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「支え合い、共に成長する」



石郷岡病院(精神科医)
日本アライアンス教団 千葉キリスト教会牧師
CMCC協力会員

        
山 中 正 雄

孤独な時代の中で
 日本全体が都会化する中、人間関係が希薄になりました。周りを見ると、孤独な人々で溢れています。 子育てに行き詰まり、少子化傾向に歯止めが利きません。人を信じてもよいのか。不用意に近づくと、 だまされるのでは…。詐欺や暴力に関するニュースを聞く度に、心が硬化していくのを感じます。 殺伐とした大都会・東京と横浜で20年間にわたり、CMCCの活動が続けられてきたことは一つの奇跡を呼べるかもしれません。 キリストにある信仰と交わりを土台として、多くの受講者による堅実な学びと共に、CMFによる細やかな奉仕・配慮がなされてきました。 その活動に参加できたことは大きな喜びです。

子育てから学ぶ
 20年ほど前のことです。「わが家に里子を迎えよう」という妻の提案から、血の繋がっていない子どもの養育が始まりました。 かつて妻は異常妊娠で流産。4年以上も子どもが生まれなかったからです。最初に迎えたのは3歳10ヶ月の女の子。 精神的に不安定な養母のもとで身体的虐待を受け、身体には多数の傷跡が残っていました。手のかかる典型的な多動児でしたが、今は落ち着き自立し、福祉施設で働いています。その後、養育放棄(ネグレクト)された里子(当時、2歳10ヶ月)も委託されました。当初は、超未熟児のため学業の遅れが目立ちました。それでも片道2時間をかけて元気に高校に通っています。

 委託された幼児2人は、通常の子どもとは異なる行動を取りました。思い通りにならないと叫ぶ。ひとたびパニックを起こすと、おさまらない。奇声を上げて物を壊すことも…。感情の起伏が激しく、どのように対応すべきか、夫婦でよく話し合い、ひとつの方法を用いることにしました。それは、パニックに陥ると刺激せず、広い部屋で一人にさせ落ち着くまで待つ、一定の時間が過ぎた後、静かに語りかける、というやり方です。冷却期間を置くことで、親子の双方が揺れる気持ちを鎮めることができました。やがてパニックの回数は減っていったのです。何があってもあせらず忍耐をもって子供の成長を待つこと。できるだけ安定した気持ちで接すること。子育ても精神科治療も共通部分が多いことが分かりました。

一緒に成長する
 子どもが与えられるまでは、だれも親と呼ばれることはないでしょう。自らの子どもに出会った日が、親の誕生日になります。求める者と受けとる者、大きな者と小さな者…。異なる立場にある者たちが親密な交わりを作り、苦楽を共にしながら成長していく。それが子育てという生命を育む活動の真相ではないでしょうか。

 ある日、精神科外来に通う1人の女性がふと口にした言葉を忘れることができません。 「先生は若い頃、過去のことにこだわっても仕方がない、現在のこと、将来のことを考えなさい、とすぐ言われた。その時は、とても辛くなり主治医を変えたいと思ったこともある。しかし先生が里子を育てるようになってからは優しくなり、どんな話も聞いてくれるようになったので、今は安心している」と。そうだったのか、と過去を振り返り、自己の未熟さを恥じました。さらに短気で傲慢であった者も打ち砕かれ、一緒に成長することができる幸いを実感しました。

ニードを理解する
 ある若い夫婦に可愛い女の子が誕生しました。仕事熱心な父親は忙しく、家庭をかえりみる余裕がありません。そこで母親が子どもの養育をすべて引き受け、生活全体を細かく管理しました。両親が病弱な体質をもっていただけに、子どもの一挙手一投足に目を光らせ、すぐ注意することが習慣となったのです。すべて親心によるもので、善意であったことはいうまでもありません。しかしその子には、それは過干渉でした。心の奥に不満が次第に蓄積され思春期になると、親のコントロールは効かなくなり、反抗心がメラメラとわき上がり、怠学・家庭内暴力・非行へと突き進みました。不快なことがあると、すぐにキレル若者になったわけです。

 一体、何がよくなかったのか。母親はカウンセラーに相談し、過去の経緯をすべて話し、親子の関わり方を点検しました。あれもこれも善意の押しつけだったこと。いちばん大切なことは、親の枠にわが子を押し込むことではなく、子どものニードを知り、その求めに対して誠実に答えていくことだ、と気づいたのです。そして、母親が子どもの心の深みまで理解し、ニードに答え始めると、娘の反抗的態度は消えていったのです。

自立のための援助
 10人の人がいれば、10の個性があり、ニードも年齢とともに変化していくでしょう。養育者も援助者もその時点で、相手に必要なものは何か、見抜く力が求められるわけです。  子育てにおいては、親ほど心の成長に深く関わる存在はありません。たとえ意識していなくても、養育者は子供に大きな影響を与え、人格の核は家庭において作られます。心も体も日々成長する子どもたち――。小さな存在が今日必要としているものは、昨日必要としたものと同じではありません。その変化も考慮しながら、子どもの言動にいちいち干渉せず、支配をしない。先回りしてやりすぎることも避ける。過干渉・過保護に注意しながら、子どもを自立へと導く…。小さな作業の積み重ねが子どもの心を育てていきます。

 それと同様に、心の病で苦しむ魂の支え手には、同伴者として歩む愛情・忍耐・知恵が不可欠になります。人は安心・安全が保証されると、自信が生まれ、自立への道を歩み始めます。そうした成長をもたらす援助者が 1人でも多く生まれることを願わずにおれま せん。