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CMCCさらなる発展のために
神奈川県立がんセンター精神科医長
CMCC協力会員
            
大 西 秀 樹

 今回、CMCC編『続・心病む人々と共に』で終末期医療における精神医学的な問題に関して書く機会を与えていただきました。がん患者さんに関する精神医学的問題および終末期医療における精神医学的課題について解説させていただいたのですが、ここでも少しだけ触れたいと思います。がん患者さんは種々の問題を抱えながら病気と闘っています。患者さんが抱える問題は身体的なものにとどまらず、社会的、心理的、さらには霊的な面にまでおよぶことから「全人的苦痛(totalPain)」と呼ばれています。全人的苦痛は個人の全生活史がからんでくることから複雑で未知の部分も多く、検討しなければならない領域を数多く含んでおります。さらに終末期の段階になりますと、上記に加え、死に直面した心の問題もあります。これほどまでに多くの問題を抱えながら、実際のところ、終末期における心の問題に関する現状は痴呆症に関する問題に比較するとまだ十分に知られておらず、社会的基盤も伴わず、そのため対策も十分に立てられておりません。しかしながら、高齢化社会を迎えてがん患者が増加している現在、社会が直面していかなければならない重要な課題でもあります。もちろんCMCCにとっても今後避けて通れない問題であり、今回「終末期医療における精神医学的な問題」がCMCCでとりあげられましたことは、高齢者の精神医学と並んで今後の課題であることが反映されたものであると考えております。

 私事で恐縮ですが、2002年4月から神奈川県立がんセンター緩和ケア病棟勤務となり、精神科医と緩和ケア医を兼ねて終末期がん患者さんの心と体のケアを担当しております。入院される方々は全員がん患者さんで、今以上の治癒的治療を望まれない方、治癒的治療が有効とみなされない方々です。この一年で120名ほどの患者さんが入ってこられました。緩和ケア病棟に入られる方々の平均在院日数は約50日ですが、数日の滞在の方もあり、ほとんどの方は亡くなられて病院を出てゆかれます。月に10名前後の方々が亡くなられている現状で、常に死というものを患者さんもご家族も病棟スタッフも感じながら日々過ごしております。死が目前に迫った方々の苦悩を目の当たりにしながら、患者さんたちが最後の日々を有意義に過ごせるよう痛み、苦しみを軽減するべく、スタッフ一同日夜奮闘しております。

 さて、がんに罹患された方々がどの程度の精神的負荷を負っているとお考えでしょうか?がん患者さんの精神医学的有病率「有病率:ある時点(検査時)における集団の疾病に罹患している人の割合」について検討した研究では、新規にがんと診断されて入院した患者さんの47%に精神医学的診断がつき、そのうち約7割(全体の3割)はがんと診断されたことによる反応性のものです。がんと診断された患者さんのうち、3割が悩み若しんでいるのです。入院後に精神的不調を訴える方々もおられます。早期胃がんの手術が成功し、がんはすべて取りきり、手術後の経過も順調であるにもかかわらず、食べられなくなってしまい、何回検査しても異常がないので精神科受診したところ、うつ病であったというのは珍しいことではありません。

 がんの再発は最初の診断時よりも衝撃的な出来事であると多くの患者さんが感じ、何割かの患者さんは侵入症状(がんのことが自分の意思とは無関係に繰り返し意識の中に入ってくる)、回避症状(がんに関連したことを避ける)などがあらわれてくるといわれています。

 終末期(死亡前6ケ月)になると、がん患者さんの53%に精神医学的診断がつくといわれています。がんが脊椎に転移し脊髄麻痺を生じ、不可逆的な下肢の麻痺と尿便失禁を合併した終末期がん患者さんが「この足が治らないなら殺してください」と訴えてきました。終末期がんに、下肢の麻捧と尿便失禁の合併、人間としての尊厳を失ってしまった、もう生きている意義が見出せないと訴えるこの患者さんはPTSD(外傷後ストレス障害)に罹患されていました。また、病院で同じ病気ということで友人同士となった患者さんたちのなかで、誰かが亡くなったことがもとでうつ病、躁病、短期反応性精神病を発病した方もおられました。同病の友人の死をきっかけとして「次は自分」ではないかとすさまじいまでの恐怖の思いがよぎってしまうと患者さんたちは答えておられました。死を目前にした患者さんが訴える死の恐怖は私たちの想像を超えています。

 がん患者さんを介護する家族にも精神医学的な診断がつく場合があります。終末期がん患者さんである夫を介護する妻が医師の説明に対して十分反応できなくなったことから精神科にいらしたところ、反応性のうつ状態を呈しており精神医学的な介入をしたことがありますが、これはまれなことではありません。また、介護する方々が配偶者でなく親の場合、小さいころから育ててきた息子、娘が亡くなるという現実に直面し、精神的な重荷がますことが多くみられます。このように介護するご家族に精神症状の出ることはまれではなく、かなりの頻度になります。

 さらにはご遺族にも精神的な問題がでる場合があります。数年前から病院でご遺族向けの外来を開設しているのですが、「7年前に子供を送り出したバージンロードで子供の棺を担ぐとは思いませんでした」33歳の娘さんを卵巣がんで亡くしたお父様はこのように言われました。また、「葬儀の席順で文句を言われた。謝れといわれている」「墓石を持って出て行けといわれました。」などと、患者さんが亡くなったことによる家族バランスのゆがみからくるトラブルに関する悩みがきかれます。一周忌を親族別にしたご家族もあります。一個人の死をきっかけにして何故親族同士がいがみあわなくてはならないのでしようか。ご遺族のなかで半数近くが何らかのトラブルを有していることが外来からはみえてきています。

 しかし、患者さんの中にはこのように過酷な条件の中でも平常心を保てる人もいます。ある患者さんは自分の死期が近いことを悟り、家族の一人一人にお礼を言い亡くなられました。また、ある患者さんは自分に残された時間が短いことを知ると、身の回りの整理をし、調整困難な症状がでてからも愚痴一つこぼさず、「ありがとう」と感謝の言葉を口にしながら亡くなられていきました。ご家族に関しても同様です。最愛の夫、親、子供を亡くすという厳粛な事実に直面しながらもその事実を受け入れていかれる家族も多くみられます。

 ある研究によりますと、患者さんが病気に適応していくためには、患者さんをとりまく環境が安定していることが必要とのことです。確かにこれらの患者さんをみていますとご本人の性格は温厚で、落ち着いて日常を過ごされておられ、介護を担当するご家族も温厚であり、患者さんとご家族の関係も友好的で愛情に満ちたものである事が多いように見受けられます。これとは反対のケースもあります。昔、経験したことですが、患者さんの具合が悪くなっても面会がなく、私と看護師さんの二人で最後の看取りをしました。ところが、亡くなられてもご家族がご遺体を引き取りにこられず、遺体一つが葬儀屋さんに運ばれて行ったのです。どうして遺体を引き取りに来られなかったのか、そこまでに至る何か事情があったのか詳細はわかりませんでした。ただ、亡くなられるご本人の心情はどうだったのかと思うと胸が痛みます。また、死に行く人を前にして親族の争いごとがおきることもあります。何がその根本にあるのかわからないことが多いのですが、一人の人の死がきっかけになり親族同士の意地の張り合いがおきるのをみることは見ていてよいものではありません。愛情に囲まれた中での死と争いの中での死。私が表面的にしか物事を捉えておらず、もっと深いところでは違ったことがあるのかもしれません。しかし、争いの中で病院を出て行かれる患者さんとご家族に対して危惧を抱かずにいられないのです。がん医療、終末期医療の世界では、身体のみならず心も苦しんでおられる「わたしの兄弟である最も小さいもの」である患者さん、ご家族およびご遺族が多くおられることを知っていただきたいのです。今回、この紙面でこの現状を皆様に知っていただき、今後の参考にしていただければ幸いです。

 緩和ケア病棟で働かせていただくにあたり、やっていてよかったと思われることがあります。それは、精神科医としての修練を一通り積んでから(まだ、不十分ですが)緩和ケア病棟において緩和ケア医として患者さんの診療にあたったことです。先ほど示しましたように、終末期医療では患者さんの約半数に精神症状が生じ、ご家族にも同様の負荷がかかります。患者さんとそのご家族が呈する精神症状は多岐にわたり複雑です。この問題に対処するためには、精神科の広い領域にわたる知識と経験が必要であり、それなくしては病棟で次々に生じる問題に対処はできなかったでしよう。精神科医としての経験は本当に役に立ちました。また、緩和ケア病棟における精神医療を経験したことで、従来行っていた精神医療を違った角度からみる事ができ、今まで行ってきた精神医療が以前よりもよりよく見えるという、私にとっては思わぬ賜物が与えられました。精神科医を16年経験し、一通り精神科の修練を積んだ後に生と死の問題に取り組んだことは、死に直融し極限的な状況に置かれている患者さんを担当させていただくにあたって無駄にはなりませんでした。自分の中に医療の核になるものがあることで一定の土台からかかわれたと思います。また、そうしてかかわっていると、いままで物の一面しかみていなかった自らがわかってきたように思えます。

 CMCCは設立後12年を数え、多くの心病む人々の友となり、多くの方々を癒し、多くの方々に福音をもたらしたものと思います。さらには、三重にもCMCCが設立したことは、よい時期と場所が与えられたと思っております。かつこれらの経験を通じて、CMCCおよびCMFの皆様、協力会員の皆様が受けるものも数多くあったのではないでしようか。私も協力会員としてわずかですが協力させていただくことで、精神医療にたいする目が開かれたところもあり、受け取るものが非常に大きかったと思います。

 今回は終末期医療における精神医学的な問題を参考にして、今後のCMCCがとっていく道筋に関する私見を述べさせていただきました。終末期医療に限らず、様々な領域で「わたしの兄弟である最も小さいもの」はおられると思うのです。手を広げすぎることなく、かつ今まで経験してこなかった点にも関心の範囲を広げ、学びを進めていくことでさらに今まで学んできたことが深まっていくと思われます。関心の範囲を拡げていくだけで今まで行ってきた事柄の深みがCMCCは今まで多くの業をなし、それらを通じて発展してきました。今後は、今までの実績を踏まえた上で新しい知識を吸収し、今まで学んできた学びをさらに深めていくことにより、さらに発展していくと確信しております。