天王寺狂詩曲

            ラ プ ソ デ ィ ー

                  辻原 登

                  つじはら・のぼる 

1945年、和歌山県生まれ。90年「村の名前」(文藝春秋)で第103回芥川賞を受賞、99年「翔べ麒麟」(読売新聞社)で第50回読売文学賞受賞。2000年「遊動亭円木」(文芸春秋)で第36回谷崎潤一郎翔受賞。他に「マノンの肉体」「黒髪」「森林所」「家族写真」「発熱」などがある。

大阪はなんといっても天王寺である。

紀伊半島の南端近い村からはじめて上京したのはー大阪へ行くことがまず最初の私の上京だったー、小学校二年生の夏休み、両親と私と弟、父の友人とその家族で大阪旅行をしたとき。天王寺動物園で全員で撮った写真が残っている。うしろに大きな象が二頭いて、私のほうへ長い鼻をのばしている。

次の上京は、伯父(母の兄)と二人だけの大阪旅行で、小学校四年生のときだ。天王寺に着くとプラットフォームに大人の女性がいて、伯父を迎えた。意外だった。さらにその女性は私より一歳下の女の子を連れていた。もっと意外だった。

宿は昔の扇町プールが窓から見えたから、天満あたりか。近くに長い商店街があり、芝居小屋が二つか三つもあり、私は連れられてチャンバラ劇をみた。ごちそうを食べた。女の子と一つ蒲団で寝た。三日間、それこそ雲の上を歩くような遊蕩三昧だった。

天王寺駅のプラットフォーム。雨が降っていた。窓から手を振った。あの別れの一瞬だけは覚えている。それっきりだ。

二十年ほどたって、伯父が死んだとき、葬式で、私はあの女性の姿を捜していた。しかし、女性の名前も顔もすっかり忘れていることに気が付く。少女の顔も名前も。

あの女性は死んだだろう。あの娘は? もう昔にみた夢の記憶と変わらないくらいおぼろだ。もしあれが現実だったとしたら、あの女性も少女も生きているあいだに、一瞬でもひとりの少年のこと、つまり私のことを思い出すことがあっただろうか。彼女らの思い出の中に浮かびあがった九歳の私の姿がなつかしい。彼女らの中の私の姿をみてみたい。

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