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思いを一つにして

斎藤病院(精神科医)
CMCC理事長
            
中 村 陸 郎

イエス・キリストと精神障害者

  福音書に出て来るイエスの記事の中でも、特に私たち精神科の医療や福祉に携わっている者にとって注意を引く箇所は、イエスが多 くの病人、特に悪霊に取りつかれた人をいやされたという記事です(例えぱ、 マタイ 4:23−24、8:28−33、9:35)。 当時の社会の底辺で苦しんでいたこれらの病める人たち、当然それらの人たちは貧しかったのでしょうが、そこヘイエスは行かれ、 いやされたのでした。そのことを想起するときに、イエスの深い憐れみ、深い愛に心を揺り動かされる思いがします。 もしイエスが現代の社会に来られたならば、どうなさるだろうか? 精神病院で長年入院している精神障害者の人たちがイエスに よってたちまちいやされ、喜びに包まれる姿を思い浮かべたりします。 しかし現実には、多くの精神障害の方たちが完全な回復に は至らずに、苦難の道を歩んでいます。イエスの愛を受けた私たちが、少しでもこのような方たちのために愛を注ぎ、支援していければ と思います。

秋元波留夫先生のこと

 2007年4月25日、秋元波留夫先生が、101歳の地上での生涯を終えて、天に召されまし た。
先生は私の恩師でもありますが、精神医学の領域における著名な研究者、学者、教育者であり、死の直前まで精神科の医療や福祉の分野で目覚しい活躍をされました。執筆活動でも精力的に最後まで取り組まれていました。 生前人前で自分がキリスト者であることを余り公表されることが無かったので、先生がキリスト者であったことは余り知られていないようですが、アルベルト・シュワイツァーの 『イエスの精神医学的考察』(注1) の訳者まえがきの中で、先生はこの書物が自分をイエスを信ずる道に導いたと書いておられます(注2)。 先生の正義感の強さは天性のものもあるのでしょうが、あの溢れるようなヒューマニズムの源泉はキリスト教の信仰ではなかったかと私は推測しています。先生が書かれた大作 『実践 精神医学講義』(注3)の中で、先生は日本における精神科医療や福祉が遅々として進展しない現状を手厳しく批判をされています。 その一つとして、精神障害者福祉の中に精神障害者のリハビリテーションが埋没し、なおざりにされていることを挙げ、アメリカのリハビリテーション法のようなものが日本でも必要なのではないかと指摘されています(注4)。 精神障害が完全な回復に至らないことが多いことについては先述の通りですが、この故に生ずる機能障害、能力障害、社会的不利の克服のために、医学的・社会的なリハビリテーションが必要なのであります。 自立支援法が施行されるようになって、先生のこの指摘が益々重要性を増しているように思われます。

熊澤義宣先生と障害者神学

 熊澤義宣先生がCMCCの創設に重要な役 割を果たされたことはご存じの方が多いと思います。 先生はCMCCが発足した1991年から2000年まで9年間にわたってCMCCの理事長を務められました。 先生は2002年8月7日召天されましたが、その後先生の著作が次々と刊行されました。 その中の一つ 『キリスト教死生学論集』(注5) には、先生の障害者神学、福祉の神学についての論考が収められています。 この度あらためてこの本を読み返してみて、精神障害者のために心を砕かれた先生の暖かい心が溢れていること、同時に神学者として新しい分野を切り開かれ、ユニークな神学を展開されていることに共感と敬意を覚えました。 この本はキリスト者として障害者、特に精神障害の方たちにどのように関わり、支援して行ったら良いかという点でも様々な面で教えられることの多いものであると思い、できるだけ多くの方に読んでいただければと願っています。 世界は今まさにアメリカに端を発した経済的危機に直面していますが、競争杜会が生み出す様々な矛盾と弊害が指摘されている中で、共存社会こそこれからの未来を切り開く可能性を持っていると考えます。 そうした共存社会の形成の上で、障害者の存在は積極的意味を持っている、それは「競争社会」に歯止めをかけ、「共存社会」への転換を迫る役割であると先生は説いておられます。

ベーテルでの出来事

 北ドイツのビーレフェルト郊外にある障害者の町として有名なべーテル(Bethe1)。 まさにここは共存社会のモデルともいうべきところです。熊澤先生が障害者福祉に関心を持つ契機になったのが、ドイツ留学の折この町への訪問であったとのことです。 べーテルのことは、この本の中にも紹介されていますが、秋元波留夫先生も前述の著書 『精神医学講義』 の中で、ナチス・ドイツによる障害者抹殺計画とべーテルにおける当時のボーデルシュウイング牧師と医師ショルシュによる死を賭しての抵抗について詳しく述べられています(注6)。 べーテルで命がけで障害者を守ったこれらの人 たちの人間愛と勇気を心に刻み、良き教訓にしたいと思います。

思いを一つにして

 「そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、"霊"による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、 心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。」(フィリピの信徒への手紙2:1−2)
私たちは罪多き弱い存在です。主の深い憐れみによって罪を贖われ、平安と希望と永遠の命の中に生きる喜びを与えられています。そのような者同志が精神障害者の支援のためにボランティア活動をするべく集っている 団体がCMCCです。どうか神より賜わる聖霊によって思いを一つにしてこの事業に取り組んでいこうではありませんか。


(1)アルベルト・シュワイツァー著、秋元波留夫訳『イエスの精神医学的考察』、創造出版、2001年
(2)前掲書、訳者まえがき、4頁
(3)秋元波留夫『実践精神医学講義』、日本文化科学社、2002年
(4)前掲書、683頁
(5)熊澤義宣 『キリスト教死生学論集』、教文館、2005年
(6)秋元波留夫『実践 精神医学講義』(前掲)、761-763頁