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アマチュアであることのメリット



日本基督教団吉祥寺教会牧師
CMCC副理事長・スーパーバイザー

        
吉 岡  光 人

 ある精神科医が、電話相談のボランティア活動に関して、「非専門家(アマチュア)にもメリットがある」と言っています。当然のことながら、非専門家は専門家に比べて知識や経験が少なく、技術も劣るわけですが、その分、技法にとらわれずにその人本来の良さで対応でき、気持ちに寄り添いやすいという一面があるというのです。

 誰でもボランティアを始めたころは、自分の対応が適切なのかどうなのか心配になったと思います。しかしそうした気持ちを抱いて対人援助に向かうことは、自分に自信がない分だけ、むしろ謙虚な姿勢になり、また新鮮な思いで赴くことができるというのです。

  この文章を読んだ時、東京神学大学に在学中、牧会カウンセリングなどを教えて頂いた三永恭平先生の授業で聞いたことを思い出しました。それは、先生の著書にも書かれていますので少しご紹介します。

「人間関係には本当はプロは存在しないと言っていいのです。人格と人格との出会いは、いつも新しくユニーク(独特、唯一)ですから。それはその都度ユニークな、新しいものであり、わたしたちはそこでは、たとい専門の心理学者であり、カウンセラーであってもアマチュアたるべきなのです。」
  (三永恭平『こころを聴く−牧会カウンセリング入門−』日本基督教団出版局 より引用)

 また、この本にも書かれていることなのですが、アマチュアという言葉には積極的な意味があるということなのです。 今ではほとんど日本語になってしまっている「アマチュア」は、「素人」と訳されることも多いですが、英語の amateur とは、ラテン語の AMATOR(愛する人)を語源としていて、「愛好家」とも訳されます。愛しているからこそ熱心に行うのであり、好きだからこそ続けて活動できる、それがアマチュアということです。 それゆえにアマチュアは、見返りを求めず、純粋な気持ちで行うことができるというわけです。 「自分はアマチュアだからこれくらいしかできない」と、対人援助活動になかなか自信を持てない方がいます。謙虚であることはとても大切なことですが、自分の非力さを必要以上に卑下しないことも大切だと思います。むしろアマチュアであることに誇りをもって活動することが、どれほど意義深いことかを知っていただきたいと思います。

 さて、アマチュアであることのメリットに関してもう一つ思い出すことがあります。中学生時代のクラスメイトで子どもの頃からバイオリンを習っている女性がいました。彼女はその後音楽大学に進学して音楽家になったほどですから、中学生当時からかなり本格的にやっていたのです。その彼女は、小学生や中学生だけで編成されているジュニア・オーケストラに入っていました。私は他のクラスメイトたちと一緒に、何回かそのオーケストラの定期演奏会に聴きに行ったことがあります。オーケストラの指揮者で指導者でもあるT氏は、ジュニア世代の育成に情熱を傾けていた方で、難しい曲も選曲していました。ところがT氏は数年後急逝されてしまったのです。数か月後だったと思いますが、T氏を追悼するコンサートがテレビで放映されました。涙をこらえながら弾いている団員もいました。みな一所懸命に演奏していました。同世代の私にもその光景は感動的でした。

 曲と曲の間に、一人の団員が追悼文を読み上げました。その中でとても印象深い箇所がありました。ある曲目を練習している時、どうしてもうまく出来ない箇所があって、指揮者は繰り返しその箇所を練習させました。それでもうまく行かない。ある団員が「先生、この箇所はプロの人でもごまかして弾いているところです」と言ったそうです。すると指揮者はこう応えたと言うのです。「君はアマチュアではないか。だからトライするんだ」と。その応えは、若い音楽愛好者たちに強く印象に残ったようです。私もとても印象的に聞いた覚えがあります。その時の演目は今はもう覚えていませんが、この少年が読み上げたエピソードは今でも時々思い出すのです。

 「プロが避けるようなことでもアマチュアだからこそトライする」、 それはまさに 「愛好家」であるが故の姿勢に他ならないと思います。

 「アマチュアだからこそのメリット」ということを申しました。知識や技術や経験年数は専門家にはとても及ばないけれども、それゆえのフレッシュさがあって、それが対人援助のメリットにもなり得るということは、アマチュアの特権だと言えるでしょう。そして同時に言えることは、アマチュアだからこそごまかさないで、ひたむきにスキルの向上を願い、そのためのトレーニングを欠かさないことが大切だということです。「わたしは素人だからこれくらいしかできません」と卑下することも、「わたしは素人だからこれくらいで十分」と割り切ってしまうことも、どちらも問題を含んだ考え方です。「わたしはアマチュアです。だから、未熟ですけれどいつでも喜んで奉仕します」と謙虚さとひたむきさを併せ持って、「善いサマリア人」としての奉仕に赴きたいと思います。