2006年が明けた。
 また新しい365日が始まる。そして8,760時間=525,600分=31,536,000秒経つとまた次の正月だ。
 酉年の年賀状の宛名を書いたのがほんの数日前だったようなのに。このぶんではそろそろ亥年の文面を考えておかなくてはなくてはならないな。
 同じ31,536,000秒のはずなのに、毎年々々一年が短くなってくる。
 年寄りが気短かなのはこういう感覚のなせるわざか。
 彦六師匠(先代林家正蔵・当時八十ン歳)が新幹線に乗って名古屋へ行く。新横浜を過ぎたあたりで弟子に「おい、ふぉろふぉろ降りる支度しておけ〜」という。「師匠、まだ横浜ですよ。半分も来てやしません。あと一時間半もありますから」。すると、「ぼぁかひゃろぉぉ、しんかんせんは、速ぇんだ〜」
 〈体感温度〉というのがあるのだから〈体感時間〉があっても良いはずだ。算定するとしたらどうなるだろう。
 年齢と体感上の一年はどうやら反比例の関係にあるようだ。だとすると、こんな仮説が成り立つように思うが……。
 人は現在まで過ごして来た時間全部をまとめて〈ひとつ〉と認識する。つまり、「一生」というものとして各々の脳内時計に刻みこまれている。したがって一歳の赤ん坊にとって二歳になるまでの一年は一生と等しく、十歳の子供が十一歳になるまでなら1/10、六十歳からの一年は1/60。
 365日割る年齢。これが体感一年である。
 私にとっての2006年は1/64となる。
すなわち体感一年は365÷64=5.703125日
おいおい、一週間もないんだぜ。 ぼぁかひゃろぉぉ、一年は、速ぇんだ〜……

 さて、今年は例年より長い一年なのだという。
 長いってどれくらい?
 一秒だよ、一秒。31,536,001秒もある一年。
 「も」じゃないだろう「しか」だよ。
 おや、君は「しか」派かい? うひひ、歳じゃのう。なんていう奴はいまいが、体感1/64秒にせよ長くなるのだからゆとりができたと思いたい。
 で、この一秒は「うるう秒」というもので、現在標準時を刻む原子時計と、地球の自転に基づく天文時との誤差を調整するために、日本時間2006年1月1日午前8時59分59秒の次に60秒を置くのだそうだ。前回は1991年1月1日だった。う〜ん、七年前はうっかりしていて気付かなかった。そういわれてみればなにやらゆったりした年だったような?
 たかが一秒、されど一秒。スピードスケートなら百分の一秒が順位に影響する。人工衛星は一秒で10kmは動く。
 仏教ではパチンと指をはじく時間〈1弾指〉の間に64刹那が過ぎるという。一説に1弾指=0.85秒、1刹那=0.01333秒、あるいは1刹那=1/75秒ともいう。ついでに書いてしまうが、仏教用語辞典によると小さいほうの単位は【分、厘、毛、糸、忽(こつ)、微(び)、繊(せん)、沙(しゃ)、塵(じん)、挨(あい)、渺(びょう)、漠(ばく)、模糊(もこ)、逡巡(しゅんじゅん)、須臾(しゅゆ)、瞬息(しゅんそく)、弾指(だんし)、刹那(せつな)、六徳(りっとく)、虚空(こくう)、清浄(しょうじょう)】。
 極小の単位が「清浄」というのがインド人の宇宙感をあらわしていて面白い。
 え〜いもうひとつ、ついでに現代では、

ms ミリセコンド   = 1/1000秒
μs マイクロセコンド = 10-6
ns ナノセコンド   = 10-9
ps ピコセコンド   = 10-12
fs フェトムセコンド = 10-15
as アトセコンド   = 10-18
zs ゼプトセコンド  = 10-21
ys ヨクトセコンド  = 10-24

 などと云っても実感できないが、1ナノ秒で光が約300m進むのだとさ。
 おっと、一番大事な「秒」とは何ぞや、を調べるのを忘れていた。結論から云うと、調べてもミュージシャンの頭ではこれまたさっぱりわからない。
 どのくらいわからないか、書いてみよう。

秒=セシウム133の原子の基底状態において、ふたつの超微細準位の間の遷移に対応する放射の周期の91億9263万1770倍

 1967年第13回国際度量衡総会での定義なんだそうだが、ここまでくると仏教用語と同じくらいチンのプンのカンなのだ。
 みんなわかるのかなぁ。
 あ〜あ、先行き不安になる年の始めなのです。でもすぐに過ぎるさ。

2006年1月11日



 〈そろそろおいでなすったかなの巻〉
 何が来たかって? ほれ、あれですよ、あれ、その〜、う〜、だからさ、あれだってば、じれったいねどうも、こういうことが最近多いんですよ、名前が出てこない。何のって、こうやってね、パチっと、綴じる、紙、え? ホッチキス? そうそう、それ。ホッチキスが来た? そんなもんがひとりで来るわけないでしょ? 来たのは頭、何の頭? あたしの頭ですよ、頭が来たんじゃなくて、頭に来たの。いえ、怒ってるんじゃない、頭にやって来たんですよ、何が来たかって? あれですよ、う〜、春が来た? ンなもんはそこいらじゅうに来るんだから、あたしの頭だけに来るんじゃない。え〜わからないかなあ、え? 近頃お前さんはう〜とかあ〜が多くなった? ボケたんじゃないか? それっ、それですっ、あたしの頭においでなすったのは。ボケですよ。知ってるんならハナから教えて下さいよ。ホッチキスとの関係? だからそいつを話そうとしてるんだってえの。

 二、三日前だけどね、もっと前かな、いや昨日だった、昨日の昼メシのあと、う〜晩メシのあとかも知れない、ところで昨日何食べたんだっけ? あれ、晩は食べなかったかな? そんなことどうでも良い? はいはい。でね、綴じたかったわけ。何を? あのね〜、そうやっていちいち物の名前を言わせるからあたしが混乱するんですよ、何を綴じたって大勢に影響ないでしょ? でも知りたい? 困ったねどうも、あなたてぇ人はそうやってずんずん攻め込んでくるんだ、昔からそうですよ、その性格を直さないとね、友だち減らすよ、ただでさえ次々と旅立ってるんだから、気をつけなさいよ、ンとうに。何のはなしだっけ? 綴じる? そう、綴じようとしたらだね、紙がホッチキスの間に挟まらないんですよ。パチンと針が出てくるところに。厚すぎた? いえ、ほんの五枚ばかり。うちのホッチキスこんなに小さかったかな、って良く見たらね、こいつが大笑い、ホッチキスじゃなっくてね、あれだったんだよ、いや〜一人で笑ってしまいましたね、大ウケ、いくらあたしが器用だからって、あれで紙は綴じられません、あなたもそう思うでしょ。思い出しても腹がよじれる、うはは、うは、は、は、ひぇ〜苦しい、だれか止めてくれ〜ぃ。

 あれで綴じようって人が、え? あれって何? さっき言ったでしょう? 言ってない? 言ったはずですよ、おかしいな、言ったと思うがな、あなただって一緒に笑ってたじゃないですか。知らないでよく笑えますね。あたしがあんまり笑うから、ばかばかしくって笑った? もらい笑い? ははは、ま、良いですよ笑うってのは。笑うとね、癌の予防になるんですと。なんとか力が向上するってぇ話ですよ。なんとか力って何だ? あのね、物事はひとつずつ解決しましょうよ。端から片付けて行かないと累積なんとかになっちまいますよ。累積なに? だからぁ、それは置いといてホッチキスに戻りましょう。あれは、え〜と、こうやってはさんで、パチンと、ホッチキスじゃないってば、ホッチキスなら笑ったりしないでしょうが。ホッチキスに似てるんですよ。針? 針は出ません、針は出ないで何が出る? 何が出るんだったっけ? う〜思い出せない、こう持つでしょ、右手の親指と人指し指で、それでどうする? 左手に近づけてパチン。わかったっ、わかりましたよ。ツ・メ・キ・リ。

 爪切りとホッチキス、机の上で似たようなバネものが隣り合わせだったんですね。
 それを紙のところまで持って来て、目で見ているのにまだ気がつかない。ね、あれがおいでなすった、てぇのがおわかりか?
 あれってつまり、あれですよ、ほれ、さっき出たでしょうが、あれ、その〜、う〜、だからさ、あれだってば、じれったいねどうも、こういうことが最近多いんですよ、名前が出てこない……

2006年2月24日



 「あー、君、山田君」
 「え? 僕ですか? 僕は佐藤ですけど」
 「あ、そう、12ページのはじめから読んで、訳してごらん……うん、よし。じゃ、その続きをそこの、山田君」
 「え? 僕は田中です」
 「名前は良いから、読んで訳す……えーと次はそっちの、うー山田君」
 「はーい、わたし松原です」
 「あー、松原の山田君、早く訳しなさい……」

 H先生は、生徒の名前を一切覚えず、誰彼お構いなしに「山田君」で通していた。お嬢さんの婚約者W氏すらしばらくは山田君だったという。テレビの対談番組でも相手を「山田さん」と呼んで憮然とさせたこともあったらしいのだ。
 先生は記憶力に乏しいのではない。本業の仏文学では博学博識として高名だった。つまり先生にとって人の名前は興味の対象外であり、それを覚えるエネルギーがあったら御自分の研究に使いたい、と思われたのかも知れない。不思議なのは、江戸時代の歌舞伎役者の名前などは正確に御存知だったのだから、レンズが向きさえすればたちどころに入力されたはずなのだ。
 それでは教室で生徒達にいい加減な授業をしていたか、というとむしろ全く逆で、どの山田君に対しても懇切丁寧、フランス語を教えるのを心から楽しんでおられた、と当時の教え子達―今はそれぞれ各方面で重きをなしている人たち―は言う。
 いろいろなエピソードを総合すると、先生の頭の中で「山田君」は「ある範囲の人間」を意味する言葉ではなかったか。つまり、見知らぬ人と、家族および友人の中間に位置する人たちである。顔を知っているが、名前を覚えるほど親しくはない、しかし多少かかわらねばならない人に対する“人称代名詞=準三人称”といった呼称を創造されたと思えば納得できる。
 従ってH先生の教室で生徒達は「山田君」と呼ばれるたびに「自分は誰それ」、と言い返す必要はなく、先生に認識される「山田」階層に属したのだ、と喜ぶべきであった。たぶんそのなかで飛び抜けた才能を発揮したり、とんでもない珍訳で笑いをとったような生徒は先生の記憶圏内に一歩近付き、「佐藤の山田君」〜「佐藤君」と順次出世したことだろう。

 四月がまた巡ってきて、私の受け持つセオリーとアレンジのクラスも新顔になる。
 人の名前を覚えるのが極度に苦手な私にとって、新しい名簿を手にするのは気が重い。ほとんどの受講生とは一年だけのつき合いなので、たとえその年のあいだに名前を覚えたとしても翌年には忘れてしまう。ライブハウスなどに来て挨拶してくれても、見た顔だがハテどこで会ったかな、ではむこうも拍子抜けだろう。「○○です」のひと言で記憶がよみがえることもあるが、ごく稀で、大概は「やぁ、元気にしてるかね」というような当たり障りのない会話で終わってしまう。
 いつも名簿を開いておいて、ことあるごとに名指しで質問すればいくらかは助けになるのかも知れないが、そういう一種厳格な授業は受ける身になって考えると気が重い。
 だから名前記憶の努力を放棄し、それを正当化するために、いつも年初は次のような宣言をすることにしている。

教科書通りには進まない。こっちは勝手にしゃべるから、ノート取りたければ取ればよし、取りたくなければ黙って寝てろ、試験はしない。出席も取らない。質問は随時、わからないと思った瞬間にしろ。でないと何がわからなかったのかわからなくなる。携帯は鳴らすな。私語禁止。昔は録音禁止だったがレコーダーがどんどん小型になるから隠れて録っててもわからない。従って録音自由。ボードにはいろいろ楽譜を書く。書いたらすぐ消すから、写したければ急いで書き取れ。コンポーザー、アレンジャーは書く速度が勝敗をわける。これは君たちのスピード増強のための親心だ。手書きをおろそかにするな。書かないと覚えないことがたくさんある。楽譜ソフトを使って打ち込むのは充分書いてからにしろ。作品を書くそばからコンピューターで演奏させてみようと思うな。生身の人間が演奏する楽器の音をイメージすることに努力を集中しろ。

 こんなことを一気に言って教室を見回すと、ほとんどの目がガラス玉のようだ。輝いているのではなくて、とろんとしたビー玉だ。あるいは死魚の目。瞳孔が開いてるぞ。生体反応なし。ガイシャの身元は? すぐに検死官を呼べ。お〜い、呼吸してるか〜??? もしもし、終点ですよ〜……。
 こちらがこういう授業を進め、あちらがビ−玉では名前を覚える機会が生じるはずもない。私の人名記憶能力は低下の一途をたどるばかり。
 しかし、何十人かに一人か二人、ビー玉の群れの中に生気の宿った目を発見することがある。経験上、そういう目の持ち主は間違いなく良い作品を書くのだ。そして私が名前を覚えることになる。何人もの名前を覚えるような年はこちらも教室に出るのが楽しみになる。
 H先生が楽しそうに教えておられた、ということはビ−玉が少なかったのだろう。きっとそうだったに違いない。
 さて、今年はどんなビー玉率なのでしょうか。ねぇ、山田君たち。

2006年3月30日



 「TKバスでは一日に何度でも乗れる便利な“バス一日乗車券”を車内で発売しております。御希望の方は停車中にサービスプロバイダーにお申し付け下さい」
 こんなアナウンスが流れた。
 バス会社もいろいろなことを考えるものだな。そんな切符を売るのにわざわざ一人係りを増やしたのか。新入社員の研修がわりかな、とそれらしい人をさがすが見当たらない。私の他には数人の乗客が無表情に座っているだけだ。
 あとは運転手だよな。
 おい、もしかすると走ってるときは運転手で、止まると、その、何とかプロバイダーに変身する? スピードメーターがゼロになった瞬間、ユニフォーム早変わりで「え〜、一日乗車券はいかが〜」???
 まさかねぇ……。
 運転席の名札をよく見ると、氏名の上の肩書は〈運転手〉ではなく〈サービスプロバイダー〉になっている。このバスはドライバーではなく、サービスプロバイダーなる職業の人が操縦しているわけだ。サービスをプロバイドする、つまり役務提供者である。肩書きからはそれだけしか伝わらない。運転はたしかに役務の一種だが、エンジン整備も役務だ。車内清掃も役務だし、行く先表示板を変えるのも乗車券を売るのも役務だ。ウエイター、ホスト、ピアノ弾き、サックス吹き、物を生産する職種以外はすべて役務提供ではないか。
 じゃあ、運転席に座ってるあんたの職業は何だ?
 私は急に不安になった。運転席にいる人物が運転の専門家だという確証はない。TKバスの制服を着てはいても、内実は一日乗車券を売る役務を提供するだけの奴だったらどうする? バスが暴走して「誰か止めて下さい、実は私、運転専門じゃないんです」と言うかもしれない。「お前は何者だ」「はい、サービスプロバイダーです」

 肩書き、称号は時代とともに変化する。近ごろは時々刻々変わる。油断も隙もない。
 大阪の大手レコードショップJAZZ担当K氏からこんな質問をいただいた。
 「ミュージシャンの方にとって“ミュージシャン”と“アーティスト”というのは同義語なのでしょうか? それとも“ミュージシャン”の上が“アーティスト”なのでしょうか? “ミュージシャン”は、ネガティブで職人的で、“アーティスト”はそうでないとか?」
 K氏がなぜこんな疑問を持ったかというと、最近若い演奏者に褒め言葉のつもりで「あなたは本当の“ミュージシャン”ですね」と言ったところ嫌な顔をされた、ということが立続けにあったのだという。彼等は“アーティスト”と呼ばれたいらしいのだ。
 ありゃま、あらたな〈サービスプロバイダー〉出現か?
 以下、私の答え……

 さて御質問、面白いですね。あまり面白いので今月のHPのエッセイのネタにしたくなりました。
 今まで全く意識したことはありませんでしたが、もし私自身「アーティスト」と言われたとしたら、と想像しただけで背中がムズ痒くなります。
 そもそも、じぶんのやっていることがアートだなんて人に言えません。
 アーティストと自称したとたんにいかがわしい詐欺師になってしまうのではないかと思います。
 アートとはなにか、という問いにはそうやすやすと答えが出ません。
 作品がアートであるかないかは作者ではなく受け取る側が決めることはないでしょうか。Aさんが素晴しいと感動すればその作品はAさんにとってのアートです。しかしBさんにはただの雑音あるいはゴミかも知れません。
 私はミュージシャンですし、もし他の肩書きを選ばねばならないなら演奏家(家というのも御大層であまり好きではありませんが)、いや、むしろ職人、熟練工、あたりが落ち着くかな。
 自分から、「俺は偉大なんだ」「俺は最高、お前ら馬鹿」「俺のやってることはモーツアルト以上、ピカソ以上」という人のCDなり絵なんて買いたいと思いますか?
 というようなわけで、「アート」というのは「神」に近い言葉のような気がしますが、「アーティスト」となると大袈裟、しかも最近は使われ過ぎで相場急落、いかがわしさを通り越して麻原容疑者を思わせる。これが私の結論です。
 私の周囲では、だれも「自分はアーティスト」と称している人はいません。
 今どきの若手とは違う言語感覚かも知れませんから、その点割り引いて下さい。

2006年4月28日



 堀晃画伯から冷凍宅急便が届いた。
 堀さんといえば私の『WAVE III』『MORNING DELUSION』『PLECTRUM』『NAGI』と4枚のアルバムの表紙を飾っていただいている。BAJレーベルにとっては恩人である。
 彼は山口県の日本海側、響灘に面した豊浦という村にアトリエを構え、海に潜って魚を突いたり栄螺を採ったりしながら海中をモチーフにした絵やリトグラフを制作する。都塵にまみれて生活する者から見ると夢のような境遇にいる。
 時折、栄螺や鮑を送ってくれる。醤油と酒で軽く煮ただけでも、うまい。夏の夕暮れにこれが着いてしまったりしたら、どれほど締切に追われていてもビールから始まって焼酎か白ワインへの誘惑に勝つのは難しい。
 う〜ん、梅雨空に栄螺か、今日は締切もないし、日が傾いたら早速、などとわくわくしながら包を解いた。あれ、見なれない箱だぞ。筆太な文字で「しぼりたて」と印刷されてある。しぼりたて? 酒か? え、さとうきびだって?
 手紙と写真が入っている。

 ……この手紙、奄美からです。今回お送りするのは、さとうきびのジュース「しぼりたて」です。シャーベットで食べます。新製品で、もうすぐ市場に出ますが、一足先に佐藤さんにお送りします……
 ……さとうきびはジュースにすると酸化などが急すぎて製品化は無理だといわれていたのですが、友人がシャーベット化に成功、特許……
 ……「しぼりたて」のロゴはぼくが書きました……

 写真には刈り取ったさとうきびの皮を鎌でそぎ落としている堀さんと仲間達の姿が写っている。編笠をかぶっているととても画伯には見えない。ベトナムの農民風。
 そうだった。堀さんはここ何年か奄美にもアトリエを作って往復していたのだ。
 画家の光線や色彩に対する感覚は、音楽でいえば響き、あるいは和音とか、ハーモニーに対する感覚に相当するのかも知れない。
 一ケ所に拠点を定めて制作を続けるのは、同じような響きの音楽のなかにずっと身を置くことと同じなのだろうか。
 堀さんは時々、車に寝具や画材を積んで旅に出る、旅といっても毎日動き回るのではなく、気に入った場所が見つかると何日もそこに留まって描き続けるのだ。ある年末など、雪深い津軽半島に一ヶ月近くいる、というメールが来たこともあった。
 豊浦とは違う光や色が堀さんを呼び寄せるのに違いない。
 奄美に拠点を定めたのは、よほど気に入った光線が降り注いでいるからだろう。
 さとうきびとの接点が生まれても不思議はない。
 豊浦だって陸と海中というふたつの世界を自在に往来してすばらしい作品をいくつも発表しているのに、堀さんの創作意欲はますます拡大の一途である。脱帽。

 さっそく「しぼりたて」を味わってみることにする。
 淡い褐色長さ4cm、高さ2cmカマボコ型のアイスキャンデー状のものだ。さとうきびの香りと素朴な甘さ。子供の頃の茶色いザラメに似た味だが、もっと自然な感じである。
 なんとなく心が和む甘味。いまどきの言葉なら癒し系の甘味、といったところか。
 成分表がついている。100gあたり、エネルギー85kcal、蛋白質0.1g、脂質0.1g、炭水化物21.2g、ナトリウム8.6mg、灰分0.5g、鉄0.16g、カルシウム4.5mg、カリウム165mg、マグネシウム23.4mg、食物繊維0.1g、ギャバ2mg。
 ギャバって何だっけ? 最近耳にするけれど。そうだ、サプリメントの広告かなにかだったな。こういうときはネットで、と……
 あったあった。GABA:ガンマ・アミノ酪酸=Gamma-Amino Butyric Acidの略。哺乳動物の脳や脊髄に存在し、抑制系の神経伝達物質として脳内の血流を活発にし、酸素供給量を増やしたり脳細胞の代謝機能を高める。睡眠中に生成される。従来、血液脳関門を通過できないので、外部からの補給は不可能とされていたが、最近の研究で「通れる」ことがわかり、にわかに注目されるようになったらしい。
 脳の興奮状態をおさえる、血圧上昇をおさえる、中性脂肪の発生をおさえる、肝臓腎臓機能を高める。アルツハイマー系の疾患治療にも有効、とある。
 良いことづくめ。まるで私のためにあるような物質ではないか。
 なにしろ長寿で名高い島の特産品を生のまま食することができるのだ。ギャバのおかげで、堀さんのように、とまでは行かなくても少しはマシな曲の一小節くらい書けるようになるかな?

 そうそう、堀さんの作品を東京で見る機会が近々あるはずだ。7月に銀座の日動画廊で個展が開催される。詳細わかり次第BBSでお知らせします。
*管理人注:版画工房プリントハウスOMにて堀さんの版画作品をご覧いただけます。
      Indexページ右端にある《版画作品》をクリックして下さい。

2006年6月1日



 「最近ホームページの更新がありませんがお元気ですか」というメールがLA在住のT氏から来た。時折覗いてくれているようだ。日頃音沙汰がなくてもHPで安否確認できる時代というのは便利な反面恐ろしい気もする。
 前回エッセイを書いたのが6月1日。もうじき三ヶ月経ってしまうではないか。「あいつ大丈夫かな」と思われてもしかたがない。スケジュールのページはライブ情報だけ。アレンジとかスタジオ作業は載らないのだから。
 6月中旬からのスケジュールを思い返すと、二十年位前のCM劇伴スタジオ全盛期に匹敵する詰まりかただった。ただしツアーが多い。浜松、名古屋、熊本、韓国、新潟、旭川。その合間に都内のライブ、コンサート、アレンジ、曲作り……トリプルピアノTV収録というから前田御大の譜面を弾けば良いのだ、と思って前後の予定を組んでいたら「三人のアレンジ合戦」ということになり、ほとんど徹夜で書いて空港へ出発直前にデータを送信、なんて朝もあったりした。
 学生時代の友人どもは皆リタイア年齢になって、文字どおり悠々自適の日々を送っているのだからもう少し余裕のあるペースにしよう、と日程を組むのだが、いつのまにか隙間が埋まってくる。ま、世の中がまだ私を必要としている証しなのだから有難く思うべきなのだろうが、ここまでになると疲れがたまる。
 疲れがたまると散漫になる。散漫になると思考に空白が生じる。するとどんなことが起きるか。

 7月16日(日)羽田発11:10 ANA643便熊本行きに乗るべく家を出る。ステージ用黒シャツ、黒パンツ、靴、着替え、洗面具などツアー用品一式をスポーツバッグに詰め、ショルダーバッグに手帳、財布、電話、楽譜は入れたな。施錠よし、電気よし、と。
 梅雨明け前なのにやたらに暑いな。駅まで歩くだけでかなりの汗だね。お、一本前のに乗れるぞ。冷房きつ目がありがて〜。新宿で山の手線へ、品川で京急へ。特急は良いな〜、蒲田の次が空港だもんね。そうか、明日も休日だから混んでるんだな。エスカレーター遅いけど時間は充分。のんびり行きましょ。大変だね〜お母さんひとりで大きなトランク持って子供の手を引っ張って。俺は気軽なもんだ。旅の荷物は少ないに限るよ。ショルダーバッグひとつだし……ひとつ…あれ? ……もうひとつバッグ……え〜っ! ど、どこに置いた?
 エスカレーターを逆走して今降りたばかりの京急にとび込み座席を見回す。ない。
 品川駅で待ってるときにホームに置いたまま乗った? いや、改札通ってすぐに電車が来たからそれはない。山の手線? 渋谷で席に座ったよな。たしか電話を取り出して着信調べたからショルダーバッグを膝の上に置いていたはず。バッグをふたつ抱えた記憶はない。
 ということは小田急か。そうだ、冷房ありがて〜、と座る前に網棚に乗せたんだ。
 とにかく小田急に電話しなくては。
 小田急お客さまセンターという電話番号をさがし当て、捜索を依頼する。熊本空港到着後発見の知らせ。本厚木の遺失物センターに回すので、三日以内に引き取るようにとのこと。
 とりあえずひと安心だが、ライブはどうするんじゃぁ? 着替えは?
 そう云いなさんな。忘れたバッグが逆だったら今頃大パニックだぜ。財布にゃカード、免許証だろ、それに電話もない。だいいち航空券もないわけだから熊本に来られない。演奏キャンセル。
 それにくらべればジーパン&スニーカーの演奏も、汗臭いTシャツ着っぱなしの二日間もどうってことないでしょうが。
 着替えなら会場へ行く途中に大きな衣料品スーパーがありますから、そこで買われたらいかがですか。そうか、アフリカやシベリアじゃないんだから店があれば調達できますよね。日本はすばらしい!

 しかし、である。どんな国に行こうがこれまで一度たりとも置き忘れなどしたことのないこの俺が、ド単純なミスを犯すとは。いやはやなさけない。
 もっと疲れて、もっと散漫なときは山ほどあったのに、置き忘れだけはなかった。
 つまり、原因は疲れではないのだ。
 はなはだ不本意ながら2006年7月17日が、わが〈ボケ元年元旦〉であることを宣言する。とほほ。

2006年8月25日



 ロシア人は並ぶ。
 とにかく並ぶ。並んでじっと待つ。行列を見たら何だろうと構わずとにかく並ぶ。
 「あのー、これは何の行列でしょうか」「いや、私も知らんのですがね」、ずっと前のほうの人が「何の行列か確かめる行列じゃよ」。
 ……これは物資不足が続いたソ連時代のジョークである。

 ある店、たとえば肉屋が9時から18時まで営業、となっていたら西側諸国で夕食の肉を朝9時に買う必要はない。が、ソ連は違う。そろそろ夕食の支度を、と肉屋に出かけて行っても店の棚に肉があるとは限らない、いや棚は間違いなく空っぽだろう。
 つまり要るものはできるだけ早く入手しておく、これが常識である。皆が皆こう考えるから肉屋には開店前から行列ができるのだ。
 現在のロシアは'90年代の混乱を脱して西側諸国をしのぐ経済成長の最中、オリガルヒという超富豪やら経済マフィアも出現した。モスクワの中心部はトップファッションに身を包んだOL、ダークスーツにアタッシュ・ケースのビジネスマン、ギャング映画に出てきそうな目つきの鋭い黒レザー・コートの集団などが昼時に洒落たレストランを占拠しているし、大渋滞の車列をながめても、ロシア製のLADAが混じっていなければNYやパリなどと見分けがつかない。
 そういうわけで、もはやロシア人にとって行列は過去のことになったのかな、と思っていたのだが、いやいや、国民性はそう簡単に変わらない。早めに並んでおかなければならない理由が他にあった。
 それは、“いくらかの権限を持った人間の性向”である。
 つまり、役人、○○係(門番でも受付でも会計でも売り子でも車掌でも)など、早い話が他人の行動を多少なりとも束縛できる立場になったとき、それを最大限行使することに喜びを感じるか、あるいはそうすべきだ、と思う……これは人間誰しも潜在的に持っているのかも知れない。日本でも見られる傾向だが、ロシア人にはとくに顕著であるように感じるのだ。
 その一例。
 今回ロシアへ行くについて、ビザを取得するために4回ロシア大使館に足を運んだ。

 一回目。招請元から「8月31日にこちらの外務省から日本へテレックスが届くので、ビザを申請に行って下さい」という知らせが来た。こちらとしては当然ロシア大使館には本国から「この者にビザを発給せよ」という指示が来ているのだから、申請に関する必要書類すなわちパスポート、写真、申請書があればビザがもらえると考えるだろう。
 8月31日、通勤ラッシュの電車と地下鉄を乗り継いで午前10時に大使館着。入口に[窓口は9:30から12:30の間開く]とある。おいおい、たった3時間しか働かないのかよ。
 12時近くになってやっと順番がきた。書類を出すと、「もう一枚あるでしょう」という。「え? これだけじゃ駄目なの?」「そう、ファックスありませんか」「ファ、ファックスだ? あのね、テレックスが本国から来ているはずですよ。そう云われて今日申請するんだから。大体何のためのファックスなの?」「データベースを調べるためのファックスです」「申請者の名前で検索できないの?」「ファックスで聞かないとだめです」「そんなことどこにも書いてないし、用紙がないじゃない」「用紙はこれです」と奥から罫線が斜になった判読ぎりぎり可能なコピーのA4を持ってくる。
 その紙には、【在日ロシア連邦大使館領事部 ビザサポート確認書】とあって、下に

□ 招待状確認済み。ビザは領事部に届いた招待状に基づいて発行されます。
□ 招待状はまだ確認されていません。
□ 招待状をお持ちの方は検討しますのでご持参下さい。

という三項目がある。これに渡航者氏名、旅券番号、生年月日、入国目的、ビザの種類、等を書き込んでファックスし、一番目にチェックが入り、何かの番号と領事かなにかのサインがある返事がきたら改めて出頭(まるで警察だね)するんだそうだ。
 仕方ない。出直すか。
 家にもどり、ファックス。その日は返事なし。そりゃそうだろうな、12:30までしか働かないのだから。返事が来たのは翌日夜だった。「NOT YET」だと。
 またこの用紙をもらいにわざわざ行くのは面倒だ。何か手段があるかも知れない、と「ロシア大使館領事部」を検索してHPを見てみる。すると、査証申請のところに、

[公的機関(行政府、研究機関など)が招待する場合]ロシア外務省の領事局から必要情報がロシア大使館領事部に直接入電されます。この場合、ビザデータに関する情報が入電されているかどうか、あらかじめ所定のビザサポート確認書で領事部にファックス(03-3586-0407)で確認して下さい。確認できたらご記入いただいたファックス番号に返信いたします。申請の際には領事部より送られた「確認済み」のビザサポート確認書を他の書類と合わせて提出して下さい。この確認書がないとビザ申請は受け付けられませんのでご注意下さい!

とあって、用紙がダウンロードできるようになっている。
 いつからこんな仕掛けになったのか知らないが、少なくとも前回2003年に申請したときにはなかった。常識で考えたら、向こうが「来てくれ」と云っているのだから、こちらでそんな面倒なことまでする義務はない。どうしても「行きたい」なら百枚でもファックスするだろうが。となりの窓口に書類を出した紳士は流暢なロシア語を話す方で、どこかの大学に招請されたようだった。こちらも同じことを要求され、きわめて不満げな様子であったところを見ると、確認書というものが要る、となったのは最近のことかも知れない。
 これほど重要なことなら、用紙置き場に査証申請用紙と並べて置き、よく見える所に注意書きを出しておくのが世界の常識だろう。もしかしたらロシア語で書いてあったのかも知れないが日本人でHをエヌと読み、Pをアールと読み、Cをエスと読み、行司の軍配みたいなのがエフで、Rが裏返ったり、コの字が90度ひっくり返ったような文字列を解読できるのはごく少数なのだ。
 腹立ちをおさえてダウンロードし、再度送信。今度は確認済みのところにチェックが入り、何やらサインと番号を書き込んだのが返ってきた。

 で、やっと出頭二回目となる。以下次号。

2006年10月11日



 ロシア大使館出頭第二回。
 9月6日、また通勤ラッシュの電車と地下鉄を乗り継いで六本木一丁目駅へ。
 大使館着10:20。番号札を取る。もう23人待ちだ。あとからも次々と人が入ってきて椅子に座れない人があちこちに立ったり壁にもたれたりしている。窓口のあたりでは前回と同じような押し問答の声。
 今日は呼び出しの間隔がいやに長い。一時間のあいだに10人も進まない。
 ほとんどの人が新聞や本を読んでいて一見平静を装っているが、次第にいらだちがつのってきているのがわかる。時計を見たり、携帯で外と連絡したりする頻度が増してくる。待合室の空気が重苦しさを増す。
 11:55。まだあと8人だ。12:30になったら業務終了なんだろう? 間に合うのかな。
 その時である。
 窓口のほうで何やら声高なロシア語がきこえたとたん、皆が一斉に立ち上がって窓口に殺到するではないか。私もわけがわからないままそちらへ行く。「何だって? どうしたんです?」「なんだかわかりませんが急に窓口が閉まったんですよ」「お〜い、今まで待たせておいてどうするんだよ〜」
 すると前のほうにいた日本人の女性が、「コンピューターが故障したので今日の受け付けは終わりなんですって。ビザを受け取る人にだけは渡すそうです」。おいおい、それを皆に知らせずにそのへんの人間だけに云って勝手に引っ込むなよ。
 基本的に情報は公開しないというソ連時代の国柄はなんら変わっていないのだな。
 1980年晩秋の記憶がよみがえる。ドイツのドナウエッシンゲン・ジャズ祭出演の帰途のことだ。旅日記を引っぱりだしてみる。

*10月28日(火)晴
 フランクフルト空港で偶然トロンボーンのアルバート・マンゲルスドルフに会ったり、富樫さんの車椅子をワンフロアー分スムーズに動かすためにリフトを使おうとして揉めたり、搭乗するタラップを上がる前に、機体脇にずらっとならべられた(とっくにチェックイン済みのはずの)荷物を、「これとこれが私のです」といちいち確認させられたり、といろいろな出来事のすえやっと出発。次はモスクワに降りるもの、と思っていたらレニングラード(現サンクロペテルブルグ)に着陸。外は粉雪が舞っている。
 全員降りろ、と云われてターミナルへ。パスポートコントロール前の廊下とも部屋ともつかぬスペースで40分ばかり待たされる。むろん立ったままだ。そこへ小さな茶色の手帳を持ったやつが入ってきて、これと、パスポート+航空券を交換せよという。そんなバカなことがあるものか、と皆で抗うが結局従わされ、脇の薄暗い部屋に入れられた。手帳にはロシア語と英語が書いてある。滑走路のほうからのあかりでどうやら読む。いわく、「これはヴィザではない。常に携帯すること」だと。パスポートの預かり証なんて文句はどこにも見当たらない。
 二時間ほどでやっとあかりが全部灯く。といってもあちらにポツン、こちらにポツン、ラーメン屋の屋台程度の明るさだ。
 そのうちに別の日本人の一団が違う階段から入ってくる。東京からモスクワ経由パリへ行く人たちだ。どういうわけかモスクワを素通りしたのだという。椅子は当然足りない。年配の方や女性に譲り、男どもはしゃがんだり新聞を敷いて座ったり。
 トイレへ、と入って来た扉から出ようとすると、銃を持った迷彩服姿の男に止められた。ここから出てはいかん、と云っているらしい。トイレはどこだ、というと黙って顎をしゃくる。別のドアから出ろ、なんだろうな、きっと。
 約6時間のあいだにミネラルウオーターの瓶がやっとひとり1本ばかり配られた。
 滑走路には雪が降り積もり、ロシア語と英語(と判断すべき)アナウンスが時折聞こえてくる。雑音が入ったりしてまとまったセンテンスにはならないが、どうやら「モスクワ雪のためなんとかかんとか」と云っているようですね、と見知らぬ同士が情報を組み立てる。
 なんの案内もなしに突然皆が機内へ行きはじめる。たぶんドア近くの人だけが何か云われたのだろう。あとの伝達はお前達でやれ、ということか。我々も、パリ行きの人たちもごちゃまぜでモスクワへ。機中お茶も水も出ず。飛行一時間半。
 モスクワではさらに二時間待たされた。
 共産党支持者だろうが社会党支持者だろうが、マルクス・レーニン崇拝者だろうが、これでは世界中反ソになって行くに違いない。くたばれソ連。くたばれアエロフロート。

 ……なんてことが書いてある。それから10年、希望通りソ連崩壊、体制は変わったが国民性は? 断固不変なのでありますよ。
 というわけで、第二回目も無駄足。翌週第三回目にてやっと受け付け。一週間後第四回目で受け取り。やれやれ。

 10月29日12:00発SU576便。機中で入国カードが配られる。こいつに記入するのは大体どこの国でも同じような事項──名前、生年月日、性別、パスポート番号、国籍、渡航目的──だろうからどうということはないが、項目がすべてロシア語ときたもんだ。フツーの国だったら少なくとも英語併記くらいはするもんだぜ。ロシアに来るやつはロシア語の読み書きができなくてはならぬ、というのならビザを発給する前にロシア語検定を義務づければ良い。そうすればロシアへ行く人間は激減するだろう。観光やら交流やらで少しでも外貨を稼ごうと思うなら、少しは考えんかい、オメーラ。
 ぶつくさ云っていたら、「日本語版機内誌オーロラの31ページを見てください」だと。

〈ロシア連邦への入国手続きについて〉
■TRANSLATION OF TERMS FORMS / 入国カードにロシア語で記載されている質問事項
  1. FAMILY NAME / 名字
  2. FIRST NAME / 名前
  3. PATRONYMIC / 父称(日本人は記入の必要ありません)
  4. ……

 機内誌はアエロフロートのサービスだ。入国カードはロシア外務省の書類だ。アエロフロートという別企業がこのページを印刷する手間を省いてしまったら外務省はどうするのだろう。アエロフロートは外務省に命令されてこのページを作っているのか。そうでないとしたら役人の権限拡張本能がこのことだけに働いていない。入国書類を英語併記にするだけで、書き込む際いちいち機内誌を開くこともないし、アエロフロートも記事を1ページ増やせるのだ。誰にとってもすっきりすることをなぜやらないのか。意図的に非効率を保持しているとしか思えない。

 MOSCOW着17:40。東京との時差5時間。飛行時間10H20M。
 悪評高い入国審査へ。一つの列に十人内外、と一見すぐに通れそうだが予想通り一人ずつに要する時間が長い。そのうえ例によって隣の窓口が突然閉じて、その列の人たちがこちらになだれ込んできたりして結局1時間ばかりかかる。
 迎えの車に乗り、駐車場から公道へ出たとたんに大渋滞。高速への合流に30分。市内へ入ってもクレムリンへ向かう片側5車線(5車線ですぞ)の道が動かない。とりあえずの目的地、今回演奏する会場、DOMに着いたのが21時。
 この先、さらにいろいろ驚くことが起きるのだが、すべてバラしてしまうと当事者に不都合だったりするので、少し時間をおいて書くことにしよう。
 あ〜疲れた。

2006年10月31日



 「お前らも検査しといたほうが良いぞ。早く発見すりゃ軽いんだから。俺を見ろよ。一週間もかからずにもういつも通りだ。別に恥ずかしがるこたぁないよ。むこうはそれが専門なんだからさぁ」
 大学同期のTが大腸を10cm切って無事生還した。
 早期発見で大事に至らなかったものだから、仲間に検診をすすめることしきり。
 そうだよな、そろそろそんな年齢だ。あいつに見つかったのだから俺達にもある可能性大ってわけだ。皆で渡れば恐くない、か。この際だ、やってみることにしよう。
 というわけでN、A、Aのかみさん、K、Mなどと連れ立って受診することになった。
 こちとら自慢じゃないが医者嫌い、家人親戚友人の懇請にもかかわらずここ25年間健康診断なるものを受けていない。病院へ行くとオーストラリア人になる、と信じているのだ。え? おわかりにならない? つまり“I go to the hospital to die”(todayのつもりがto die になってしまう、ということだ)。
 なので、いざ行く、となるとどうにも気が進まない。「その日はオレどうしても都合がつかない。次の週なら空いてるけど。皆さんお先にどうぞ」と謙譲の美徳を発揮する。夕方になってNから電話あり。「今日は血採るだけだった。本番は一ヶ月後だ。すぐ済んだからお前の日、予約しといてやったぞ。来週、28日空いてるって云ってたから。その日に行って検査日は自分で決めろ。じゃあな」「………」
 城の内濠も埋められてしまった。もう後へは引けぬ。
 8月28日、重〜い気分で麹町のOMクリニックへ。
 採血、問診して《決行日》を予約する。一ヶ月後はモスクワへ発つ日だ。その次、となると10月27日朝9:40なら、という。朝早いですが大丈夫ですか? ええ、朝は得意です。では、とA4くらいの紙袋でプラスチック・パウチ(中に白い粉末が入っている)と目薬くらいの小ボトルと注意書きを渡される。「腸の中をきれいにしていただくためのものです。お家を出る4時間前から準備して下さい。お宅からここまでどのくらいかかりますか?」「40分、余裕を見て50分かな」「では4:30からですね」
 9:40に麹町なら行ける、とは云ったがその4時間前だと? いきなりワナにはめられた感じ。しかし仕事に追われれば4時だろうが3時だろうが起きる俺様だ。ここで退却したら男が廃る。「はい、わかりました」と毅然と答えた(つもり)。
 注意書きはこんな具合だ。

【大腸内視鏡検査を受けられる方へ】−マグコロールPを自宅で飲む場合−

大腸内視鏡検査は、内視鏡により大腸の中を観察し、腸の病気やポリープなどを見つけるために行う検査です。大腸の中がきれいになっていないと、検査に時間がかかったり正確な診断が出来ないばかりでなく、検査が受けられない場合があります。大腸の中をきれいにするためのお薬(マグコロールP)をお出し致しますので、以下の説明をよく読んで検査当日の朝に自宅でお飲みください。

[検査前日]

  1. 食事制限:朝、昼、夕三食摂って構いませんが、以下の食べ物や繊維質の多いものは、避けてください。
    ネギ、ワカメ・コンニャク・キノコ類・ゴマ・キウイフルーツ
  2. 午後10:00〜12:00(御就寝前):ヨーピス液(10ml・緩下剤)をコップ1杯の水(約180ml)に溶かして飲んでください。以降、禁食ですが水分(水・お茶・スポーツドリンク)は摂っても構いません。

[検査当日]

  1. 血液凝固阻止剤等特殊な薬剤(アスピリン・バファリン・パナルジン・ワーファリンなど)、インスリンあるいは経口血糖降下剤で血糖をコントロールされている方は内服しないようにしてください。
  2. 朝食は食べないでください。出発される4時間前からマグコロールPを飲み始めてください。

■マグコロールPの溶かし方と飲み方■

[溶かし方]

  1. 容器のキャップを開封し、約500ml(500の目盛)の水を入れてください。
  2. キャップを閉め、上下によく振って粉末を十分に溶かしてください。
  3. 全量が1800ml(1800の目盛)になるまで水を追加してください。

  ※前日の夜から冷やしておくと飲み易くなります。
  ※この薬はジュースのような味がしますので、小児の手の届かないところに保管して
   ください。

[飲み方]

  • 200ml(コップ1杯程度)ずつ約1時間かけて全量を飲んでください(途中で便意を催した時は排便し、引き続き全部飲んでください)。
  • 1杯ごとに、次の症状がないことを確認してから次の1杯を飲んでください。顔が青ざめる、吐き気、吐く、めまい、寒気、じんましん、息苦しさ、顔のむくみ等──症状が出た時は飲むのを止め、クリニックまでお電話ください。飲みはじめて30分から1時間後に最初の排便が起こります。その後数回(5〜8回)にわたって液状の排便があります。排便回数とともに固形→泥状→黄色の水様に変化していきます。にごりがなく、うすい黄色(尿の色くらい)になったら腸の中はきれいになっています。

 検査前日は新宿ピットイン。終演が11時近くになる。ヨーピス液とやらを10〜12時に飲めということだが、家に帰るのは12時をまわるから、ピットインで服用? しかし外で下剤を飲んで大丈夫か? 小田急線のなかで催したらまずいではないか。いつもなら終わってからメンバーで「お疲れカンパイ」をするのだが、こいつを省略して急いで帰れば間に合うかもしれないな。
 10時以降は絶食・禁酒だから、と開演前にしっかりワインつき食事をしたうえに帰宅を早く、という潜在意識のためかリハーサルから気合いが入る。
 「今日やたらハイになってない?」「明日初体験だから興奮状態なのかも」「ええっ? 管を挿入?そりゃ大変だ。それで趣味が変わるよ。次回はピットインじゃなくて向いのクラブだったりして(向いのクラブとは、同じフロアのゲイ専門の店のことデス)」
 早く帰りたい日にかぎって珍しい人に会うもので、客席に白鬚の巨漢がいる。「マザヒコ・ザトー、do you remember me?」……ドイツENJAレコードのプロデューサー、Horst Weber氏である。実に25年ぶりくらいの再会。せっかく会ったのに明日病院で検査なんだ、ゴメン。山ほど話はあるのに、と後ろ髪を引かれつつピットインを出る。
 タイムリミット5分遅れで家に着く。すぐにヨーピス服用。
 パウチに水を入れ、粉末を溶かし、指示通りに1800cc作る。冷蔵庫におさめ、目覚しをセットして就寝。

 こういう朝はどういうわけか目覚しが鳴る直前に目がさめる。寝る前の緩下剤が効いたのかマグコロールを飲む前にまず1回目のトイレ行き。パウチを机に置きコップを片手に書きかけのアレンジにとりかかる。しかし1800ccといえば一升瓶1本だ。一時間でそんなに飲めるのかいな。酒ならともかく。
 少し柑橘系の香りのするスポーツドリンクのような液体を、ゆっくり飲み続ける。次第に胃が満杯になってきて、背中のほうまで冷たさがひろがり、う、もう少しすると吐き気になるかも、と心配になる。そのうち冷たいものがみぞおちから腹部へ入って行くのがわかる。やっと腸へ通じたようだ。第2回5:30、そこからは(3)5:50(4)5:15(5)7:00と順調に回を重ね、少し濁りはあるがほとんど水状態になった。
 この状態での「催し」はやっかいである。通常の便意とはちがって、ほとんど予感がない。あ、もしや、と思ったときに急いで駆け込むと、座るや否や蛇口をひねったような勢いで噴出するのだ。ブレーキ不能である。
 (5)を終了したところで突如ひどい睡魔。ソファーに横になる。
 ほんの数分だと思ったら8:30ではないか。最低6回は催すはずなのに5回でもう出かける時間だ。急いで(6)を済ませ駅へ向かう。
 寝不足と腹中無一物で相当ヨレるかと思ったが、意外にも体が軽い。朝日を浴びて心地よく歩く。断食をすると爽快だというが、この感覚なのかな。
 しかし半蔵門前からクリニックへ行く途中で(7)到来の気配。これは焦ります。
 必死に肛門を締めて到着、ただちに駆け込む。
 名前を呼ばれて処置室へ入ると看護師さんに「トイレは済ませましたか」と聞かれる。そう云われると多少不安になり、気配なしのまま試みると、まだ結構な量が残っていた。(8)9:40で洗浄完了。
 紙おしぼりのような不織布のシャツとトランクスのようなものを渡される。「下のはスリットが後ろにくるように穿いて下さい。緊張をほぐすために軽い麻酔を点滴します。モニターで同時にご覧になりたければ眼鏡をかけたままで構いません」などと指示されてベッドに左側を下にして横になり、両膝を抱え込む体勢になる。
 点滴しばし。「少し眠くなってきましたか?」「いいえ全然」「そうですか、お酒強いんですね」「いえ、それほどでも」
 やがてO先生御入来。我が国屈指の内視鏡専門医である。
 「では」といとも軽く開始。すぐモニターにピンク色のトンネルが映る。管の先から空気を出して腸を膨らませつつカメラはどんどん進んで行く。途中小さな巣穴の入口のようなものが見える。「これはケイシツですね」「ケイシツって何です?」「休憩の憩に部屋と書きます。腸壁が風船状に外側に出ているのです」「へえ〜」「ここが大腸の終点です。あ、小さいポリープがありますね。検体を採ります」というような会話をしつつ15分ほどで終了。
 結果は4mmの無茎性ポリープ1、憩室3 だった。
 この大きさのポリープ(生検の結果が良性であることが前提)が癌化する率は2.6%だそうだ。癌になっても内視鏡での切除で充分。
 憩室については炎症が起きても絶食、安静、抗生物質の投与でほとんど治る。まれに破れて腹膜炎になることもあるらしい。
 ということで、一応安全圏だと言えるか。
 11月9日の病理組織検査の結果は〈良性〉。「憩室は見守っていれば心配ありません。また来年検査しましょう」ということで無罪放免、その後ピットイン向かいのクラブへ足が向くこともなく、これまで通りと変わらない日々を送っている。趣味の変化を期待された方々、ザンネンでした。

2006年11月30日