中坊公平に聞く

勘、人気、人生、そして少しだけ司法改革

インタビュアー 斎藤浩

 

中坊公平さんは森永中毒事件被害者弁護団長、日本弁護士連合会会長、豊田商事破産管財人、住専管理機構(現RCC)初代社長、警察刷新会議委員、司法制度改革審議会委員など多くの要職を歴任している。近著の「金ではなく鉄として」(岩波書店)をはじめ、数多くの著書、テレビ出演、講演録がある。本誌は、それら数多くの情報にあまり取り上げられていない話題をうかがうことにした。

本誌一二号(一九八八年)で森永事件を語っていただいて以来、一四年ぶりの再登場である。一九二九年生まれ。

 

考えてそれを忘れて埋蔵しておけば、いつかパーっと勘になって噴出する

 

―中坊さんは新幹線の中でもしゃべるか、読むか、書くか、ジーッと考えていて、全然寝ませんがどうしてですか。

 

やはり考えてますかね。

日本人はHow文化でいけません。Why文化にならねば。ぼくは何でかなといつも考えますね。考えついたこともすぐ忘れるけど、地下に沈殿してるんですわ。沈殿したものが、ある時噴水のようにバーッと勘となって出てくる。

考えるのにいちばんいいのはトイレ入ってる時とか、めし食ってる時とか。夜なんか考えたらいけまへんで。夜はぜったいにあきまへん。メモもあきまへんで。メモしたら勘になりまへん。自分の地下に流し込んでしもて、埋蔵しとかなあきまへん。メモはやましい心や。何かに利用したろとかね。

世の中、先は見えないのです。しかし時は人を待たないというのだけは確か。先が見えず、しかも時は待ってくれないのに、我々は右左何らかの判断をしないかん。その時自分の羅針盤は勘だけです。大事なことを人に頼ったら絶対あきまへん。

 

制度や組織やない、日本人意識や。変えなアカンのは

 

―考えた末、どんな結論なんですか。今の心境は?

 

なぜなぜなぜと考えていったらね、問題は制度とか組織にはない。結局、問題はその人の意識の中にある。そして意識ほど治りにくいものはない。

改良を続けても改革になるというのはウソですわ。日本の森林文化は先が見えないでしょ。峠まで。安全だけど、だから近視眼的でHowばかり考える。欧米、中国の砂漠文化は強いですわ。身を守ってくれる木はない、オアシスに行かないかぎり死ぬんやから。過酷です。しかし遠いところまで見渡せまっしゃろ。視野が広く遠い。

日本民族の持っている弱点を直視しないで、物事を考えていてはいけまへんで。私なんかは虚弱児で生まれ、頭もようない、目も容姿も悪い。砂漠とおんなじことなんですよ。能力は親からもらうものでも学校で習うものでもない、自分でつくるものやと思てます。

 

人気とは?一に男前でないこと・・・

 

―中坊さんは国民的人気者、つまりアイドル。小泉さんは人気レースで中坊さんの横を抜いていったけど、今は落ち目になってきた。人の人気というのは何なんですかね。

 

私に国民的な人気が出たとすれば、それは住専管理機構の社長に就任したときからでしょうか。

そのあと平成九年でしたか、NHKが四回にわたって『弁護士中坊公平』という番組を放映しました。高視聴率で反響も大きかったのです。これも含め、私が出演した番組に関係したあるプロデューサーが、「中坊さん、あんたは一〇万人に一人の人や」と言いました。「どういうことですねん」と聞いたら色々教えてくれました。これを私なりに咀嚼して、自分の言葉にするとこんなことですわ。

いま、世論を動かすのは中年の女性です。女性はどういう男を好むかというと色々と条件があります。

一は男前でないこと。役者なら男前でもいいが、そうでない職業の男を女は自分の亭主と比べ、亭主の方が男前でないと気にくわない。私は弁護士であってブオトコ、禿げているからよいと言うわけやねえ。

二はテレビでしゃべったり講演している間に喜怒哀楽が全部出ないといけないらしい。しかしこれは少ない。この辺まで来ると何万人に一人だそうで。そしてその中でも「哀」が重要で、哀を表現し涙ぐんだとたんに、その次の瞬間に笑えないとだめなんやそうです。哀は暗くなるから長く話したらダメなんです。これは訓練してできるものやなく、天性のものやそうです。

要するに私の人気も、内容に説得力があって、その内容で人気が出ているのやない。その証拠に、中坊宛ファンレターを書いてくる人に聞いてみると、ほとんど中身は覚えていないと言うらしい。ひどいやろ(笑)。

 

指揮官が自分の退路を断ってしまう姿を見せないで、誰がついてきますか

―謙遜して言われているようですが、いつも決然とした言葉を発して人を魅了していると私は思いますけどね。

 

村山総理の時代、六八〇〇億円公的資金の注入で国民に負担をかけた。あの時、各大臣、自民党幹事長、政調会長などが全員サインした長い文書があり、なるべくこれ以上国民に負担をかけないように努力するということが書いてあるのです。

私が住専管理機構の社長への就任を要請され、当時、初めて橋本総理に会った時、私は村山総理の時のその文書を批判したんです。「これがいかん。なるべくとか、努力するとか、こんな言葉を使うということは、実はもうどうせこんなことはできんとみんな思っているんでしょ。私は就任したら国民に二次負担をかけませんと約束しますと公約します。そんなことを言う私で良かったら、あんた私を社長に任命しなはれ」言うてね。

 

―それを言いきる根拠はあったんですか。

 

それは先ほど言うた勘だけです。

というのは、ぼくは、昭和六〇年七月一日午後一時三〇分、豊田商事を破産宣告させて、管財人に就任し、その時にも二年間で中間配当しますと言い切りました。そんなん、なんのあてもありまへんよ。

指揮官というのは自分の退路を断ってしまう姿を見せないでおいて、誰がみんなついていきますか。部下が危険を負担するんなら、それ以上俺が危険を負担するということを示さずして、人はついて来んですよ。サーカスの安全ネットがあったら、落ちたって大丈夫と人は思う。安全ネットを外したらあいつ落ったらどないなんのやろ、と観衆はハラハラして見るもんなんですよ。

住専では路線価格で譲り受け価格が決まっているのに、どんどん土地の値段が下がっている。そんなときに国民に二次負担をかけないと言うことが何を意味するかということはわかってますがな。二次負担をかけるための住専法ができているのにです。だからこそやらなあかんのです。

 

―そんな指揮官が来たら部下は地獄ですね。

 

指揮官の断固とした姿勢が大事なので、その結果部下が大変だというようなことは考えないんです。たいへんなのはお互いにあたりまえなんです。

 

―お若い時、そういう地獄の部下だった経験はあるんですか。

 

わしはないがな。

 

―それやったら、自分だけが地獄の指揮官ちゅうのはどんなもんですかね。

 

しかしぼくはよう働いたで。

大蔵省から来てくれていた元課長は、中坊さんはたいへんな公約をして働いてはるけど、あんたは不幸ではない、あんたみたいに言いたいこと言い、好きなことしてたら、人はそんなひとのことを不幸とは言わないと言うんや。私はその意味で不幸を味おうてないねん、人にやられたことはないねん、言うばっかりで。

 

老いの極意!?

 

―そうするともうこれからやられることはないですわね。先生よりエライ人が上に立つことはもうないでしょう。

 

だから私は人生七〇歳を越したらね、重心を低くしています。老いるということは重心を低くすること。それまでは腰高で良かった。もう司法改革でも退きます。大臣への要請があっても今まで通り断ります。老いには勝てない。死から逃れることはできないんです。あとは老いと死しか待っていない人生をどう送るかですね。そらさびしいですよ。

やるときは勘でどんどん出ることに確信があったが、今は何もしないと言うことが正しいという確信があるんです。勲章からも逃げました。マイペースが大事です。人の話しにフラフラ乗ったらいけません。

 

裁判の無力、法の無力を感じたことが司法改革の原点に

 

―まだまだ中坊さんの出番が来ると思いますが、司法制度改革はどんな段階ですか。

 

私が委員をつとめた司法制度改革審議会は、去年の六月一二日、小泉首相に意見書を出したのです。これが実施されたら、日本の司法はがらりと変わるでしょう。

内閣や、官僚が本当にやる気なら、委員の任期は残っていたのだから、意見書を具体化する司法改革推進本部に移行する手だてをちゃんと講じるはずなのにやらなかった。推進本部での立法作業には余り期待はできんね。意見書には詰められていない分野が多いので、推進本部は重要だが、日本全体が怪しげな状況になってきたので、司法改革に力を注ぐにはよほどの構えと覚悟が、日弁連にもいりますわ。

 

―よく話されてることですが、中坊さんの司法改革の原点は何ですか。

 

弱虫で生まれ育った私が、弁護士になって一人でメシを食える状態になり、イソ弁(居候弁護士。雇われ弁護士のこと)も置き、大阪弁護士会の副会長もやり、家庭も円満ですべてよしと思っていたころ、あの森永ミルク中毒事件の被害者弁護団長になった。これで物事を根本的に考え直さなければと思ったわけです。裁判の無力、法の無力を痛感しました。

事件から一八年経った時のお母さん達の思いは、この子にも他の子と同じように青春の時代をほんの少しでも味あわせてやって欲しいと言う一語につきるわけです。ところが裁判では金一千万円の損害賠償。あまりにも、その間のかい離が大きすぎる。そこで、私は弁護団長としての第一回口頭弁論での意見陳述で「私達は裁判を提起した。裁判に勝つことが目的ではありません。森永も国も、被害者の実情に目を配っていただいて、被害者救済のために立ち上がって下さい」との趣旨を申し上げました。

現にこの事件は判決も取らずに終わっておるわけです。勝つことが目的でないと言ったとき、私はそこに司法の限界を見ていたのです。しかし司法は放って置けば、ゆがんでだんだん小さくなると思いました。

爾来、司法、裁判、法曹とは何なのかと根本的に問おうと思いました。その為の司法改革です。

それまでは弁護士会も何でも反対しておればいいと思ってきた節がある。反対して相手の力で押し切られたら、反対して正しいことを言っていたのだと自己満足していたのです。

私は日弁連会長になるや、司法改革宣言をし、もっと身近な司法にしようと呼びかけました。その後は、色んな条件も加わり、司法改革の流れが大きくなりました。司法制度改革審議会もでき、内閣のもとで司法改革推進本部がいま活動していますが、弁護士会の体質は必ずしも変わったと言えず、徹底して司法改革のためにたたかうことに共鳴する弁護士はまだ多くありません。

あんたもがんばってや。