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「キリスト教カウンセリング」と私
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上野JTJカウンセリングルームカウンセラー
東京神学大学/クリスチャンライフ学院 講師
森 真 弓 |
私はクリスチャンの臨床心理士です。主 にスクールカウンセラーとして、
公立の学校とキリスト教主義の私立学校に勤務してきました。
ほかには、いずれもキリスト教主義の児童養護施設・精神科クリニック・ 大学等でも働いたことがあります。
もともとの私の専攻は聖書神学だったので、信仰による救いとカウンセリングによる援助の両方を念頭に置いていました。
平山正実医師のクリニックでは、教会の人間関係の問題を相談される方もおられ、心理だけでなく信仰にも話が及ぶこともありました。
平山医師の診察室の中で患者さんのために頭を垂れて祈る姿が、心の奥深いところに刻まれました(Bの立場)。
信仰と自我のテーマで調査研究をした修士論文では、赤星進医師とお交わりをもたせていただき、クリニックの中でもたれる患者
さんの聖書研究会にも参加させていただきました(Bの立場)。
両医師との出会いは、聖書や祈りを前面に打ち出す「魂の支援」との出会いでした。
一方で、その後に出会う藤掛明氏を中心としたクリスチャン臨床心理士の交わりが心の支えとなりました。
ここでは、心理士としての専門性にぶれのないことが基本姿勢で、臨床心理士としての倫理に則し、
聖書の言葉や祈りの姿を職場で出すことはありません(Dの立場)。
藤掛氏は聖学院大学での講義や自身のブログ等で「牧会カウンセリング」と「キリスト教カウンセリン
グ」についての概念や課題を発信してきました。藤掛氏紹介の一冊、賀来周一氏の『キリスト教カウンセリング
の本質との役割』(キリスト新聞社、2009)を読み込みました。
今回、CMCCから原稿の依頼をいただきまして、今、私が立っている位置を自分の言葉で自分なりに整理できる機会となり、
とても感謝しています。それが私のCMCCに関わる動機・目的、また関係性を表現するものでもあると思います。

まず、「キリスト教カウンセリング」についてですが、白井幸子氏の言葉を紹介します。「『神があなたを愛し、
目的をもってこの世に生み出してくださった故に、どのような状況にあろうと、あなたは価値ある存在である』という
メッセージをクライエントに伝える任務を負っている)」(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校紀要『テオロギア・ディアコニア]]]V』、1999)。
これを実行しているのは、A・B・Cのグループでしょう。牧師が、カウンセリング枠を設定してBやCの立場で活動する姿もお見受けします(A′)。
また、牧師でもあり公認心理師である方は、AかDの立場をとり、私のインタビューの範囲内では、積極的にBの立場はとらないような傾向があるようにも思います(注1)。
Bは心理専門家であり、聖書や祈りも取り入れるやり方のカウンセリングです。多くの資格があるのでBとCの境界は曖昧です(B′)。
CはCMFの皆様のような、心理専門家ではないけれど一定の学びや訓練を受けて、様々な方の悩み相談に携わっている人々です。
私は、公立学校ではもちろんDの立場ですが、クリスチャンを対象としたカウンセリングではBの方法を用いています。
上野JTJカウンセリングルームの来談者は、クリスチャンカウンセラーとしての意見を聞かせてほしいという方が多いのですが、
聖書を基盤にしつつ臨床心理学的な人間理解をしますので、すぐに助言や意見を伝えるということはありません。
特に福音理解がまだ深まっていない求道者のような方には、聖書の教えから入らず、福音理解に覆いを掛けてしまっていると
思われるような心の問題について、十分に時間を割こうとします(注2)。
さて、私がCMCCに関わらせてもらっている理由は、Cの人々の臨床心理学的学びを支えたいというものです。
実際は初めのコースの1コマ(「思春期の課題とその心理理解」)だけではありますが、すべてのキリスト教
カウンセリングに携わっている人との協働を目指す気持ちがあるからなのです。共に、主の愛によって解き放たれる
魂の支援について励まし合い、分かち合っていきたいと思っています(上野JTJカウンセリングルームはCの方々への
スーパービジョンもしています)。
最後に、Dの立場についてまとめたいと思います。時折、神学生等から、聖書も神様のことも語れないのにDの立場の
カウンセリングにやりがいはあるのか、と問われることがあります。言葉で伝えることはできませんが、Dのカウンセ
ラーに内在している<あなたは神によって目的をもって造られ愛されている、あなたは価値ある存在なのだ>という
相手への深い敬意と、神様がこの人を最善なところに導いてくださるという神への信頼は、カウンセリング空間に不思議な安心
(クライエント側)と魂への祈り(カウンセラー側)を満たすのだと思います。DとEには何らかの違いがあると思っています。
クライエントの心理的健康(自立)を目標としつつも、背後で主を呼び求めて祈ります。
この聖霊の導きを求めることは、CMFの皆様にとっても、私にとっても土台となるカウンセリング方法なのではないでしょうか。
自分自身の信仰が問われていると自覚して過ごす毎日です。
また、究極のカウンセリングは「共にいる」ことだと言われます(賀来、2009、p.41)。
CMFの皆様が悩みある方と共にいる日々を過ごされていることに心からの敬意を表したいと思います。

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