『黄色い葉の精霊』A
インドシナ山岳民族誌
ベルナツィーク 著
大林 太良 訳
平凡社 東洋文庫108
1968年初版発行
(1930年代後半のベルナツィーク夫妻のインドシナ調査紀行の日本語版)
ビルマ南部・メルグイ諸島に「海の漂流民」モーケン族を、南タイの
マラヤ原始林に「森の住人」ネグリート(小人)であるセマング族の探索調査を終えたベルナツィーク夫妻一行は、バンコクで約1ヶ月ほど過ごした後、本書の題名たる「黄色い葉の精霊」ピー・トング・ルアング族(ムラブリ族)の探索調査のため、北タイに向かう。
ピー・トング・ルアング族(ムラブリ族)は、北タイの森に住む狩猟民族で、深い山の中で伝説と謎に包まれて生活してきた絶滅寸前の超希少な民族である。バナナの葉などで極めて簡単な住居を作り、葉が枯れて黄色くなると場所を移動するという。警戒心が強く見知らぬ人や他の民族を見るとすぐに逃げ身を隠してしまう。このことより、ピー・トング・ルアング(黄色い葉の精霊)と一般には呼ばれている。
当時、この原始的な森の漂泊民の存在は謎につつまれており、北タイ・ナーンのラオス(当時は仏領インドシナ)国境附近の深い森に入り、苦労の末、ピー・トング・ルアング族(ムラブリ族)に出会い調査が行われた。この発表された調査紀行は、ベルナツィークの数多くの著作の中でも殊に好評を博し、数ヶ国語に翻訳されている。
訳者の大林太良氏も、邦訳版の序文で、「ピー・トング・ルアング族の生活と文化をはじめて、学界に詳細に報告した功績は大きいとともに、この民族は東南アジアの民族のなかでもことに注目すべき存在である。」と述べている。そして「彼らがモンゴロイド(黄色人種)の採集狩猟民として現存している僅かな例の一つであるからであり、また熱帯森林の採集狩猟民が弓矢か吹矢を用いるのが世界的に普通であるのに反し、彼らは弓矢も吹矢も知らないで、槍を用いるだけであるからでもある。」と注目すべき理由を挙げている。この点、ベルナツィーク自身も、その総括のところで、ピー・トング・ルアング族は、かつてより高い文化をもった民族が森の中へと追われて萎縮退化したものではなく、その原始性は真のものであり、またネグリートではなくモンゴロイド系の未開種族であると述べている。(更にネグリート以前のモンゴロイドの残存ではないかと推定し、原(プロト)モンゴロイド人と呼び、古(パレオ)モンゴロイド人と区別している)
ピー・トング・ルアング族についての詳細な民族誌が付録として同書についており、生活と文化について以下項目にわたって報告されている。
ー ピー・トング・ルアング族民族誌(付録) −
歴史・地理及び統計、居住地と住居、家具と什器、衣類と装身具
身体毀傷、生業と武器、毎日の生活、嗜好品、手細工、交通と交易、個人の一生、幼児の教育と精神の発達、社会・政治組織
ピー・トング・ルアング族の親族呼称、軍隊と戦争、法と司法、宗教、芸術、計算と日付、医薬、人類学、言語、総括
民族調査報告としてだけでなく、本書はその探索調査にあたっての様々なエピソードが紹介されており、読物としてもなかなか面白い。
ピー・トング・ルアング族の目撃情報はいくつかあったものの、詳しい情報がなく、民族の存在そのものさえ疑われていた当時、まずはその存在発見に大変苦労する。盗みと殺人の罪を犯しタイ人から追われている山賊まがいの密輸商や、僻地のジャングルで象牙、鹿の角、銀の装飾品、阿片などの山岳民族の生産物を金に替えている怪しげな中国人などが、ピー・トング・ルアング族をなんとしてでも見つけたいベルナツィーク一行の前に現れる。最終的には、苦労の末、ミャオ(モン)族の協力でピー・トング・ルアング族に会えることになる。
ピー・トング・ルアング族は周囲の他種族(特にティン族)から悪霊とみなされ、殺害されたり、或いは残忍に搾取され欺かれたりしたため、周りの諸民族を際限なく怖れていたが、ただミャオ(モン)族だけは保護と援助を与えてくれていたため信頼していたという。
食糧が十分あるか否かにかかわりなく起こるピー・トング・ルアング族の放浪の衝動のために、ベルナツィーク夫妻というヨーロッパ人、
人夫としてのラオ人、ミャオ族それにピー・トング・ルアング族の4民族揃って原始林を放浪することになるのであるが、この放浪時の場面場面に各民族の違いが興味深く描かれている。