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阪南中央病院労働組合の要求/見解/主張



7月12日熊本地裁傍聴報告
水俣病・第二世代訴訟で原田正純医師が証言
  国・熊本県を批判、胎児性被害の解明を
  7月12日、熊本地方裁判所で、水俣病被害者互助会の胎児性・小児性患者世代の9人が国と県、原因企業チッソに損害賠償を求めた訴訟の口頭弁論が行われました。今回、50年にわたり現地に通って4千人に及ぶ被害者をみてきた水俣病診療の第一人者、原田正純医師の第一回証人尋問が行われるとのことで、組合代表派遣で傍聴に参加しました。

和解路線を拒否、闘い続ける第二世代訴訟
 水俣病被害者互助会訴訟は、2007年10月に提訴されました。原告は9名、70年代初頭に補償協定を闘い取った被害者たちの子どもの世代です(第二世代)。彼らは1959年前後、不知火海の汚染が水銀汚染がもっともひどかった時代に生まれました。脳性小児まひ様の症状をもつ人から、痺れや頭痛が加齢とともに顕在化してきた人まで、体験や症状は違っていますが、症状の原因が、チッソ水俣工場から垂れ流されたメチル水銀にあり、それを放置し続けた国・熊本県の責任を問うために立ち上がったのです。
 この訴訟はまた、多くの被害者を患者認定から排除してきた「77年判断条件」の誤りを正し、これまで未解明であった胎児期・小児期曝露世代の水俣病像を明らかにしていくことを目ざしています。彼らは、昨年以来の「特措法」による「第二の政治解決」で和解に応じず判決まで闘い続けるつもりです。これは「特措法」による幕引き§H線を許さない貴重な闘いです。

「国・熊本県は責任を果たしてこなかった」
 原田医師は、はじめに「診断には医学的知識も必要だが、環境汚染の場合は生活の場で、どういう環境で、どんな食生活をしていたのか確認しないと正しい診断はできない」と水俣病診療の基本姿勢を述べました。そしてスライドを使用し、水俣の漁村や被害者の写真を指しながら、同じ魚介類を食べたことで村全体が被害に遭ったことを説明していきました。特に胎児性の被害者が多く出たことにふれ、「メチル水銀が胎盤を通ると思っていなかった」当時の医学の常識を覆すために、胎児性水俣病の研究に従事した経緯や、「当時は劇症に目を奪われて被害のすそ野≠フ広さに目が向かなかった」と謙虚に振り返っておられたのが印象的でした。
 50年以上たってもいまだにこの問題が続いていることをどう総括するかと問われ、「行政は、本当にどこまで責任を感じているのか。実態をどれだけ明らかにしたのか。チッソの責任はもちろん大きいが、チッソが起こしたこと≠ニ矮小化し、何度もチャンスはあったのに動かず、責任を果たそうとしなかった。その歴史の積み重ねが現在まで続く混迷につながっている」と行政の対応を厳しく批判しました。

「胎児性の病像はまだ未解明」
 原告たちの世代の病像については、「感覚障害がベースにあるのは間違いない。しかし胎児性の場合は感覚障害がない場合もある。脳性小児麻痺タイプの胎児性被害が典型例として注目されて、それ以外のすそ野≠フ研究がされてこなかった」と未解明な部分が多いことを説明。大脳の局所的障害による「高次脳機能障害」という視点も必要ではないか、と指摘。「患者の言うことを素直に聞くこと」「訴えを聞けば若い世代の病像は明らかになる」と強調されました。
 
 「本当の論戦はこれから」
 原田医師は今75歳、いくつもの病気を抱えながらの3時間にわたる証人尋問でした。が、終始冷静に、自分の経験と自省も踏まえた証言は、水俣病に誠実に向き合った医師の半生を通じて、人としての生き方を問いかける講義のようで、大変勉強になりました。終了後の集会では「被告側が反論してきたときが勝負。本当の論戦はこれから」と気を引き締めておられました。
 原田医師に対する主尋問は、9月13日と11月15日の予定。その後は被告側からの反対尋問が予定されています。今回の傍聴を機に、組合として今後も支援していくことを呼びかけます。

2010年8月9日 組合ニュース第5143号より          
       
2010年8月27日

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