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私たちの訴えと取組み

11月28日、元日本軍「慰安婦」証言集会に参加して
 
 11月28日(土)、午後2時より、大阪市北区民センター大ホールで、「日本軍「慰安婦」被害者の声に応え今こそ立法解決を! 〜同時証言集会inおおさか2009〜」が開催されました。組合からも参加を呼びかけました。会場は400人を超える人で一杯になっていました。
 集会では、来日されたカン・イルチュル(姜日出)ハルモニから辛い体験と訴えを、また元「慰安婦」の方々が共同生活を送っておられる施設「ナヌムの家」に、日本人スタッフとして住み込みで働いておられる村山一兵さんから、日本人男性として働く思いを聞きました。
 集会の後半では、日本政府に「慰安婦」問題の解決を求める意見書を採択した宝塚市・箕面市などの市議会議員の皆さんの報告があり、国内各地で「慰安婦」問題の歴史の事実を直視し、解決を求める機運が盛り上がりつつあることを実感できました。
 続いて、参加した組合員の感想を紹介します。

日本政府が真の解決にむけて動くよう求めていきましょう

戦争中、日本政府・軍が関与した日本軍「慰安婦」が今も生きておられ、謝罪と補償を訴えておられます。しかし、日本の裁判では「時効」扱い、そして学校の教科書から「慰安婦」が消されていきました。日本政府は、公式な謝罪も賠償もしていません。
 来日した元「慰安婦」カンイルチュル・ハルモニは81歳。「ナヌム(分かち合い)の家」で共同生活中です。ハルモニの証言では、突然日本の警察に連れ去られ父母に言葉一つ残せずいる悲しさ、慰安所での恐怖の日々、殴られた頭の傷が今でも痛むことや、腸チフスに罹患したら穴に入れられ火をつけられ殺されかけたこと、などの体験を苦しみ、涙ぐみながら語られました。普段やさしいハルモニが興奮し、強い怒りをこめて話される場面もありました。現在も身体や心に傷や悲しみを持ち続けておられることが感じられ、とても辛かったです。ハルモニの願いは今後二度とそんな思いをする人がいないようにすることです。この事実を広げ日本政府が真の解決にむけて動くよう求めていきましょう。(O)

被害者の苦しみを理解し、歴史を学んでいきたい

カンイルチュル・ハルモニと日本人スタッフ村山一兵さんを迎えての日本軍「慰安婦」証言集会に参加しました。カンイルチュル・ハルモニは日本軍「慰安婦」として16歳の時に連行され、現在は韓国にある元日本軍性奴隷被害女性たちが共同して暮らす「ナヌムの家」で生活しておられます。
 村山一兵さんは「ナヌムの家」スタッフとして、ハルモニたちと寝食を共に過ごされ、今回は通訳も兼ねての同行です。
 私は日本軍「慰安婦」問題についての事実があることは知っていましたが、知識もなく、また実際被害にあわれた方から話を聞くのは初めてでしたので、この証言集会に深く関心を持って参加しました。
 ハルモニの証言が始まり、韓国語で話されるので、通訳なしには分かりませんでしたが、ハルモニの声のトーン、表情などからハルモニがどういう気持ちで話をされているか、私の胸にもひしひしと伝わってきました。
 ある日突然、日本警察が刀を下げてやってきて、工場で働けるからとだまされて連れて行かれました。連れて行かれたのは中国の慰安所で、そこで性奴隷生活を強いられることとなったのです。抵抗すると暴力を振るわれ、一日に5人も6人も相手をさせられ、子宮から血が出たそうです。そんなことはお構いなしに日本軍人たちはやってきて相手をしなくてはいけなかったそうです。
 ハルモニの声が段々大きくなっていって、身を震わせておられるように感じました。「慰安婦」被害者と名乗り出て、証言集会で証言され、本当は誰にも言いたくない辛い経験を話され、胸がつまる思いで一杯でした。また、会場から性奴隷生活の中で、軍人などとの金銭のやり取りがあったのか、という質問に対して、「あるはずがない」と怒りのあまり声を荒げて訴えておられたのには、本当に胸が詰まる思いでした。
 ハルモニの証言を通じて、また27歳という若さで植民地支配の責任をいかに果たしていくべきかを考え、「ナヌムの家」で働き、ハルモニたちと生活されている村山一兵さんを通して、戦争を知らない世代であっても、最低限、被害者の方が抱えておられる苦しみを認識し、知ろうとする努力を怠らないで、被害者の方の視点からもう一度史実を学んでいかなければいけない、と考えさせられた集会でした。(N)
(組合ニュース第5125号(2009年12月10日発行)より)
(2009年12月15日)

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