ある日のメニュー。6と7の間にもう二品ほどあったはずだが思い出せない。
あるじ自ら日本橋の老舗百貨店食品売り場に足を運び、魚を選ぶ。「オレが行くと奥から別のやつを出してくるんだ」というほどのウルサい上客である。極上の素材を調理するのもむろんあるじ自身。 K氏、コルゲン鈴木宏昌。2001年5月21日歿。享年60歳。 |
2001年8月29日 |
現世は「浮き世」ですか、それとも「憂き世」? 2001年9月11日、悪夢の火曜日。 1967年6月12日。 アフガニスタン:1973年7月王制崩壊、共和制に移行。1978年12月ソ連軍侵入。1989年12月ソ連軍撤退。1992年ムジャヒディン(イスラム聖戦士)連立政権樹立。1994年タリバン(イスラム神学生たち)出現…… こういう状況に至っても、なお「人間でありたい」と思うのが“正常なひと”だろう。しかし、そこに「同じ死ぬなら聖戦士として」と囁くものがあらわれたとき、“正常なひと”はさながら細胞が癌化するようにテロリストと化す。 |
2001年10月9日 |
ひさしぶりのエッセイページ更新、となれば「さぞや力作に違いない」と思われるに違いない。何しろ数カ月かけて書き上げたのだから? 昔から佐藤家では、誰かが「ありがとう」というと居合わせたものが「蟻が十なら芋虫ゃ十九、蝶々ハタチで嫁に行く」と応ずるシキタリがあった。 で、今回は対決シリーズ。
という具合に以下を変換してください。
少々ヴァリエーション。
こういうバカなことで時間を浪費していると、やがて次のような結末を迎えることになるのだ。
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2002年8月28日 |
地名は、ただ場所を識別するためだけにあるのではない。 生まれ育った人々にとってはふるさととなり、国にとっては歴史や伝承をうかがい知ることのできる文化遺産ともなるものである。従って、地名を軽々しく変えることは慎むべきであるし、やむを得ない場合でも熟考を重ね、語感や文字や品位について少なくとも後世悔いの残らないものにすべきではないか。 麻布箪笥町、笄(こうがい)町など字を見るだけでも江戸時代の職人達の姿がうかんでくる町名や、霞町、佐久間町というような風情のある町名を東京オリンピックのときに六本木何丁目、西麻布、西新橋などと無味乾燥なものにしてしまったのは旧建設省だか旧自治省だかの役人どもだった。彼等は東京出身ではないはずだ。東京に何の愛着もないからこそできた変更だろう。国立大学で成績優秀頭脳明晰といわれる者が、かならずしも日本語についての佳い感性を持っているわけではない。 私がよく訪れる信州にもなんだこれは、と思うような名の市がある。コーショク市という。最初耳にしたときは「好色市」だと思った。字を見たら「更埴」だったので安心したが、お世辞にも良い語感とは言えない。埴科(はにしな)郡屋代町、埴生町、更級郡稲荷山町、八幡村が昭和34年に合併してできた市だということだが、他の案は無かったのか。 コーショク市は来年、戸倉と上山田を併わせて新しい市になる。名称は千曲市。他人事ながらほっとしている。 今年になって浦和、大宮、与野の三市が合併して誕生したのは「さいたま市」。なぜ平仮名なのか。親しみやすい、わかりやすい、が理由だとしたら淋しい話である。当たりまえの事だが仮名は音だけしかあらわせない。前(先)多摩(さきたま)→前玉(さきたま)→埼玉と、大化改新あたりまでさかのぼることのできる由緒ある地名の変遷も、音だけになったらそのうち忘れられてしまうだろう。 ちなみに公募した新市名の上位は一位「埼玉市」7117票、二位「さいたま市」3821票、三位「大宮市」3008票、四位「彩玉市」2588票、五位「彩都市」2495票だったそうである。一位は漢字で得票も二位以下を大きく引き離している。わざわざ二位を採用した経緯を知りたいものだ。 来年4月1日発足「南アルプス市」に至っては呆然としてしまう。山梨県峡西地域なるところの白根町、若草町(なんだかイージーな町名だ。新しく開発された町のような)、櫛形町、甲西町(甲府の西だからか)、八田村、芦安村の6町村で作る。こちらも一般公募だという。南アルプスの東側山麓にあり、雄大で新鮮なイメージ、と若い世代を中心に支持を集めた、とか。 この調子だと“地域の名産をアピールするから”と「りんご市」「ほたて市」「うなぎ市」「マスカット市」、“受賞者が出たから”と「ノーベル市」「オスカー市」、果ては「スペースシャトル市」「宇宙飛行市」……勘弁してくれ。 そもそもアルプスの語源はケルト語の山=alb、alp、あるいはラテン語の白=alb だという。なにゆえ日本の町の名にヨーロッパ起源の言葉を用いなければならないのか。 “雄大で新鮮だから”とか“若い世代に人気があるから”、と外国語を無抵抗に受け入れてしまって良いものだろうか。 髪を金色に染めたり、英語のような発音で日本語の歌詞を唄ったり、ということとは次元の違う話である。これから生まれてくる世代の「根」の地名になるのだ。またこの地に眠っている何代もの先祖があることも忘れてはならないのではないか。 仮に、どこかの国の軍隊が攻め込んで来たとしよう。政府が“慎重に対策を協議”しているあいだに我が国は占領され、今日からここは「ZXGYV県」「FDKJR市」「WQMTL町」にされてしまったらどうする。次の日に、日本語の姓名は全廃、という布告が出ても反撥しないか。またその次の日には、今日より日本語の学習を禁ず。さらに次の日に日本語の使用を禁ず、となってもおとなしく従うか? おそらくすべての日本人は「日本が亡くなる」と怒り、抵抗するに違いない。それは外から強制されるからだ(同じことを60年前に日本は他国に対してやっている)。 しかし、それが内側からきわめてゆっくりと起こるならば、自覚しないうちに日本は全身衰弱し、やがて死に至る。 すでに電気製品の取扱い説明書など、カタカナのほうが多い。朽ち葉が葉脈だけになるように、わずかに助詞が残ってかろうじて日本語の姿をとどめている。地名を読み書きすることがいにしえと今を結ぶ唯一の通路だったのかも知れないのに、それすら平仮名やカタカナばかりとなれば、あと二〜三世代のうちに古典近代はおろか、谷崎、芥川、川端、三島から司馬遼太郎すら読めなくなるだろう。会話はマジ、チョー、ナニゲニ、ウザイと片言ばかり。 政治経済の迷走による亡国と、日本語の溶解による亡国、どちらが先かな。 |
2002年11月1日 |
ミュージシャンの間で広まるジョークの水準はかなり高い。 あるミュージシャン、酒色に溺れ、薬局ができるくらい薬品を愛用し、仕事には遅れる、楽器は質に入れる、とお定まりの絵に描いたようなミュージシャンの一生を終えて閻魔大王の審判所へ。何の手違いか天国行きの判決をもらってしまう。 |
2002年12月3日 |