《概要》
ミャンマーが豊富な鉱物資源を有すること自体は、有名となっているが、開発調査が遅れてきたこともあって、その実体は良く知られていない。
戦前、南方圏に進出した日本も、その地理的位置の戦略性のみならず、ビルマの資源と経済にも当然注目していたわけで、太平洋戦争直前のビルマにおける鉱物資源の状況を『南方圏の資源・ビルマ編』(1943年発行)から
みてみたい。(注:発行は1943年で1940−41年度の経済データも組み入れられようとしているが、多くは
1939年頃までのデータとなっている)
ビルマにおける鉱物資源の大きな可能性については、当時から語られていたが、開発に着手されていたのは、石油、銀、鉛、亜鉛、銅、ニッケル、錫、タングステンの8種程度に過ぎず、ほぼ以下鉱区に限られている。
(1)エナンジャウン地方(現マグエー管区)の油田
(2)ボドウィン鉱山(現シャン州北部)の銀、鉛、亜鉛、銅、ニッケル
(3)マウチ鉱山(カレン地方)のタングステン、錫
(4)モールメンからヴィクトリア・ポイントに至る
インド洋沿岸地帯におけるタングステン、錫
鉱物資源の最も豊かとされるシャン、カレン、チンの諸地方では、上記のボドウィン、マウチ鉱山以外、開発が着手されていない。更にビルマの北方に接する中国・雲南省や、西方に続くインドのアッサム地方が、共に鉱物資源に富む以上、これら地域と繋がるビルマの辺境地方も、豊富な鉱物資源の存在が予想されるが、調査さえ未だごく一部分についてしか着手されていない。
エナンジャウン油田の多くは、1886年の英国の上ビルマ併合後、すぐに創設されたビルマ石油会社が、ボドウィン鉱山はビルマにおける最大のイギリス資本であるビルマ・コーポレーションに、マウチ鉱山は、マウチ鉱山会社の経営と、主要鉱山はすべてイギリス資本の掌中にあった。わずかにマレー半島のタングステン・錫の採掘が、華僑・インド人、それに少数のビルマ人などの小企業によって行われていた。
当時、ビルマ鉱業は約4万の労働力を擁し、華僑、インド人及びビルマ人によって構成されていた。そのうち、約69%がボドウィン鉱山で働いていた。華僑は主としてボドウィン鉱山およびマライ半島地方に分布し、インド人とビルマ人がその他の鉱山で働いていた。
ビルマには近代的工業がきわめて微弱であり、これらの鉱産物はほとんど輸出され、イギリス、インド、海峡植民地に主として送られた。尚、石油は世界生産額から見れば、非常に少ないが、ビルマに於いては、石油は当時、米に次ぐ第2の重要輸出生産物であった。
(続く)