にタイ族は、古代漢籍に記載のある哀牢人と同一であるか、タイ族は如何に南詔国を建国し支配したかが、タイでは語られ教えられてきた。しかし、南詔国の主流は、チベット系ロロ族やペー(白)族であるとする説が今では強く、またタマサート大学による近年の遺伝子の研究では、狭義のタイ族は、先住民族であったモン、クメール等の混血から生成してきた民族で、チベット系中国人よりもクメール人により近いとの発表があった。いずれにせよ、タイ族はどこからきたかあるいはどうやって生まれたか、タイ語はどうやって生まれたかというテーマは興味は尽きないが、国益とか優越民族意識から離れた純学問的見地からの研究の進展が待たれる。

 

   一方、歴史の表舞台には登場してこない山岳民族が多数、このメコン圏で、国境をまたがり、独自の生活を営み独特の文化を継承してきた。メコン圏は民族の宝庫とも言われ、政治の産物たる国境や過去の歴史・政治的経緯から、同一民族が国をまたがって生活をしている。シャン族やカレン族のようにいまだ反政府活動を行っている民族もあれば、主要支配民族への同化が著しい少数民族もある。また過去の歴史的経緯で、カンボジア・ラオスへのベトナム人、タイへのミャンマーからのモン人の移住などのケースもあり、中国人(各地)、インド人(特にタイ・ミャンマー)の移住が多いのは言うまでも無い。また英・仏の植民地支配政策から、カレン族がビルマ人に、ベトナム人がカンボジア人に反感をもたれることになり、第2次世界大戦後、米国もインドシナの共産化を食い止めるために少数山岳民族を利用した。歴史的経緯から、タイ人はビルマ人を恐れ嫌悪し(タイのテレビドラマなどでもビルマ人が残虐非道に描かれがちであった)、タイ人とベトナム人の間も、ベトナム戦争時からベトナムのカンボジアからの撤兵時まで反目しあっていた。また最近(98年上期)北タイのドイインタノン付近でももめているように、高地に住む山岳民族と低地に住むタイ族との間でも、森林伐採、焼畑、水利等で利害が対立している。このように人為的、強行支配的に決められた国家・国境のもとでの異民族間の共生は容易ではないが、一民族一国家は不可能であるし、少数・異質の絶対排除が決して賢明なやり方ではない以上、多民族の共生という道をこのメコン圏は歩まねばならない。

 

【社会】

 

近隣諸国からのタイでの不法就労と強制売春・人身売買の問題

 

  近隣諸国間の経済格差、自国での厳しい生活、悪徳グループの暗躍等により、国境をまたがった社会問題が生まれている。タイの経済危機で失業者が自国で3百万人に達しようという今、タイ人の就業機会の回復といった従来とは違った観点から大きくクローズアップされてきた問題が、ミャンマー人を代表とする外国人のタイでの不法就労の問題である。従来よりも国境を越え、近隣諸国からのタイへの不法就労はあったが(タイ入国管理局によれば1990年から94年6月までの期間、逮捕された不法移民は約22万人)、タイでの高度経済成長により、労働者不足が深刻となった。タイ人労働者は、日本、香港、台湾、シンガポールなどの他の条件の良い国に働きに出て、自国での精米、漁業、採掘などのきつい仕事にはつかなくなっていた。1994年8月には、タイ商工会議所やタイ産業連盟などの経済団体が、タイ政府に、事業者が自由に不法移民労働者を雇用できるよう要求し、1996年には43県において一定の条件の下、タイ政府は不法移民労働者の就労を認めた。タイ人雇い主にとっても、安く使える外国人は好都合であった。このタイ政府の政策もあって、外国人不法移民労働者の数は膨れあがり、その数は百万人前後と言われ、その大半がミャンマー人といわれる。この問題は安い労働者を必要としているタイ事業者、就業の機会を近隣諸国外国人が奪っているとみるタイ人労働者、治安・衛生面が懸念されるというタイ社会側からの視点だけでなく、不法外国人労働者とその家族の置かれている厳しい労働・生活状況の問題がある。

 

  また外国人就労では、性産業従事を余儀なくされている女性の問題が深刻である。タイ女性が日本、シンガポール、台湾などで働くのと同様、ミャンマー人のみならず、中国人、ラオス人、山岳少数民族等がタイの性産業で働いている。ベトナム人女性のカンボジアでの売春は有名であるが、カンボジア・ラオス国境よりタイにも一部入り込んでいると言われている。これらの女性には、人身売買や強制売春の被害に遭っている者も少なくない。言葉の問題や不法就労、親による高利子の借金などにより悲惨な状況に置かれ、逃げることも出来ず苦痛と希望のない生活を強いられている。雲南省から少数民族を含めた中国人女性は、雲南省思茅・景洪から、ミャンマーのチェントンを経由し、タイのメーサイからタイ国内各地に売られる。中国では1人あたり6,000〜9,000バーツ相当で、タイに入り1万〜2万バーツで取引されているという。ラオス人女性は大都会や歓楽地以外に、メコン河を越えて近くのタイのノンカイ、ムクダハンで売春に従事するものも多い。ミャンマー人女性は特に北のシャン州からの女性が多くタイに流入している。単純労働者、性産業従事者のみならず、物乞いにおいても、タイ警察によればバンコクではカンボジア人の物乞いグループの方がタイ人を数で上回っており、裏で組織化されているとのことである。

 

●広がる社会のひずみとそれに向きあうグループの奮闘

 

  人だけではなく、当然物も不法に国境を越え取引される。密輸と言う影の経済活動が特にこのメコン圏では今持って活発だ。密輸の問題は、反政府勢力の資金源、官憲の汚職と言う問題とも関係する。タイ=カンボジア国境で、これまでルビーや材木の密輸がポルポト派に潤沢な資金をもたらしてきたし、タイ・ミャンマー・ラオスのいわゆる黄金の三角地帯では、宝石や木材の密輸に加え、麻薬等の薬物の密輸がいまだに大きな問題である。1996年1月に前モンタイ軍司令官で麻薬王たるクンサー将軍が、ミャンマー政府に投降した後も状況は改善していない。統一ワ国軍とクンサーの残存グループは、ヘロインに代わり覚醒剤の密輸に力をいれだしており、製造に必要な化学物質は、南中国、パキスタン、インドから調達し、シャン州やミャンマーとタイ、ラオスとの国境地帯だけでなく、ラオス、ベトナム、カンボジアにまで製造工場を持っているといわれる。タイへの密売ルートは、チェンライ、チェンマイ、メーホンソン、パヤオの北タイだけでなく、ラオス経由は東北タイの国境を接する県、更にタイ南部、タイ東部のミャンマー、カンボジアとの国境地帯からもタイに流入している。薬物製造に、統一ワ国軍とクンサーの残存ギャンググループの支配下にある少数民族居住地区が利用されているのみならず、メコン圏内の国々で薬物中毒患者が増えている事が深刻な問題だ。

 

  他にも、都市、山地・農村、家庭等の荒廃から、さまざまな問題が蔓延っている。女性・児童の売買、エイズ、ストリートチルドレン、未就学児童や児童労働問題などが、タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、中国での共通の課題てある。また民生面では、ラオス、ミャンマーで医療レベルが著しく劣っているといわれ、他の国でも農村地区や山岳民族居住地区では同じ状況である。昨年(1997年)ミャンマーを襲った洪水でも、洪水の被害だけでなく不衛生による伝染病によって数千人の人が亡くなったと伝えられている。資金不足による医療施設や薬品の著しい欠如、教育不備による医療従事者の不足、国民の衛生観念の欠如など、大幅な改善が望まれる。また予算不足による教育設備の不備、貧困による初等〜高等教育の断念など、日本とは違った教育にまつわる問題がある。ミャンマーでは更に一連の反政府抗議の後、全土に及ぶ大学が1996年12月から閉鎖されたままであり、一方、教師の安月給により公教育の場より私塾・家庭教師のアルバイトに熱が入るという教育の現状がある。

 

  しかし、このような状況の中でも、スラム・農村などのコミュニティ開発、医療・教育、児童・女性支援などさまざまな分野で、資金不足や活動の具体的進め方などに悩みながらも、人を大切にしよき社会を目指して日々奮闘する非政府団体グループの活動がある。活動の形骸化・運営の硬直化・当初の活動意義から離れた組織存立維持の目的化など

一部に問題がないわけではないが、理想や憂いから社会のひずみに取り組んでいる団体・スタッフ・支援者も少なくない。その活動内容や背景となっている問題状況に対する理解が広がると共に、活動と方向性の検証に役立つ形での建設的な非政府団体グループの連携の広がりを期待したい。