シンクロの魅力をもっと身近に

                       アクアドリームチームリーダー  藤原来夏

 アクアドリームは、日本で初めてのプロのシンクロスイミングチーム。一人でも多くの人に実際にシンクロを味わい、楽しんでもらいたいと、さまざまな場所へ出かけていく。

 チームリーダーの藤井来夏さんは、シドニーで銀メダルに輝いたナショナルチームの一人だ。

 「私たちがプールに行って、演技をして、それを見ていただくのが、基本的なスタイルです。プールの竣工式典とか、ホテルのプール開きとかのイベントに呼んでくださることが多いです。ほかに、体験会や、プールのないところでシンクロのお話をさせていただくこともあります」

 縁起は、競技のシンクロに近いエキシビションタイプと、照明を暗くして多彩な演出を加えたショータイプと、大きく分けると二通りの用意がある。けれど、個々のプールと、イベントの趣旨、期待されている長さに合わせて、その都度細かい打ち合わせをし、構成を考える。

宮崎シーガイアで公演するアクアドリーム
シンクロから得たものをいかして普及に貢献したい

 メンバーは5人。藤井さんのほか、藤田佳野子さん、足立万里香さん、松岡貴子さん、矢嶋雅世さん、いずれも世界選手権などのナショナルチームで世界を舞台に活躍した。

 「今までだったら、選手を引退してもシンクロに直接携わっていたいと思ったら、コーチになるか、審判の資格をとってジャッジ台に上るのが道でした。でも、今しかできないこと、水の中に入って演技している自分を観てもらえたらと思ったのが、アクアドリームのきっかけです。それなら、もっと組織的に、プロとして活動しようと。

 私たちが出かけて行くことで、テレビではわからない、実際の水しぶきに触れて、小さい子供たちだったら、ちょっとやってみたくなるかもしれません。大人のかたのマスターズのシンクロもあります。シンクロのファンになっていただければすごくうれしい。

 私がシンクロから得たものっていっぱいあります。技術や仲間、あきらめないで最後までがんばる姿勢を学びました。そんなことを生かして、なにかできたらいいな、恩返しをしたいというか。

 一八年くらいやってきたシンクロに直接携わっていたい気持ちもありました。はじめにプロになりたいと思ったわけではなくて、引退したあと、どうしようかと考えて、コーチとも相談して、決めたんです」

 スポーツでもあり、芸術でもあるのが、シンクロの面白さ。それゆえ得点のポイントなどに、わかりにくさもある。フィギュアスケートにちょっと似ている。

 「四年に一回、オリンピックのときには、皆さんシンクロに関心を持ってくださいますけど、サッカーや野球、バレーボールのような学校スポーツではないので、とにかく知っていただきたい。

 そして、これからシンクロを習う人たちや、今やっている人たちが選手をやめたとき、競技とはちがうシンクロの魅力を伝えるチームがあると、職業として選んでもらえるような形になりたいです」

井村コーチのもとオリンピックへ

 今、選手になっている人たちは、ほとんどが小学校の低学年からシンクロを始めている。藤井さん自身も、近所のスイミングスクールにシンクロのコースがあり、小学校の二年生の冬から始めた。最初はいわば、お稽古ごとのノリだ。

 「まず泳げないといけませんけど、習い始めると、水面に浮くところから段階を経ていろんな技を教えてもらいます。上向きに浮いた状態で、足を上げてきれいな形として保てるようになるところまで、二〜三年ですかね。

 いろんな試合があって、親が水着に夜な夜なスパンコールを縫いつけてはったりとか、そんな世界なんですよ。

 でも練習をして、全国大会に出ると、もっとうまくなりたいと思ってまた練習するんです」

 そのスイミングスクールへ大阪の井村雅代さんが度々、練習を見に来ていた。

 「井村先生が連れてこられた選手が、ナショナルチームに入ってたりするんです。その人たちと一緒に練習をして身近にみたことで、すごい刺激を受けました」

 井村さんは、ナショナルチームのコーチもしてきた日本ではトップの指導者。藤井さんは井村シンクロクラブに移籍し、ジュニア時代を含めて一〇年のナショナルチーム歴を持つ選手に育った。

アクアドリーム

事務局は大阪市福島区。イベントへの出演など、気楽にお問い合わせください。

TEL06(6452)0407

FAX06(6452)1229

http://www.mash-japan.com/aquadream

 アトランタでの銅メダル(チーム)の後、藤井さんは、デュエットでの国際大会出場を目指した。ふつう、選考会での上位者二人が、デュエットを組む。でも、4位だったので、チームメンバーとして選ばれた。シドニーオリンピックもチームで参加し、銀メダルを獲得。

 「シドニーまでのプロセスや、そのときの自分たちの力は発揮できたという達成感もあって、選手は十分味わったし、引退することにしたんです。井村先生はシンクロに対する情熱もすごいんですが、技術とかだけでなく、教育者です。選手をやめてからの人生のほうが長いということを教えておられます。アクアドリームのことも、協力していただいて、今も何かと相談にのってもらってます」

決まりごとをはなれた自由な演技を楽しむ

 「選手のときは、大会ごとに、大きな目標、小さな目標があって、達成感を得られます。今はとにかくお客さんが近い。表情がよくわかるので、自分も楽しみながら、お客さんにも楽しんでいただきたい。試合だと審判へのアピールに努めましたが、今はお客さんへのアピールです」

 競技のときは、水深が三メートルくらいあるプールで、底を利用してはいけないルールがある。「でも、私たちが今演技をするプールは、一・一〜一・二メートルくらいのことが多いんです。浅いとやりにくい面もありますけど、逆に底も利用して、衣装とか時間とかの決まりごとから開放されて、自由な演技を心がけています。

 現役選手のようなウエイトトレーニングはしていませんが、美しくみてもらいたいので、たるんではいけない。怪我をしてはいけない。そのための筋力のバランスを保つトレーニングはしています。浅いプールで底を蹴ると、水の下に逃げるスペースがなく、怪我をしたりしますので。練習とトレーニング、当番制で事務局にも行きます。あとあいている時間はコーチのお手伝いです」

 ところで、シンクロのとき、鼻につける道具をノーズクリップといい、演技中は水面上に出ているときでも、選手は口だけで呼吸している。口呼吸であんなににこやかに、微笑むことができるなんて!

 「採点で差がつきますし。それに、ちっちゃいころからシンクロのときはノーズクリップですから、かえって、なしではできないんですよ」

 ついでに素朴な疑問を尋ねた。使う化粧品は特別なものではなく、ウォータープルーフの市販のもの。目の悪い人は練習のときはコンタクトとゴーグルを使うが、試合のときはほぼ裸眼だとか。

 「シンクロの競技の世界では、今はロシアが1位です。バレエで培われた強さだそうです。同じことをやっても負けるから、日本のよさをアピールしていきたいですね。アクアドリームとしては、よりショー的なシンクロのレベルアップを目指して、舞台をみたりいろいろ吸収したいと思っています」

 チームは今、全国どこへでも出かける意欲で輝いている。やがて外国へも行きたいと、藤井さんの目標は世界を見つめてどこまでも大きい。

藤井来夏(ふじい・らいか)1974年、京都生まれ。京都市在住。小学校2年のとき京都の「踏水会」でシンクロを始め、小学校6年の秋から井村シンクロクラブに所属。1993年〜2000年まで日本選手権でチーム1位。1996年アトランタオリンピック(チーム)3位、2000年シドニーオリンピック(チーム)2位の後選手を引退し、2000年12月、アクアドリームを結成。チームリーダーとなる。