37
社会とキリスト教の役割

CMCC監事(弁護士)

        
清 水  徹

1.精神障害者の人権と社会防衛立法

(1) 昭和40年代、法務省の刑法改正案が論議を呼び、特に「保安処分」制度の創設には日弁連が反対した。精神障害者の強制入院後、退院遷延などで拘禁に近かった。開放病棟を採用している病院のあり方を手がかりに、病気を犯罪と直結させることなく、一般市民同様社会で生きる権利の保障が不可欠と考えた。「保安処分」は罪を犯した病者が治癒し、再犯のおそれがないと判断されるまで入院を延長できるものであった。生活を考えれば「福祉」を重視することが重要とわかっていたが、そういう施設を作るための予算措置を考えた制度は進まないままだった。今日病気に対する偏見からの脱却も含め状況はかなり変ってきたが、社会安全の観点から「心神喪失者等医療観察法」が平成15年に制定された。治療を重視しているが、退院の保障は十分でなく、保安処分をほうふつとさせる。責任能力の範囲を拡大し刑務施設で刑を受けさせるか、責任能力がないか低いとされ治療入院させる人々とに分けられる。退院できるか否かは再犯のおそれの有無にかかるが、正確な判断基準がないため入院を続けさせる傾向があり、人権が侵害され続けるおそれがさけられない。再犯が生ずるのは生活が苦しい、対人関係がよくない、職場から排除されるとか理解されない中でのストレスが大きな原因となっている。生きる場、社会とのかかわりの場をもっと保障される仕組みが必要であるとともに、退院は社会生活を支え、人権に十分配慮した社会関係基準が名実ともに必要だ。

(2) 人権法律相談
 CMCC創立当初、毎月1回土曜日に本部で法律相談を受けていた。近隣者の目で障害者を入院させる方法はないかという相談があった。強制入院は医療の問題として、病人中心にまわりが協力する問題であり、排除の問題ではないというのがCMCCの精神であることを理解してもらった。法律相談は生活に関係あるものは家族の協力も含め分野を限定しないことが必要であると考えている。

2.矢内原忠雄と賀川豊彦と社会

(1) 矢内原忠雄は無教会キリスト者の内村鑑三の弟子として、内村のあとを引きついで集会を主宰し、講演活動や『嘉信』という伝道誌で多数の宣教を行った。大卒後サラリーマンを2年でやめ、東大経済学部の新渡戸稲造の講座を引きついだ。日中戦争の頃の日本の侵略を批判し、日本を亡びの中から再興してほしいと祈るなど、言論活動により右翼教授らの反発の中で大学を追われ、伝道活動に力を入れた。戦後復学し、経済学部教授から新しくできた教養学部の初代学部長として、日本を背負って立つ若者達が視野を広く、専門バカにならぬよう教養学部教育に力を入れた。その60周年を記念して今年数ヶ月にわたり記念講演、展示会が開かれ、学者として教育者として思想家としての業績、キリスト者の面からの影響について教え子、研究者による発表がなされた。戦後日本復興のための教育者として、言論家として社会の柱ともなった。
 私は高3の年、矢内原先生の『キリスト教入門』を読み感動し、信仰に導かれた。

(2) 賀川豊彦は16才の時洗礼を受け、神学校に入って伝道活動も行い、救貧活動を行いアメリカに留学し、生活協同組合運動を始め、労働運動、農民運動、医療組合など友愛に基づく政治、社会運動の先駆者となった。○○運動の父の名を冠せられる人である。今年は賀川献身百周年として、行事が関西中心で東京でも行われている。
 世界中を伝道して回り、ノーベル平和賞候補に3回なった。同氏の『一粒の麦』『死線を越えて』に感動を受け、自分はどう生きるべきかを考えさせられた。

(3) キリスト信徒の生活
 信徒が生きていく時、依拠するものの最大のものは聖書、特に新約聖書、中でもイエス様が教え、説き、予言した言葉であろう。もう一つはこの世の憲法を初め諸法律、慣習、慣行、礼儀などの正しい規律などであろう。この双方が対立することは現代日本では多くない(最近カトリック教会では、裁判員裁判の裁判員にならないよう聖職者に勧めた)。日本ではクリスチャンは人口の1パーセントと言われる。日本人に合った伝道力は強くない。キリスト信徒はイエス様により救われ、他の人々を救いに導くことが求められている。社会の人は立派な人を尊敬し、信徒と知れば改めて評価する。そのようなプロセスが働くほど偏見は減り、理解者は増すのであろう。日本は世俗国家であり、キリスト者が生きにくい社会ではない。明るく、人々のために働き、正しさを助け、寛容をもってつきあえば、一人一人の生き方が新しい共感と信徒を生むことにつながるのではないだろうか。

3.犯罪被害者家族による死刑反対の動き

 アメリカは死刑のない州があるが、かなり死刑が行われている。近年死刑に対し反省する人々の声も少しずつ広まっている。被害者遺族として怒り、恨みは大きいが、死刑にしても相手を抹殺して問題が解決するわけでなく、遺族が極刑を要求し、犯人殺しに加担したことが良心の痛みとなり、悩みから逃れられない人も少なくない。アメリカの刑務所の面会は格子のない部屋で、互いに向き合って話せることもあり、心の壁を作らず交流できるようである。死刑にきまった青年達の生の声を日本のカメラマンが聞き撮った映画を見たが、反省をし、将来のある青少年が死を待つ状態には考えさせられる。
 法的是非善悪に決着をつけることで終らず、被害者家族が加害者家族に会い、加害者にも会ってその将来のあることを希う。互いに相手方の気持ちや人生を聞いて理解し合い、謝罪と被害者への償いを一生行ってゆく。加害者を社会に迎え、社会に同様な犯罪が起きないよう経験をもって語り、防犯につとめてもらう。新しいゆるやかな協同体ができていくイメージがある。アメリカ社会では犯罪が社会の諸々によって起きているので、単に個人の責任ではすまないということが理解しやすい国柄のようだ。
 「報復司法から修復司法へ」という標語のように、一つの犯罪によって破壊されたことを加害者と被害者とその家族との間、社会との間、加害者家族と被害者家族、社会との間でどのように修復して共に生き、協力していく社会の枠組を作っていけるか、これを司法にも反映する、社会福祉型社会を作るという運動が行われつつある。