序文
バーン・ラック幼稚園園長
佐藤 正喜
タイに住んで一昔になる。
タイを理解するとはどういうことなのか、15年住んでもわからない。
現在のバブルがはじける前の繁栄の時代も経験したし、それ以前の実におおらかな時代の空気も味わえた僥倖に、偶然とはいえ時代に感謝したいくらいである。
タイに関する本も15年前はごく僅かであった。今日のような出版状況になるとは誰が予測しえたであろうか。曰くタイに何年も住んでいたとか、タイ人の友人が何人もいるとか言って憚らない。それはそれでいい、玉石混交である。これらの鉱脈の中から玉を選び出したときの喜びは何と形容したらいいかわからない。
玉を選ぶ、すなわち自分のタイに対する思い入れ、タイ理解のスタンスが近い人の本を見つけ出したとき、なんとかして著者に会いたい衝動を感じることがある。
バンコク週報のコラムが新しくなったことは、前のコラムニストが最後の挨拶を書いていたので知っていた。トーンが異なり、楽しみに読んでいた。とにかく守備範囲が広い。街の市場もあれば農村の話もあり、食事もタイ料理に始まって中華料理・イサーン料理に及ぶ。我々の今まで知らなかった側面を紹介してくれると同時に、鋭い文明批評も忘れない。なにしろタイ人に注ぐ眼差しが優しく、観察が厳しい。のんべんだらりと暮らしていたら見逃してしまう事象についても実によく観察されている。極上の玉であった。
しかし、私自身、他人の本の序文を書くような玉ではなく本当は石なのだが、、、。
著者の江口さんと知り合い、同世代であり来タイ時期もほぼ重なり合うことを後になって知った。同じ頃に生まれ同じ時代の空気を吸った人間として、jなんとかして応援したい衝動から、柄でもない序文を引き受けてしまった。
タイをこよなく愛し理解しようとする人、ともかく多くの人に読んでほしい本である。
1997年10月