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人権研修の記録

12月16日に2009年人権講演会を開催
 坂本美代子さんが一家を襲った水俣病の苦しみと差別を語る
 12月16日、人権推進委員会主催、組合共催の2009年人権講演会として、「水俣病被害者として、今訴えたいこと」と題し、チッソ水俣病関西訴訟元原告の坂本美代子さんを招いて講演会を開催しました。人権推進委員、職場委員をはじめ50名が参加しました。
 坂本さんは、阪南中央病院が水俣病の検診や診療に関わり始めた30年前からの患者さんであり、阪南中央病院の職員も精力的に支援したチッソ水俣病関西訴訟の元原告さんです。今年10月、坂本さんは78年に水俣病の申請を行ってから31年たってようやく熊本県から認定されました。が、チッソが補償協定を拒否しており、補償に応じるよう求める闘いの渦中での講演となりました。
 水俣市で育った坂本さんは、水俣病の被害で父・母・姉を失い、ご自身も激しい頭痛と手足の感覚麻痺といった水俣病特有の症状に苦しんできました。講演では、特に最初にお姉さんが水銀中毒になり、伝染病≠ニの誤った診断とうわさによって、一家が村八分≠ニなって差別され、いやがらせをされたことや、今でも月に1、2回は夢に見るという、辛かったお姉さんの看病の体験が語られました。坂本さんは辛い体験を振り返りながら、「水俣病は家族をまきこんでしまう」「差別が一番辛かった」と、何度も声を振りしぼるように語られました。
 質疑応答では、二世世代に水銀中毒の影響が出ていることについて「それが今一番辛い。私たちの代だけで止めてほしかった。チッソが憎い」と語られました。また23歳で大阪に移住してからの差別について、「トラウマになって水俣といえなかった。友達もつくれなかった」と、水俣病への無理解からくる偏見、差別や診療拒否の経験を語られました。
 体験した方でしか分からない、語れない深刻な体験談に、参加者は水俣病被害や差別の苦しみを知り、坂本さんをはじめ、被害者の命をもてあそんできたチッソ、国・県に対する怒りを自分たちなりに理解・共有できたと思います。
 関西に住む水俣病被害者のみなさん、そして二世世代の方々が、阪南中央病院を頼りにしておられます。今回の講演を通じて、多くの職員に支援の必要性を感じていただきたいと願う次第です。

(組合ニュース第5126号 2009年12月25日より)
(2010年1月15日)

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