「人生ほど、生きる疲れを癒してくれるものは、ない」
        
ウンベルト・サバ(須賀敦子訳)
CMCC副理事長・運営委員長  
駒込教会牧師   
菊間 俊彦

 1998年3月、ふくよかな笑顔のまま須賀敦子は忽然と召されてしまった。私と同い年だった。実は恥ずかしながら私は彼女をまったく知らなかった。戦時中の学徒動員時代からつき合っている先輩の精神科医から電話があり、「おい、須賀敦子が死んじゃったなあ」と言われた時、思わず「誰よ、それ」と言うと、「何だ、知らないのか、お前なら、当然知っていると思って急に話したくなったのに」と怒って電話を切ってしまった。私はそれから必死で本屋を探し回り、やっと数冊手に入れ愕然とした。イタリアで暮らした遠い日々の生活や人々を、実にたぐいまれな熟成した日本語で綴ったエッセイ「ミラノ霧の風景」が世に出たのは1990年、著者61才の時である。イタリアから帰国して、既に20年の年月がたっていた。エッセイとして初めての女流文学賞など数々の栄誉を矢継ぎ早に受けているが、これほど人の心をとらえてしまう作品には辻邦夫以来出会ったことがない。たった10年間の著作活動だから作品は多くはないが、それでも全集は8巻になる。

 「文学とは何か」。須賀の答は明解である。
 「人の心を癒すものがあるかどうかでしょ」彼女の作品は恵まれた才能と教養と強い意志のもとに、20年余の孤独を強いた後に見事に発酵させた豊潤な美酒といえる。

 彼女は、詩人サバに深く心を捉えられていたが、表題にかかげたサバの詩は、実に深いものがあり、いろいろ考えさせられ、且つまた謎に満ちていて、自分で答を探す以外ないし、絶えず気になり続けている言葉だ。 

 彼女は「コルシア書店の仲間たち」の中で夫と出会った。そこは詩人にしてカトリック左派と呼はれるカリスマ的司祭に指導された共同体改革運動の拠点になった書店で、50年代から60年代にかけてカトリック改革運動の現場に立ち会った日本人はそう滅多にいないはずで貴重な体験だった。そこでシモーヌ・ヴェーユのイタリヤ語訳もしたようだし、帰国後はエマウス運動(50年代にピェール神父によって創設され、絶望した孤独な人たちや、不幸に襲われた人たちを迎え人れるセンターとして出発し、その活動を支えるために日本では廃品回収を熱心に行った)に参加している。死の直前、一人の神父を訪ねた彼女は、「これから宗教と文学について書きたかった。それに比べれば今までのものはゴミみたい」と述懐したそうである。

 あの世界中が揺れ動き、若者が政治体制に異義を唱え、虚しさと絶望と死以外に何も残らなかった60年代の苦悩の中で、自分が書いた言葉に責任を持たねばならないと考えたようだ。「殉教という漢語は、私たちには立派であるが、死ぬことしか語ってくれない。ところが、ギリシャ語の語源は証人ということだ。すなわち、死ぬ死なないが第一の問題ではなく、むしろ、キリストの証人として、生きることこそ重要な点なのである」。この言葉は結婚生活わずか数年という、それでも幸福の最中に書かれたが、夫の死後も、同じように「キリストの証人として、生きる」道を探し、実際に生きようとしたのだ。それがエマウス運動への参加となったのだろう。エマウスとは、キリストが十字架に架けられたのち、二人の弟子が悲しみつつ道を歩いていると、見知らぬ旅人が近づき一緒にエマオという村に着いた。日が暮れて弟子たちは旅人を招き一緒に泊まることをすすめ、パンを分け合った瞬間、旅人が復活したキリストだと気づくが、その時は姿は見えなくなっていた、という話に基づいている。これは恩寵であるが、しかし大事なことは弟子は恩寵を求めて旅人に宿を与えパンを分けたのではないことだ。シモーヌ・ヴェーユが「恩寵でないものはすべて捨て去ること。しかも、恩寵を望まないこと」と書いているが、まさにこの場面に当てはまる。須賀敦子の晩年の精神も、その道を求め、サバの詩の意味をそこに感じとっていたのだろう。「人生」は彼女にとって「出会い」であり「友情」であり、それは恵みの賜物といえる。そうでない出会いは出会いとは言えない。だからといって恩寵を、恵みを真っ先に私は願い求めない、と考えたのではないだろうか。それが彼女の生きる姿勢なのだ。恵みによって生かされるその人生をしっかり生きよう、しかしだからといって恵みをしきりに求めるのはどうだろうかといっているような気がしてならない。この微妙な難しさ、恵みによってのみ生かされ、死ぬまで生き続ける生は、メメント・モリではない。与えられた人生、それは大変な人生であったとしても、死に備えて生きる人生ではない。今を、最後まで今を、生かされて生きる、そこに希望と喜びがあるのだから「これほど疲れを癒すものは、ない」といえるのではないだろうか。それなら、出会い、友情、愛、信頼に生きる人生ほど楽しいものはない。

 メンタル・フレンドが生きることを楽しまなかったら、常になにがしかの偽善が伴う。自分にとってどのような存在であろうとも、恵みによって出会わされたその存在を喜ぶということ。これは普通、大変なことである。しかし、これこそ「受容」するということの核心だと思う。たとえ彼、或は彼女が自分にとって障害物のように、進路に立ちはだかり邪魔ばかりする者であったり、損害ばかりこうむらせる者であっても、それらのことで相手を嫌わず、無視せず、かえってその存在を喜び「あなたと出会えたことは嬉しい」と言えるのが、本当に大きな愛だと思う。それがたとえ偽善だと自他共に認めざるを得ない状態にあっても、そうすることによってしか、相手を自分の中に迎えることはできないのだ。もちろん、他者を受け入れるためには、まず自分が自分自身を受け入れていることが不可欠だ。受容は、自分という器ごと、良さも悪さもある自分をまるごと受け人れることだ。触れられたくない弱点や自分で好きになれない自分を隠さず、これも私なのだと肯定的に受け入れることだ。これが自分を愛するということである。そのとき初めて私たちは自分自身から解放され、隣人の中に見える不快なものや無価値と映るすべての事柄から自由になり、他者を無条件で受容できるようになる。神が私たちをそのまま受け入れ、愛して下さり、共にいてくださるように、私たちも友をそのまま受け入れ、傍らに寄り添っていくのである。その時初めて、サバの詩の謎が解けて、心から同意できるのではないだろうか。