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Hi-ENDオーディオの終焉

 オーディオが下火と言われて久しいが、去年末あたりから更に急速にHi−ENDオーディオの売り上げが落ちているという話を耳にする。その理由を私なりに考えてみたが原因は「デジタルシステムの功罪」と「CDの音の悪さ」にあることを疑う余地はない。

 「デジタルシステムの功罪」とは、「安いもの」と「高いもの」の「性能差」を小さくしてしまったことである。今、100万円を超える「高級時計」と100円均一で購入できる「安物時計」の「時間精度」はさほど変わらない。その秘密は「可動部品の総数」にある。「可動部品」は「量産によるコストダウン」に限度があるし、「組み立て」コストも高いため「精密な部品」の総数が「多く」なればなるほど「コスト」は嵩む。それに対し「電子部品」は、量産によるコストダウンが著しく「作れば作るほど安くなり性能が良くなる」という大きな利点がある。つまり、ミクロな部品レベルで見れば「デジタル時計の方が部品点数が圧倒的に多い」にも関わらず、マクロなレベルで見れば「逆に部品点数は少ない」ため「製造コスト」が大幅に安く「信じられないような低価格で高性能が実現」するのが「デジタルの最大の利点」なのだ。

 身近なオーディオ製品を例に挙げれば、カセットテープを使っていた「初期のウォークマン」とMDや固体メモリーを使う「現代版ウォークマン」がそれに当てはまる。「デジタル化」の恩恵を受け「同じ大きさ/重さ」でも「演奏時間は大幅に延長」され「携帯性が飛躍的に進歩」したが価格はそれほど変わっていない。

 では、肝心の「音質」は進歩しているのだろうか?これについて私は、ハッキリ「NO」と言いたい。MD・メモリスティック(MP3)はおろかCDですら「携帯オーディオ機器」として使ったことはない。理由は「カセットを使ったウォークマンより格段に音が悪いから」である。データ的には、進歩したのかも知れないが、誤解を恐れず言うなら「携帯デジタル機器」は「私には聞くに値しない音」なのである。

 5年ほど前までは、カーステレオでもわざわざCDを「カセットテープに録音して」聞いていた。それは、私が普段聞いている「CDプレーヤー」に比べて、カーステレオのCDプレーヤーの音質が格段に劣っていたからだ。確かに、現在ではそんな極端なことはなくなり、メーカー純正装着のカーステレオでもほとんど問題なく「CD」で音楽を楽しめるレベルになったが、それでも時折聞く「FMラジオ」の音質には敵わないと感じている。

 ホームオーディオでも「CD」は音が悪い。それは「レコードのオリジナル録音盤」が「異常な高値」で取引されていることで証明される。もちろん経年変化に対し弱いレコードの「保存状態の良いディスク」が高値で取引されるのは「ある種のアンティック的価値」を持つからだとも言えるが、はたしてそういう理由だけで高額なのだろうか?

 同一の演奏の記録を手元にある「CD」と「レコード」で聞き比べてみれば・・・その音質差に「愕然」とする。レコードに針を落とした瞬間、「CDはまるで無価値なもの」に感じられてしまうほど「CDは音が悪い」のだ。「音が悪い」という言い方が違っているなら「心を打たない」と言い換えよう。CDの音はレコードやカセットテープほど「心を打たない」のだ。その理由は「音」だけではないかも知れないが、時としてCDに収録された音楽は「魂が抜けた形骸」のように「元気がなく」つまらなく聞こえることがある。

 芸術の世界では「魂を打たない」つまり「感動しない」ものは「無価値」である。オーディオも例外ではないから、「感動できないオーディオ」に誰もお金は払わない。それが「Hi−ENDオーディオ」の人気が低下している原因だろう。

 ステレオサウンド誌に投稿している「逸品館の広告のバックナンバー」に目を通して欲しい。ある時を境に「新製品の入れ替わりサイクル」がどんどん長くなり、ここ1〜2年は「ほとんど固定された商品ばかりを紹介している」ことにお気づきだろうか?断言するが、このままだと「Hi−ENDオーディオの終焉」は近い。「恐竜」のようになすすべもなく滅びてしまう前に、ユーザーのために何が出来るか「知恵」を絞るべきだ。ユーザーが作り上げた「オーディオという文化」を継承し、引き継いでゆく。それがメーカーと販売店を含めた「業界の責任」と言うものである。

情報社会に潜む危険

 世の中の製品や社会構造が「アナログ」から「デジタル」へと加速度を増し変遷するよりも速く、「オーディオ」は「アナログ」から「デジタル」へと変革を遂げた。そして「大切な何か」を失った。現代社会からも「デジタル化」によって「大切な何か」が失なわれつつあるのはまったく同じだが、共に未来は、その「大切な何か」を取り戻せるかどうかで決まるだろう。

 私事になるが半年ほど前から、「レーシングカート」にはまっている。私は、激遅で全然まだまだ。しかも本格的なレースは初めてという「ど初心者カーター」でありながら、今年のツインリング茂木の「チェレンジK−TAI」で、100cc以下のミッションカートで「クラス2位で完走」という望外の成績を収めることが出来た。確かにこのクラスはやや人気が薄く「勝ちやすいクラス」ではあるが、よい「カートショップ」と巡り会ったことで、さらに言うなら「FeGの河野さん」と出会ったことがこの成績を残せた「すべて」であると言い切って差し支えない。この結果を残せたことについて、言いたいことは山ほどあるし、感謝に堪えない気持ちで胸はいっぱいだが、ひと言「出会いこそすべて」と伝えたい。「良い出会い」が「良い結果」を生み「実りある人生」を育んでくれる。これだけは「絶対」に間違いがない。

 話を元に戻そう。現代社会では「デジタル化」によって「様々な情報が容易く入手可能」となった。それは悪いことではない。問題は、その「情報を正しく生かせない」ことにある。人は長く「五感」に頼って生きてきた。ここ何千年、何万年の間「五感」が「人と情報」との出会いの全てであった。それが、ここ100年でまったく様変わりし、「電子技術」を使えば「時・場所・場合」をまったく選ばず「情報や人と出会う」ことができる。しかし、注意しなければいけないのは「どれだけ精巧に出来ていてもそこで得られる情報は偽物である」し「虚構の人格である」と言うことだ。

 「五感」の「ひとつの情報」が欠如するだけで「現実の認識が大きく損なわれてしまう」ことに注意しなければならない。例えば「鼻をつまんでものを口に入れる」・「目を閉じてものを口に入れる」、たったそれだけのことで私たちは「食べているものが何であるのか認識できなく」なってしまう。私たちの「現実認識」とは、それほど曖昧で危うい。「食べ物」でさえそうなのだから、もっと複雑な「感情に関する情報」を「電子メディア」で「正しく伝える」ことなど出来るはずがない。

 にもかかわらず、私たちは「掲示板に書き込まれる情報」や「TVで流れるニュース」・「新聞の活字」などを「鵜呑み」にし易く、特にその「情報が自分の求めるものと合致している」とその傾向はますます強くなり、ついに、頭の中で「架空」と「現実」がすり替わってしまう。自分自身では「そのすり替えにまったく気づかない」まま「架空」が「現実」にすり替わる。これほどの危険はない。

 「デジタル化の功罪」については賛否両論あるだろうけれど、電子メディアによる「情報や人との安易な出会い」が「本当に大切な出会い」を阻害してしまっているように私は見える。確かに便利な「デジタル化」であるが、実は「功」よりも「罪」の方が圧倒的に重いと考えるのは私だけなのだろうか?

固定概念を捨て新たな未来へ

 同じことは「オーディオ」にも当てはまる。「電子メディアの情報」と同じく、「ディスクに記録された演奏」をどんなに「HiFi」に再現しようとしても、それが「偽物」であることに変わりはない。「現実忠実再生」など実際には存在しない。再現される音楽が「自分自身の好みに合うか合わないか」それが「オーディオの現実」であり「唯一の真実」だから、再生を試みる者の主観により「録音された演奏の真実」など、簡単にねじ曲がってしまうのだ。

 自分が再現している「音楽」が「本物」に近いかどうかを見極める方法はただひとつしかない。楽器を演奏してみるか、もしくはコンサートに足繁く通い詰めるか、とにかく「本物を知る」こと以外に近道はない。この問題をユーザーではなく、機器側(設計者側)から考えても「答えはまったく同じ」だ。「本物の音楽」を熟知した人間が「可能な限り客観性を保ったまま機器の音作り」を行わねば「音楽の真実」をきちんと伝えられる装置は完成しない。しかし、オーディオ製品がアナログからデジタルになって変わったのは「録音再生方式」だけではない。それぞれの設計方法にも「明確な相違点」が見られるのだ。

 オーディオ機器が「アナログ」から「デジタル」になって、最も向上したのは「測定データ」であるのは誰もが知るところであるが、録音再生方式の変遷と同時に測定器も「アナログ」から「デジタル」になり、その測定精度を飛躍的に向上させた。それらの相乗効果により、アナログ時代では考えられなかったような「低歪み」で「高性能」な「デバイス」や「装置」が設計できるようになった。その結果として「音響機器設計におけるデータ至上主義」が蔓延り、「ヒヤリングによるテストが最重要」ということが軽視されている。

 オーディオ機器の設計者になるためには「音楽のヒヤリングテスト」はない。「音楽的教養」が求められるとも聞かない。「電子回路」に精通していれば、誰でも「音響設計技師」になれる時代なのだ。彼らの多くは「音楽を聞き分ける耳」を持たないから、「良いデータ」が「良い音を生む」と「信じる」しかないのだ。「アナログ時代」は、「音を耳で聞いて決める」ことが「機器開発の主流」であった。しかし、それが「デジタル時代」に突入すると「音をデータで決める」ことが多くなり、ついには「音楽を知らない技術者が機器を設計する」と言う「乱暴」な現実がまかり通るようになってしまったのだ。

 決してそんなことはないと「メーカー」は言うだろう。だがそれは、あきらかな「虚言」である。私は、あまりにも音が悪いと感じた、某国産有名メーカーの設計者に尋ねたことがある。「あなたは一体どんな音楽を聴いて、この機器を設計したのか?」と。彼は自信満々にこう答えた。「私はJAZZしか聴きませんよ!」と。ばかげた話である。JAZZしか聴かない人間にどうして「クラシックが鳴らせるオーディオ機器」を作ることが出来るのだろう。JAZZとクラシックでは「装置に求められる設計」はまるで違うし、JAZZしか聴かないで「豊富な音楽的教養」が身に付くとは考えられない。

 ソフトにしても「売れれば勝ち」が優先し「芸術性」は、完全に無視されるようになってしまった。「どうでも良いソフト」を「音楽を知らない人間が設計した装置で聴く」。デジタル・オーディオは、こんなにも歪んだ「音楽文化」を作りあげた。それは完全に「虚構」であるし、文化と呼べるような代物ですらない。

 そんな中で、現在の「Hi−ENDオーディオ」は、一体何を「主張」出来るのだろう。「見かけの豪華さ」・「大きさ」・「重さ」・「デバイスの複雑さ」・「価格の高さ」etc...。そんなものは皆「音楽」とも「音の良さ」とも無関係であることは言うまでもない。主張すべきは「中身」であって「形骸」ではないはずだ。そんなことだから「売り上げ」は落ち、売れる台数が減るから逆に一台の価格が高くなると言う悪循環を繰り返し、出口のない迷路を彷徨っているように私は思う。

 しかし、暗いニュースばかりではない。「SACD」・「DVDオーディオ」を聴いて欲しい。確かに魂の抜けた「名ばかりのオーディオ製品」で聴くのなら、それらもCDと変わりなく聞こえるかも知れない。しかし、それらの新しいメディアの音質はCDとは桁違いに優れている。そして「レコード」よりも音が良い。オーディオのデジタル化によって「忘れさられた感動」が、新しいデジタルフォーマットでは、確実に蘇っている。

 良いニュースは、それだけではない。オーディオマニアは馬鹿にするかも知れないが「DVDビデオ」つまり「サラウンド」の音質もCDを確実に凌駕する。嘘だと思うなら「ノラジョーンズ」のソフトを「CD」と「DVDビデオ」で聞き比べてみれば良い。もし、CDの方が良く聞こえたなら、それはそれを聴いた「サラウンドシステムが悪い」からだ。

 現在のオーディオが抱えている問題を要約すると次の二つに集約されると私は思う。一つは「スピーカーの数が二つでは少ない」と言うこと。モノラルからステレオへの変遷で「横方向への音の広がり」は、飛躍的に改善されたが「前後方向への音の広がり」を改善するためには、リヤスピーカーの設置が必須となる。モノラルからステレオへの変化には「大きな抵抗」がなかったにもかかわらず、現代の「Hi−ENDオーディオ」が「ステレオ」にこだわる理由を理解しがたい。

 もう一つの問題点は、「CDの高域限界が20KHzしかない」ことだ。それは、マイクで捉えた音声を録音せずにそのまま「AD変換」した後、「DA変換」してスピーカーで聞き比べてみると瞬時に分かる。ADコンバーターのフォーマットを「44.1KHz/16Bit」から「48KHz/16Bit」に変更するだけで「楽器の倍音が1オクターブ以上」伸びやかに聞こえる。さらに「96KHz/16Bit」では、「CDで感じていた高域の不満」がほぼ完全に解消し、レコードと比べて遜色のない「音色の艶やかさ」が現実となる。サンプリング周波数は「96KHz」のままで量子化Bit数を「16から24」に上げると、最高級のレコードを凌ぐ「空気感」・「気配感」・「実在感」さえ再現されるのだ。 この実験から、現在のオーディオ機器の音質が「アナログ時代に劣る」と感じられる原因は「デジタル」にあるのではなく、単純に「CDの音質がレコードに敵わない」からだと結論づけてよいだろう。

 この二つの要素を重ね合わせると「Hi−ENDオーディオ」の未来が見えてくる。新しいデジタル・フォーマットへの移行とサラウンド化は、ぜったに避けては通れない改革だ。「音楽文化の生き残り」・「音楽文化の次世代への継承」を考え、ハードメーカーとソフトレーベルは「あらゆる固定概念を捨て」オーディオ文化を次世代に正しく引き継いでゆく方法を探るべき重大な時期にさしかかっていると考える。今までのように「経済」を優先するのか「文化」を大切にするのか、どちらを選ぶかでオーディオと音楽の未来は決まる。「CCCD」の発売などで、自己の利権を守ることに執着している場合ではない。それより、さっさとDVDオーディオやSACDを作るべきだ。「本物の感動」のためには、「金銭」はおろか「命すら惜しくない」と考えるほどの「音楽ファン」はあなた方が考えているよりずっとずっと多いのだから。

 CDの発売時にあなた方メーカーとレコード会社が犯した過ちを繰り返してはならない。いくらメーカーが「良い」と言っても「心を打たないオーディオ」には、誰も魅力を感じないし「軽薄な音楽」を売れ線に仕立て上げ続ければ「良い演奏家」は決して育たない。つまらない「利権争い」は直ちに止めて、ユーザーの声にもっと真摯に耳を傾けるべきだ。正しい道を選んで欲しいと心から願って止まない。

2004年9月 逸品館代表 清原 裕介

 

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