ラオス人の伝承では、ラオス人は、瓢箪の中からぞろぞろと発生したと言われている。いろんなストーリーがあって内容に多少の違いがあるが、瓢箪から多くの人が生まれ出るところは同じだ。
『Kingdom of Laos』(France Aisa,1959年)では、以下のように伝えている。
天にいる神の王バニャテーンが、地の王に水牛を贈り、水牛の助けを借りて水田を作り始めていたが、3年後にその水牛は死んでしまう。するとその鼻の孔から一本の蔓が伸びてきて、3つの瓢箪をつけ、その実は途方もなく大きくなった。そのうちにその瓢箪の中から大きな物音が聞こえ、地の王が真っ赤に焼いた鉄を瓢箪に突き刺して穴を開けると、人間があふれ出てきた。人間が余りに多いため、出口が狭すぎると思った王は、のみで新しい出口を開けた。これがラオス人の二民族の起源で、鉄で開けられた穴から出てきた人たちがカー族で、肌の色は浅黒く髪をゆっている。のみで開けた穴から出てきた人たちは、タイ 族(ラオ族)で、色白であり、短髪にしている。
一方、『ニターン・クンブロム・ラーサーティラート』(ラオス宗教省、1967年)では、大きな木にはびこっていた蔓に、大小の瓢箪が2つなっており、のみでつくと、おびただしい数の人間だけでなく、動物、金銀、布地、果物、野菜まであふれるように出てきたとされている。
≪以上、『ラオスの民話』黒潮社、1994年)参考≫
カムカム族など先住南亜語族が、その身体的特徴を伝えながら、タイ族(ラオ族)より先に出てくるところが興味深い。
上記の話では、瓢箪が非常に重要な役割を担っている。日本でもおなじみのように、瓢箪は古来より縁起の良いものとされ、瓢の音をかけて、「3つ揃えば三拍(瓢)子そろって縁起が良いとか、「6つ揃えば無病(六瓢)息災」などと言われて重宝がられてきた。また戦勝のたびに馬印の瓢箪を増やしていった豊臣秀吉の千成瓢箪は有名であり、古事記でも登場する。
『照葉樹林文化』(上山春平、中公新書)でも瓢箪に言及しており、瓢箪はかなり古くから日本に入っていたことが発掘で明らかになっており、一番古いものは縄文後期とされている。