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私たちの訴えと取組み

「生きる権利を奪い続ける『脳死』と『尊厳死法案』に反対する集会」に参加して

 2月22日に大阪市内で行なわれた「生きる権利を奪い続ける『脳死』と『尊厳死法案』に反対する集会」に参加しました。約90名が参加。感じたことの一部を紹介します。「尊厳死法」になぜ反対なのか?「死の自己決定」は私たちに何を もたらすのか?皆さん一緒に考えましょう

「尊厳死」が法制化されれば、いつの間にか多くの人の生きる権利を奪うことに!

 「尊厳死法」は、「もう助からない終末期(複数の医師が診断して規定)の患者さんで、本人の意志がきっちり文書に残されている場合、延命治療を拒否することを認めるといった法」ですが、このような法が作られれば、はじめは特例のケースの延命治療を始めないことだったのが、次は延命治療の中断(気管チューブを抜くこと)もいとわなくなる。はじめは本人の意志だったのが、家族の意志でも可能となる。「終末期」の規定もあいまいになり、初めはもう数ヶ月で助からないとされた患者さんだけが対象だったのが、高齢者だから、障害者だから、認知症だから、意識がはっきりしない患者だから・・・・と拡大されていく。

医療者が目指す患者さんや家族に寄り添った終末期医療ケアが出来なくなる!

 そして医療現場では、これまで医療者が個別のケースに即して患者・家族にとってどうあるべきかを真剣に考えて対応してきた「終末期医療」が、いつの間にかルーチン化、ガイドライン化されてしまう。すると医療者は何も考えずにそれに沿っていきかねません。いつの間にか「終末期」とされた患者さんの延命治療が出来なくなり、延命治療することが悪いことのようになり、「どうせ助からないのだから」が共鳴し、「終末期」医療・ケアが切捨てられ酷いことになってしまいます。
 実際、合法化されている国(オランダ、ベルギー、米国オレゴン州、ワシントン州等)では、認知症の人の安楽死、聴覚障害者への安楽死、安楽死専門クリニック、癌センターの「尊厳死プログラム」等々、といったことが進んでいるそうです。「尊厳死」=安らかな死であるかのような言葉が、私たち一人一人の人生の最期まで尊厳ある生を全うするという権利を奪ってしまうことになるのです。
そして行き着く先は「いのちの線引き」です。障害による線引き、意識のあるなしによる線引き、年齢による線引き、性による線引き、出生地による線引き、貧富による線引き…と差別選別が行われ、「優生思想」へとつながっていくのです。

「過剰医療」も「さっさと死なせる」も同じコインの裏表?

 「もう助けることができないのなら無益な治療で苦しめるのはやめよう」ー元々は患者さんの立場に立った考えだったのが、英国では一方的な蘇生無用(DNR)指定が終末期パスとして機械的に適用され、ここでも議論につれて対象者が拡大され、コスト論も優先され、「どうせ高齢者だから」「どうせ植物状態の患者だから」…と、コストのかかる治療は無用と、患者さん一人一人個別に丁寧に検討されるべき決定が、障害があることや年齢による一律の切捨て論に変質してしまう。「過剰医療」も「さっさと死なせる」も、根底にあるのがコスト優先、人の命が軽視される社会です。
 超高齢化が問題にされ、医療費・社会保障費の削減を声高に掲げられている今、「長生きして介護が必要になったら家族や周りの人に迷惑をかけたくない。コロッと死にたい」。ある年齢になれば誰もが皆そう思うのではないでしょうか?しかし長生きして介護が必要になっても安心して最期まで生きられる社会でなければ、本当の意味での「死の自己決定」などないのではないでしょうか?(玉)

(組合ニュース第5224号より 2014年3月14日)

(2014年3月14日)

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