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現代におけるCMCCの役割
―心病む人とのかかわり―


日本基督教団久我山教会牧師
CMCC理事
        
尾 崎 マ リ コ

 最近の社会情勢を見ておりますと、政治的 な混乱はさることながら、複雑な社会環境に適応できずに、心病む人々が非常に多いことに驚かされます。一方、家庭内でも、行き詰 まりから暴力事件が起こるなど、悲惨な事件は後を絶ちません。最近、よく聞かれる親殺し、子殺しといったようなことは、以前には あまり聞かれなかったことでした。また、学校でのいじめ事件など陰湿な事件が続出し ています。驚くべきことは、そういった事件 そのもの以上に、その事件を知りながら同じ学校の生徒も教師でさえも、起こった事件に対して何の手も打たなかったということです。 事件にかかわって火の粉をかぶりたくない、家庭内のいざこざを他人に知られたくない、責任をとりたくないという自己防衛なの でしょうか。そういったことが社会の中で平然と通ってゆくということに不安を覚えま す。ここに今日の社会にくすぶる大きな問題 があります。

 ところで、こういった自己防衛的な在り方は、聖書で記されている生き方とは全く反対の在り方です。聖書は、自己保存、自己防衛 よりも自己放棄を勧めます。そして「友のために自分の命を棄てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネによる福音書15:13)と 教えます。しかし、これを聞いた人々は、「そんな馬鹿らしいことはない。それでは自分の負けではないか」というでしょう。けれども聖 書は語ります。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、・・・恐れる者には愛が全うされていないからです。 わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです」(ヨハネの手紙I4:18-19)と。

 わたしたちは、自分が人を愛せるかどうかということよりも、信じるものは、既に神の愛によって捕らえられていることを聖書か ら教えられます。 そして、その「証」(あかし)として、神はわたしたちを、人を愛する者へと変えてくださいました。

 創世記の初めに天地創造の物語があり、その次に「神はご自分にかたどって人を創造された」(1:27)と記されています。そして、神は人が一人で いることを善しとなさらず、互いに助け合い、愛し合って生きるようにと、もう一人の人間をお造りになりました。つまり、神はもともと、人間は互 いに向かい合い、助け合って生きるようにお造りになったのです。「人間」とは「人の間」と書きますように、この「間」を如何に生きるかということが、 神からわたしたちに委ねられている課題です。しかし、現実はどうでしょうか。そのように造られた人間が神の目的に添うよ うに互いに愛し合い、助け合 うことよりも、そして互いに相手に聴くことよりも、むしろエゴイズムまるだしで生きることの方が多 いのではないでしょうか。どんなにわたしたちが 平和を望みましょうとも、心底、愛し合い助け合うという姿勢がお互いの間に生ま れない限り、人と人との間の争いは絶えません。人間の罪の故であります。 世の中に本当の平和が到来するのは、神が何の罪も犯されなかった御子イエス・キリストを十字架につけ、わたしたちすべての者の罪を贖ってくださった、 ということをすべての人々が信じることができるようになった時であります。このこと以外にありません。これを信じることのできる者は、イエス・キリスト による神の愛に促されて、他に仕えることを喜びとする者へと変えられていきます。

 主イエスの心を心として現実を生き抜き、身を挺して、貧しい人々、 心病む人々のために生涯を捧げたマザー・テレサのことを思います。そして、外国だけではなく、わたしたちの近くにもそのような生き方をしている 方がおられます。 先日(9月13日の朝日新聞)報道されておりました宮崎大学医学部の 細谷まろかさんという方です。細谷さんは、医療活動のためにインドに派遣されました が、 活動のなかで現地の患者と言葉が通じない苦労を味わわれました。その厳しい経験の中から次のように言っておられます。

 「最新の設備や技術を使わなくとも、全身 を耳にして聴き患者を理解する努力が必要 です。これは、医師と患者という立場ではなく、すべての隔たりを越えた一個の人間と人間との関係でこそ、 できることだと思いま す。」この言葉は、まさに、わたしたちCMCCの活動の中で、心病む人々に接するとき に、最も大切な心構えであります。心病む 人々は非常に敏感で、ちょっとした言葉遣いの中にも、聞き手の心の奥底のある思い上がりを感じとります。すると、どんなに大切な電話の話の途中でも、 いきなりガチャン!と 向こうから電話が切られてしまいます。とにかく、誰にも言えない「自分の思いを聞いてほしい」という渇望を持って電話相談をしよ うとしておられるのです。それにもかかわらず、その電話が十分に聴けないとなると、苛立ちを覚えられるのも当然でしょう。

 クリスチャン・メンタル・フ レンドの活動の訓練はまさにこの点、つまり「相手に聴く」ことに集中します。「相談電話の相手の言葉をどこまで傾聴するか」ということの訓練です。 このように考えますと、わたしたちCM CCの活動が、今の時代にどんなに必要であ り、また大切な務めであるか。わたしたちは、聞くことに本当に慎重でなければならない ということを思わせられます。また傾聴するということは、 CMCCの奉仕の場だけでな く、一般的に人と人との交わりにおいても大切なことです。相手に傾聴することを優先することによって、相手を良く理解し 互いに心を和ませ、争いのない社会、豊かな社会が形造られてゆくことを信じます。

 CMCCは、まことに目立たない、小さなグループですけれども、 人間の存在の根本的な問題に触れる大切な役割りを担っていま す。それは、複雑な社会に適応できず、心病む人々の憩いの場所としての大きな任務で あります。その任務を果たす群として、わたしたちCMCCの仲間同士がまず、互いに助 け合いながら、与えられた仕事を進めていきたいと思います。 そして、このような奉仕の業を通して、殺伐とした現代の社会に貢献し、少しでも、人々の心に潤いを与える力となることができればと願います。

 共にCMCCの交わりに加えられていることを感謝したいと思います。