始めてのインド、インドへの憧憬を本能的に長年暖めていたが数々の風聞からビクビクもののやっとやっとの決行。
デリー空港からホテルまでの街の喧騒・交通の混乱、ひたすらホテルに着くのを祈るばかり。
次の日はニューデリーの市内観光。クトゥプミナール(世界遺産、1193年、北インドを征服したクトゥブッティーン・アイバクが勝利記念として建てた塔、アイバクは四年で死去、その後はイールトゥミシュに代って完成された。五重の塔、73 M.)、ムガル帝国の赤い城、ラール・キラー(世界遺産)、ラクシュミーナラヤン寺院(ビルラーマンディール寺院ともいう、大理石と赤砂岩を使ったオリッサ建築様式、北インド出は門は低くお寺が高い。南インドでは門が高く、お寺が低い。ここの神様はちょっと日本人の感覚には着いていけない程ケバイ)、インド門(高さ42mの石造の記念門。第一次世界大戦とその前後の北西部国境地帯での紛争、1919年アフガン戦争で亡くなったインド人兵士8万5千人の名前が刻まれている)、フマユーン 廟(世界遺産、ムガル帝国第2代皇帝フマユーンの墓、16世紀に王妃によって作られた赤と白の砂岩と大理石の建物。タージマハールのモデルになった。フマユーンの理髪師の墓もある)などまわったのだが、、、なにもかもごっちゃになってただただ人々の喧騒、観光に来ている人たちの人なっこさというかサリーのおばさん達の迫力あるアタック、(大阪のおばさん達顔向けの積極性)人々の明るさとエネルギッシュさが印象に残る。昼食のタンドリーチキンは美味。グラスワインが400ルピー、これって¥1200。あぁ、高!

いよいよ釈尊が初めて説法を行ったサールナートへ。博物館には鹿野苑(サールナート)に残っているアショカ王の柱の上にあった4つの頭のライオン像が正面に在った。これは国章となっている。となりには悟りを開く前のお釈迦様の像、その他マウリア朝、クシャーナ朝、グプタ朝など紀元前3世紀から紀元後12世紀の出土品が展示されていた。![]() |
その土に座して奥底から沸々する感激は、深く帰依していた父の血だろうか。それに日本人の歴史・文化の根源、佛教の源泉の地ナノダ。 |
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ムルガンダクティー寺院には日本人画家の野生司香雪(のうすこうせつ)の釈迦の生涯を描いた壁画が良い状態で在った。もう70年以前に描かれたものだが素晴らしい作品である。もろもろの苦労の末に完成されたと知る。 |
早朝、人やのら牛のひしめき合う川岸からボートに、6:40頃朝日が登る。さすが聖地ガンジス川の日の出は異教徒のこころにも沁みる。
カジュラホへ、小さな空港。官能の神像郡がこのちいさな村へ観光客を呼ぶ。実に圧倒されるなぁ!このセクシュアルな神々のあられもない彫像群。また現地ガイドがこの彫塑から抜け出たような精力溢れる男性ナノダ。人間の欲望・快楽をなんのきらいも無く天真爛漫に発散できる風土ナノダ、と悩ましい神々のポルノを眺めながら一人合点した。カジュラホ西寺院群は世界遺産。世界遺産になって道路、線路、駅など急ピッチで工事中、来年は電車でこられるそう。
悩ましい神々が寝静まった頃、西の寺院群で音と光のショーが始った。漆黒の闇に浮き出る寺院群、腹の底に響くようなヒンズー語の詩か教典。これは素晴らしいインスタレーションだった。
2/26もう一つの山場、タージマハール。シャー・ジャハーン皇帝が1631年に亡くなった2番目のお妃ムムターズのために作ったお墓。白大理石の美しさを保ために電気バスに乗り換える。セキュリティも相当キビシイ、それは当然だ。
![]() タージマハールを歩く人達。 |

アグラからジャイプールと果てしなく思われるバス移動。勿論星空トイレ、その北斗七星のなんと美しかったことか。ホテルについてグンナリ!
やっとホテルは宮殿らしくなった。なんだかル・コルビュジエ風で美しい。
2/27 ジャイプールはラジャスターン州の首都、人工250万人、ラジャスターン語、1727年建てられた街、ベンガル人の建築家の大きな7つの門がある。壁の色はピンク色でぬられていてピンクシティともいう。
この風の宮殿はテレビなどのイメージより小さく思う、いわゆる張りボテ、舞台のセットという感じかな。しかし街全体がピンク、古びた建物が美しい。
ここのマハラジャは代々 SAWAIが家名につく、サワイは一番とか勝れた者とかの意味でだそうだ。うちはインドでビジネス成功するかもね。
![]() 庭のチェス盤、昔は人が駒になったそうだ。 |
最後のポイントアンベール城、この山城には象に乗って行けたら最高だが諸般の事情でジープだった。そのジープの凄いこと、ともかく必死にしがみついてシンによって建設され、その後何代にもわたって増築が重ねられたそうだ。国会議事堂、ガネーシャポール(ガネーシャ神様の絵が画かれた門)はマハラジャが帰ってくる時、皆ガネーシャポールの上から花びらをまいた。スクマンデル(遊びの場)には涼しくするための水の流れるシステムがある。
謁見の間(鏡の間)は下は暖かく冬の宮殿、上は涼しく夏の宮殿(カスという植物ですだれを作り水を流して自然のクーラーのシステムになっている)。
約10年振りの香港はすっかり国際都市になっていた。
「タィン・チュオン」 今日はタィン・チュオンのファンのアポが入り出勤する。Fさんはこのベトナムの漆絵作家タィン・チュオンのしょっぱなからのファンである。遠方からお越し下さるので土曜日は午後からなんてゆわずに早めに行ってお待ちする。
御堂筋はバンクストリート。ちょっと銀行に用足しに行ったのになぜか淀屋橋から本町、心斎橋・難波までウォーキングするはめになった。
いちょう並木の御堂筋♪ 欧陽菲菲の<雨の御堂筋 ♫>ではないが、いちょうの葉が降る御堂筋はゴージャズ。
青空をバックに光を受けた銀杏がたよやかに黄金に輝く、そのなんと美しいことだろうか!
今、庭創りをしている。面積は限られているが立体的にすればと二階にデッキと螺旋階段を付けた。
早くから橋本知事や平松市長のはしゃいだ大首が水に浮かんだポスターがあちこちで目にしていた。「一体なんのコッチャ?同じ大首ならもうちょっとイケメンなら見てても気分ええのになぁ、、、」くらいの認識だった<水都大阪2009>。散歩がてらに中之島界隈まわってみてナルホドガッテン!このプロジェクトの趣旨と気合いの入れ方がわかってきた。中之島界隈の住人としてそのドンなこと主催者に申し訳ない。淀屋橋/北浜/天満橋、中之島が生き生きしている。見慣れた土佐堀川や堂島川の河岸風景が変わってきた。それに人出が増え活気ずいてきた。実際散策してみてオモロイ、好奇心が揺さぶられる。

中之島とゆうこの地形がいいなぁ。河が現実への意識の防波堤になってくれるのだろうか、現実への対応の脳活動を休めていつも押し込まれている脳味噌を解放してくれるように思う。
「適塾」には今村源、芝川ビルには河口龍夫の北斗七星他、大阪証券取引所には大久保英治、朝日新聞ビルには元永夫妻の立体、なにわ橋にはヤノベケンジがぎっしりと街中の散策も見るもの多い。
先日アイ・ウェイウェイ展を観た。北京オリンピックスタジアム設計したと聞いているので興味深々足を運ぶ。森ビルは久し振りだなぁ。
想えば、白髪一雄氏との関わりはたまたま初期の100号の作品がオファーされ、ただただその凄みに打たれて入手したのがハジマリだった。
先日上京の折り横須賀まで足を伸ばした。この美術館には初めて訪れる。東京湾に面して素晴らしい景色のシーサイド美術館はやはり船のイメージ。内には船を模した円窓、そこから実際に海が、船が見える。高い天井からは燦々と自然光が降りそそぐギャラリー。
久し振りの奈良、間もなく終わる正倉院展に行った。入館待ちを覚悟してきたが長蛇の列の風景なんて見当たらず鹿も人ものどかな奈良風景だ。
もし、このお宝が東京に行ったらどんなだろうか、きっと美術館は長蛇のとぐろで巻き絞められてしまうことだろう。やっぱり関西はええなぁ、と独り言。
先日久し振りに草月会館に行った。イサム・ノグチのシンポジュウムで。牟礼町の庭園美術館の開館10周年記念のイベントでテーマは「イサム・ノグチが遺したもの、未来への贈り物」。
なんとクリスマス・イヴは私の誕生日なのです。この世界的な祝日に便乗して生れてくるなんてなんとしたたかなことだろうか。
クリスマス・イヴなんて洒落た慣習のなかった当時、年末の多忙な最中の出産であまり歓迎されなかったことでしょう。
新年早々私の特技のハヤトッチリで三十三間堂に初詣でした。近いのに久しく行っていない三十三間堂。
本当は岡本光博さんの虎縄文展を観に行くはずが私の頭の中でいつの間にか三千院が三十三間堂にすり替えられていたのです。
三十三間堂の通し矢で有名な広い庭を隅から隅まで探しても見つからない。寒い、寒い今年のお正月の寒さは半端でない。
だけどどこか思わぬ所に展示しているのではとこの私はしつこく探すのです。
でも見つからないので門の受付の人に聞いたらーそんなんあらしまへんえ、よそさんちがいまっか?三十三間堂ゆうてもここだけではのうてこのあたり一体をゆうのどすえ。ほかさがさはったら?ーそんなパワーもうおまへん。
ガーでニングしていると<生命力>をビビットに感じることがしばしばある。が、うちの皇帝ダリアさんには見る度に感嘆させられる。
厳寒期は庭仕事が休みになるのでひたすら部屋のリフォームに勤しんでいる。昨日ようやくモリスの部屋が完成した。子供が使っていた何十年も経た味気ない板張りの部屋だった。が、最後の仕上げに昨日見つけてきたインド製のランプを灯すとドンピシャリ!なんと素晴らしい部屋だこと。私はひとりよがりの満足感、達成感にひとり乾杯した。
ピナリー・サンピタックのオブジェが入った。三人がかりの搬入、やっぱりデッカいなぁ!
さぁてと、この庭にどのように納めたものかな?まず石を取り除かなければ、この石をモンゴル草原の岩山に見立てていたのだが、仕方ない。
それにしても不思議なオブジェだ。月に昇ったかぐや姫がこれに乗って帰ってきたボートとか、奈良の大仏・慮舎那仏さまが夜な夜な救い難い人間の性を哀しんで流される涙壷とか、見ていると次々とイメージが湧いてくる。
白髪先生、今日がんばって碧南 に行ってきました。
展示室に入って1954年のクレムソンレーキ一色の3点の作品、低い天井がすごく作品を集中して、始めて出会うような新線な衝撃を受けました。
そして先生のお気に入りの「天暴星両頭蛇」が、「天魁星呼保義」「天異星赤髭鬼」「天傷星行者」「地察星青眼虎」と水滸伝の大物がシコを踏んでちょっと窮屈な空間から今にも飛び出しそうな、、えらい圧巻でした。
この中に居るともう先生の生死がどうでもええことのように思えてきましたわ。実際先生はもうこの世においでやないけど、先生の分身とゆうか産出されたこれらの御作品は煌々と輝き観る者の生命のエネルギーを充電してくれるのですから、それも無限に。
ここの美術館はそんなに広く無いので展示作品は絞られていました。そやけど凡人はこれだけでエネルギー切れになりそうです。
美術館のラウンジはお客の対応に応じきれずパニックになってはったので外に出て鰻を食べました。先生の作品観るとガーンとお腹が空くんですわ。
日曜美術館の途中から津波のニュースに一変。海の近くの人達にはえらいことだが内陸部に棲む者には臨場感が湧かない、すみません。
![]() 法会, 1974, 油彩・パネル、20号 |
思いもかけず白髪氏のコレクターから貴重な資料を沢山お譲りいただいた。しかも殆どサイン入り。
整理しながらふと目にした対談の密教との関わりについてのくだり、これは白髪氏の制作の神髄、キーワードだと思った。 「ぼくの場合は、自分が絵を描く状態というものとか無意識のうちの意識みたいなものですねぇ、それからまぁ非常に必要なような気がするというところで、それがまぁ、密教が一種の恍惚状態に至達するのがひとつの、なんとゆうか目的のようらしいんけどねぇ。それと関係があるような気がするんです。(1974年東京画廊—白髪一雄展—カタログより)」 この言葉を反芻しながら改めて作品に対峙すると観る者の波長が共鳴していく。 |
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最近珍しい白髪氏の作品を入手した。このようなカラフルで軽やかな作品は始めてだ、目にするのは。 神戸の月刊センターの「センター」の表紙絵に使われ<表紙絵によせて>とお若い白髪氏の写真と文が載せてある。 〜十二月になると町は慌ただしくなり、ジングルベルの音楽がわれわれの生活をせわしくかきたてる。クリスマスが近づくとすぐ次はお正月で大人は忙しいが、子どもはプレゼントやお年玉に期待して胸をふくらませる。 聖画のキリストやマリアの像のはるか上を、エンゼルが羽根を羽ばたかせながら、楽器を奏でたり、弓矢を持ったりして舞っている。十二月やクリスマスとゆうとこのイメージが浮かんでくるが、仏教では極楽変相図というものがあって、阿弥陀様を中心にいろんな菩薩が楽しげに、衆生と共にこの世界の安楽を享受しておられる様が描かれている。 その図の上方にエンゼルと同じように楽を奏しながら飛天はとんでいるのである。美しい天衣をたなびかせながら〜 |
![]() 「飛天」1983年、72.8x60.8cm, 20号 |
新聞をとりにドアーを開けるや満開のナニワイバラともの凄い蜂の羽音、寝ぼけ眼にはめまいがしそうだ。ともかく前期高齢者にはチョー過激な庭だ。
ハイ!整いました。
実川 暢宏 様
助っ人が来て壁面を塗り直してくれた。ホント、久し振りの壁紙更新。釘穴だらけの薄汚れた壁が一新した。塗料もバターミルクペイントなのでナチュラル、皮膚に全く違和感が無い。
これはイチハラエツコさんの作品ではない。夏バージョンに壁を塗り直したところを写していた時の全くの偶然である。確か朝日放送だったと思う。
それにしてもなんたるグットタイミング!ダコト。記念すべき一枚になった。
台北アートフェアー&故宮博物館をテーマに始めての台湾旅行。日本の酷暑で覚悟はしていたが以外にも涼しかった。
確か大阪府のトリエンナーレのグランプリを受賞したことを思い出し JR大阪駅の地下を探索した。大阪駅の地下も昨今やたらと触手が伸びて迷路のようだ。
台風のおかげで久し振りの雨、くたばりかけていた草木が少し生気を取り戻したようだ。土の湿っている間にと今朝は草引きをする。草引きしていると枯れ枝が枯れた草花が次々出てくる、草の陰に。生気溢れた春の日の緑や花は昔日のこと、あぁ、無惨なり!人間も生きているのが精一杯の体たらくの亜熱帯化した今年の夏。植物だって同じなのだ。
九月に入ってもいっこうにおてんとさまのパワーは衰えまへんなぁ。この調子やと年内一杯アッパパとステテコがいるかも、そやけどーアッパパやステテコーゆうても知らはらへんお人が多うなりましたわ。
足で描くといってもただ力任せに絵の具を捏ねているのでは無い。足に全身の神経を集中させる。それには体重をコントロールしなければならない。
近ずくと巨大な変形落花生に尻尾が生えている。
巨大変形落花生の正体は竹であった。デカイなぁ!なんだか宮殿に見えてきた。
竹の露地の竹の路を踏み分けながら宮殿に入る。と、結構広い。なんだか落ち着くなぁ、こころが一度に素っ裸になるわ。

久し振りの大原、山波は黄砂で一筆の濁色がかかっていた。近くに住みながらもほんとうに久し振りの大原だ。
今年の酷暑にも関わらず見事な紅葉、改めて自然の営みのしたたかさを覚える。
そろそろ瀬戸内海国際芸術祭のほとぼりも冷めたことだろうと直島に行った。お目当ては<李禹煥美術館>。
生憎の曇り空、しっとりとした海の色がこころを落ち着かせてくれる。
久し振りに地中美術館でモネを観る。
これ程モネの睡蓮の作品を活かす舞台はないと思った。
観るのではなく一体化する場だ。
囲まれていると「涅槃」とゆう言葉が浮かんで来た。
仏教的な要素が引き出されてくる。
モネの睡蓮と出会うサイコーの場だと思う。
第一回の"ART STAGE SINGAPORE 2011"に Art-Uroom が参加したので行った。
16年振りのシンガポール、爽やかな風は同じでも斬新なマリーナベイサンズなど近似未来都市になっていたのに驚く。
会場はマリーナベイサンズのすぐ近くのコンベンションセンター、カジノや商業施設と一体となったスケールの大きなスペース。
シンガポールでは始めての本格的なアートフェアー。規模、内容とも充実していた。
さすが選抜されたギャラリー、質も高く何よりも東南アジアとゆうClimateが明確であったのが印象的だった。
タイのカミン・ラーチャイプラサートとアニッシュ・カプーアで勝負、さすが作家の力か、実績に結びついた。
10年大昔の今、母国に帰った許仲敏氏は大先生になっていた。それにも関わらず私達のことをしっかり憶えていて感動の出会いになった。
彼の熱きハグでギャラリスト冥利に尽きる思いがした。

これらは「カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢」の1ページだが熟視すればする程興味が深まる、そして新鮮だ。
ヒッチコックの映画を思い浮かべる絵柄も多々ある。
今更ながら智と感性の探究者ーシュルレアリスム軍団、マックス・エルンストに脱帽する。丁度、<シュルレアリスム展―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―>が国立新美術館で開催されています。