秀吉が、薩摩の川内泰平寺に着陣したことをきいて、降伏を決意した島津義久は、1587年5月秀吉に謝するために泰平寺に向かいます。途中義久の母の菩提寺であった雪窓院で剃髪し竜伯と改め、5月8日川内の泰平寺で、秀吉に謁見します。 義久は娘の亀寿を質として差出し、薩摩を安堵されます。