2001.01.05
<JAZZ=重箱>論!?
新春、おせち料理をながめて思ったこと。
和風、洋風、中華風…中身が何でも重箱に入ってさえいれば「おせち」になる。こりゃJAZZみたいなものではないか。JAZZは重箱だ。
もともとは一の重にアフリカ、二の重にヨーロッパが入っていたはず。
近ごろは開けてみたらとんでもないエスニック味やら無国籍創作料理だったりする。それでも許してくれる重箱の偉さよ!
私はどんなものを入れようか。開けたらハトが飛び出すとか、花火があがる、なんてのはどうかな。中はガランドウ?…それはもう試みた、と。

2001.02.02
初ランドゥーガ
今世紀最初のランドゥーガ・ワークショップが1月20日に開催されました。
昨年までの再確認を兼ねて、おなじみの「定速」「高速」「マバラ」などを原点からやってみるついでに、新しく『頭人(とうにん)』という方式をとり入れてみました。
これが意外な好評で、かつて経験したことのないほどの盛り上がりとなり、降り出した雪をものともせずそのまま打ち上げに突入。いやー、絶好調のすべり出し。
ランドゥーガの最終目標であるところの、「AS HOT も指揮者も不在で、しかも自在に形が変化する」という境地とはどんなものなのか、がチラと見えたような気がします。
一歩前進と言えましょう。
今年もセミナーや合宿を計画中。お楽しみに。

2001.02.28
高槻2Days
ソロとトリオを一日ずつというのはかなりキツイかな、と思っていましたが、聴きにきて下さった方々から逆にパワーをいただいてしまったようで、終演後はかえって元気になりました。
むろんグロトリアン・スタインベックというピアノからもかなりエネルギーもらった実感あり、です。
良いピアノを良い音響の場で弾くと、安心して「間」を空けることができます。と、もうそれだけで発想が変わってしまうのですね。普段できないことも出来てしまったりして、「オレって結構うまいのかな」と思う、これが良い結果をもたらすわけ。そこに客席からの拍手ときた日にゃ羽化登仙の心地。早い話がノリやすく単純だというだけですが。
仕掛人大場さんが次回を計画してくださるとか、期待してます。それまでに新曲、新アレンジを増やさねば。

2001.03.30

究極のランドゥーガとは?

ランドゥーガは確実に進化している、と今回の秩父合宿でも感じました。
多分一番勉強になっているのは私です。
進化の過程をたどると、「かなり書き込んだ譜面あり」→「シンプルな譜面あり」→「図形楽譜」→「プラカード方式」→「プラカードもなし」→「頭人方式」。
秩父では次の段階の可能性を探りました。


 

ひとつは「副頭人方式」。もうひとつはVoice Randoogaです。いまのところ単なる予感ですが、ランドゥーガの基本である「誰でも参加できる」の上に「どこでもできる」を加えると、[Voice+身体で発する音]、が究極のランドゥーガになってくるのではないか、ということです。
意味のある言葉と無意味な言葉、言葉と音声、母音と子音、その他問題点がいろいろ見えたことが秩父での収穫でした。
次回のワークショップまでに、私なりの設定を考えたいと思っています。お楽しみに。

2001.04.27
「アレンジャー=伝統工芸職人」説?
四月は桜も見ず、ほとんど毎日28段のスコア用紙にこまかいオタマジャクシを書き込む作業をしていました。終ってから感じたのは、アレンジという仕事は陶器とか織物とか漆とかの伝統工芸の作家や職人に似ているのではないか、ということでした。
なにをいまさら、と思われるかも知れませんが、大判の五線紙と久しぶりに対面したので特に強く感じたのでしょう。
陶土をひたすら練る、広い面積を細筆のこまかいタッチでコツコツと埋める、薄い金箔を1ミリ四方もない模様に貼り込む…無限に続くのではないかと思うほどの同じことのくり返しを積み重ねてやがて作品への道が見えてくる。
アイデアは瞬時に生まれますが、それを現実の音にするためには長時間の単純労働に耐えなければならない。そのうえ厄介なことに、イメージが湧いてくるときと、落ち着いて書き込みができる心境のときが都合良く交互に訪れるわけではないのです。
このあたり、世のコンポーザー=アレンジャー諸氏はどう対処されているのでしょうね。
エッセーにも書いてみようと思います。

2001.05.31
コルゲンさんも
一昨年のトコちゃん(日野元彦さん)に続いて、コルゲン鈴木宏昌さんも向こう岸の住人になってしまった。ふたりともいちばん爽やかで明るい月であるべき五月に居なくなるとは…来年からこの季節を迎えるたびに胸が塞がると思うとやりきれない。
トコちゃんが発病したとき、「絶対検査した方が良いよ」と勧めたのでコルゲンさんの病気が発見されたことや、旅立ちの日が13日と21日、とほんの一週間あまりの違いなのを考えると、むこうに気の合うピアニストが見つからなかったので、三回忌でこちらに戻って来たついでにトコちゃんが連れて行ったに違いない。
今頃は歓迎セッションの真っ最中だろう。
そんなわけで、コルゲンさんと私の『ピアノ・デュオ』はしばし休みます。次は向こうで開催しますので、みなさんお誘い合わせてお出かけ下さい。

2001.07.02
集団発狂
日本はふたつの地殻プレートの合わせ目に乗っているために、潜り込みのひずみの蓄積で何十年かに一度大地震に見舞われる。こういう国は人間も同じような性質になるのでしょうか。
日本人の大地震。
幕末、黒船を見た日本人は「攘夷」をめぐって集団発狂しました。昭和には「満州」から太平洋戦争へ、「土地」からバブル経済へ。そして今、何かに向かって発狂しかかっていませんか。
常識的に見て、人は経験を積むにしたがって賢くなるはずで、個人が賢くなれば国全体も成熟しなければならない。にもかかわらずおなじような愚行をくり返すところをみると、我々のDNAは地殻プレートの歪みの電磁波か何かに支配されてしまっているのかもしれません。
発狂から身を守る方法。
周囲に付和雷同しないために、自分の考えや感覚を持つ。これしかありません。
どうすればよいか。
即興演奏でアンテナを磨くのです。集団即興(=ランドゥーガ)で感性を自立させて下さい。

2001.07.31
廃刊余波
JL誌が廃刊になって、いちばん困っているのは地方のジャズファンなのだ、という、あかだっち氏の掲示板での発言を読むまでは、「ああこれでコラムの締切から解放された。毎月のネタさがしをしなくて済む」とささやかな解放感に浸っていました。
なにしろニ十年ちかくのあいだ、ただ一回の休載(それもむこうの都合で)をのぞいてよくぞ書き続けたものだ、と自分を褒めたいぐらいのものです。たかだか原稿用紙にして6枚ばかりですが、締切日が迫ってくると音楽の仕事が忙しくなるというふしぎなめぐりあわせで、毎回キツかったなぁ、などと思うわけです。
で、全国ライブハウスのスケジュールがこまかい字でびっしり掲載されたあの何ページかがもつ効用に気付かなかったのは全く迂闊でした。
音楽を演奏する側と聴く側、などと簡単に言いますが、違う立場にいる人の感覚についてのセンサーをいつもきちんと整備しておかなくては、と反省、反省。
そうそう、JL誌のコラムはこのサイトで引き継ぐことにしました。月に一度は覗いてください。

2001.08.29
乞御期待
JAZZ LIFEの「休」刊を区切りとして、エッセイ集第三弾を作る決心をしました。年内に発刊の運びになるかどうかは微妙ですが、現在横書きを縦書きにするとか、どれを捨てるかなどの作業段階です。前二集と同様、装丁は和田誠さんにお願いしようと一方的に思っています。JAZZ LIFE誌では水玉画伯の挿し絵が好評でしたが、これを載せるとなるとたぶん稿料が予定制作費をやすやすと超過してしまうでしょうし、だいいち原画がいまはなきJAZZLIFE社のものです。私も毎回楽しみにしていたのでした。たいへん残念ですが割愛せざるを得ません。画伯ごめんなさい。
出来上がったらすぐにお知らせします。今回は書店に出さず、ネット上とライブやコンサート会場で入手していただくようにするつもり。乞御期待。

2001.10.01
謹告・海へ帰る
去る9月16日、コルゲン鈴木宏昌氏は遺志の通り海に帰られました。
13:30、江ノ島ヨットハーバーから小型クルーザーで薄曇りの波静かな海に出、数キロ沖合で御長男、マネージャー、親しいミュージシャン、友人、葬儀委員長をなさった高平哲郎氏など16人が散骨を行い、酒を注ぎ、ゆっくり旋回して戻る、という簡素な儀式でしたが、メインマストの根元に置かれた遺影がなんとなくうれしそうに見えました。
師の八木正生さんが散骨だったのにあこがれて、「良いなあ、オレもあれをやってくれよ」と何かにつけて言っていたことが実現できて、皆さんほっとしたようです。
海は世界中つながっています。「お前らどうせ墓参りなんて来ないだろう。どこの浜辺でも手を合わせりゃ良いことにしておいてやったんだ。ありがたく思えよ」ということなので、海を見たらコルゲンさんを思い出してください。

2001.11.05

赤もの御辞退月間
<赤もの御辞退>月間、無事終了。
事前のお願い公表のためか赤もの強制に会うことなく、なべておだやかな十月を過ごせました。厚く御礼申し上げます。
そのかわり、というわけではありませんが、自分なりのけじめとして第一ラウンド終了間際の十月三日と四日にソロのレコーデイングをしました。タイトルは『NAGI』。堀晃さんのパステル画をジャケットに使わせていただくことになっています。おだやかな海面の水平線の彼方から、雲を通して光が射してくる……この絵のタイトルも『なぎ』なのです。
絵を見ていて浮かんだ曲を最初に置きました。
発売は来年三月、お待たせしますがよろしく。

四万六千日
しまんろくせんにち=七月十日の観音様の縁日です。この日にお参りをすると四万六千日の間お参りしたのと同じ効き目があるのだそうです。126年ぶん!
音楽の神様にそういう縁日があるかどうかわからないので、去年の大晦日から今年の元旦にかけて、つまり世紀の変わり目を練習でつなげば200年ぶんの御利益があるにちがいない、と勝手に決めてピアノを弾いていました。同様に、第一ラウンドと第二ラウンド、すなわち十月五日から六日にかけて、もピアノでつなぎました。こちらは120年。
合計320年の上達、するわけないよね。

2001.11.30
増殖
群馬、仙台、福岡……
このところランドゥーガが各地で増殖の傾向にあり、発案者としては喜ばしいことです。
はじめて参加した方々が、自分達も開催してみたい、と思うほどのめりこむことが多くなってきたのはまことにめでたい。
これは、常連諸氏の包容力が豊かになったことと、「音楽のジャンル、経験、技量にかかわりなく楽しめる」というランドゥーガの基本をわかりやすく伝えるための形とか進め方がお互いに上達したからだと言えます。
ひとたびセッションの時間を共有すると、まるで十年来のともだちのように思えてくるところが不思議ですが、即興演奏によって各自の本質を包み隠さず見せてしまったことによる安心感のなせるワザなのでしょうか。
即興演奏の効能、御利益、パワー、をあらためて感じます。
短時間でここまで親密になれる既存の音楽活動を私は知りません。
一歩間違えると何やら怪しい宗教団体になってしまいそう。
しかし排他性はランドゥーガのもっとも大事な禁則ですから、そちらに転落することは決してありません。どうか安心して御参加下されたく。

2001.12.30
2002 一年の計
昔の人は、元旦にその年の計画を立てるものだ、と言いましたが、自分の立っている大地さえ揺らぎかねないこんな御時世では一ヶ月先の予定を決めるのも不安です。
ただし「明日も朝が来て、太陽が東から昇る」のと「正月や 冥土の旅の一里塚」だけは確実なので、これを頼りに計画……立ちませんね。
そうそう、あるエコノミストが「先行き不透明というが、先行きが透明だったことがかつて一度でもあったか」と言っていました。言い得て妙。笑えます。まったくその通り。
霧の中からなにが飛び出してくるかわからないのですから、少しでも生き延びようと思うならとっさの事態に対応できるように直感力と反応速度を高めるしかないでしょう。
というわけで、やはりフリー・インプロヴァイズに行き着いてしまいます。
「止まない雨はない」というのもどうやら確実らしいので、地道にインプロヴァイズのトレーニングに励めばいつか晴ればれとした日が来ると信じましょう。
皆様の御多幸を祈ります。