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臨界事故被害者の訴え

以下は、2000年4月14日、「東海臨界被曝事故被害者を支援する集い」(阪南中央病院労働組合主催)で行われた大泉昭一さん(「臨界事故被害者の会」代表)と大泉実成さん(同事務局)の講演及び参加者との質疑応答をまとめたものです(講演録の中見出しは「支援する会」でつけました)。

「臨界事故被害者の会」代表・大泉昭一さん講演
 
  阪南中央病院の諸先生並びに職員の方、組合の方、本当に貴重な時間をいただきましてありがとうございます。私は真実を持って今回の事故のことに関してご説明したいと思います。今後もひとつよろしくお願いいたします。

事故から6時間、何の説明もなく

 かえりみますと、ちょうど7ケ月になります。私たちは普通出勤という状況の中で仕事をしておりました。この事故が10時35分、9月の30日ですね。この日は特に暑い日でございました。もちろん工場は窓を開けっ放し、という状況の中で私たちは作業しておったのですけれども、1時10分に消防署の方がお見えになりまして「実は事故なんだ」と。「どこが事故なんですか」とお聞きしましたところ、「いや、私ははっきり分かりませんけれども、目の前の会社が事故起こしている」と。私ら3年前にですね、動燃という会社がありますが、そこの再発事故かというふうに感じたんですけど、いやそうじゃない、というようなことで、あそこは看板的には出来たのは、住友金属鉱山と、採石でウランを取る会社だとうすうすは知っておりましたけれども。中に住友の100%の子会社JCOという会社があるんだということは、私たちはいっこうに知りませんでした。だいたい村自体でも知っている方は5%位ですね。その中で、先程ちょっと申しましたけれども、1時10分に消防署の方があの出動体制、ヘルメットをかぶって、このくそ暑いのに、長靴をはいて、何だろうかなと感じたですけれども。「窓を閉めて下さい」というようなお話で、まあとりあえず社員に呼びかけて窓を閉めるようにと。窓を閉めたんですけれど。私が帰りがけにですね「指示があるんですか」という話しをした所が、「もちろんあります」という話しだったのですが、3時すぎになっても何の連絡もないんですね。これは状況がちょっとおかしいなあと感じたものですから、私もすぐ村役役場に電話したところがパニック状態で、もう30分経ってもかからない状況なんです。やっと開通したという中で聞きましたところが、「これから村の職員がご指示します。今から案内します。それまで待ってて下さい。」事故は10時35分からですね。臨界という言葉がありますけれども、皆さんも新聞、テレビなどで中性子という言葉を知っておるんじゃないかと思うんですけれども、私は当日は全然知りません。たまたま私悪い事に、正面の窓を閉めて食堂の窓を閉めなかったんです。4時半頃、村役場の青い作業服を着た職員の方が二人通っていたものですから、「どういう指示するのですか」と行動内容を聞いたんですが、「これからすぐに待機しているバスに乗って下さい。」後でまたお話しますけれども、そういうことです。「今から避難します」というお話もありましたので。

夜7時のニュ−スで初めて「臨界」知る

 私の事業所は、臨界事故から120mの地点です。目の前です。本当に企業として一番近いんじゃないかという風に思います。その中で作業しておったのです。私は、作業場は東海村の今回の事故を起こした所から120mにありましたけれども、住まいは隣の日立市です。話しは前後しますけれども、10km範囲です。これには、私たちの住まいも入っております。東海村の村長として指示したのは、350mという至近距離の方は、是非舟石川のコミュニテイ −センタ−へ来いと言うことで、私はいったん自宅の方へ帰りました。ちょっと様子がおかしいので、ちょうど夕飯を食べる前に、今7時だからニュ−スを見ようということでテレビをかけたんです。NHKのニュ−スの中で、臨界という言葉を初めて知ったんです。ニュ−スを聞いているうちに、非常に危険性があるということで、私は折り返し東海村へお電話入れました。その時はすぐかかりまして、そしたら、作業服、通勤服、脱いだものをビニ−ルの袋に入れて、もちろん靴もそうですけれども、すべて舟石川のコミュニテイ −センタ−へ持ってきてもらいたいと。初めてその時、臨界は恐ろしいんだな、と感じました。私たちはたまたま、テレビの中に村民の方が出ていたのを見ましたので、ああ、これは大きな事故なんだなあということで、とりあえず会場へ行きました。

被曝を検出できないガイガ−カウンタ−で「被曝なし」

 コミュニテイ −センタ−へ行きましたら報道陣でものすごい人なんですね。それと村民の避難された方々、もう入り組んで本当に足の踏み場もないという状況です。その中でいわゆるガイガ−といって、メ−タ−計みたいなやつですね、まず頭からずっと測りまして、4人くらいで測ったんですけれども、まったく異常ありませんという言葉をいただきまして、私もほっとしたわけなんですけれども。もちろん家内も一緒に仕事してますんで行きまして調べた所、やはり異常ない。結果的には14000人受けて一人も被害がでなかったというんですね、現実なんですけれども。後で聞きましたらゲ−ジが動いていても動かなかったというようなことが確かに針ですから多少あるんです。今日になりまして色々風評的に出ておりますけれども、ああいうガイガ−でやっても結果は出ないというんですね。ということは、私たちが受けたのは、中性子は別として表面についた異物は、30分程時間がたてば完全に消えてしまう。ということは、こういうふうに頭を洗ったりするときれいな状況になってしまう。そういう人が14000名受けたんですから、当然0だということになります。それと、近辺にいた7名の民間人が被曝を受けた。この人は要するにガイガ−あてたところが反応出た。距離的には私たちより若干遠いんです。130m〜150m。私たちは120mから工場まで140mいうようなことなんですけれども。私も無知なんですけれども、そういった、いわゆるホ−ルボディ−カウンタ−があるなんてことは全然知りませんでした。これは東海村の原子力(日本原子力研究所)に設置してある訳なんですけれども、たまたま7名の方はガイガ−にひっかかったということで、そちらの原子力の方で調べた結果、今回7名の方が被曝を受けたと新聞に出ました。それと消防署の方が3名ほど中へ来まして、患者3名ですね。転換試験塔、「てんかん」という言葉言ったもんですから、まああの患者さんてんかん起こしたんじゃないだろうかと言うことで行った訳なんですけども中へ今度入れないんです。ものすごく、約1時間30分救急車が待機させられたという状況の中で、もちろん防護服も着ておりません。素手のまま運んでしまうということで3名の方が被曝を受けた。それから自衛隊がまいりましたけれども、「防御服ないから、中へ入れないから帰ります」という言葉をはいて帰ってしまいます。全く私は後になって、国のこういう機関につとめる自衛隊がわれ先に帰るということはどうかなという風に感じたんですけれども。そういう中で今回、私たちが本当に身をもって体験した中性子はこわい。未だに科学技術庁は私どもに大して「安全です、心配ありません」という言葉の一点張りなんです。  
 
「安全です、心配ありません」一点張りの科技庁

 私は3回程科技庁のお話しを聞きました。第1回目というのはいわゆるシンポジウム。それから2回目が線量個人調査というもの。3回目は、その結果を、何ミリシ−ベルト受けたという推定線量の書類を持ってきた。ということで、私は村役場から何の連絡もないわけです。ということは、東海という島はですね、もちろん私ども最近分かったんですけれども地縁、血縁、原子力縁という縁でもって結ばれている。地縁は要するに先祖からもらった土地、血縁は、その周辺に親族関係がいる。後は原子力に勤めているということなんですね。現実に分かったんですよ。そのような中で私自身がたまたま舟石川のコミュニテイ −センタ−で翌日、10km範囲で足止めされたわけです。ということは、31万人の人口が全部ストップしたわけです。まあ高速道路、常磐線、国道、人っ子一人通らない状況になってしまったんです。そういう中で私たちは舟石川へはその日は泊まらなかったんです。自宅にいかないと、あそこは足の踏み場がなかったんですから、テレビ局、それから避難者ということで。
 この問題につきまして私たち最近分かったんですけれど、村役場から被害に対する、いわゆる相談ケア−という窓口を設けました。心配ある方、健康に異常を来した方、ということで。私は当日、白血球が5000ほど高かった。それからリンパ球は−6だ、平均値より。そういうことで、私は役場に電話したんです。「実はケア−を受けたい」と言うことで。「じゃあ−、係の先生とご相談しましょう」と、先生が出てくれたのですけれども、その時、私の健康診断の内容をお話ししましたところが、「あっ、あなたのは分かりました」と、「かかりつけのお医者さんへ行ってください」。普通ならやっぱり相談のケア−ですから、「その書類を持って行って下さい、その書類を持って、村役場の医療機関へ来ていただきたい」、その中でいろいろお話しされるのが当然だと思うんですけれども、かかりつけのお医者さんへ行ってくださいというならば、私でもそういう相談はできると感じたのです。
 私行きました、かかりつけの。行ったところがですね、実際は私の所は中性子的なのはやっていませんで、そういう医療関係はできません、ということでおことわりされた訳なんです。結果的に、村であのいろんな健康相談とかを1ケ月、約2ケ月やりましたけれども、全くさっき西野さんがお話ししましたあの通りです。もう科技庁は第1回目の報告の時ですね、「皆さん心配しないでください、安心ですから、もう忘れていただきたい」ということでお話なったんです。全くお手本通りの内容的なものを説明された。私も腹が立ちまして。まず、隣にいる息子が手を挙げて、科技庁に対して、「国に責任あるのか科技庁に責任あるのか返事してくれ」、まるっきり返事はなってないんです。お手本通りの内容で「もう心配ありません」ということ一辺倒ですから。

いい加減な被曝線量調査

 2回目に来たとき線量個人調査というのをやったわけですけれども、この時労働基準監督署、それから科技庁、放影研、それから村の保健婦さん、4名で来たんですけれども、全くこれがですね、私は納得いかない行動をされてしまった。実際問題として先程お話しましたけど、私の被曝地からいわゆる工場まで120mなんです。ところが、自分のマニュアルの中で170mというような結論を出した訳なんです。最終的にですね。「どういう行動をとりましたか」と、「やあ私は表へ出て出たり入ったりしました。」従業員の方は表に水道があるのでそちらでいろいろ作業に支障のないように洗い物なんかしたりしてたということをお話したんですけれども、実際科技庁としては、もう最終的には時間がないから、次を回らなきゃならない、と。ここで出る時、「頭を切り換えて下さい、安全だ心配ありません」というようなことで、「問題ありません」と。私たまたま科技庁が来たものですから一対一で話しができるという希望感をもってお話ししようと思ったんですけれども、そういう国の行政機関というものはそんなに簡単に片づけられるのか。これだけ大きい事故を起こしていながらですね、もう全く無視されたという感じですね。
 3回目に来られたのは、いわゆる封書、私持ってまいりましたけれども、これには今回の事故に対してあなたの受けた推定の線量は、私は6.5ミリシ−ベルトなんです。同じ従業員で同じ行動をとった中で5.9という方もいるわけなんです。これまあ参考のために持って来たんですけどね。そういうような対応をしたということ、私はもうほんとに怒りを生じたんです。その中で科技庁が3回目にその推定線量の書類を持って来た時に、私もう怒りがこみ上げたんです。というのは「線量をもう1回やり直してくれ」と言いましたら、「0.5ミリシ−ベルト、あるいは1ミリシ−ベルトが若干変動あったってそれは当たり前だろう」というようなこういう無責任なことを言われたもんですから、私もカッカカッカ来まして突っ込むだけ突っ込んでやったんです。だいたい私の所で4時間半くらいですね、お互いに討論したんですけど、科技庁はただ「すいません、すいません」と今回の事故に対して言うような状況ですね。

「生き地獄を見てきましたね」

 それから話しがとびとびになりますけれども、実は私の家内は、翌日から約5日間ほど下痢症状を起こしまして、4日目にもう寝たっきりの状態になってしまったんです。それまでは、毎日元気でかえって私の方が励まされて会社に行くと言うような状況だったんですけど。たまたまその状況を受け止めた為ですね、4日目に人に会うこともいや、電話をとることもいや、買い物に行くのもいやだということで、寝ること、それだけなんです。私は若干こりゃ精神的におかしいんじゃないかと思ったんですけど。まあ明日は良くなるだろう、明日は良くなるだろう、というような基本的な考え方で40日引っ張ったんですね。たまたま胃が痛いと言うことで、息子にすぐ私は仕事にいかなきゃならないから病院につれていくように、と言うことになりまして、胃カメラ飲んだらもう当然かっ血状態寸前。胃が2ケ所ほど穴空いてると言うことで、即入院と言うことで20日間ほど入院してまいりました。帰ってきて、その病状が良くなったんで私もまあある程度は復元するのじゃないかと思っていましたけれども、でもやはり同じようなんですね。これはちょっとおかしいということで、即、精神科へ連れて行けということで、息子が精神科へすぐ連れて行ったんですけど。そうしましたところ、精神科の先生というのは非常に患者さんに対して言葉のはねっかえりというのがスム−スなんですね。円滑にお話される、ということで、「あなたは生き地獄を見てきましたね」って言われたんですね。結論的にはですね、今持って寝たり起きたりの状況で。(涙)まあ現在はおかげさまで大体80%ぐらい良くなって来つつありますけども。私も1度ですね、精神科の先生にお会いしたんですが、「人間を変えてしまう。JCOの問題で」と言うようなこと言われまして、びっくりしたんですけど、何で私たちこういう罪のない人間をですね、追い込めたか、ということで腹が立った訳なんです。

「50mSv以下は被害と認めない」

 それで私も3人、一緒に行きまして、科技庁と再度やり合ったんですけれども、結果的には「50ミリシ−ベルト以上じゃないと今回の被害として認可しない」と言うことをさんざん言われまして。私は自ら逆な立場に立って、もし国会の中でこういうJCOのような問題が発生したならば、あんたたちはどういうような心境になります、私たちは要するにここに来ているのは、あなた達に理解してもらおうという気持ちで来ているんだ、と。もう私は本当もう言葉を強くですね。そういう中で私はもう訴えたんですけれども、結論的には同じことなんです。「安全です。心配ありません」ということの繰り返しで今日まできてしまった。
 いろいろ私も模索しますけれども、うちの家内も倒れてしまった。私も現在は包帯をしていますけれども、これは被曝前は包帯していなかったんです。最近は斑点的な大きなものが出て、これが直るとまた出て来るというような状況です。私は酒は一滴もやらない人間なんですけれども、顔にも最近赤く出てきている状況なんです。これはいっぺん阪南中央病院の皮膚科の先生に見てもらいたいなと思っていますけれども。そういう中で、私たち一人一人が考えた場合、是非これは何とかしなきゃいけない。で息子はルポライタ−やってるもんですから、両親が被曝を受けたということで、新潮とか講談社とか、そこへレポ−トして、たまたまそれが各テレビ局、あるいは記者に反応がありまして、私の所へ約20日くらい毎日のように来て仕事はできませんでした。テレビ局、新聞社の方が来まして同じことの繰り返し、本当に朝出勤前にですね、すぐに会社の駐車場に止まって待っているというような現状です。

350mの境界線を被曝隠しに利用する科技庁

 今現時点で、村に対してJCOはですね、98億のいわゆるですね損害金というものを支払っております。それは、決して誤解してはいけないと思うんですけれども、この中にいわゆる被害者に対しての救済金というのは一銭も入っておりません。私たちいわゆる村自体、350mという境界線をこれ作られてしまったのは、東海村の村長が、500mになりますと隣の町まできちゃうもんですから350m。これをいいことに科技庁はすべて350m中でことを処理しようということで、今回の推定被曝線量も全部やったわけです。じゃあ500m付近にですね、小学校、幼稚園があったわけですけれども、実際は中性子は2km先のいわゆるゲ−ジに、メ−タ−計にひっかかっているわけです。まあどの程度の数量的に、後で事務局の方からお話があると思うのですけれども、当然これは科技庁はそこまで線量的なことやるのが本筋だと思うんですけれども。
 たまたま東海村の村長がやったことに対して、いいことだと言うことで、科技庁はほっかむりをしようとしている。私はほっかむりという言葉を使いました、科技庁の前で。「あんたたちは本当に正直に言ってくれ」と言うことで、何度も強く言ってきたんですけれども、結果的には返事は返ってきません。350mの中の人たちに対して、JCOは一人5万、ですから5人いれば25万ですね、一軒の家に支払う。それから企業に対しては3万円、一人あたま。こういう差を付けた訳ですね、2万円の。私はJCOに対して別にお金が欲しくて言う訳じゃないけれども、なぜそういう線引きをしたのかということをただそうと言うことで、住友金属の本社から来た方が私の工場へ見えられて、いや実は町民に対して日常生活の不便さを与えた、もう一つは避難所で寝てもらう、ということで差をつけました、ということを言ったんです。私は「それはおかしいんじゃないか」ということはあくまで被曝して、あなた達が被害を与えた、それを住民だから、企業の人間だから差別するというのはちょっと納得いかないと。私はちょうど折り箱ですね、長崎のカステラといわゆる従業員に対して金額全部入っていたんですけれども。私は「それを持ち帰ってください、入りません」。持ってきたときの動作が、これ受け取って下さいということで来たわけです。ですから内容的なことは一切言いません。これはJCOからのものですから、と。見ましたら、お見舞いという封書になっていまして、私もですね受け取れないと言うことで持ち帰ってくれということで、応接室の脇へ置いといたんです。たまたま住民の方が来まして、「企業の方はいくらもらいましたか」という。「ああそういえば確かに置いていった」、ということで中を調べましたら一人頭3万円。いや住民は5万円もらっていましたよということを言ったわけですけれども。
 そういうような、JCO自体が現時点ではもうお金を払ったから、もう事は足りたんだ、という態度に今出てるわけです。ですから私は声を大にして言いたいんですけれど、最近はすべて示談書を持ってですね、成立させようと言うことで、私たち会員に対しては示談書は絶対に出さないで下さいということを言ってるわけです。
 
会を結成して起ち上がる

 私が今回、皆さんのお力を借りて、「被害者の会」というものを結成して3ケ月になりますけれども、当初は20名か30名だろうという風に思っていたんですけれども、現在100数十名の方が集まった。これはもう本当にいわゆる怒りを持って私たちに同志と入ってきたんだなあと思います。そういう中で「被害者の会」というものが3ケ月前に結成されまして、現在活躍しておりますけれども、皆さん方にありがたい言葉を頂きながら感謝に堪えないんですけれども。また地域住民の団体の方にお集まり頂いて、まあこれから私たちは科技庁に対して徹底抗戦をしていくという風に思っております。
 いろいろと話しは前後しますけれども、現状をですね被曝者は450名くらいになるいんじゃないかと。おそらく推定線量でやってますから。私たちは実効線量でもういっぺんやり直して下さい、ということでやってるんですけれども、科技庁は350mだと。先程も500m先に子供さんたちが100名ほどおったんですけれども、全くこれは無視されました。中性子は2km先まで飛んで入るにもかかわらず、私たち企業と小学校には防災無線が入ってなかったんだと。各家庭にはですね、それぞれの防災無線がありましたので、退避も早く、そういうような状況の中で子供さんたちが帰るときよりもはるかに遅い時間に、その日は先ほどお電話にもありましたけど、雨が降ってきまして雷が鳴る状況の中で下校した。私たちは、子供たちというのは、将来的に本当に大変な時期に入っていくんじゃないか。中性子というのは目に見えません。まあ3年先、5年先、10年先。
 私は今回問題なのは、世話役なんて言う代表のような形を取るべきでなかったんですけれども、実際問題として規約の審議の時、「私は住民じゃないんで、東海の方がなるのがまあ本当は正しいあり方じゃないか」と言う風にお話したんですけど、「被害を受けたのはあなたも受けているんじゃないか」ということを言われたんです。私はすっかりそのことを頭のこっちの方へ置いていたものですから、たまたま言われて「ああなるほど、じゃあお引き受けしましょう」と。受けた限りは、私はやっぱりこれから目標があってないようなものであって、本当にこれはですね、風化される懸念が十二分にあるわけです。中曾根科技庁長官曰く、「法的にはいわゆる私たちには責任はありません、事の重大さについては本当に責任を感じている。」私はこれは法的に関係ないと言うことはあり得ないと思うんです。ということはですね、臨界事故対策本部というのは、今病院に入院している小渕さんなんです。これは、国の行政機関がなければウラン加工というのはできない訳ですから、そのウラン加工も皆さんご存じのようにずさんな管理の中で7年間も放置されていた。これは科技庁が検査に来たときは、たまたま運転停止でやすんでいたと言うことで帰られた。これ1回きりです、7年間に。要するに科技庁は、今回の事故に対して、脱原発じゃないが原発についても重大な問題として取り上げて、いわゆる監視を強くしていくということを発言しているわけです。ところが、私たちは監視するなら結構だと。だけれども希望として、「被害者の会」としてはあくまでも科技庁に民間の学者が入ってですね、抜き打ち的に検査してもらいたいと、そうしないと同じようなずさん行為が隠されてしまうというようなことを現実に考えておるわけなんです。私たちは、こういった面をこれから唱えていかなければならない、というような状況です。

被曝線量を7分の1に「値切り」

 本当に私たち350mはですね、全部国によって保管されているんです。本来ならば個人線量の時、科技庁が私たちにもっともっと丁重な言葉で話してくれるならいいですけれど。「壁があるから」「防壁があるから」「おたくは鉄骨でしょ」。冗談じゃない。「たたいてみなさい。モルタルです」。で、中の評価が7分の1という評価提出してきたわけですね。ですから私たちはいわゆる実効線量はどうなったんだろうかと。で11月4日に線量低くしたんです。科技庁はいわゆる中の被曝3名ですね、これはあくまでも国として被曝という。私たちの会員の中に24ミリシ−ベルトを受けた方がいるわけです。この方は私は国から何かお話しがあったんだろうと思ったんですけれども、いっこうにその返事もない。同じような状態ですよ、と。先ほどの民間の7名の被曝者、全く私たちと同じカヤの外に置かれてしまったということですね。でまあそういうような事故の内容について、私たちも真剣にですね、これはもう外部の皆さんの暖かいご支援がなければ解決できない。
 東海村というのは先ほども言った3つの緑、地縁、血縁、原子力縁ということで、だいたい60%が原子力に関係しております。もちろんこれははじめて来た方は、こんないわゆる碁盤の目のような道路がありまして、駅は立派になり、村役場も立派に作り集会所も立派にされた。東海村には13カ所まだ危険な場所があります。
 私たちは第2、第3の事故は絶対に起こしてはならない、われわれ東海村はJCOの問題だけでたくさんじゃないかと。ただそういう中で私たちも完全に被曝を受けてますので、これからはですね、1ミリシ−ベルトであろうと、0.01シ−ベルトであろうと、やはり50ミリシ−ベルト以上を受けた様な、やはり待遇的なものですがね。私たちは350mという、先ほどの長崎、広島のような原爆手帳じゃないですけれども、健康手帳を速やかに出してもらいたいということを唱えているわけです。それに対して科技庁はそういうものは必要ないです、と答えています。国でいわゆる健康管理やればいいんじゃないですか、との要求にあくまでも希望者についてのみ行いますと述べていた。封書を見ましたら、いついつまで郵送してください、ということで4月の半ばまでにはやりましょうと言うことをお話ししているんですけれども、未だに通知来ません。
 私たちは先ほども言いました通り、村役場に相談しても結論的には、相談の意味もなさない。それからこちらに一人、女性の方がお見えになって診察を受けたかと思うんですが、この方はだいたい距離にして600m位だと思うんです。たまたま大工さんがその日、自分の物置を改造するのに、大工さんが入ったという中で、一日外にいたということで斑点が出てしまったんですね、黒く。それから直ると白くなる。それから全身が痛いというような訴えを村役場にしたわけです。そうしたところが県の方へ報告しましょうということで、県の方へ報告したところが、茨城県の県立病院に(??)あるんですけれども、こちらの病院へ行きなさいと指示されたのです。結論的には、結果よりも、もう一度村へ帰りなさい、で線量的なものをはかってもらいなさい、ということを言われたんです。そういうような、患者は自分たちの体のために病院へ行ったにもかかわらず、そういうようなたらい回しをされた。結果的にはそれが正しいとは私たちは判断していません。そういう方も中におられる。こちらへ来て診察をうけたという状況でして。

「死ぬこと考えた」「JCOの建物が怖い」

 私自身がこういうような現状で、6ケ月前は何ともないのですがね、こういう手に包帯しながら顔に斑点が出てくるような状況の中で。もちろん私の家内も精神ケア−で、今苦しんでいますけれども、薬飲み飲みやってます。実際の問題として、直る時が一番心配。その中で1週間程ですね、話しが前後して申し訳ありません、死ぬことを考えた、自殺することを考えたってこと言うんです。息子と私はびっくりしたんです。その時言われた時ですね。産経新聞の記者がたまたま日曜日で私の所へ来られたんです。「奥さんどうなりました、あれ以降」ということで、ちょうどそのときですね、「私は死ぬことを考えた」と。私もだいたい45日間というもの一言も臨界についての話、会社の内部的な話は全然していません。できるだけ精神的に落ち着かせようというような気持ちでおりました。現実にですね、薬変わったせいか、また最近もちょっとおかしくなってきている、先生に聞くと、直りかけは一番危険性があるから家族で目を離さないようにしてください、ということで私は会社へ連れて行って監視した方が一番安心するわけですね。常に目が通せますから。ただ本人はつらいです。実際タクシ−を呼んで帰ろうかなということも話の中で言われたりなんか、つい1週間前くらいに言われたこともありました。暮れのちょうど会社の神棚を掃除に来るとき、途中まで来たら、「帰って下さい」という風に言われた。なぜかというとJCOの建物見るのが怖い、と言われたので本当に精神的に受けているんだなと思いまして。
 
後へは下がれない、人生がある限り

 たかが目に見えない、これは中性子見えたら問題なんですけど、見えない。これが本当に始末が悪い、いうような状態の中で今日私たちは闘って来ているわけです。そういう中で、声を大にして言いたいんですが、涙流して申し訳ないと思いますが、これはもうくやしさいっぱいなんです。そういうような状況の中で本当に阪南病院の先生方、あるいは組合の方々、私たちのために多くの人たちが今後の活動におそらく目を向けていくと思うんです。そういう中で私たちはこれからこれを契機にして一歩前進しながら後へ下がることができません。私は目玉の黒いうちに、人生ある限り。中性子っていうのは10年先20年先に出るとか分かりませんので、目玉の黒いうち、あるいは息子にバトンタッチして、この世の別れになるかもしれませんけれども、その現場で真剣に闘って行かなければ、というのが今回私の感じたことです。
 今後ともひとつ皆さん方、温かい目で私たちの会を見守って頂きたいと思います。

事務局 大泉実成さん
 
 それでは事務局の方から、現在の被害者の人たちの周辺環境、現在の東海村の様子に関してご報告します。その前に私たちの会の中に入っている、特に女性の方々、妊娠したばかりの若い女性、0歳、4歳、6歳の子供を育てている20代のお母さん、それからたくさんの子供たちがいました小学校の父兄の皆さんが、大変自分たちの将来に不安を持っている訳ですが、今回のように阪南中央病院の方で「東海臨界被曝事故被害者を支援する会」を結成しようと言う動きがあるということで、代わりに感謝の念をお話してくださいと言われて参りましたので、この場を借りましてこのような会を結成してくださいまして本当にありがとうございます、と会員の皆さんに代わって述べさせていただきます。現在の被害者をめぐる関係なんですが、まず科技庁、つまり国ですが、非常に切り下げた被曝線量をもとに、今回の結論としては現場にいた3人以外は体に晩発性の問題に関しても全く影響がないと考える、ということで、医療的な取り組みは行いません。ただ、アリバイ的に、年に1回、健康診断をやりますよ、と言っていますが、それも内容は普通の健康診断でよいと言うことで。しかもそれをやりますと言っていますが、いつやるのか連絡も今のところないという状況で、私たちの会も何回か申し入れを行って来ましたが、全く返事がないという現状です。茨城県は自治体として、保健予防課が被害者の人たちへの対応にあたっていましたが、昨日保健予防課の人と長時間話す機会がありまして、最終的には、「国の方からの要請が私たちのやっている仕事というのは、科技庁の検査の結果を踏まえて、その人たちは日本を代表するような専門家の学者であるのだから、そういったオ−ソライズされた人たちの意見にしたがって対応していきますと。ですから私たち保健予防課という行政としては、そのオ−ソライズされたものに従わざるを得ないので同じように科技庁の見解に一本化していきます」と言われた。
 全くこのように具体的な痛みを訴える人や将来の不安を抱える人がたくさんいるにも関わらず、健康被害がないという立場で動いています。科学的な知見というのは年々変わるわけですから、それに対する考え方はないのか、と聞きましたら「因果関係がはっきりとするものに関してはこれから考えることは考えます」と言うような言い方でした。実質的には、もう何もしませんと言うことに等しい、というのが茨城県の対応です。
 それからJCOの対応ですが、JCOの人たちと何回か、とにかくよく分からない。示談書を送りつけてきてしかも示談書のサインもしていないのに、残りのお金も振り込んできてもうおしまいにしたいんだと思うんですが、この人たちと何回か話し合いがあり、そしてこの間、周辺住民を集めた説明会がありました。その説明会では、ある大学の先生が2人やってきて、まず「そもそも今回の事故で今後健康診断というのはやる必要は全くない。これを年1回やってくれるのは国の温情である」と言った。それから「ガンになる可能性は絶対ありません。」絶対という言葉を何十回も使った。それから、例によって「私なんて50mSvも被曝しているんですよ」というデモンストレ−ションをやっていた。「もし体に被害が出ると思っているなら、今この場で血液検査をしましょう」「被曝線量に疑問に思っているなら、君の墓石を砕いて線量測れば今でも分かります」と言ったそうです。こういった周辺住民に対する侮辱の発言に対して早速、申し入れを行った人が何人もいらしゃいます。要するにJCOは科技庁の態度、科技庁の尺度に乗っ取ってJCO内の3人以外の人には、全く健康被害は出ないと決めつけ交渉に当たっていますので、私たちの言うことには全く耳を貸さない状況になっています。
 それでただ私たちもJCO内の人たち、とくに水抜き等の作業に関わった人たち、JCOの職員の人たちも被害者の会としては被害者と考えていますので、そのような人たちも是非会について知らせて欲しいと言うことで何本かのル−トで入会案内などを送りました。それでその人たちの被曝の問題はどうなんだ、と言う話を聞きましたら、「JCO内でアンケ−トを取りましたが、不安に思っているとの声は一つもありませんでした」との答えでした。社内アンケ−トを取ってそれに対して不安に思っていること書く人がいるとしたら、その前に会社を辞めているだろうと思います。JCO内部の人たちは今現在、親会社=住友鉱山の方から示談処理班のような専門家の人たちがやってきて交渉に当たっていますので、JCOの人たちはかなりの被曝をしているとはっきり分かっているのですが、それを言いだせない状況にあります。もしそれを言いだすものなら、今の不況で就職が大変難しい状況から首にされてしまうと言うことをおそれて、一番プレツシャ−のかかる立場にいらしゃると思います。今後ともJCOの方々に対する働きかけ、そういった人たちがきちんとした医療機関で検査が受けられるように会の方では努力したいと思っています。
 というわけで現在百十数人の人が会員になって下さっていますが、簡単に会を巡る状況について説明させていてだきました。私たちはとくに父も僕も被曝問題や原子力問題について全く経験とか、あの、昨年9月30日に突然こういったことについての経験が発生してしまいまして。それで大あわてでいろいろ今まで勉強しながらやっているんですが、その意味では本当に右も左も分からない所にいますので、今何をすれば一番いいのかについて悩んでおりますが、皆様方の経験からいろいろご指導いただければ大変ありがたく思っております。改めて本当にこのような「支援する会」を結成すると言う提案をして下さっている阪南中央病院の皆さまに心から感謝したいと思います。どうもありがとうございました。
 
質疑応答
 
 Q.「きずな」をよませていただきたいのですが、子供を抱えているお母さんたちの不安などの具体例を教えて下さい。

A.(事務局長)事故当時、妊娠したばかりの夫婦が自分が相続した土地を見るためJCO近くに来たときに、臨界事故に遭いまして、その方は被曝して科技庁の推定被曝線量が3mSvと出ています。この方は来月か再来月が産み月なんですが、出産を目の前に相続した土地がJCOのそばなので、こんな所に家は建てられないので代替地を要求したんですけれどもJCOはそんなことはする必要ない、と一蹴されたという事例があります。それから妊娠中の若い女性が、JCOから150〜160mの地点の縫製工場があります。この縫製工場はいろんなところのファツ ションショ−などの出品する服を作っているので若い女性がたくさん働いていらっしゃいます。この中に妊娠中の若い女性がいます。ここで働いていた女性は全員科技庁の推定被曝線量が約5mSvと認定されています。やはり生まれてくる子供たちの将来に対する不安ですとかに頭を悩ませていらっしゃいます。それから私の工場の敷地から20m位離れたところに0歳と4歳と6歳のお子さんを育てている20代の方がいらっしゃるんですが、だんなさんは在宅でコンピュ−タ−関係の仕事されておられるんですが、自分たちの将来も心配だけど、子供たちの将来も心配なので、東海村から引っ越ししたいとおっしゃっておられますが、ただ東海村を引っ越したときに将来の子供たちの医療補償を要求する立場にいることができるんだろうかとの不安をもたれたまま未だその場所に住んでおられます。それから約500m地点に本米崎小学校がありまして、そこのPTAのお母さん方が大変子供たちの将来に対して不安を持たれています。とくに、これはそういう目で見るからそう見えるのか分かりませんが、今年の冬どうも子供たちの風邪の直りが遅いように思えてならない、というお母さん方がたくさんいらっしゃいました。ただ健康手帳を要求し、仮にそれをもらうことになっても、子供たちはそのことによって、例えば中学、高校と進学していく中差別に逢うんじゃないか、との不安もありながら、でもやはりそれがなければ今後子供たちの将来に何かが逢ったときには、補償してもらえないと言う現実がありますので、決断されて私たちの会に加わって下さっています。

Q.事故直後の国が説明会で250mSv以上出ないと被害が出ないと説明したと聞いたんですが、その後国が被曝線量に関してどういう説明をしているか教えていただきたいのですが。

A.(代表)実は、シンポジウムがありまして、科技庁は当初から200mSv以下であれば全く問題ありませんとおっしゃっているんです。であの、今回被害者として認めますというのは1mSv。で、ただし認定はしません、ということです。認めることは認めます、そのかわり認定はしません、ということです。私たちは科技庁の線量評価は実際に実効線量が低く計算されているんです。大体4倍見なきゃ行けないんです、最低でも。でICRPの基準から言いますと、来年あたりは倍に中性子は見ていくということになりますと、かなりの線量になるわけです。しかも先ほど申し上げましたように科技庁は、外壁や石垣の遮蔽効果を理由に1/7も線量を引いているわけですから。しかし、科学者からは中性子というものはピストルのように発射した瞬間的な勢いで入ってくると言うことを聞いておりますので、どの程度遮られるかに疑問を持っているわけです。今後ですね、0.01mSvであっても私たちが受けたくて受けたものではありませんから、もうウラン加工ですね、16kg、普通2.6kgしか加工していないやつを8倍近く多く入れてしまって臨界を起こしてまった。大内さんは中をのぞいていたときに青い炎を見たと、あの人は第一犠牲者なんですけれども。篠原さんも放医研から東大に移されたと聞いております。これは大内さんのデ−タを基にして、今後のいわゆる検討材料になるんじゃないかと考えられるわけです。私たち命があればいいと思っているんですけど。私の知人の同級生なんです篠原さんは。先ほどの0.01であっても、私たちは被害を受けたと言うことで徹底して追及していかなければならないと考えています。

Q.東海村の動きについて教えて下さい。

A.(代表)350mの枠を作られてしまったわけですね。この中に4町内があるんですが、村長を通して科技庁に要請をあげてきたわけです。私たちは企業ですから、全然常会(町内会)との接触機関もないし、村からの町会案内も来ないんです。村は村で村長自身が県に訴えたり、科技庁に訴えたりしているわけです。今回、先ほど事務局からもありましたが、先週の土曜日の集会でバカなことをさんざん先生が述べられたわけです。「今すぐ墓石を砕いて分析しよう」などというような。そこに参加した村の方はこう言っておられました。「腹が立つことこの上ない。私たちの被曝に対して補償の問題は一つも出ていない。ただ受けっぱなしでこんなバカなことがありますか」と、そういう声がある。
(事務局長)村上村長は事故後、「ようこそ原子力の町東海村へ」の案内板から「原子力の町」をはずしたいとか、私たちの会としても村と話し合いながら、県や国に申し入れなどをしていく方針でやってきたんです。東海村も村長が指揮していった風評被害に対する補償が済んで、政治的な処置は大体終わったとの見方をしています。私たちは村上村長の見解が会の要求と近いものですから、協力してやっていこうとしているのですが、如何せん村議会はほぼ原子力関連施設の人たちから支援された議員が大半を占めていまして、最近やっと脱原発で相沢さんが当選したわけですが、原子力安全委、原子力問題から排除されています。要するに議会内で相沢議員がいじめを受けているわけです。来年、村長選がありまして、村議員の間でささやかれていると言われていることは、「今の村長は勉強するからもうやめてもらおう、前の村長は勉強しないから良かったね」と。村上村長になって先ず、動燃の事故が起こりまして、人間として村の中で事故が起こったら村長が勉強するのは当然のことなんですが・・・。それでいろいろと考えてそして今回の事故が起こりまして、村長として原子力推進の旗は振り切れないとの立場になったんですが、その時点で周囲からたたかれて、「もうへとへとです」と僕らも言われました。東海村そのものはよく被害者の人の中で、会員になりたいんだけれどなれない、と言われます。「これはもう原子力に人質にとられているようなものだ。原子力産業に働く子供や親戚がいると会に入ったことが表沙汰になると、家族親族が賃金差別や昇進差別にあう。下請け会社は仕事の供給がたたれる」。ある意味、原子力ファシズムのような状況になる。それに対して村上村長と相沢議員が風穴をあけようとして、私たちもそれに協力しようとしてやっているんですが、なかなか難しいところがあります。

Q.医療機関の対応について突っ込んだ話があればお願いします。

A.(代表)先月、中曾根科技庁長官が東海村に来た時、350mの枠を取り除くよう強く要求した。長官曰く「できるだけ努力しましょう」「近隣に医療施設を作りましょう」と答えましたが、実際にできるのは3年先になるか、4年先になるか国のやることですから分かりません。しかしその間にもし仮に白血病とかガンに侵されないとも限らないわけです。そうした事への対応をどうするか、ということを全く考えていないわけですね。ですから私たちはこの点について今後も村長に申し入れをしていこうと考えております。会員の中でもそういう要望が強く出されている。
(事務局長)例えば診断したときは口内炎に突然なった原因として「これはヨウ素を吸っているかな」「これは中性子の影響かな」と言っていたのに、診断書を書く時は、「今回の放射線事故との影響はないと考える」とされてしまうケ−スがいくつかあります。一つは、被曝者を患者として取り扱ったことのないお医者さんが診断書を書く際に書ききれないと言う問題があるんだと思います。前の日に「中性子の影響かな」と言った医者が県の保健予防課と相談して、診断書を見たら「放射線の影響があるとは考えられない」に変わっているケ−ス。「たぶん県の保健予防課から、今回の事故では、科技庁の見解からしてもそういう被害は出ないはずなので、そういう診断書を書かないでくれ、という指導があったのだろうと思います。カルテの内容に関して「そういうことをしたんですか」と聞いたんですが、「めっそうもない。そんなことは一切しません」とその方はおっしゃいましたが、それについてはやぶの中です。その他、茨城県に被曝した人を診た経験のあるお医者さんが少ないので、痛みを訴えていろいろな医療機関を受診したが「うちでは分からない」ということで、最後にやはり「どうしても中性子線の影響と考えざるを得ない」と考えた医者が茨城県に連絡して、こういう検査をやってくれるか、そういう診断でいいのか、と聞いた。その人は県から「連絡待ってください」と言われて、連絡あったら「東海村に専門家がいるから東海村の相談窓口に相談して、何々病院に行って下さいと言われていくつかの病院を転々として、また東海村窓口に舞い戻って一周した。そういうケ−ス、村の中でよくあるケ−スです。私は村の相談窓口に行っても現実的には何の対応もしてもらえないと思っているので、母の強い虚脱感、倦怠感や胃の痛み、口内炎に対しては、そういうことに直接関係のない内科に行ったりしましたが、どうしても虚脱感はとれないので、精神科に連れて行きました。この虚脱感が今回の事故とどういう関係があるのかよく分かりませんが・・・。そして村田先生のお話を聞いて、母は自分の身に起きたことにいちいち思い当たるところがあるので、改めて自分が被曝したことを明確に自覚することができました。皆さんの中で茨城県の医療機関で信頼のおける人をご存じでしたら教えて下さい。
 
Q.350m圏内の根拠について教えてください。科学的根拠はないと言うことですが、何か意味があるのですか。

A.(代表)JCOは500mにしていただきたいと言った。根拠は全くないんです。これは東海村の村長が350mは避難した方がよいだろうと設けた。それをいいことに科技庁は350、350という考えでいる。2km先まで中性子は飛んでいますので私は、350mを取っ払って2km先までみてください、と強調しているわけです。350mは全く根拠ありません。
(事務局長)科技庁から科学的な説明があるかということですが、350mはマジックのような数字です。村長が決めた範囲は、円ではなく平行四辺形。その避難地域の人たちが350m圏内と言われているんですが、現実の所は、正確な円を描いて350mにしても避難していない人が沢山いらっしゃる。350m圏内で避難されていなかったんで、そこで中性子線を浴びた人たちは調査されていない。350mの根拠について何度も科技庁と話し合いを持ちましたが、科技庁は、専門家の健康管理検討委員会で議論されていて、それで乗っ取ってやっています、と言うだけです。はっきりした根拠や内容については、うまく350m圏内に1mSvで収めたなとしか思えないんですが。いろんな形で被曝線量を恣意的に引き下げてちょうど350mとしてうまく収まっている。彼らは彼らなりに、これはこういう遮断があって何mSv、ここの部分はこういうモニタリングポストからのデ−タだが、その数字は大きくて不自然で、何%かは線引きしなければならない、というような色々な科学的な議論で述べられる。これに対して専門家でない私たちは太刀打ちできない、というか何を言ってるか分からない。まずその専門用語の内容から説明してくれと思うんですけれども。前に科技庁から説明に来た人は、「えっ、そんな言葉も知らないんですか」と言われまして、「それはものすごい専門用語じゃないですか」と言ったら、それじゃこれは、これは、これも知らないんですか、と何回も言われて。そんな感じで巧妙に切り下がられていっている。こういったことは僕や父では返答仕切れないんで、専門家の方にお願いします。

Q.今回の事故は中性子線が主だといわれています。これによる大量被曝は間違いないと思うが、それ以外の放射能による影響がなかったのかどうか、科技庁も測定やっていると思うんですが。そのあたりで何か実態が分かれば。

A.(事務局長)科技庁がデ−タ調べていて、最高値で0.1mSv程度で、環境や健康に影響ない程度だという判断の仕方なんですが、私たちの顧問である東大の小泉先生の論文にはこうあります。「原子力安全委員会の報告によれば臨界事故に伴って環境に放出された放射性ガスによる被曝は無視できる程度に小さいとなっている。しかしモニタリングポストの記録を見る限りにおいて、放射性雲の拡散はそれほど早くないように思われる。そうならば従業員や近くにいた人々が非常に半減期の短い放射性ガスを含んだ高濃度の放射性雲に晒された可能性も否定できない」と言っています。いずれにしても小泉先生の考え方では、今の調査のやり方は正しくないので「これからの短寿命核種による従業員や周辺に住む人々の被曝評価、より広範囲の人々の10時35分時点での詳しい行動調査による中性子の被曝評価は国の責任で実施されなければならないはずである」。国はデ−タを取っているが、そのデ−タは無視できるほど小さいと言うのですが、小泉先生はそれは無視できない、と言っている。この辺も議論になると思います。



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