23


病いを、生きる原動力として

CMMC理事  
    
熊 澤 喜 久 子

 約2年7ケ月の病床の最後の日、私は思わず「もう頑張らなくていいのよ、今までよく頑張ったじゃない。ご苦労様!」と声をかけずにはいられませんでした。彼は73年の人生は、いつも頑張っていたような気がしますし、病いをもっていることが彼をいつこの世での生活を終えてもいいように頑張らせていたのかもしれないと思うのです。実際に思い返してみますと、43年の結婚生活の間、いつも何らかの病いをかかえていました。しかし、そのことがCMCC設立の原動力となり、障害者神学、神学的死生学の研究へと彼をかりたてたのではないかと思えるのです。

 彼の入院中の私は、毎日午後になると新聞をもって病院を訪ねることが日課でした。新聞を1枚1枚にして軽くし、今どんなことが話題となっているかだけでも、彼自身の手を使い、目を使って欲しいと思ったのです。詳しく読む気力はありませんでしたが、心の病いや障害に関すること、死生学についての記事は目ざとく見つけ、「切り抜いて」というのが常でした。召される2日前には、私がこれぞと思う記事を読みますと、これからは毎日読んでと言いましたが、最後まで本の広告をみて「この本買っておいて」というのでした。

 彼の頭の中にあったことは、弱さを覚える人たちのこと、教会、学校、家族のことであったように思います。人が好きで人を大事にする人、ということができるかもしれません。 47才で肺結核でこの世を去った父親の年齢になった時、彼は自分の人生を原点に立ち戻って考え、自分の人生の最後は牧師としてしめくくりたいと思い、そこに神の御旨があると信じて、47才最後の月から、再び牧師としてのお招きをうけさせて頂きました。しかし、それからも心筋梗塞、心不全と何回もの病いを得、どんなに多くの方々にご迷惑をおかけしたり、支えて頂いたことでしょう。本人自身も神との格闘に近い問答をしつつ、祈りつつ、その時々の進退を決めてきたように思うのです。

 終始話すこと、食べること、歩くことのできない2年7ケ月の病床の間、多くの人々に祈られ、支えられていることを実感しつつ、ベッドの下から支えて下さる主に全てをお委ねしたのでしょうか、静かな、平安な日々を過ごすことができました。

 召される1週間前、彼は病気であることを忘れさせるように頭が冴え、自分の葬儀のことに始まり、この病床の間、分からなかったこと、疑問に思っていたことを次々と質問をし、疑問がとけ、すっきりとした顔となり、さまざまなことを話し合いました。もっとも彼は声がでませんので書きまくりました。私たち2人にとってこんな素晴らしい時が与えられたことは、幸せでした。まさに恵みの時でした。彼と共にいることのできた日々を感謝しつつ、私も残された人生をどのようにして生きていくかも真剣に考えていかなくてはと思う日々です。

 もし彼が、元気であと2,3年生かされていたら、彼はきっと『神学的死生学』の本を彼の最後の著書としてしめくくったのではないかと思い、それが心残りといえるかもしれませんが、みもとに憩っている彼には、 これで十分だったわよ、ありがとうということでしょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 熊澤義宣先生略歴 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1929年 2月27日 ニューヨークに誕生。
1943年 9月  上海日本中学校入学。神奈川県立湘南中学枚へ転校。
1945年12月  平塚富士見町教会において受洗。(麻生信吾牧師)
1948年 4月  第一高等学校入学。
1949年 4月  東京神学大学入学。
1955年 3月 
同上大学院卒業(神学修士)博士課程進学。日本キリスト教団補教師准允。東京深川にて開拓伝道に従事。
1958年から62年までハイデルベルク大学神学部に留学、神学博士。
1962年10月帰国、以後1997年まで東京神学大学で常勤講師、助教授、教授として教える。
なお、その間東神大紛争を経験、1973年〜74年ニューヨークのユニオン神学大学大学院にて客員教授、1983年東神大学長、病気のため同年9月辞任。その他、立教大学、慶應大学、早稲田大学、東京女子大学などに出講。
1977年1月 日本基督教団井草教会、1996年以降、千歳船橋教会の主任担任教師。
1997年以降、大木英夫聖学院理事長と共に聖学院大学人文学部に人間福祉学科の設置形成にあたり、人文学部人間福祉学科の教授・同学科長。
2000年1月16日、東海大学医学部伊勢原病院に緊急入院。5月2日東海大大磯病院に転院、その後、茅ヶ崎新北陵病院へ転院療養を続けたが、2002年8月7日夜11時20分病院にて召天。

2003年CMCC横浜養成講座開講によせて

CMCC理事・養成講座準備担当  
    
  CMF 吹 抜 悠 子


 CMCCがまだ胎内にあった1990年夏に横浜・東京で同時開講された精神保健講座が、最初の養成講座であり、その受講生が草創期の活動を担うCMFの草分けになりました。

 去る8月に天に召された熊澤義宣先生には、当時「心病む人々の重荷を共に担う」私たちクリスチャンの使命についてご教示を受けたものでした。
1.人間を全人的(ホーリスティック)にとら えること。
2.人が癒されるためには治療(cure)だけで なくケア(care)が必要であること。
 CMFの務めはこの「ケア」であること。
3.CMF一人ひとりに与えられている賜物を生かして奉仕にあたること。

 このような共通理解のもとに、1991年5月、横浜西区に最初の本部を構え、活動を開始しましたが、発祥の地戸部に掛けて「TO BE」が「一つの合い言葉になりました。つまり、切実な相談の電話をお聴きする時には、人格と人格の向き合いが必要であり、CMF自身の人間存在そのものが問われてくるということ、この一人の方に注がれている神の愛を確信しつつ「共に在る」ことが大切であることを、実感してきました。

 90年代初めから2002年の今日に至る12年間は、激動する世界にあって心病む人々をとりまく状況も大きく変化して、「ノーマライゼーション」「バリアフリー社会」(弱さを抱える人々も共に生き分かち合える社会)を目指す声が高まっています。CMCCは、「心病む人々の友となる」を標語にして、多様な働きを備えて活動してきました。電話相談・面談による相談はもとより、「福音に学ぶ会」「めぐみ会」「ティールーム」の集い、また専門家のご協力を得て「医療相談」「教育相談」「法律相談」を行っています。

 全人的なかかわりを志し、医療・福祉・教会(信仰)の領域すべてを視野に入れたCMCCの働きは、出版物やインターネットの普及、各方面におけるネットワークの充実により、大きな広がりをもってきました。横浜相談室にも沖縄や北海道から、時には海外からも相談電話がかかってきます。教会や病院よりも「敷居が低い」ため相談しやすいのでしょうか。そして相談の内容は、一人の人間として深い話にまで達することもあります。CMCCは益々広く深く時代の要請に応えなければならないと感じます。

 ところが、毎年の養成講座が東京のみで開かれている間に、横浜相談室では次第に深刻なCMF人員不足に悩むようになりました。そこで、2003年度は東京だけでなく横浜でも養成講座を開き、従来の講座をより一層充実させコンパクトにした形で実施することになりました。東京は日本基督教団下谷教会(上野駅下車)、横浜は横浜YWCA(関内駅より徒歩6分)において、金曜日に開講します。1年間の学び(初級・中級各11回の講義・実習。その後認定手続きおよび体験学習)を経てCMFになっていただくことになります。多くの方々が受講され、CMCCの働きを担ってくださること、心病む人々への理解を深めてくださることを、願っております。

 なお、開講を前にして2003年2月7日(金)午後1時半より日本基督教団横浜指路教会において平山正実先生講演会「心の病と信仰」を開催いたします。ご来聴をお待ちしております。