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私たちの訴えと取組み

7月5日「尊厳死法」なんていらない集会 参加報告
 「尊厳死」法なんていらない!尊厳ある生を全うしよう!
  この集会には81名が参加し、ALS/MNDサポートセンターさくら会副理事長の川口有美子さんが講演(川口さんは障害者団体を中心とする「尊厳死法制化に反対する会」の事務局長もされています)。ALSのお母さんを看取られた経験、障害者の方々の実体験等を通じて「尊厳死」法の問題点をわかりやすく話されました。講演で印象に残ったことを要約して紹介します。この問題を一緒に考えるきっかけにして下さい。

「尊厳死」は他者から与えられる「死」である

 「寝たきり」「天井しか見ることができない」「唯の生」は自分の力で生きられない。他者がなければ生きられない者にとって、尊厳とは他者との関係において他者から与えられるものである。「尊厳死」は、他者から死を与えられることを意味する。
「呼吸器をつける」ということは、「歩けない人が車椅子を使う」のと同じである。それを外すことは死に直結する。それなのに「呼吸器をつける」ことが「悪いこと」とされかねないのが「尊厳死」法である。

自己決定は周りの環境で変わるもの

 患者の気持ちは変わるものである。ALSの告知を受けたばかりのときは「呼吸器はつけてほしくない」と思っていても、呼吸器をつけて充実した生活をおくれる事実や社会的な支援があることを知れば変わる。緩和ケアで、最近では痛みや苦痛は十分緩和される。意識がない植物状態の人も、本当に意識がないかは分からない。
 「死んだ方がまし」でなければ、誰もが「早く死にたい」とは思わない。健常者が苦痛と感じていることも、その人にとってそうでないこともある。経済的な問題や周りの人への負担の問題が大きく影響する。病人、障害者、高齢者、認知症患、誰もが尊厳を持って安心して最後まで生きられない社会が問題である。

尊厳ある生が全うできる社会であるべき

 人の尊厳を語るなら、障害者の取り組みに真剣な社会と人を支えることだ。いのちを個人の決定や選択のもとに置かないことだ。
 「自己決定」による死を賛美する語りを駆逐し、他者との関係において輝く生を賛美する語りに置き換えていくことだ。
 病人や障害者が必要なケアが十分に受けられ、気兼ねすることなく最期まで尊厳を持って生きられる社会であるべきで、「尊厳死」とあたかもきれいなものであるかのような「死」が法的に与えられる社会であってはならない。
 今でも、障害者の不条理な扱いや差別と偏見がある。「尊厳死」が法制化されれば、それがより助長される。

「尊厳死」法は医療現場を混乱させる

 「尊厳死」法は、終末期とされた人の呼吸器を外しても、治療しなくても罪に問われない医師の免責である。患者の意思の尊重ではない。また、今後ますます激化する高齢化社会で、高齢者=終末期とされ、高齢者の治療はしなくてもいいようになっていく。何もしないほうが良い看取りとされ、救命してはいけなくなる。助けてしまったら訴えられかねないようになる。救命と延命の限界はあいまいで、その場の医師が決めることになる。医療現場はどうなるのか?

弱者「切り捨て」の「尊厳死」法を許してはならない!

 「尊厳死」の法制化は、終末期医療の「切り捨て」であり、障害者、高齢者の「切り捨て」であり、弱者「切り捨て」である。高齢化社会に向けた医療・社会保障費の切り捨てである。


 法律がつくられると社会が変わる。法律が正しいとして押しつけられる社会になる。個人が「尊厳死」といっている問題と「尊厳死」法は別、法律化されると「カード」を持っていると治療してはならない。切り捨てるのが正しいとして障害者や社会的弱者が排除されることになる。この法律を通してはならない。自らが立ち上がっていかなければならない。と集会では確認されました。
 いのちが、医療社会保障削減の政治によって切り捨てられるのが「尊厳死」法の本質です。私たちも自らのこととして、この「尊厳死」法を問題にしていきましょう!

(組合ニュース5233号 2014年7月29日より)
(2014年7月31日)

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