本欄もめでたく21世紀を迎えることができました。ひとえに諸氏御愛読の賜物と心から御礼申し上げます。 勝手ながら“赤もの”辞退申し上げます。 昨年はふたりの先輩の還暦コンサートをお手伝いした。6月の富樫雅彦氏、10月のコルゲン鈴木宏昌氏。どちらも盛大かつ感動的な会だった。
このような理由で、2001年10月6日には何のセレモニーもいたしません。また、まことに勝手ながら“赤もの”は固く固く辞退いたしたく、再度お願い申し上げ候。 恐惶謹言。 |
【初出:『JazzLife』2001年1月号】 |
私の六巡目の巳年がやってきた。 ともかく巳の字形がなんとなく蛇のようだから昔の人が流用したのかもしれない。 わたしがまだ一巡目だったころは、東京の真中でも時々ヘビがいた。中目黒の我が家の庭で青大将を見かけたことも再三あった。木の枝に抜け殻が引っ掛かっていたのを取ってきたら、祖母が「これを入れておくとお金に困らないんだよ」と切れ端を大事そうに財布にしまいこんだのを覚えている。 |
【初出:『JazzLife』2001年2月号】 |
朝、目覚めにふと壁を見たら、右の隅に半透明な黒い糸屑のようなものがいくつか張り付いている。 ん?何だろう。 よく見ようとするとそいつらはもっと右の方に行ってしまう。 左を見ておいて急に目玉を右に動かすと、一瞬視野の中入ってくるのだがすぐに水中をただようように右にふわりと逃れる。 左目を閉じて、右目だけにしても見えるのだから、右の眼球の中のことに違いない。 透明な、寒天の粟粒みたいなものはずっと以前から左右の眼にひとつふたつあるが、空や真っ白いものを凝視するのでなければ気にならない。しかし今日のは黒い。 痛くも痒くもなし、読み書き演奏運転には何の支障もないから放っておいてもよいようなものだけれど、いつも右後ろのほうに何かの気配がするというのが気になる。それよりも「黒い」のがあまり感心しない。もしかして眼底出血? 高血圧家系なのに何の検査もせずに今まで放っておいたツケがまわってきたか。 少し心配になって『家庭医学百科』を開いてみる。 硝子体混濁=飛蚊症(ひぶんしょう)。加齢により網膜から硝子体がはがれること(硝子体剥離)によっておこる。40代以降では網膜裂孔によることが多いのでかならず眼底検査が必要である。…よくわからんが要するに眼の玉と感光フィルムがはがれた、で、眼の玉のほうにフィルムの一部が貼り付いてしまって、穴が開いているかもしれないから、一度フィルムをみてもらえ、というのだろう。 えーと眼科、と。そうそう、ジャズ好きの友人に二人いたっけ。 いつも酔ってるところしか知らないから腕前のほうは不明だが、あぶない噂がきこえてこないところを見ると、ふたりとも大丈夫だろう、なんてね。これはここだけの話。 私の音楽が好きなドクターはみな名医なのです、実際。 それはさておき、暮も押しつまったころO博士からtelあり。「佐藤さん、糸屑はその後どうです?」「だいぶ黒い色が薄くなりましたがまだ居ます」「28日お暇だったら、その日で病院はおしまいだから診てあげましょう」 恐る恐る病院へ出頭。 院内のO博士は、ライブハウスで飲んでいるのとはまるで別人。威厳あり、慈愛あり。いやー、見直した。これなら安心して目玉を預けられる。 事前に看護婦さんが視力、眼圧の検査をする。このあたりは眼鏡店での検眼と同じだ。 「これから瞳孔を開く薬を点眼します。開いた瞳孔がもとに戻るのに3時間ほどかかりますが、今夜の御予定は?」「6時から忘年会がひとつありますけど」「そういうのだったら大丈夫でしょう。ま、多少字が読みにくくなるかも知れませんが」 小型の投光器を手にしばし目玉の奥を覗き込むO博士。 真っ暗な診察室で、眼の中に細い光が差し込む、というのはかつて経験したことがない状況である。なんだか脳の内側を見られているような気になってくる。考えていることが網膜に裏返しの映像で映っているのを読んでいたりして? 「網膜も血管も大丈夫です。眼底は血管を直接眺めることのできる唯一の場所だから、ここを見るとその人の全身の血管の状況がほぼわかる。佐藤さんはまあ年相応の動脈硬化はあるが、まだ心配ない」という御託宣。 医者に行くのをためらっていたことのひとつが、「こりゃ大変。重症。今日からただちに禁酒、カロリー制限、あれはダメ、これはダメ」と言われるのではないかという恐れだったから、新世紀を前にしてひとまずメデタシ。 O眼科を出て夕陽の中を駅へ向かう。 夕陽?・・・何なんだこれは? 街は白色光の洪水である。ビルの輪郭は天空から押し寄せてくる光に侵食されて線だけが残り、壁は灰色の発光体になっている。半透明の人間が乳白色の靄のなかから次々にあらわれる。着ている服の色はすぐそばを通り過ぎるときだけ判別できる。それも皆なにやら光沢のある素材のものばかり。 車のブレーキランプ、信号灯、ネオンサイン、光を出すものからはすべて巨大なウニか栗のように輝くトゲが放射状に出ている。不思議なことに蛍光灯だけはトゲがなくそのままの形だが、青みがかった冷たい色だ。 足は確かに舗道を踏んでいる。耳に聞こえる街の音もなんら変わりないはずなのに、こういう光景のなかに放り出されると徐々にこの世から離れて行くような気がする。臨終の時に瞳孔が開くけれど、あちら側へ渡るときはこんな光景が見えるのだろうか。 だとしたらなかなか心地よいものである。電車に乗るのが惜しい。しばらく街をあてどもなく歩き回ることにする。 瞳孔拡散剤。薬品名をミドリンという。 以前、胃カメラを飲む前に、看護婦さんが口中に含ませてくれたゼリー状の薬が徐々に喉を無感覚にして行ったのもかなりなものだったが、今回のはそれを数段上回る。 発想が壁にブチ当ったら、ミドリン一滴。野山を徘徊する、なんてどうでしょう、O博士。 それこそ、ここだけの話ですが。 |
【初出:『JazzLife』2001年3月号】 |
「おや八っつあん、今日は帰りが早いな」 「あ、御隠居。いえね、仕事じゃねぇんですよ。満腹寺でビワくれるってえから行ってみたら、とんだビワちげぇでさ。坊さんがベベンベンベンて琵琶弾いてなんだか辛気くせえフシうなってやがるんで。腹へったからけぇってオマンマ食おうってぇ…」 「ほほう、琵琶法師か。いまどき珍しいな。して、何を語っておったのじゃな。」 「どうもあっしにゃよくわからねえんですがね、なんでも熊谷さんてえのとナオザネさんと次郎さんが、敵の大将が海に行くのを呼び戻して討ち取るような話みてえなんで」 「ああわかった、それは『平家物語』じゃ。こういうものではなかったか。エヘン、ウウ〜、戦破れにければァ〜、熊谷の次郎直実ェ〜、平家の公達助け舟に乗らんと、汀の方へぞ落ち給うらん。哀れ好からう大将軍に組まばや。とて、磯の方へ歩まする處に、練貫に鶴縫うたる直垂に、萌黄匂の鎧著て、鍬形打たる兜の緒をしめ、金作の太刀を帯き、切斑の矢負いィィ〜…」 「そうそう、そんなお経で」 「これは経文ではない。熊谷の次郎直実が平の敦盛を討ち取るという、名場面のひとつだな。直実は自分の息子と同じ位の若者の首を取らねばならぬことになって、世の無常を感じ、その後出家してしまう。」 「ふ〜ん、で、のこりの熊谷さんと次郎さんはどうなったんで?」 「熊谷と直実と次郎ではない。熊谷の次郎直実。これでひとりの名だ」 「へぇー、てぇそうなもんだね。一人で三つも名前があるんで…。あっそうか、ぐぇえが悪くなると名前を変えて逃げ延びようてんだな。とんだ悪党だ。」 「ばかなことをいう。これは名乗りと言ってな、武将は自分の領地とか住んでいる土地を名の前につけたのだな。武蔵の国熊谷というところの領主、次郎直実、ということじゃよ。武士ばかりではない、侠客などにもある。清水の次郎長とか、森の石松なんていうだろう。昔はそういうふうに『の』を入れたもんだ。」 「なぁるほど。誰でもそうだったんですかい。」 「まあたいがいはな。」 「ミュージシャンでも?」 「もとはそうじゃ」 「じゃ聞きますがね、マイルス・デビスはどこに住んでたんで?」「舞鶴じゃな。舞鶴のデビスが本当の名乗りだ。それが次第に変化してマイルス・デビス」「オスカー・ピーターソンは?」「大塚のピーターソン」「エド・シグペンは?」「江戸のシグペンじゃ」「チャーリー・パーカーはどこです?」「これは場所ではない。彼はもと槍の名人だ」「へ?槍ってあの長い?」「うむ。血槍のパーカー」「へぇぇこりゃ驚いた。じゃ、ディオン・ワーウイックは?」「京都の舞妓だったな」「えーっ、なんで?」「祇園のワーウイック」 「なんだか怪しいな。御隠居はひとをからかうときはすぐわかるんだよ。鼻の穴がふくらむから。まあいいや。キース・ジャレット」「和歌山の出身じゃ。紀州のジャレット」「チック・コリア」「長野県は小諸付近であろう。千曲のコリア」「千曲川たぁ気がつかなかったな。ウイントン・マルサリス」「彼は人嫌いでな、山野に隠れ住んでおった世捨て人じゃ」「へぇ?」「隠遁のマルサリス」 「おやおや。デューク・エリントンは伯爵だったてぇのは本当ですかい?」「いや、そんなものではない。あれはお前と同業だな」「大工?」「うむ、大工(でぇく)のエリントン」 「御隠居、今日は冴えてるね。バッド・パウエルは?」「居合いの名人、抜刀のパウエル」「ジョー・ザビヌル」「夢想流杖術じゃな。杖のザビヌル」「チャック・イスラエル」「沖縄出身空手何段とか言っておった、ヌンチャクのイスラエルじゃ」「どんどん行きやしょう。ロン・カーター」「これも沖縄。与論のカーター」「ナット・アダレイ」「茨城県水戸の納豆・アダレイ」「じゃ兄貴のキャノンボール・アダレイ」「背中一面にイレズミがあったな。観音彫りのアダレイ」 「ボーカルはどうです。サラ・ボーン」「品川出身、伊皿子のボーン」「ちょっと苦しかったね。カーメン・マクレェ」「この人は唄はうまかったがついに運転免許とれずじまいだったな。仮免のマクレェ」「こりゃ参ったね。じゃ、エラ・フィッツジェラルド」「顎の形に特徴があったな。鰓のフィッツジェラルド。ところで八っつあん、吉祥寺からはすぐれた人材が輩出しておるが御存知か?」「へぇ、初耳ですね。誰です?」「ざっと見渡して、吉祥寺のガーシュイン、吉祥寺のベンソン、はっはっは…」「自分でウケてら。呆れたねどうも。ゆうべ何か変なもの食ったんじゃないの、御隠居。じゃあアレンジャーで、クラウス・オガーマン」 「お前さんもなかなか詳しくなってきたね。結構結構。クラウスね。クラ、ウス、と。」「倉と臼ですかい?」「違うな。暗牛じゃ。暗闇から牛を引き出したような、という。一見ボーっととらえどころのない人物なのじゃろう。以前大平首相というのがこう呼ばれておったな。」「どうだかね。ギル・エバンスは?」「矢切りのエバンス」「演歌だね。それではハーブ・ポメロイ」「城が島は波浮のポメロイ」「イバン・リンス」「これは絶倫モテモテ男だな。毎晩のリンス」「うぷっ、こいつぁ良かった。ステファン・グラッペリは?」「こいつはちょっとした詐欺師だったかもしれん。」「へぇ、そりゃまたどうして?」「契約書を書き換えてしまうという手口だな。捨判のグラッペリ。お前も気軽に捨印、捨判を押さんようにな。」 「へぇ、気をつけます。マッコイ・タイナーなんざどうです?」「群馬県妻恋のタイナーだな」「ツマッコイ・タイナーですかい。鍵盤に指がひっかかってるみたいだな。ガトー・バルビエリなんて人がいますね?」「これは幕府の役人だ。火つけ盗賊改め方の与力、つまり長谷川平蔵の同役。火盗のバルビエリ」「池波正太郎とは気がつかなかったね。ソニー・ロリンズ」「なんでもすぐに訴え出る癖があったのだな。訴人のロリンズ」「コルトレーン」「猫舌で燗酒が飲めなかったな。常温のコルトレーン。おやもう陽が落ちてしまった。最後にひとつオシャレに〆めよう。麝香のパストリアスなんてどうだい?ふぁっ、ふぁっ」 「なんだかうすら寒くなって来やした。ヘークション…さ、さいならっ」 |
【初出:『JazzLife』2001年4月号】 |
渋谷から国道246号線を通って二子玉川まで行く路面電車があった。 その一。車輌全体が広告になった。 その二。車輌一編成ずつ塗色が違う。 その三。車内放送。 車椅子の人たちが三軒茶屋や下高井戸へ気軽に出て行けるようにしたのだから文句をつけるな、という気持ちで自分達の勝手な発想を押し付けられるのだったら、多少の不便や寒暑は我慢するからもとのままにしておいてくれた方がまし、ということにもなりかねない。「がんばれぼくらの世田谷線」というHPがあるが、いまのところ300形にそういう声援を送る気になれないオレは単なる懐古趣味の偏屈オヤジかな。 |
【初出:『JazzLife』2001年5月号】 |
「車を洗うと雨が降る」。 さて、私は20年以上前に作ったタキシードをいまだに着ている。ということは体型がそれほど変わっていないのである。主たる局面は例のトリプルピアノだ。 |
【初出:『JazzLife』2001年6月号】 |
ほぼ一ヶ月ぶりにシャバに出た。 最近は細かい音符を書くのが面倒になって、ビッグバンドやオーケストラのアレンジはなるべくお断りすることにしている。南の島か山あいの草原で、うたた寝をしながら過ごすのを理想的生活と思っている私であるからして、何十段なんて五線紙など見ないで暮らせるものならぜひそうしたい。 全十四曲。 |
【初出:『JazzLife』2001年7月号】 |
祝JAZZ LIFE誌復刊! さて、JAZZ LIFE廃刊(と、当時は誰もが思った)の報が伝わると、いろいろな方面から「残念だ」の声があがった。なかでも地方在住のジャズ・ファンから「東京や大阪にでかけるとき、どこのライブハウスへ行ったら良いかを知る唯一の手がかりだったのに」というメールをいただいて、そうか、迂闊だったな、と虚を突かれた思いがしたものである。
いやー、なかなか難しいものだ。売れ筋に沿えば読者もそれなりの層になって行き、おそらく部数が増えるだろう。が、音楽のためにある雑誌、という理想からはかけ離れて行く。理想を追おうとするとスポンサーが逃げる。スポンサーに忠ならんと欲すれば音楽に孝ならず。広告収入と記事内容。あたかも磁石のN極とS極のように互いに反発する両者をバランスさせるのは並大抵のことではない。 |
【初出:『JazzLife』2001年12月号】 |