阪南中央病院労働組合の要求/見解/主張


戦後60年目の8月を迎えて
〜今アジアが問う私たちの歴史認識〜 
第1回 靖国神社参拝を問う

 敗戦60年の今年に入りアジア諸国とりわけ中国、韓国で「反日運動」として火がついたのは記憶に新しいところです。首相の靖国神社参拝や歴史教科書問題が、過去の侵略戦争を正当化し、アジアの被害国とその国民の感情を逆なでしてきたことへの怒りが抑えきれなくなったのです。皆さんの中には、なぜアジアの人々があんなに怒るのかわからない、反発を覚える、と言う人もいるかもしれません。しかし、彼らがなぜ怒るのか、その根本的な理由に思いをめぐらせて、アジアの人々と事実にもとづく歴史認識を共有していくことが求められています。
 敗戦記念日8月15日が近づいてきました。小泉首相は今年も、政局のどさくさに紛れて、靖国神社を参拝するのでしょうか?首相は、アジアからの度重なる批判と中止要請や、裁判での憲法違反の判決(注)にも関わらず、中止どころか必ず参拝すると言い続けています。首相にとって靖国参拝は、侵略戦争と戦死を美化・正当化し、それを通じて、これからの新たな戦争と戦死者を讃える受け皿づくりを進めること、つまり「戦争のできる国」づくりの一環なのです。そのような危険な狙いをもつ首相の靖国参拝をこれ以上行わせてはなりません。
(注)2004年4月の福岡地裁判決は、「憲法20条3項によって禁止されている宗教的活動にあたる」と違憲判断した。
なぜ靖国神社参拝に反対するか、以下のQ&Aで一緒に考えてみてください。

Q1 「お国のために命を捧げた人たち」への参拝はなぜいけないのですか?
A1 それらの人々が戦死した戦争が、何だったのか、がまず問題です。
 参拝に賛成する人々は、「お国のために命を捧げた人たちが祀られている神社に首相が参拝するのは当然」と素朴な感情に訴えます。しかし「お国のために命を捧げた」戦争とは何かが問題です。
 靖国神社には、明治維新以降の対外戦争で戦死した軍人が「祭神」として祀られています。その戦争とはどんなものなのでしょう。それは、天皇を頂点とする国家が、アジアに対して行った植民地支配と侵略戦争でした。とりわけ全合祀者約246万柱のうち9割以上が、1931年から45年までの戦争=「アジア太平洋15年戦争」の戦死者です。この戦争は、15年に渡ってアジアのほぼ全域を巻き込み、2000万人を超える人命を奪いました。「お国のため」とは、侵略戦争と植民地支配のため、と同じことなのです。
 「神」とされている戦死兵の多くは、徴兵制により強制的に軍隊に入隊させられ、「天皇のための聖戦」と信じこまされて、アジア各地へ動員されました。この意味では彼らも被害者といえます。しかし、アジアの人々からすれば、植民地支配や侵略戦争を担い、自分たちの国土を踏みにじり、財産を奪い、家族や同胞の命を奪った加害者なのです。また1978年には、東京裁判でA級戦犯として有罪となった戦争指導者14人も「受難者」として合祀されました。一般兵士だけでなく、侵略を進めた最高責任者たちを「神」として合祀していることは、アジア諸国の批判の焦点となっています。

Q2 靖国神社とはどのような神社なのですか?
A2 敗戦までは軍が管轄する神社で、戦死者を讃え、戦争に協力させるための精神的支柱でした。
靖国神社は東京・九段にある神社で、1869年に明治維新の際の戊辰戦争で戦死した官軍兵(明治政府側の兵)を祀る「東京招魂社」として創建されました。1879年に「靖国神社」と改称、日清戦争、日露戦争と台湾・朝鮮の植民地化を進めていく中で、増えていく戦死者を「神」「英霊」として合祀し、拡大していきました。靖国神社は、軍が管轄する神社であり、戦死者を讃えることで国民の戦意高揚をはかり、戦争に協力させるための軍事施設でした。いわば軍国主義と侵略戦争を精神的に支える神社だったのです。今もこの神社は、戦争中から現在に至るまで、アジアへの戦争が侵略であることを否定し、「自衛のための戦争」「アジア解放のための戦争」「聖戦」として美化・正当化する歴史観を維持しつづけています。敷地内には、日本の戦争がいかに正しい戦争であったかを一面的に強調し、戦死を讃える資料館やレリーフがあるなど、さながら「戦争テーマパーク」のようです。

Q3 「戦没者の追悼」「不戦の誓い」なら参拝もいいのでは?
A3 靖国神社への参拝は、侵略を讃えることになり、「追悼」や「不戦を誓う」ことにはなりません。
 靖国神社への参拝は「戦没者追悼」「不戦の誓い」にふさわしいのでしょうか?まず、忘れてはならないのは、決して戦没者一般をまつる場所ではないことです。祀られる「戦没者」はあくまで天皇と国家のために戦死した人々で、空襲や原爆で犠牲となった被害者は対象外です。侵略で殺されたアジア諸国の人々は初めから除外されています。
 次に、この神社は戦死者を単に「追悼」することが目的ではありません(「追悼」とは、死者の生前の行為についての評価を含まない、いわばただその人の死を悲しむ、というもの)。この神社は、戦死者を「神」「英霊」として「顕彰」すること(つまり生前の行為を功績として評価、賞賛すること)を目的としています。
 つまり靖国神社は、戦没者一般の死を悼み悲しむ場所でなく、侵略に従軍し戦死した軍人を「よくぞ戦った」と賞賛する場所です。そのような場所に、たとえ本心から「戦没者を追悼したい」「不戦を誓いたい」と参拝したとしても、その行為はまったく正反対の意味をもってしまいます。アジアの人々からすれば、加害を賞賛する行為は、被害者への冒とくでしかありません。

Q4 首相の参拝について他国からとやかく言われる筋合いはないのでは?
A4 首相の靖国参拝は、侵略を反省するとする政府の対外表明に反する。抗議は当然です。
 参拝を推進する人たちは、アジアからの批判を「内政干渉」と非難しますが、靖国の「神」がアジア侵略の当事者であり、神社がこれを讃えている以上、日本の内政問題で事は収まりません。アジア諸国や人々は、甚大な被害を被ったのですから、当然この問題について発言する権利があります。
 しかも日本政府は、内容的には全く不十分ですが、アジアへの植民地支配や侵略によって甚大な被害を与えたことについて、対外的にこれまで何度も反省を表明しています。首相の靖国参拝も、80年代に中曽根首相(当時)が公式参拝を強行した後、アジア諸国から強い批判を受けて中止し、小泉首相になるまでは首相の参拝は行われなかった経過もあります。この意味で、小泉首相の靖国参拝は、侵略を反省するとした政府の公式の対外表明に違反するものです。アジアの人たちが、日本政府の本心を疑い、抗議するのは当然でしょう。それを「内政干渉」などと反発するのは、狭い自国中心主義であって、侵略を本心では反省せず、アジアを差別し、見下すごう慢さの現れです。
(組合ニュース第5000号 2005.8.11 より)




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