1998.10.13
高田みどりさんのソロアルバム
佐藤作品ばかりを弾いていただくという、じつに作曲者冥利につきるCD!
ゲストに二胡(胡弓)の姜建華(ジャン・ジェン・ホァ)さんを迎えて1995年に国立劇場の委嘱で書いた『二綾楽(ふたあやあそび)』も録音しました。そのほかは書き下ろしを三曲、みどりさんお気に入りの<タン・テヤー>という構成です。
発売は来年1月の予定。乞御期待。

1998.11.10

三人のウラジーミル
ロシアのフリー・インプロヴァイズド・ミュージックの中心的存在、ウラジーミル・レジツキー(sax)、ウラジーミル・タラソフ(ds)のふたりに、ロンドンで作曲家としても活躍しているウラジーミル・ミラー(p)が加わったトリオが10月8日に来日して、横浜ジャズ・プロムナードを皮切りにいくつかのコンサートを行いました。
ロシアのジャズ・シーンの情報は、日本にほとんど入ってきませんが、一昨年若くして亡くなったセルゲイ・クリョーヒンをはじめとして、非常に水準の高い演奏家を多く輩出しています。
私は1992年にモスクワのはるか北、白海に面したアルハンゲリスクのフェスティバルでレジツキーとタラソフの演奏を聴いて以来、いつか共演するかアルバムを作りたいと思っていたので、この機会を逃さず<BAJレーベル>に足跡を残してもらうことにしたのです。ウラジーミル・トリオの『√3(ルート・スリー)』、タラソフ〜佐藤のデュオにローレン・ニュートン(voice)がゲストで参加した『SONATINA』。この2タイトルは来春同時発売の予定です。

落語
この間、私がおしゃべりをしているミュージック・バードの番組で、落語のバックにジャズを流したらどうなるか、という実験をしました。志ん生とミュートのマイルス、金馬とロリンズ、あたりは至上の組み合わせ。これは笑える。一度やってごらんなさい。
突然ですが、いま私が注目しているのは古今亭志ん弥さん。このひとはこのまま行くてぇと大名人になりますよ。

1998.11.13
允彦三昧
10月9日、都内では初のソロ・コンサートでした。(今までやったことがなかったというのが自分でもちょっと意外)。たくさん聴きに来て下さってありがとう。
こじんまりした響きの良い会場で、スタインウエイの9フィート、つまりフルサイズのコンサート・グランドピアノを弾くのは幸せな気分です。

余韻が豊かなので、次の音まで存分に待てる。低音部のハンマーに伝わってくる弦の反発力が心地よい。バットの芯で球をとらえてスタンドへ運ぶ瞬間はもしかしてこんな感じなのだろうか。9フィートを弾くことはいくらでもあるのだけれど、会場の大きさとか聴こえかたで印象がずいぶん違うのです。ソロだとなおさらなのだ。
こりゃ病み付きになるわい、と思いつつ弾いてました。またやるぞ〜。(Photo by SHIRAISHI Chieko)

1999.01.13

お正月
年末に風邪を引いて一日寝込んだために、年賀状を元日に書くという、考えてみればこれほど当たり前なことはない上々の滑り出し。
ついでに、昭和の落語界の隆盛をもたらした名人達、円生、文楽、志ん生とそれに続く現代の名人、志ん朝、小三治の出囃子をつなげ、イントロに前座の上がりを加えた<出囃子メドレー>を書いて今年第一作としました。どこかで御披露したいのだが、ふつうのコンサートだとヒンシュクものかも知れないので、ことによると忘年会シーズンまでお預けかな。

ランドゥーガ
Part1
 昨年11月、下関市長府功山寺でのランドゥーガは、アマチュア、セミプロ、プロ合わせて50人の試みでした。大成功だったと思います。次回は、会場でいろいろ手伝って下さったスタッフや地元の主婦の方々にも、楽器ばかりでなくナベ、釜、フライパンなど叩いて音の出るものなら何でも持って参加していただいたら一層盛り上がるでしょう。
Part2 12月にはランドゥーガ・ワークショップのCDレコーディング完了!大編成2曲と小編成6曲。参加者全員機会均等を目指したつもりですが、設定の関係で損な役回りになってしまった人もいるはずです。ただし、こういう前代未聞の試みは、私にも予測不可能なことがたくさんあります。徐々に改良して行って、誰でも楽しめる即興演奏の形を作りたいと思っておりますので、長い目で見て下さい。

1999.03.05

古い譜面
先日譜面のファイルを整理していたら、20年前のアレンジの下書き、つまりスケッチが出てきた。
世の中の大抵のアレンジャーは、アイデアが浮かぶと直接スコア用紙に書くものだが、私は不器用と言うか、優柔不断と言うか、一度便箋状の五線紙にスケッチしてみないと始まらないのだ。だから仕事が遅いのだけれど、それだけ良心的と言えないこともない。
下書きはスコアにした段階で捨てられるが、そのまえに裏面がメモやファックス用紙として二度のお役に立つことになる。だから、最終段階になるまでにどういうことを考えたか、はほとんど残らないはずなのだけれど、たまにスコアの間にはさまったりしたやつが、何年も経って再び陽の光を浴びたりするわけである。
件のスケッチには、スタンダード曲にいろいろと別のコードをつけるべく考えた形跡が残っていて、当時としてはなかなかの力作だったに相違ない。しかし、現在の私のコード感覚とはずいぶん隔たっているのだな、これが。はやい話が「うん、気持ちはわかるが青いんだよお前は」「そう力まなくったって」と言いたくなる。
こういうものを演奏しなければならなかったミュージシャンはさぞ面喰らったろう。ヴォーカリストは歌いにくかっただろう、と思うと冷や汗がでる思いだ。今ならもっとさりげなく書けるに違いないのだが……
これ、進歩でしょうか、退歩でしょうか。

チェンバロ
チェンバロはピアノの前身だけれど、ピアノが登場しても消滅しなかったのは、すでにバロック期の音楽のなかで確固とした地位を占めていたからでしょう。つまり、その様式の音楽に欠かせないものである、ということです。
だから、今日でもチェンバロの音がひとつ聴こえただけで、イメージはもう中世なのですね。
そこで、ヘソ曲がりな私としては、じゃあその音色でジャズを弾いてみようじゃないか、と思ったのです。セロニアス・モンクの曲など、音色に合いそうだし、エリントンも良いかも知れない。
4月18日、新所沢の小さなホールで初挑戦です。面白かったらまたやるつもり。

1999.05.02

イスタンブール
トルコの通貨、トルコリラ(TL)はかなりなものです。
¥5000両替したら、なんと500万札が3枚返ってきました。あわせて1500万!これはちょっとした大富豪の気分。えぇい、百万二百万なんざぁハシタガネでぇい、てなもんです。初めのうちはそういうノリで、おそらく生涯で二度とないような単位の使い方をしてよろこんでいましたが、慣れてくると次第に空しくなってきました。なにしろタクシーの初乗り料金が20万。メーターのゼロを数えるのも疲れます。
やはり通貨の桁は少ないほうが有難いようです。

チェンバロ報告
イスタンブールから帰って一週間目がチェンバロ・ソロのコンサートでした。トルコがアジアとヨーロッパの交錯した不思議な国であるように、チェンバロでエリントンやモンクの曲を弾いたら中世と現代が渾然一体となった空間が聴こえました。弾いているうちに自分のなかで発想が次第に変化して行くのが感じられたのも面白い体験です。
このあたりは、そのうちエッセーのページでもう少し詳しく書くつもり。

鈴本演芸場
6月21日、上野鈴本演芸場に出る!幽霊じゃないよ。この私が。
落語を一席うかがうわけぁありません。古今亭志ん弥師匠の会で、幕間にゲスト出演です。キーボードを持ち込んで、<出囃子メドレー>を演奏しようと思っています。今年初めの“CADENZA”に書いてあるやつ、まるでこのことを予想していたような正月初作品。アタシの芸は添え物です。志ん弥師匠の落語。これはおすすめ。ぜひ御来場を。
さて、ミュージシャンが上野の鈴本へ出るのは、噺家がニューヨークのバードランドに出るのと同じだと思ってよいのでしょうね。ナンノコッチャ。

1999.06.05
トコちゃん しばらくお別れ
ドラマー日野元彦さんは、昔から気の早い人でした。思い立ったらただちに実行しないと気が済まない人でもありました。
二十年ばかり前、レコーディングの準備をしている最中に「ちょっとニューヨークへ行ってくるから」と二年間日本を留守にしたことがあります。今度も「あ、オレ病気?うん、わかった。じゃあね」と言って、さっさと旅立ってしまいました。あちらには、昨年十月にジャン・フランソワ・ジェニークラークというすばらしいベーシストが行っていますが、トコちゃんと気の合うピアニストは誰がいるかをちゃんと確かめたとはとても思えません。そのうち「つまんないから帰ってきた」と、どこかのライブハウスにひょっこり顔を出すように思えてしかたがありません。
ま、いずれ私も行くことですから、しばらく待ってもらいましょう。天国ラーメンのうまい店でもさがしておいて下さい。(Photo by M. HASUI)

1999.07.07

寄席の舞台
6月21日上野鈴本には、37鍵のキーボード、Macのノート、小型モニター・スピーカー2個というコンパクトなセットを旅行用の布トランクに詰めて行きました。そういう組み合わせにした最大の理由は、車を使わないで済むから。なぜ?打ち上げで飲むからに決まってらい。
さいわい出囃子メドレー・シンセバージョンは好評をいただいたようです。
寄席の舞台は、中央のマイク附近にこまかい凹凸がたくさんありました。原因は落語で扇子をつかうから。つまり、「大屋さんこんばんわ」と戸を叩く場面で、右手はその仕草、左手は扇子の要で舞台を突いて、コンコンと音を出す。というようなことがいろいろあるのです。毎日扇子の尻で突かれて、デコボコになってしまう。芸の力と日々の積み重ね。頭がさがります。

軽郎
カルロ・アクティスダート氏はイタリアのサックス奏者。昨年に続いて、今年も一緒に演奏する機会が持てました。
バリトン、テナー、それにバス・クラリネット、と低音専門のようですが、どうしてどうして、ハーモニックス奏法を駆使しての高音ワザはすばらしい。音だけ聴いていると巨躯の持ち主のようですが、実は小柄。身長は私とかわりません。音楽の明るさは、やはりまごうかたなきイタリア人。休憩時間もイタリアンです。
あまりのおかしさに、彼に漢字表記を進呈しました。カルロ=軽郎です。
6月20日、たったの4時間あまりでデュオ・レコーディング完了。BAJより秋にリリースされます。お楽しみに。

1999.08.04

日本の夏
7月22日オーチャードホールには、予想を超える多数の方々が来て下さり、ありがとうございました。夏にちなんだ童謡、ポップスをアレンジするという、久々にわが悪戯心をくすぐる企画で、少々悪のりかなと思われる仕立てもありましたが、黒田恭一プロデューサーからのお叱りもなく、日野皓正さんも楽しんで吹いて下さったようで、まずはめでたし。
それにつけても、アレンジというものはいつまでたっても難しい。マイルス+ギル・エヴァンスの一連の作品がCD化されていますが、あらためて聴きかえしてみると、まさに脱帽です。

百物語
江戸時代に、暑い盛りは肝を冷やすにかぎる、と夜中に集まって皆で恐い話をして、一話おわるたびに蝋燭を一本ずつ消して行く。最後の一本が消えるとかならず何か起こる、というのが百物語。
この趣向を古今亭志ん弥さんが、7月28日に松戸の蕎麦屋でやるというので、先日の鈴本出演の余勢を駆って、こわいバックグラウンド音響を担当しました。夜中にシンセサイザーやらサンプラーでヒュ〜だのドロドロドロなんて音ばかり作っていたら、ときどき背筋がゾッとした。あれはきっと誰かが手伝いに来てくれていたのかも〜。

1999.09.18

一周年
皆様のお陰をもちまして、一周年を迎えることができました。アクセス数約6,000というのが多いのか少ないのかわかりませんが、外国の未知の方からメールやCDの注文をいただいたりすると、電脳世界是不在国境を実感します。
しかし、これほどエレキテルに頼りきってしまった社会というのも考えてみれば不安なものです。停電したらどうなるのか。そしてなにをひき起こすかわからない二千年蟲。
すべての情報が遮断されてもパニックに陥らない自信がありますか?

百年目
1998=ジョージ・ガーシュイン、1999=デューク・エリントン、2000=クルト・ワイル、ルイ・アームストロング、皆さん百年目(生まれてからですよ)ということで、しばらくコンサートのサブタイトルにこと欠きません。
私もなにかにつけて原譜を見る機会が持てて、正しいオリジナル・メロディーやコードを確認することができ、思わぬ勉強になっています。昔聴いて、それほど好きにならなかった曲が「こんなに良かったのか」と思ったりするのはやはり齢のせい?

1999.10.10
掲示板
Part1
 掲示板をご覧の皆様にクイズをひとつ。
“AS HOT AS”というタイトルの由来はおわかりかな? もし正解者がでたら何か賞品でもあげようかな。
Part2 靴下での演奏、真相は次のようなものです。
星誕音楽堂は個人のお宅に続いて建てられており、お客は玄関を入って靴を脱ぎ、スリッパに履きかえます。つまり、お宅のサロンというような造りなのです。従って、演奏者も、二階の部屋から「やあ、ようこそ」とあらわれる、文字通りのホームコンサートなので、特にステージシューズを履くというあらたまった雰囲気ではありませんでした。ヴォーカリストはやはり靴を履かないと声の響きにも影響しますが、ピアニストは特に変りません。それにスリッパだと細かいペダリングがやりにくいので、あえて靴下で演奏した次第。面白い裏話でなくてごめん。
Part3 掲示板に「家主」か「ご隠居」で登場しようかなと思いましたが、ここは皆さんが面白くしてくださることを期待して、発言は控えます。
何か言うときは、今回のように“CADENZA”に書くことにします。どんどん書き込んで下さい。私も一日一度はのぞいています。

1999.11.05

長州音維新
功山寺ランドゥーガは天候にも恵まれ、昨年を大幅に上回る盛り上がりで大成功。仕掛人溝部さんはじめ、御協力下さった方々に心より御礼申し上げます。参加者の中から、来年の夏にまたセミナーを開催して、という希望が多数寄せられて私としては嬉しい限りですが、お疲れの溝部さんにさらに駆けずり回ってもらわなくてはならないのが少々心苦しい。しかしなんとか実現に向けて努力したいと思っております。

ハンク・ジョーンズ
門真市のコンサートでは、私とコルゲン鈴木宏昌氏との2ピアノのあとが、ハンク・ジョーンズ氏でした。ふたりの演目は“Caravan”。フルスロットル、全速力。それに対して彼は悠然とミディアム・スローで“I Thoght About You”を弾きはじめました。
イントロの一小節で勝負あり。コルゲン氏と異口同音に「大人だな〜。おれたちゃまだまだガキ」
81歳。枯淡の境地、ヴィンテージ・ワインの味わいとでも申しましょうか。

1999.12.06

AS HOT キィワード大賞
★私の独断と偏見 1999年 AS HOT キィワード大賞 は「裏マニュアル」と「想定外」に決定。
★特別賞:「それはあちらの勝手です」

さて、裏マニュアルを作るためのマニュアルってぇものは存在するのか。
フリー・インプロヴァイザーにも想定外の局面はあるか。
あちらの勝手と言ってしまえば何でも通るとすると・・・正月によぉぉく考えてみようっと。