あたらしいホールでのトリプルピアノ。
 トリプル・ネタというと、またお笑いシリーズだとお思いでしょうが今回はちと違う。

 コンサートのキャッチコピーは「世界の名器三台を三人が弾く」。
 こういう触れ込みのものは今回が初めてではないが、大抵“名器”は二台がホール所有で、あと一台は“日本の名器”がレンタルで搬入となる。大ホールと小ホールがあるような所は別として、一台二千万円超にもなろうかというフル・コンサートグランドを二台備えるのは財布が大変だし保管庫も巨大になるし、そこの空調も考えなくてはならない。しかもこういう御時世である。単館で三台お持ちとは豪胆な。
 三台を仮にX社製Y社製Z社製としよう。
 いずれ劣らぬ名器だが、それぞれ特色がある。Xは絢爛、スピードとパワー、Yは重厚かつ繊細、貴族的、Zは骨太、古武士の風格……といったところかな。
 誰がどれを弾くかは大体決まっていて、一番重要なパートを担当するハネケンがX、前田御大は「Yだとジャズの発想になれない」ということでZ、従って一番責任の軽い私にYが回ってくる。ちなみに値段は私のが一番高い。
 二台にしろ、三台にしろ、同じ銘柄同サイズのピアノを揃えて音色も調整するのが音楽的には望ましい。ハーモニーやパッセージをさまざまに分担して、あたかも一台のピアノであるかのごとく演奏するのが4手、6手の面白さである。だから別銘柄を同時に、というのは実のところ企画として「ビミョー」なのだ。
 この企画で一番大変な思いをするのは調律師さんだろう。
 複数台のピアノによる演奏会なるものは、調律師にとってあまり有難くない仕事なのかも知れない。
 演奏者と同じく調律師はそれぞれ個性がある。ピアノの音律──十二音平均律──は弦楽器をチューニングするように5度をぴたりと揺れないように合わせて行くと大変なことになる。つまり自然な音律とは違う人工的なもので、オクターヴのなかに半音十二個を等しい間隔でならべること自体が矛盾をはらんだ設定なのだ。従って、ほんのわずかずつそれぞれを「狂った」状態にする。十二の音が互いに譲り合って、狂いがどこかに集中しないようにして「不安定のなかで安定を保つ」。これがピアノ調律の基本だ。
 で、その譲り合いかたにはどうしても誤差、たとえば割り勘で払うときの端数が皆少しずつ違う、というようなことが生じる。この誤差の配分のしかたに調律師の個性がでるのではないか、と私は思っている。
 XYZ各社は総代理店があり、原則としてそれぞれ専属の調律師がいて、部外者が調律することを許さない。
 ピアノが一台、あるいは複数でも銘柄が同じなら調律師は独りだから問題はないが、三社となると互いに神経を使うはずだ。たとえ端数であってもこっちのA音がプラス1円、あちらのA音マイナス1円となると誤差2円、響きに影響が出るかも知れない。
 さらに調律師の仕事の、音律より大事な部分──整音──はことに気を使うはずだ。どの社も独特の音色を持っているから基本的なところは譲れないけれど、ハンマーそのものに手を加えることなく、機構全体をほんの何ミリか動かす、というようなことで音色が変わるし、ダンパーの上げ幅を調節するだけでも残響が変わる。
 名器というプライドを保ちつつ、互いに調整しあうことは可能なのである。

 さてリハーサル。慣れた演目なので会場の響きとピアノの状態、互いを聴くためのモニタースピーカーのバランスなどをチェックして短かめに終了。前田御大ひとこと「このピアノ変な音だなぁ」とボソッと呟いて控え室へ。
 私もちょっと気になっていたので弾いてみる。妙に金属的な響きだ。骨太、古武士のイメージ皆無。PAの柳島さんも「倍音強いねー」。「客入れまでまだ一時間あるから調整してもらおうか」と云っているところへ、「このピアノはこういう音なんですよ」とZ社専属調律師。「え? でもちょっと響きが鋭角すぎるんですが」「いや、これはA巨匠が気に入って工場から選んできたものなんですよ。ほらあそこにサインがあるでしょう?」
 見れはフレームにマジックでAではじまるそれらしき書き込みが。
 「いや、それにしてもこいつだけ突出してるがなぁ」「A先生お気に入りですから。音は変えられないんですよ」
 君ねぇ、二十年前でなくて良かったよ。こちとら少しは丸くなったからな。
 なるほどAといえば世界で三本の指に入る大巨匠である。その人が気に入ったのだから、音質を死守するという気持はわからぬでもないが、ピアノは生き物だ。長期間弾かずに放置したら音色は変化する。コンサート一晩でも変わる。現に前田御大が数十分リハーサルしただけで変わったではないか。その変化も聴きわけられずに“葵の紋所”を振りかざして「たかがジャズのピアノ弾きごときがZピアノ様にたいしてつべこべ云うな。頭が高い」という対応は何だ。
 柳島さんが「こちらでなんとか努力してみますから」と取りなしてくれたので、鉾をおさめたが、腹の中はかなり高温であったよ。

 たまたまここでのコンサートを計画し、ピアノを聴きくらべる良い機会だからと客席にいた現代音楽のピアニストTYさんの感想。
 「あれ本当にZですか? あれなら日本のKのほうがよほど良い。Zにしようかなと思っていたけれどやめます。佐藤さんの弾いてたYに決めました」
 音楽ジャーナリストKYさんの感想。
 「ヨーロッパで何回もZ聴いてるけど、あれは絶対Zの音じゃない」
 ほらね、耳の確かなお二人が期せずして同じことを感じていたのだ。Z社の調律師さんよ、A巨匠のサインと、生きた聴き手の耳、どちらを信じるかね。
 たぶん私も今後Zは敬遠することになるだろうし、知り合いのピアニストにもZはやめとけ、と云うつもり。

2007年1月10日



 「おれなんか大好物だからさぁ、毎食たべてたらメシ何杯もおかわりして太っちゃうよ」
 と江戸っ子ドラマー村上寛。私も同意見。およそ箱根から東の生まれで嫌いな人間は稀だろう。
 西の人で時々「うぇ〜気色わるぅ。あんなもんよう食べまへんわ」なんていうのに出会うが、最近はにおいを押さえたのが売り出されて関西方面でもずいぶん抵抗感が薄れてきたらしい。外国人でも食べられる人が増えているようだ。
 なにしろ発酵食品、大豆、ねばり。健康に良いうえに安価ときている。
 そう。納豆のことである。
 「だけどこれでダイエットなんて変だよ」と横浜Dolphyの楽屋にいた全員の異口同音に冒頭ヒロシの「おれなんか……」が続くというわけ。
 その日の新聞に【スーパーの売り場から納豆消える】という記事が出ていて、「前に味噌汁で痩せるってのがあったな」「じゃ、あとは目刺か鰺の干物、目玉焼きダイエットが来ればニッポンの朝飯が揃うぜ」「早い話、普通に食ってたらダイエットなのかい」「あ〜あ、どこかのテレビで【ジャズ聴くと痩せる】ってのやってくれないかなぁ」「ライブハウス連日超満員かい?」「企画書作って売り込もうか?」「ジャズ演ってると痩せるよ」「そりゃ単に食えないからだろう」……ミュージシャンの話ってのはいつも他愛ないのだ。
 こんな会話をして一週間もしないうちに、捏造が発覚したのだから近頃のテレビもオソマツきわまりない。
 「ほ〜らね、おれも怪しいと思ってたんだよ」「他にもあるよゼッタイ。ことによると全部捏造かもね」に始まって楽屋話は〈日本人はなぜ騙されやすいのか〉に移る。珍しく知的な人文科学的考察に向かおうかというところで、「紅茶キノコってのがあったなぁ」と誰かが言い出して、一気に〈これまでに流行った健康サプリメント〉に雪崩れるところがミュージシャン。

 オフクロが栄養とか健康に気を使っていたのを受け継いだのか、私もサプリ系無関心というわけではない。知人友人が「これは良い」と云って送ってくれたりするのを試してみるのだが、移り気なために長続きしない。逆に云えば、ひとつところに固執しないのがむしろ健康的なのかも知れない。
 記憶に残る最初のサプリメントは消化剤《エビオス錠》の大瓶だ。小学校1〜2年の頃か。胃アトニーという症状だったオヤジが食後服用するため茶ダンスの中に置いてあった。この味が好きで口淋しくなるとなかばオヤツがわりにボリボリ齧っていたのだが、逆に腹が減ってたまらない。肥満気味になってしまったのだろう。3ヶ月ほどでオフクロに禁止された。後に原料がビール酵母だと知って、なるほど子供の頃から酒のみ体質だったのだ、と納得したものだ。
 白米、白砂糖、白パン、三種類の白ものが健康に悪いという〈白の悪食〉なる説が出て、この欠陥を補うためと云って麦焦がしのような茶色の粉末を飲んでいた時期があった。名前が思い出せないが、味と香りは覚えている。
 父方も母方も高血圧の家系で、私も若い頃から血圧高め、いわゆる本態性高血圧というやつ。そのうえ酒のみでいつカットアウトエンディングになっても驚かない覚悟はできているが、「血圧に良い」と云われればなんとなく食指が動く。その手のものにはどういうわけかお茶が多い。

◎薄荷茶
ミントティーと書けば今風になる。庭にひと株薄荷を植えたらやたらに殖えたので、ある年の夏など毎日飲み続けて胃が荒れたことで休止。過ぎたるはなんとやら。

◎ドクダミ茶
昔祖母が作っていたのを思い出し、家に生えているやつで試みたがあまりうまく行かない。ドクダミの青臭さが残るのだ。干しかたにコツがあるのか。自然食品店で買ったほうが美味いのを発見するも買いに行くのが億劫で自然消滅。

◎杜仲茶・柿の葉茶・笹の葉茶
降圧作用あり、ということだったが効果を実感するまで続かず。薬缶(理想的には土瓶)で煎じて冷蔵庫で保存するのが面倒でヤメ。

◎よもぎ茶
韓国土産にもらったもの。同じパッケージが日本にないことで中断。

 そのほか実にさまざまな茶に出会ったが、どれもせいぜい2、3ケ月から長くて半年。止める理由は上に書いたが、きっかけとなるのは何日間かのツアー、というのが多い。茶を煎じる道具を持って行くほど凝るところまでは行かないのだ。健康食ブームでほとんどの茶にティーバッグ仕様があるけれど、多少でも“薬”の意味合いで飲むならやはり“煎じ”なければ有難味が半減するではないか。

◎銀杏葉エキス
脳の血流を活発にするとか。顆粒が小さいパックに入っているので飲みやすい。一年ほどは続いたかな。

◎芽かぶ・根昆布・がごめ昆布
ネバネバに降圧作用ありという。コップ一杯の水に小片を入れ一晩置く。翌朝飲む。むろん美味ではない。ネバネバを昆布ごと飲み込むのは慣れを要する。こうした自虐的要素が合っているのか、がごめは数年続いている。

◎みみずエキス
さる大学教授が脳血栓で倒れたとき、予後に用いて劇的効果あり、というふれこみに感心した知人が送ってくれた。カプセル入りで飲むのは簡単。不完全カットアウトエンディングで生き残り、周囲に迷惑をかけないためにも血栓予防は必要かな、と始めたが、製造元がどうかなったか入手困難となり、ついでに知人も入院したりしてフェイドアウト。

◎青汁
野菜不足には絶好だが、考えてみると極力野菜を食べることにしているし、ためしに中断しても体調に変化なく、そのまま今に至る。

◎ウコン
カレーの黄色のもと、ターメリックだと思うとそれほど有難くないが、これを飲んで酒席に臨めばあら不思議、周囲が次々リタイアするなか、残るは我一人、ってほどではないが、確かに酒精分の分解には効力ありという気がする。よって数年間継続。今に至る。

 がごめ昆布とウコンがなぜ長続きしているのかわからないが、はじめは誰かにすすめられたものであるにせよ、やはりどこか身体に合っているのに違いない。いまのところ特にどこが不調ということもないので、この両者が効いているのかいないのかもわからない。
 身体のほうで不要だとか、害がある、と判断したら「飽きる」とか「面倒」とかいうことになって自然に停止するだろう。
 ま、自分の身体にはそのくらいの自律性が備わっているのだと信じたい。

 で、納豆? 納豆がデータを捏造したわけじゃねぇや、食いてぇ時に食うよ。
 テレビ? べらぼーめ、ンなもん無くったって生きて行けらぁ。

2007年2月1日



 1950〜60年代の落語界は名人達人天才が何人も居並ぶ黄金期だった。
 彼等は70年代に入るころ次々と退場して行ったが、その去りぎわがもっとも鮮やかだったのは八代目桂文楽だろう。
 文楽は、1971年国立小劇場《落語研究会》で口演中絶句し、「勉強し直してまいります」と云って降り、その年の12月12日没。
 演目を練りに練って磨き上げ、同じ噺はいつ演じても数秒の差しかなかったと云われる芸風の文楽がめざしたのは、わが落語をを精緻な工芸品にする、ということだったのではないか。したがって、高座での“絶句”は、自分が長年手塩にかけて彫り、彩色してきた作品が微塵に砕けてしまった瞬間であったのだろう。文楽にとって、破片を拾い集め、再び構築しなおす気力はもう残っていなかった。 
 対して五代目古今亭志ん生はその日の気分で伸縮自在、どんな展開になるのか予測できない、という芸風である。へべれけで高座に上がり「え〜」と云ったなり眠りこみ、弟子が起こしに行こうとしたら「寝かしといてやんな」と客席から声がかかったというエピソードを持つ。
 1961年末に脳出血で倒れたが、翌年11月復帰、不自由な右手を左手でさすりながら少々怪しい呂律のまま1968年10月9日《精選落語会》の最後の高座までつとめる。こういう芸であっても多くの人が抱腹絶倒したのである。1973.9.21没。
 志ん生にとっての噺とはどのようなものだったのだろうか。自分の〈今〉を投影するスクリーン、あるいはディスプレイ、と考えることはできないか。熊さんも八っあんも、横丁の御隠居さんも、海苔屋の婆さんも、すべて志ん生自身なのだ。
 そうだとすると、仮に高座で絶句したとしても「あ〜、なんだなぁ、お前はここんとこ舌がからまるね、ンとうにしっかりおしよ〜」などと意に介さずに続けるだろう。
 完璧を求める〈文楽型〉、天衣無縫の〈志ん生型〉。
 両極があってこそ落語は豊かなのだ。
 音楽で云えば、クラシックの〈文楽型〉、ジャズの〈志ん生型〉になるかな。

 2007年2月25日、国立劇場名人会。『芝浜』を噺し終えた三遊亭円楽は幕が降りたあとしばらくその場でじっと一点を見つめていた。その後の記者会見で「こんな噺ではお客さんに申し訳ない」と引退を宣言する。2005年10月に脳梗塞で倒れてから一年余のリハビリを経て、復帰を期待された高座だったが、思うように呂律が回らず、限界を感じたのだという。倒れる前の『芝浜』より10分ほど長かったそうだ。
 1955年六代目三遊亭圓生に入門。1962年真打となり五代目円楽を名乗る。師の圓生も名人といわれ、芸風は端正で、いわば〈文楽型〉である。
 1978年に落語協会分裂騒動というのがあった。発端は圓生が安易な真打量産システムに異を唱え、協会を脱退、三遊協会を設立。これに対して寄席の経営者の席亭たちが落語協会について三遊側を締出す。その最中1979.10.7、圓生没。後を託された円楽がその後を円楽一門会として運営してきた。1985年には寄席に出られない弟子達のために寄席[若竹]を建てるがほどなく経営に行き詰まる。借財を抱えつつも《笑点》司会などをこなしつつ師の遺志を継承している。円楽一門会はいまも落語協会に復帰していない。
 この経歴を見ると、円楽の律儀さが伝わってくる。噺にたいする考え方も師の風を継いでいるに違いない。円楽は〈文楽型〉の噺家だということがいえる。
 さて、円楽は復帰に向けて半年前から稽古に励んだという。その様子を追ったドキュメンタリー番組があった。
 自宅の大型テレビに最盛期の自分のヴィデオを写し、これを見つつ稽古するというものだ。
 「いかんな」と私は思った。
 自分をなぞる、ということはその時点ですでに昔の自分に及ばないではないか。何年前のヴィデオか知らないが、その間にさまざまなことが起きているだろう。時間経過とそれにともなう体験の積み重ねこそが過去の自分が持っていないものなのだ。しかし、ヴィデオの中の自分がどう足掻いても追いつけないのが〈現在〉の自分だ、というふうに思えないのが〈文楽型〉の特徴かもしれない。
 目標を定めたら何があろうとそれをめざす。そういう信念がなければ高みに到達できないのは当然だが、ある時期のピークに及ばないから、と全く同じルートを辿って登ったとしたら、そこまで行きつけなかった時に自分の芸を全否定する他はなくなる。
 他のルートで違った山頂へ、という転換ができない、あるいは転換しない……〈文楽型〉の美学なのだろう。玉砕覚悟の出陣か。
 円楽が引退を決意しなければならなくなるのはヴィデオの自分を稽古の対象にしたときに決まっていたのだ。
 ピアニストの舘野泉さんはやはり脳梗塞で右手が動かなくなった。彼は左手だけのための曲を世界の作曲家たちに委嘱して、(むろんラヴェルの曲も含めて)すばらしいコンサート活動を続けている(舘野さんが〈志ん生型〉であるかどうかは知りません。念のため)。
 右手の動きを失ったときに「左手しかない」と思うか「まだ左手がある」と思うかでその後の展開がまったく違ってくるということなのだ。
 求道的〈文楽型〉に何パーセントかの楽天的〈志ん生型〉の要素を混入することはできないのだろうか。クラシックの世界にもグレン・グールドなんて人がいたことだし。

2007年3月27日



☆☆☆ = そこの料理を味わうこと自体が旅の目的となる価値のある店。
☆☆  = 旅の途中遠回りをして訪れる価値のある店。
☆   = 旅の経路にあれば立ち寄る価値のある店。

 元はと云えば、遠くに美味いレストランを見つける→車が長距離走る→タイヤが減る→タイヤ会社が儲かる。
 風が吹く→砂埃が舞う→目に入る→目玉に傷がついて目の見えない人が増える→三味線弾きになる→三味線の胴に使う猫の皮の需要が多くなる→猫が減りねずみが増える→桶をかじる→桶屋が儲かる、の因果関係とはくらべものにならぬほど単純な思いつきで始まったガイドブックである。
 1900年パリ万博でミシュランが自動車旅行を活発にしてタイヤを売ろうと発行したLe Guid Rouge(ギド・ルージュ=赤ミシュラン)が50年代にヨーロッパ各国版、2005年ニューヨーク市版、2006年サンフランシスコとベイエリアのワイン産地版と広がり、ついにアジアにまで手をのばしてきたというわけだ。
 フランス人が自分の国の料理を出すレストランをランク付けするのだ、とばかり思っていた私は、「ふ〜ん、東京版が出るのか。勝手にやれば。もともとフレンチに興味ないし」と無関心だった。
 ところが、三っ星8店のうちフレンチは3店で和食が3店、寿司屋が2店だという。おいおい、他所の国の料理をテメーの物差しで測って格付けするなんて非礼ではないか。日本人の調査員もいます、などと言い訳しているがそいつらの味覚をちゃんと検証したのか。
 そもそも日本料理はフランス料理とは比べ物にならないほど多種多様なのだぞ。もずくを食えなかった調査員がいたらしいが、そやつにホヤ、ナマコ、コノワタ、クサヤ、鮒鮨、スッポンがわかるのか? 納豆はどうだ? フグの良し悪し、鰻の養殖と天然を見分けられるか?
 郷土料理は調べたのか? 焼き鳥は? 天婦羅は? 蕎麦は? 味噌汁の味噌の違いがわかるか? 越後味噌、仙台味噌、八丁味噌、白味噌いろいろあるぜ。薄口醤油、濃口醤油、溜まり醤油みな別の料理に使うのだぞ。
 江戸時代250年余、日本は300ほどの国にわかれてそれぞれの文化を育ててきたのだ。料理は文化の一面だ。津軽の味覚は薩摩の物差しで測れない。江戸の味付けは京都の味覚と異なる。
 日本人の間にさえ統一された味の尺度など存在しないのに、地球の裏側から昨日や今日やってきてわかったようなツラをするでない。
 日本料理ばかりではない。中華料理はどうした。タイ料理、ベトナム料理、インド料理、イタリアン、スペイン、メキシコ、ロシア、どれをとっても本国よりうまいと評判(むろん本国人から)の店はいくらでもある。
 それらを自分のただ一種類の物差しで評価するのがどれほど不遜なことか一度よく考えてみる必要がありはしないか。
 たとえていえば、ピアノの──十二音平均律の──音と合致しないから、とバリ島のガムランの音律や、ガーナのバラフォンの音律や、尺八、シタール、ナーイの音律を「狂っている」「音程が悪い」と蔑むことができるのか。
 十二音平均律の音楽を聴いている人口は非平均律音楽を聴いている人口より少ないという事実を知っているのか。
 フランス料理を評価する基準はフランス料理にしか通じないのだ。

 一方、星をつけられた店の迷惑も考えて見よ。これから毎年新しい版が発行されるのだろう。ランクが下がったらどうするのだ。
 フランスではそれがもとで自殺したシェフが何人もいるぞ。
 1966年ルレー・デ・ポルクロールのシェフ、アラン・ジック。2003年天才料理人と云われたベルナール・ロワゾー。1933年から三っ星だったトゥール・ダルジャンは66年に二つ、2006年に一つになったが、1997年にオーナーが一時失踪したのはこのことと関係があると言われている。
 三っ星の店は予約の電話鳴り止まずだというが、私はそんな店には絶対行かない。奢ってやると云われても行かない。頼まれても行かない。
 行きたいのは、掲載を断った店である。そういう店の一覧をどこかで作ってくれたら是非入手したいと思う。さいわい三つばかり知ることができた。
 店主のコメントもある。

【京味】西健一郎氏

「店が賑わうようになっても、それで常連の方々の顔が見られなくなっては寂しいから」

【小笹寿し】寺島和平氏夫人

「一見さんよりお馴染みさんを大切にしたい」

【麻布かどわき】門脇俊哉氏

「あらゆる目的にかなう料理なんてつまらない」

 もっともこういう気概のある店はいきなり行っても追い返されたりすることがありそうだ。いつか機会があれば、ということにして今はつつがなくお店が続くことを祈っておこう。
 それにしても、テレビやら週刊誌が取り上げると人々がワッと押し寄せる風潮にはあきれるばかりだ。ランク付けに目の色を変えるのも同じことで、つまり自分の価値基準に自信がない、あるいは基準が持てないのだろう。
 せめて食べ物の美味い不味いくらいは自分で決めたいものだ。

 そうそう、以前読んだ本のなかに「隆盛をきわめた国が滅びる前は、統治層がこぞって美食にうつつを抜かす時期がある。ローマ帝国、ロシア王朝……」という記述があった。いま書棚を調べたが見つからない。
 日本も最近この傾向がある。日本人がみなBibendum(ミシュランのマスコット、ビバンダム=タイヤ男)になって滅びるぞ〜。

2007年12月6日



 前回、タイヤ屋の格付けに大騒ぎする馬鹿々々しさ、および自分の価値基準を持てない日本人について書いたら、大阪のレコード店にお勤めのK氏から次のようなお便りをいただいた。
 自分ひとりで笑っていてはもったいないので氏のご了解を得て公開しよう。

こんなふうに訊いてくるお客さんがいます……。

  • 「今、売れてるのなに?」
 売れてたらええってもんでもないと思いますし。売れてなくても、いいのはあるだろうし。もう少し訊き方ってあると思いません? 例えば、自分はこんな感じのが好きなんだけれど、それで売れているのは? とか?
  • 「なんかええのんない?」
 どうええんものなのかが不明で、「どんなんがお好きですか?」と訊いても、何でもええとおっしゃる。ならアルバート・アイラーでもサッチモでもええのかしら?
  • 「テレビでやってたんやけど、ええの?」
 何の番組でっか? コミックバンドかいな?
  • (試聴機に入っている商品を指さし)「これええの?」
 ほとんど意味が分かりません。聴いて貰うために試聴機に入れてるんだし……。

 K氏は、ウソだろうと思うような客にほぼ毎日会うのだそうな。「おかげでだいぶ丸くなりました」とおっしゃる。そうかも知れないが、実はストレスが積もり積もっているのではないか。酒量が増えてある日爆発、なんてことのないようたのんまっせ。
 しかし、ここには笑い話ですませてしまってはいけないような問題がありそうだ。考えようによってはこういうお客が増えるほどジャズにとっては良いことなのかもしれない。
 つまり、「ジャズという言葉をよく聞くが、どんなものなんだろう」と漠然とした動機でレコード店に入り、手がかりを求めてK氏にたずねるのだ。本来なら「ジャズを聴いてみたいのですが最初はどんなものから入れば良いのでしょう?」とでも云うべきところを、ざっくばらんな大阪人ゆえ「儲かりまっか?」のノリで「今、売れてるのなに?」「なんかええのんない?」となったのではないか。
 だとすると、K氏の“お導き”によってこの人はかなり高水準なジャズファンとなる可能性を持っていると云うことができる。
 同じ大阪人としてK氏は、省略された前段を心得ており、心のなかでは上記矢印のような答えを返しつつ懇切にいろいろ解説を交えて結果としてご自分の思っているCDを購入せしめるところへ持って行くはずだ。でなくてはK氏のお店が近畿圏トップクラスのジャズCD売り上げを誇るわけはない。
 「テレビでやってたんやけど、ええの?」も一瞬ムッとしそうだが、要は判断基準がまだないのだ。とすればいかなる座標軸でも植え付けられるのである。

 と、偉そうに書いている私自身、16歳でジャズを始めなくてはならない境遇になったとき、何を手がかりにしたら良いのか途方に暮れたものだ。予備知識なし、むろん判断基準なし、ただひたすら東京駅八重洲口前のレコード喫茶《Mama》でかかっているレコードを聴き、少しずつ覚えて行くしかなかった。
 もし「これがジャズだぜぇ」とタンゴを聴かされたとしても、それを疑うことは少しもなかっただろう。さいわい《Mama》でターンテーブルに乗るのは当時最先端のモダンジャズ新譜だけだったから、ごく自然にジャズに入って行けただけの話なのだ。
 Fのブルースもイントロの何たるかも知らないという全くのトーシローを軽率にも雇ってしまったバンドリーダーが「どうやって勉強したら良いのでしょう」と訊ねた私に、「ズージャはダンモよ。おれたちのはロイクのイーストコーストだかんな、東京駅の《Mama》でしっかり聴いてこい(ジャズはモダンジャズだ。我々は黒人の、東海岸のスタイルを演るのだから)」のひとことで私のその後が決まってしまったというわけである。
 つまり私にとって、バンドリーダーの一言と毎月新譜を選ぶ《Mama》のマスターの感性がK氏の“お導き”に相当するものだったといえる。

 さて、全く白紙のお客に自身が培った価値基準を移植する、ということができる立場にあるK氏の音楽観は私が知るかぎりにおいてかなり信頼できるものだから、彼のお店に偶然立ち寄ったお客は幸運なスタートを切ることができるだろう。
 けれど、「売れてる」と「テレビ」をキーワードにしてくるお客にはK氏も手を焼くのではあるまいか。なぜならば彼らにはジャズがどうのという価値基準よりもっと根源的なところ──人格──を支配する座標軸がこの二語に汚染されているからだ。

Kさん、私の周りではこんなこともあります……。

  • ミュージシャンに……
    「ジャズ知らないんだけど誰聴いたら良いかなぁ、今度CD貸して」
 オレを聴けぇ。オレのCD買えぇ。
  • 料理屋で……
    「この店でおいしいのはなに?」
 ウチで出すのに不味いもんがあるかぁ、このボケェ。
  • 美容院で……
    (雑誌に載ったハリウッド・スターの写真を見せて)「こういうのにして」
 って、あんた自分の顔、鏡で確かめてからにしたら?
2007年12月28日