浪速人物往来〈24〉

虚構としての猥雑・野坂昭如の大阪     倉橋 健一

 これまで、この欄で野坂昭如を扱うには、多少の躊躇がないわけではなかった。独特な野坂風猥雑さが、逆に大阪のもつ自然な何かを失わせているように思えたからである。それを払拭させたのには二つの理由があった。

 ひとつは、文体をめぐって、「貧しい書棚の織田作之助選集をひっぱり出し、拾い読みをするうち、この調子でやりゃいいのか、と妙な納得があった」(「狭斜の果て」)という、小説書き始めのころの野坂昭如自身の述懐にふれたこと。もうひとつは、「イエス様とエロ事師の間」というエッセイの中で、デビュー作となった「エロ事師たち」のアメリカでの出版にいたる、つぎのような愉快なウラ話を知ったからである。

のさか・あきゆき

1930年神奈川県生まれ。幼少期に母と死別し神戸で育つ。闇屋、バーテンなどで食いつなぎ、CMソングの作詞やテレビ台本などを手がけつつ、66年「エロ事師たち」で作家デビュー。とにかく多彩で、歌手としての実績もあれば、元・参議院議員でもある。

これは小誌11号に巻頭言をいただいたときの写真。

 なんでも昭和四十二年十月なかば頃に、一通の外国人からのエアメールを受け取ったと、野坂はしるしている。「拝啓、私はマイケル・ギャラガーと申します。このたび貴殿の小説エロ事師たちを翻訳いたしますことになりました。まことに光栄に思います。・・・・おうかがいいたします。『男のはしくれ』とは何のことでしょうや、陰茎のことか、・・・・『睾丸の砂おろし』とは何のことでありますか、・・・・銘木屋というのは材木屋と理解してよろしいのか』云々。

 野坂は、この小説、かなりすさまじい関西弁で書いているから、はたしてうまく横文字に移せるかどうか心配だったが、このときの十六条の質問中には、訛りについての質問はなかったことから、とりあえずは、「男のはしくれ」はけっしてペニスを意味しないことなど、ていねいな解説をしたためた。すると、すぐまた手紙が届いて、なかに四十年夏のとある日本の新聞の切り抜きコピーが入っていた。記事の見出しは「青い眼のアンコさん、釜ヶ崎の人気者」。

 何のことはない。マイケル・ギャラガーという人物は、朝鮮動乱のころはアメリカの軍籍にあり、のちジェズイット派の神学生になって再来日したが、日本で英語の高校講師を勤めるうち、日本の英語教科書によって、自分がこれまでずいぶんまちがった英語を書いたりしゃべったりしていたことに気づき、かつ宣教師になることにも懐疑的になって、釜ヶ崎でアンコをしていたという。

 アンコとは立ちんぼうで毎日トラックで迎えにやってくる日雇い労働を待つ人々のことで、釜ヶ崎の名物でもあった。ようするにこのギャラガー、ニューヨークにもどっているうち、『エロ事師たち』の翻訳を求めている出版社を知り、応募して採用された人物であった。となると、釜ヶ崎を知るアメリカ人なのだから、適任ということではこれ以上の適任はない。それにしてもどこか眉唾臭い気がしないわけでもない。

 さて、肝心の『エロ事師たち』の文体をごく一部紹介する。「なんでや、と問い返すスブやんに、つまりトルコの女は技術者やねんなァ。五本の指で、男の性感帯をあんじょう刺激してやな、それで楽しませるの本来の在り方や。それを男にいらわさすやろ、いらわすのは技術のいたらんところをカバーしよるんやなあ、料理でいうたら鰹節や昆布でダシをとらんとからに、化学調味料でごま化すみたいなもんやで・・・・」というぐあい。

 このいらわさすあたりの訛りが伝わらないと、『エロ事師たち』の魅力は伝わらない。ついでながら、この小説に出てくる地域名をあげるとつぎのようになる。十三、銀橋(これは大川にかかる橋の名)、城東の大宮町、千林、滝井、森小路、梅田、梅ヶ枝町、守口、布施、関目、天王寺・・・・。なかでも、スブやんや伴的など主要人物の住まいは、京阪電車の京橋から守口までに集中しており、野坂昭如の使う関西訛りは、谷崎潤一郎のような伝統的な、織田作之助の地域的なものとは違って、河内ことばを主力にしながら、戦後の喧騒のなかで、さんざんよそ者にもいじくりまわされたことばということになる。

 この野坂昭如という作家、『火垂るの墓』で知られるとおり、少年期の戦争末期に神戸で空襲に遭い、一年四ヶ月の妹を栄養失調死させた経験をもち、みずから焼跡闇市逃亡派を名乗って今日に至った。守口界隈もその間に足を踏み入れたことも知られているが、実際には、三木鶏郎事務所の経理係兼マネージャーをしていて、CMソングの作詞やTV番組の構成などをしていたころ、いろんな人の出会いのなかから、取材をとおして構想をたて、かつスブやんなどの作中人物をイメージ化した。

 この点、たしかに、あるく、みる、きくが底部を支えている。この材料あつめのしたたかさが、野坂昭如個有の大阪訛り型文体を生み出したといってもよいだろう。先のギャラガーについても、彼が釜ヶ崎にいたとの同じ頃、「僕も釜ヶ崎に入っていた、こっちはもはやアンコに立ちまじる体力はなく、ドヤにごろごろ昼は寝て、夜焼酎に酔い痴れていただけだが・・・・』と、同じ文の中に書いているが、そこから先が原体験、私小説風ではなく、外化された大阪となっているところに、野坂らしい特徴があればあるといえるだろう。そういえば、先年亡くなった名悪役俳優内田朝雄は、俳優談義の中でこんなことをいったことがあった。「俺の大阪弁が本物や、俺のは全国共通の大阪弁や」。

 ここが面白い。全国共通の大阪という野性味あふれるイメージこそは野坂昭如のばあいにも当てはまるだろう。そこが翻訳可能を実現させたのかも知れない。