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共に歩む幸い



CMCC副理事長
CMF
        
吹 抜 悠 子

 この度、CMF(CMCCのボランティア相談員)の私に、執筆の機会が与えられました。草創期から活動に携わって20年余り、多くの幸いを受けてきた者の一人として、胸いっぱいの感謝を記したいと思います。CMFの幸いは、多くの出会いを通して友を与えられ、共に歩む幸いです。

ハッと驚く
  先覚者の先生方が準備を重ねられ、それに共鳴する多くの人々が集まり、1991年5月、CMCCが発足しました。「精神の不調・病をかかえる人々の重荷を担う」「心病む人々の友になろう」という呼びかけ。右も左も分らないながら、いつの間にかその一員となった私にとって、当初は180度の転換を伴う驚きの日々でした。

 河野進という方の詩が紹介されました。
     「病まなければささげ得ない祈りがある
     …病まなければ聴き得ない御言葉がある
     …おお、病まなければ私は人間でさえあり得なかった」

と詠われているのに、衝撃を受けました。「病をもつ人との間に、隔てるものがあるように感じていたのは、間違いだった」「向こう側の人ではないのだ。病を負う人は、私の達し得ない境地を知っている人。そのような人と出会い友となることこそ、私たちの目指すことだ」と示されました。

複雑な苦しみを負って
  CMCCで、病をかかえる方、悩みを負う方に出会い、お話を聴いてきました。時には、明るい声でうれしい出来事を話してくださることもありますが、やはり多くの相談電話の中で、病気の症状(肉体的・精神的)、周りの人々との対人関係の難しさ、環境についての不満(社会的)など、多岐にわたる悩み苦しみを語ってくださいます。

  このような数々の多様な苦しみの重荷を、どのように担っていけば良いのでしょうか。

いろいろな場面で
 CMCCでは、電話相談の形で広く窓口を開いており、その働きをCMFが担当しています。その他に、専門家諸先生の協力により、医療相談・心理相談・法律相談を行っています。また特徴的なこととして、毎月「虹の会」(当事者会)、「めぐみ会」(家族会)、「ティールーム」を開催して、ユーザーの方々と共に過ごす交流と支え合いのひとときを持っています。このように私たちは、さまざまな形の活動を続け、真のニーズに応えたいと願いつつ模索し努力しています。

変わらずに続くもの
 CMCC発足当時の1990年代初めに比べ、社会の状況、私たちを取り巻く環境も大きく変わってきました。精神科医療について言えば、各地域に精神科のクリニックが増え、その敷居が低くなってきて、精神疾患に対する一般の人々の理解も、多少広まる傾向にあります。21世紀に入り、精神科医療・保健・福祉の制度も変化しました。居場所あるいはリハビリ施設としての精神科デイケア・ナイトケアが、充実しているところも既にあり、訪問看護が行われる所も増え、グループホームも少しずつ設置が進んできました。地域活動支援センター等の施設も同様です。ただし、まだまだ著しい地域差があります。

 このような時間の流れにあって、一貫して変わらず私たちに求められている務めがあることを、ひしひしと感じています。それは、重荷を負うユーザーの方々と共に歩む、良き理解者、伴走者となることです。「何故この私がこの病気に…?」「病気のために働けないのです。私の人生に希望はあるのでしょうか?」「いつまで待てば癒やされるのでしょうか?」と、深いところからの声を受けとめ、答えのない問いに共に留まることではないでしょうか。苦しみを抱える方を前に、人としてこうべを垂れる思いになりながら……。

打ちのめされて
 CMCCの活動の中で、多くの出会いがありますが、ときには予期しない出来事に直面することがあります。また、活動を進めるために常に学習と訓練を続けなければなりませんが、そうした機会に、自分の無力さをイヤというほど思い知らされる経験を与えられます。どん底に突き落とされたような経験です。人と出会い共に歩む道は平坦ではなく、険しい山あり谷ありの道のりでもあります。

土台に支えられて
  「どん底」に突き落とされたとき、それよりもっと低い所から支えてくれる土台が、私たちCMFにはあったのです。

 CMCCは、キリスト教の精神に基づいて活動を行っています。特定非営利活動法人(NPO)として持つ定款の中でも、そのことを謳っています。その意味は、キリスト教を旗印や看板として振りかざす(布教活動をする)のではなく、まさに土台としてキリスト教精神に基づき、キリストの愛に支えられているということなのです。

 どん底に陥っても、もっと低い所から支え助けていただいた経験―無力な私でも「OK」と言っていただき、そして「そうだ、こんな私でも大丈夫!」と自分を受け容れることができた経験―これほど感謝なことはありません。

共に歩む幸い
 「今日はどんな出会いがあるのかしら?」と期待を胸に相談室の扉を開け、関わりを求めてこられるユーザーの方の友となり、一緒に活動する仲間とも互いに友となり、悲喜こもごも歩みを進めています。5年、10年と長いスパンになることもあります。このような日々を重ね、良き理解者、良き伴走者になれたら幸いです。そのとき、相手の方が私の伴走者になってくださったのかもしれません。

 最後に一言申し添えます。今後は、私たちと目的を共にする諸団体と連携し協力関係を築いていけたら、と願っております。