11/3/29<~Origin of the world~アニッシュ・カプーア " Anish Kapoo"展>
11/3/2<遊心記「ナルニア国ものがたり」とマックス・エルンストのコラージュ作品>
11/1/19<アジアのパワー "ART STAGE SINGAPORE 2011">
10/12/13<直島 李禹煥美術館>
10/12/6<ぶらり美術館>
10/11/29<ちょっと永観堂に>
10/11/16<京都・大原・三千院>
10/9/21<王文志「小豆島の家」>
10/9/16<白髪先生と膝痛>
10/9/12<白髪一雄水彩展 開催中!>
10/9/9<暑気あたりの庭>
10/8/31<台北アートフェアー>
10/7/23< ちょっと待った!!>
10/7/14<"Naught ">
10/7/12<現代美術 夢 を拝読して>
10/6/23<梅雨と掛けてオークションと解く>
10/5/11<ばら狂想曲>
10/4/27<白髪一雄「飛天」>
10/4/23<白髪一雄の密教との関わり>
10/4/20 <白髪展を終えて>
10/3/24 <没後三年 hommage 白髪一雄展>
10/2/28 何必館で観る<北大路魯山人展>
10/2/23<階段ギャラリー>
10/2/11<白髪一雄展 in 碧南市藤井達吉現代美術館>
10/2/10<ガーデニング日記;銀の舟>
10/1/21<絵画の庭>
10/1/14「ウィリアム・モリス<ウイローボウ>の部屋完成 」
10/1/13<皇帝ダリア>
10/1/7<思い込みに注意しよう!>
09/12/24<Anu Tuominenk の手袋>
09/12/15<古家で遊ぶ>
09/11/20<イサム・ノグチ>
09/11/10<正倉院展>
09/11/05<横須賀の白髪一雄展>
09/10/24<私見 KAZUO SHIRAGA—水滸伝シリーズー>
09/10/19<KAZUO SHIRAGA 私見>
09/9/28<アイ・ウェイウェイ展>
09/9/12<OSAKAがオモロイよ!<水都大阪2009>
09/7/28<〜格闘から生まれた絵画〜白髪一雄展>
09/6/29<庭遊び>その後
09/6/15<1000万年の接ぎ木>
09/5/27<素晴らしきかな、わがいほり?>
09/4/13<杉本博司の歴史の歴史展>
09/3/23<09/3/23 北野大茶会>
09/3/13<09/3/13 インシデンタル・アフェアーズ〜うつろいゆく日常性の美学>
09/3/9<09/3/9 庭創りで遊ぼう!>
09/1/20<「中国当代美術二十年」のコンサート〜国立国際美術館〜>
08/12/24<フェスティバル狂言を観て>
08/12/17<マチベンの事件簿>
08/12/03<いちょう並木の御堂筋♪>
08/11/23<京都・現代美術の新撰組 !? >
08/11/15<ベトナムの魂  タィン・チュオン>
08/11/15<ハンマースホイ>
08/5/31<何有荘>
08/5/30<「雅楽」宮内庁式部職楽部>
08/5/20<artHK08 香港アートフェア>
08/3/11<インド旅行記 08/2/21-2/29>
07/9/20<こんなに近くこんなに遠く>
07/9/18<睡蓮・スイレン・Water-lilles>
07/9/10<浜口陽三とジェームス・タレル>
07/8/11<アニッシュ・カプーア>
07/3/12<雲その一><雲その二>
06/11月<—没後10年—菅井汲展 [ 展覧会によせてのコラム〜 ]>
06/10/14<「仏像」〜一木にこめられた祈り〜東京国立博物館で観る。>
06/10/16<レトロって かっこいい!>
06/10/23<赤ちゃん 成長の不思議な道のり&荒川修作>











2008/3/11
「インド旅行記 08/2/21-2/29」

 始めてのインド、インドへの憧憬を本能的に長年暖めていたが数々の風聞からビクビクもののやっとやっとの決行。 デリー空港からホテルまでの街の喧騒・交通の混乱、ひたすらホテルに着くのを祈るばかり。

 確か「宮殿ホテルに泊まる、、、インド旅行」というキャッチフレーズだったが?! SAMRAT というホテルはただでっかいだけ、建築も特に魅力はなく雰囲気も寂れている。それにエレヴェータが開くや直ぐ閉じるという代物、乗り降りは決死のダッシュ。部屋の設備はこれに準ずる。いかにも英国植民地時代の遺物というホテルだった。おまけに一晩中鳴り物が響くというサービス付き。「ここはインド、ここはインド」とつぶやきながらともかく寝た。

 次の日はニューデリーの市内観光。クトゥプミナール(世界遺産、1193年、北インドを征服したクトゥブッティーン・アイバクが勝利記念として建てた塔、アイバクは四年で死去、その後はイールトゥミシュに代って完成された。五重の塔、73 M.)、ムガル帝国の赤い城、ラール・キラー(世界遺産)、ラクシュミーナラヤン寺院(ビルラーマンディール寺院ともいう、大理石と赤砂岩を使ったオリッサ建築様式、北インド出は門は低くお寺が高い。南インドでは門が高く、お寺が低い。ここの神様はちょっと日本人の感覚には着いていけない程ケバイ)、インド門(高さ42mの石造の記念門。第一次世界大戦とその前後の北西部国境地帯での紛争、1919年アフガン戦争で亡くなったインド人兵士8万5千人の名前が刻まれている)、フマユーン 廟(世界遺産、ムガル帝国第2代皇帝フマユーンの墓、16世紀に王妃によって作られた赤と白の砂岩と大理石の建物。タージマハールのモデルになった。フマユーンの理髪師の墓もある)などまわったのだが、、、なにもかもごっちゃになってただただ人々の喧騒、観光に来ている人たちの人なっこさというかサリーのおばさん達の迫力あるアタック、(大阪のおばさん達顔向けの積極性)人々の明るさとエネルギッシュさが印象に残る。昼食のタンドリーチキンは美味。グラスワインが400ルピー、これって¥1200。あぁ、高!

2/23 国内機でベナレスへ。デリーの空港は最近利用会社が増え空の渋滞とか、やはり20分遅れで出発。これもインドの経済発展の証でしょう。ヒンドゥー教の最大の聖地ベナレスへ。  バスで移動中目にする民家の庭のこんもりとした造形物は牛糞と藁で作った燃料。やたら牛がいるが飼い牛には首輪など付けられている。その他は野良牛。決して人に食べられることに無い牛達は何事にも動ぜず泰然としている。だけど牛を食べる習慣の人種が見ても決して食べないだろうと思わるほど痩せている。

←バスからナマステ!鍛冶屋さんの一家、子供も働いている。

 いよいよ釈尊が初めて説法を行ったサールナートへ。博物館には鹿野苑(サールナート)に残っているアショカ王の柱の上にあった4つの頭のライオン像が正面に在った。これは国章となっている。となりには悟りを開く前のお釈迦様の像、その他マウリア朝、クシャーナ朝、グプタ朝など紀元前3世紀から紀元後12世紀の出土品が展示されていた。

 鹿野苑(サールナート)には1500人の僧侶、高さ約100メートルの仏塔、アショカ王の建てた巨大な石柱(15メートルあった)など素晴らしい佛教文化の拠点であったがイスラム教徒たちの侵入で破壊されてしまった。現在は遺跡公園として発掘中、サリーを着た女性たちがその作業に携わっているのが印象的。 仏陀が有名な説法を行った場と云われるダメークストゥーパ(34メートルの仏塔)の周りを真摯な仏徒が裸足で回遊していた。




その土に座して奥底から沸々する感激は、深く帰依していた父の血だろうか。それに日本人の歴史・文化の根源、佛教の源泉の地ナノダ。

ムルガンダクティー寺院には日本人画家の野生司香雪(のうすこうせつ)の釈迦の生涯を描いた壁画が良い状態で在った。もう70年以前に描かれたものだが素晴らしい作品である。もろもろの苦労の末に完成されたと知る。




2/24今回の旅のハイライト、ヒンズー教のメッカ、ガンジス川に行く。

 早朝、人やのら牛のひしめき合う川岸からボートに、6:40頃朝日が登る。さすが聖地ガンジス川の日の出は異教徒のこころにも沁みる。

 川では沐浴する人、洗濯屋さん、久美子ハウスなどこの白い服の西洋人が乗ったボートが映画のワンシーンのようだ。

 火葬場は写真禁止、煙が発つ横を通り迷路を歩きオンボロ輪タクに乗る。今にも振り落とされそう、爺婆にとっては結構刺激的だ。きょうびの旅慣れたツアー客にはこのくらいの刺激が無いと飽きられるのかな?ツアーのメンバーは50回とか80回海外旅行した強者がいるものなあ。


 カジュラホへ、小さな空港。官能の神像郡がこのちいさな村へ観光客を呼ぶ。実に圧倒されるなぁ!このセクシュアルな神々のあられもない彫像群。また現地ガイドがこの彫塑から抜け出たような精力溢れる男性ナノダ。人間の欲望・快楽をなんのきらいも無く天真爛漫に発散できる風土ナノダ、と悩ましい神々のポルノを眺めながら一人合点した。カジュラホ西寺院群は世界遺産。世界遺産になって道路、線路、駅など急ピッチで工事中、来年は電車でこられるそう。

 悩ましい神々が寝静まった頃、西の寺院群で音と光のショーが始った。漆黒の闇に浮き出る寺院群、腹の底に響くようなヒンズー語の詩か教典。これは素晴らしいインスタレーションだった。



 2/25このツアーの専属ガイドのアローラさんはシーク教でターバンを巻いている。シーク教は髪や髭は終生カットしないとのこと。皆の好奇心の的のターバンの巻きのショーをしてくれた。相当大きな布をバイヤスにしてピンで止めながら巻き込む。これぞ男の美意識カッコいい。

昼ご飯のおそうめんが出た。インドで食べるそうめんの味は格別、旅行会社の粋な計らいに感服。 バス移動で時折長い竹竿のゲートらしきものに出くわす。これは州税の支払いだそうで州が変わる度に支払うとか。自動車は TATA (タタ財閥)、韓国のヒュンダイ、日本車はスズキが多く後ホンダ、トヨタはあまり見かけなかった。

カジュラホからバスでジャンシーに、ジャンシーで汽車に乗りアグラへと移動の一日。初体験の列車、その駅のすざましいこと、これぞ喧騒の坩堝である。トイレなぞとっても使えたものでは無い。乗るのは二等車でチャイが出てホット一息、乗り合わせの乗客の身なりも整っている。隣合わせのサリーの若奥様と片言社交、なんだか上等らしいサリー、はにかむ坊やもおぼっちゃま。デリーに帰るそう、メールのアドレス交換。



2/26もう一つの山場、タージマハール。シャー・ジャハーン皇帝が1631年に亡くなった2番目のお妃ムムターズのために作ったお墓。白大理石の美しさを保ために電気バスに乗り換える。セキュリティも相当キビシイ、それは当然だ。

なんという美しさだろう!まるでこの世のものとは思われない。やたらアングルを変えたり近づいたり四方八方から眺めたがやっぱりシンメトリーに正面から見るべきだと悟る。これほど美しい墓標はあるまい。とてもこの世のものとは思われない。

この後に黒大理石で自分の墓標を作ろうとしたシャー・ジャハーン皇帝はあまりにもの散財に国の財政が危うくなり息子に幽閉されたそうだ。





タージマハールを歩く人達。




 シャー・ジャハーン皇帝がタージマハールを見守りながら息を引き取ったアグラ城は高さ20メートル以上の城壁に囲まれていた。這般ギー宮殿、中庭の回廊、ヒンズー教のお寺など。 ファティープシクリー(世界遺産)はアクバル皇帝がたった14年間だったが統治しムガル帝国の首都だった所。ここではイスラムのアーチ、佛教の蓮の花、キリストの星が一本の柱に刻まれてあった。道は違えども行き先は同じという哲理。





アグラからジャイプールと果てしなく思われるバス移動。勿論星空トイレ、その北斗七星のなんと美しかったことか。ホテルについてグンナリ! やっとホテルは宮殿らしくなった。なんだかル・コルビュジエ風で美しい。





 2/27 ジャイプールはラジャスターン州の首都、人工250万人、ラジャスターン語、1727年建てられた街、ベンガル人の建築家の大きな7つの門がある。壁の色はピンク色でぬられていてピンクシティともいう。 この風の宮殿はテレビなどのイメージより小さく思う、いわゆる張りボテ、舞台のセットという感じかな。しかし街全体がピンク、古びた建物が美しい。

 ジャンタルマンタル天文台(ジャンタルは道具、マンタルは計算)天文学者であったマハラジャ・サワイ・ジャイ・ミン二世が1728年~34年に築いた大規模な天文観測所。20秒まで正確に計れるそうだ。 シティパレス 18世紀前半から代々のマハラジャ住居としている宮殿。博物館にはマハラジャの日用品や武器・絨毯・美術品などが展示。

ここのマハラジャは代々 SAWAIが家名につく、サワイは一番とか勝れた者とかの意味でだそうだ。うちはインドでビジネス成功するかもね。

宮殿ホテル泊まり、想像していたよりモダンで洗練されている。調度品はさすがは一流の美術品。このような細密画や黒檀の素晴らしい彫りものなどがさりげなく置かれている。



庭のチェス盤、昔は人が駒になったそうだ。






2/28ジャイプールからデリーへ
水の宮殿(マハラジャの別荘)を通りアンベール城に


 最後のポイントアンベール城、この山城には象に乗って行けたら最高だが諸般の事情でジープだった。そのジープの凄いこと、ともかく必死にしがみついてシンによって建設され、その後何代にもわたって増築が重ねられたそうだ。国会議事堂、ガネーシャポール(ガネーシャ神様の絵が画かれた門)はマハラジャが帰ってくる時、皆ガネーシャポールの上から花びらをまいた。スクマンデル(遊びの場)には涼しくするための水の流れるシステムがある。 謁見の間(鏡の間)は下は暖かく冬の宮殿、上は涼しく夏の宮殿(カスという植物ですだれを作り水を流して自然のクーラーのシステムになっている)。

 上に見えるジャイガル城には50トンの大砲、50 KG の弾があり50キロ先まで飛んだそうだ。 この城の建築は実に美しい。ヒンズゥーとイスラムの文化の融合による素晴らしい造形物、インドの文化の真髄に触れた思いがした。







  <後記>  深い歴史と広大な国土のインドをたった9日間、それは蟻がインド象の体を歩いたようなものだろう。その蟻が一言で表現すれば〜古代、中世、近代、現代、近似未来が同時に在る〜ってことかなしか言い様がない。 そもそもインドへの旅は頭のネジを緩めるのも目的であった。“ノープレブレム!”は何よりの土産物。大抵のことはノープレブレム!でいこう。


↓一番のお気に入りの写真。




top



2008/5/20
「artHK08  香港アートフェア」 

約10年振りの香港はすっかり国際都市になっていた。
空港からの高速道路はスムーズに流れ、窓外の高層ビル群には圧倒されそうになる。
40階どころか60階以上がざらだそうだ。限られた土地に人が集まる。空間は上にいくしかない。鳥類の島をイメージさせられる香港島。香港人は鳥族かも? この鳥の巣のような高層ビルから羽ばたいて日常を営んでいるのだ。

ビクトリアハーバーの美しい夕陽の差し込む頃、コンベンションセンターで香港アートフェアのオープニングパーティが始まった。会場入り口にはビニール梱包袋のスダレが上手くデコレーションされている。これは物流香港のシンボルとして印象的。

おずおずと会場に入った途端のサワイさん!との呼び声がかかったのにはビックリ、さすが TOKYOアートフェアの事務局長山下さんが先着していた。

広い会場に続々と人が来る、アジア人、西洋人程よくミックスされているので見飽きない。ここが違うのだなぁ、TOKYO アートフェアとは。さすが香港は国際都市なのだ。パーティは頗る盛況で人でギッシリ、人に酔い、シャンパンに酔ってしまった。ブースを観るのは明日にしょう。 なんと大らかなことだろう写真は撮り放題。誰も止める人はいない。

次の日は金曜日のせいかわりあい閑散としていた。画学生が目立つ程。
各ブースを丁寧に見回る。コレクターの立場になって観るのは頗る楽しいものだ。出展するのとは大違い、ナンゾエエモンナイカイナと気の向くままに会場をまわるのこそアートフェアの醍醐味。
地元の香港は勿論、北京、上海、ソウル、ムンバイ、デリー、シンガポール、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ドイツ、そして日本、これだけの画廊をまとめて回れる。 実際食指が動く作品があった。ムンバイのギャラリーが出展していた Rashid Rana !私はその前でくぎ付けになった。これは写真の絨毯、小さな写真のパーツで構成されている。そのパーツがそれぞれ写真作品なのだ。その圧巻、脳味噌にこのような刺激をうけたのは初めてのように思った。 勇気をだしてプライスをお伺いしたが即売約できる金額では無かった、とゆうよりさすが決める勇気がなかった、残念。
じっくりと観るとそれぞれのギャラリーの意図が読める。例えばヨーロッパの著名なギャラリーは時代ずれしたモダンの2−3級品、オークションにもだせない在庫処分セール。ハイレベルなブースは韓国、香港、インドの画廊にあった。アートフェアとして全体の内容は良い。出展は将来にかけてのプレゼン的なものとしっかり稼ぐものとの戦略が読める。それから一ブースを二つの画廊が組んでいるのがちょいちょいあった。 物流が発達して治安も良い香港のアートフェアは今後も継続されるだろう。
次回は覚悟を決めて行こう。王侯貴族の心境こそアートコレクションの王道なのです。


top


08/5/30
「雅楽」宮内庁式部職楽部

先日、初めて雅楽を観た。〜源氏物語の完成千年を記念して〜これは大阪国際フェスティバルの50回記念のイヴェントの一つとして。
やんごとなき方々の世界、さぞや居眠りするのではとの懸念はたちまちに失せ千年の時空をタイムスリップした。 洋楽とは全然違うテンポと発声、繰り返す単調な音色はまるで催眠術のように心地よい呼吸感覚となって胎内を巡る。
舞台に対に置かれた大きな太鼓は視覚的にも圧巻で、最初に軽く間を取って強く打つ、その間の取り方がとても心地よかった。
「青海波」など源氏物語にちなんでの出し物。美しい装束の舞、その優雅さに光源氏の世界に誘われる。長い裳裾の流しかた、首を強く振る動作は冠物の効果を際出させる。四人の舞いから二人へとその優美さはますます極まる。
歴史は生々しい人間の営みの織物、その中にあってたをやかに紡ぎつづかれた美しきもの、戦いや自然災害を千年の時を経てこの日本にこれほど優雅な文化がよくぞ伝わったということに目頭が熱くなった。そして人間とゆうものに深く感動を憶えた。
やがて舞台の踊り手が下がり、楽手が下って果てたようだ。というのは幕の開閉もなんのアナウスも無い。やがて私は千年のタイムスリップから帰還させられた。


top


08/5/31
<何有荘>

aaca かんさい(日本建築美術工芸協会)企画の「何有荘(かいうそう)の一日」に参加した。南禅寺は何度も行っているが「何有荘」は初めてだ。一般公開していないからだろう、今まで知らなかった。
清少納言流にいえば、庭は小雨こそいとよき、濡れたる石こそ艶めけり、青紅葉や苔は申すまでもなし、という拝庭日和だった。
豪勢なこと、この名園を一日貸し切りとは。小川治兵衛の作庭を回遊していると藤壷のように絡み付いた俗性の垢がするすると剥がれていくようで時間を忘れる。そぞろ歩きしていると貴人の心境に近づける?ように思われてくる。
欧州の戦渦を知る稲畑氏が万が一のために防空壕として掘られたトンネルはまるでお茶室の露地のように風流である。 トンネルを潜れば山上の<龍吟庵>。そこでお茶を一服ならぬ青竹の杯で飲む日本酒のなんと美味なこと、青紅葉とブレンドされて腸に染み入る。 酔いで頭の箍が緩むほどに妄想が膨張してくる。人として生まれたからにはこのような庭の主になりたいものだ。 まず現代の小堀遠州をスカウトして石一つに日柄一日かけていや一週間かけて、勿論お金と時間には糸目なくなんて、、。
秀れた知性・感性ほどの宝ものは無い。生き金を使われた稲畑勝太郎氏にエールを送る。


top


08/11/15 小雨
<ハンマースホイ>

 今日の新日曜美術館はデンマークの画家・ハンマースホイ。一瞬フェルメールかと思った。こんな画家が100年も前にいたとは、それこそ目から鱗ものだ。(NHKの受信料ヨロコンデ払います)
彼はフェルメールよりシビアだ。ロマンとか情緒の甘さを削ぎ落として、余分なものを一才省いてる、そして本質に迫るというのは全く禅宗的だ。 モランディは静謐、フェルメールは人間の生の営みの一瞬の凝結としたらハンマースホイはなんだろう、なにに射的を絞っているのだろうか?
 私は推測する、ジェームス・タレルのように<光>だと。無人の部屋の主人公は床に落ちる<光>、後ろ姿の女性のうなじを浮かび出す<光>。<光>は宇宙 からのシグナル、これによって事象は存在する。小さなアパートの一室も宇宙からの<光>のシグナルが届く。ハンマースホイは<光>を通して自己と、宇宙 と対話していたのではないかと。ジェームス・タレルのようにクレーターや大きな仕掛けを使っての<宇宙=光>の追及もあれば、このように小さなアパート の一室からも<宇宙=光>への会話・探求は出来るのだ。 あのレンブランドも<光>の画家だと思う。
ともかく西洋美術館にイコウゼ!


top


08/11/15 晴れ
<ベトナムの魂 タィン・チュオン>

「タィン・チュオン」 今日はタィン・チュオンのファンのアポが入り出勤する。Fさんはこのベトナムの漆絵作家タィン・チュオンのしょっぱなからのファンである。遠方からお越し下さるので土曜日は午後からなんてゆわずに早めに行ってお待ちする。
 Fさんは実にじっくりと作品を観られる方だ。始めはその時間の長さに根負けしてしまったが、しかし真摯に作品と対峙される姿に感動した。
ギャラリーしていると横着になる。扱っているからと云って決してよく観ているとは言えないのに。それに経営という皿回しをしなければならないので雑念に毒されやすい。こんなアート擦れしている自分にとっては、Fさんの姿勢に自責の念を覚えさせられるのだ。
 タィン・チュオンの作品を沢山出してじっくり観るのは久し振りだ。改めてタィン・チュオンの作品に感動した。これだけの造形の力量ある画家は希有だろう。そしてこころがある。今、この地球上に人間として存在する者として深く共鳴するものがある。それが胸を打つのだ! それに漆絵の魅力、この色感、マチュールは絶対に他の画材では出せないだろう。深く微妙な色彩は絵の具の宝石、時間がより一層その色を深め輝かせる。 昨今のアートバブルに毒されなかった作品と顧客に、久し振りに仕事冥利を覚え原点に還った思いのする土曜日だった。

 帰り天王寺公園に「三井寺展」を観に行く。秘仏が惜しげもなく公開されているまたとないチャンスの展覧会。素晴らしい仏像・仏画に素直に帰依する気持ちになる。なんだか特にお不動明さんの像や絵に惹かれたなあ。きっと、この不安定な時代に翻弄されている愚かな自分に必要なスピリットなのだろう。


top


08/11/23
<京都・現代美術の新撰組 !? >

京都・東本願寺の裏に小山富美夫ギャラリーとタカ・イシイギャラリーがオープンした。
地図は簡単だが本願寺さんはデッカイ!鯉の泳ぐ堀に添って直角に曲がる。 てくてくと本願寺の境内を越えて、もの珍しいげに夕暮れの京の町家眺めつつ行く。 ギャラリーらしき建物ある雰囲気ではないなあと不安が過った時、白い建物が在った。 染め物工場を改装されたシンプルなギャラリー空間である。

時間が早かったのでオープニングの準備中だった。 まだ人気が少なくお陰でゆっくりと見られオーナーと話しができた。 まあ、それにしても関西の、京都のアート界にとっては大きな衝撃だ。 古美術の牙城に本格的な現代美術の仕事人が乗り込んで来たのだ。 あたかも新撰組のように! 小山さんを近藤勇とすると石井さんはハンサムだから土方か? だけどまだメンバーが足りないなあ。 あくの強い芹澤鴨や美少年の沖田総司みたいなギャラリーも上洛してくるとおもしろくなろう。 これからの動きが楽しみだ。

京都って決して京都人だけのものではない。日本の文化の根源だ。 これを活かさない法はない。海外に向かって現代の日本の文化の基地として活かさなくては勿体ない。 この歴史の風土はきっと新しく生まれるアートの肥やしになるだろう。
現代美術の新撰組に拍手喝采!





top


08/12/03
<いちょう並木の御堂筋♪>



御堂筋はバンクストリート。ちょっと銀行に用足しに行ったのになぜか淀屋橋から本町、心斎橋・難波までウォーキングするはめになった。 いちょう並木の御堂筋♪ 欧陽菲菲の<雨の御堂筋 ♫>ではないが、いちょうの葉が降る御堂筋はゴージャズ。 青空をバックに光を受けた銀杏がたよやかに黄金に輝く、そのなんと美しいことだろうか!
今こそ、御堂筋は一年のクライマックスである。 これぞ黄金ストリート、黄金好きの秀吉もかなうまい、これを創った関一市長には。 現状のようにこの通りには10階建以上はいらない。高層ビルなんかが出来たらこの青空と銀杏のバランスが壊れてしまう。 この大阪に偉い人がいたもんだなぁと思いながらゴールデンストリートを行く。あまりの美しさに足はすいすい進む。 不況風で冷え込んだこころが温くとまるようだ。
不況だといってもたちまち飢え死にするわけでは無いよ。 勿論生きている限り経済の法則に逆らえないけど、お金は使わなくても豊穰になれるんや。 今のような大きな経済の津波に逆らってもしょうない。ジタバタして無駄なエネルギーを消耗しないことだ。 こんな目が回るような時には遠くを見ることや、それが生き残る術かも。 貧乏くさい気持ちにはならんとこ、なんて前期高齢者は自問自答しながら歩く。

いちょうの背景にはガスビル、北御堂、南御堂が Goo! 難波の新歌舞伎座 は久し振り、やっぱりこの建物は格別だ。 さすが村野藤吾、風格がある。それに辻晉堂の鴟尾が佳い。 建築のオンパレードの御堂筋を歩いてきたがこれほど存在感のある造形物は無い。 何度か取り壊しのニュースがあったが、これは遺さなアカンと思う。 できればタイムスリップして誰かさんと歩きたかった♬



top



遊心記08/12/17 「マチベンの事件簿」

<ベトナム>のキーワードで最近ベテランの弁護士さんとお近づきになれた。これもベトナムアートに携わってきたお陰だと感謝。 その先生がこの度「マチベンの事件簿」を出版され恵贈うけた。今まで弁護士さんとお近づきになる機会がなかったのできっと法律用語などの鬱とおしい本だろうと半ば義理で読み出した。 それが、ナント、ナントおもしろい!一気に読み終えてしまった、この無精者が。 そしてまず感じたことは弁護士さんのお仕事ってなんと生々しい人間を直視するお仕事なんだろうと。まず、器の大きなことと精密な計量器のように知性が秀れた人間でないと無理、右脳ばかりの私には最も不可能な分野だと悟った。

主水役の藤田まことを連想する人間味溢れる主人公の中村弁護士、多種な事件を解決していく様が端的に活きた言葉で書かれている。 実際は一件、一件に大変な修羅場があり苦心・労力がかかっているのだろうと想うが。 さすがベテラン!さらりと読ませてくれるのは文章力かな、脱帽。 人間が生きていくのに普通の者にもお医者さんと同じように弁護士さんを身近な存在だと啓蒙させられた。 それにコメントが Goo! 具体的 なノウハウを教えてくれる。そして中村主水ならぬ中村弁護士の本音がずばり。

こころに残ったのは
ー登山者の荷物を背負って案内に立つ人を「強力」と言いますが、私は、弁護士は社会生活の中の強力であるべきだと考えています。ー

ご参考;ホームロイヤーという個人でも気軽にお願いできる方法もあるのですって。

♪ 皆様に一読をおすすめします!
タイトル; 「マチベンの事件簿」
著者;中安 正
出版;文芸社 ビジュアルアート
価格;¥1,200.+税




top



遊心記08/12/24「フェスティバル狂言を観て」

中之島のフェスティバルホールの千秋楽?イヴェントで狂言界の四家が出演する狂言を観た。 人間国宝の茂山千作、野村萬、茂山千之丞から若手人気の茂山逸平、茂山宗彦など綺羅星の出演者。これぞ狂言の顔見世だ! また出し物が良い、千作の十八番「福の神」で気持ちを和らげ、野村家は名古屋の萬と東京の万蔵の競演「舟渡聟」でおかしみを。

「小原木」の千之丞の謡と小鼓で求心的に、そしてラストの華やかなショー「菓争(このみあらそい)」で堪能させる。 「菓争(このみあらそい)」では四家勢ぞろい、華やかな衣裳にドラマチックで映像を使ったコンテンポラリーな演出。 元々狂言とゆうのは能の合間にリラックスするために生まれたものだろう。観覧者は大名など上流階級だ。 だからその<おかしみ>はそうゆう階層を対象とした上品なものなのだ。

おかしみ・笑いといっても階層によってポイントが違う。 狂言観ているとお殿様などの笑いのポイントが想像される。 このような優雅なおかしみは貴重な日本の文化だとしみじみ想った。

そして継続されている方々に感謝する。



top



遊心記09/1/20「中国当代美術二十年」のコンサート〜国立国際美術館〜

昨夕、中之島の国立国際美術館のコンサートに行った。それは丁度展覧会中の「中国当代美術二十年」に寄せての音楽会である。 ー響きあう東西の弦ーとゆうコピーに釣られて行ったが、ここの美術館でのコンサートは初めての体験。 会場は B2Fの コルダーの彫刻の下 なんて、さすがミュージアムならでの贅沢なコンサートだ。 美しい才媛、ヴァイオリンの小野明子さんと中国琵琶のエンキ(閻杰)さんの競演にて聴覚も勿論視覚も堪能できた一夕だった。

初めて聞く小野さんのヴァイオリンの素晴らしいこと、最後の <チゴイネルワイゼン>には涙線がゆるまされた。 研ぎ澄まされ身体と楽器が合体されて生まれてくる音色の繊細さと美しさ、やはり生の演奏ならではと実感させられた。 代わってのエンキ(閻杰)さんの初めて聞く中国琵琶の音色、さまざまな温色が出るのに関心する。 しかし音色の巾が違うなあと感じた。音が多くの音を含んでいる、それに音が出す空間のスケールが違うと。 それはアートの作品でも感じるものだ。エンキさんの演奏を聞いているとうちで展覧会した許仲敏の群衆や密集した家の作品が脳裏を過った。 彼のグイグイと板を彫りあげていくリズムとエネルギーはエンキさんの琵琶と同質なのだ。 それに何か余裕がある、キリキリしない体質の器の大きさがある。それは中国の大陸の周波なのだと独り合点する。 彼らの迫力・エネルギーにはとうてい太刀打ちできないと思った。反面日本人の感性がいかにシンプルで繊細であるかだ。 ともかく甲乙つけがたい美女の競演にエネルギーを充電できた幸福な一夜だった。

ちょっと気になったのは真ん中の一等席は招待者用にキープされ、それに黒塗りのたいそうな数の送迎車が美術館を取り囲んでいたこと。 まさかお役人用ではないでしょう、とすると美術館運営の谷町筋のお歴々が沢山いるってことなのだ。 これなら芸術の灯は不景気の嵐に消されることないだろうとガッテンしながら土佐堀川を添って帰る。



遊心記09/3/9 庭創りで遊ぼう!

 シングルライフになって今更家を建て直すのは体力的にも不安だし、お金も勿体ない。とゆうことで庭創りに集中することにした。たかが60坪の土地だが私の体力では充分なキャンバスである。 まず、どんな庭にするかだ。乙に澄ました和風な庭はオモロナイし、イングリッシュガーデンに憧れるけれどこんなケチな面積ではね。 さて、さて!そこで私はイメージとゆうか妄想をまとめてみた。

1) テーマは永遠に仕上がらない庭。日々変化する庭。退屈しない庭。
2) ポイントは赤い螺旋階段。庭空間を立体的にしょう。面積は限られているが上は空まで無限だもの。三次元でいこう。
3) 外向的な庭、人々と交流する庭、通る人々に語り掛けるような、そして一時でも楽しんでもらえるように。

まず、古い平凡な家屋を如何にカモフラージュするかだ。それにはベランダを付けたらいいのである。軽やかなベランダは可愛い赤い螺旋階段とつながる。やっぱり白だろうかな。ここに蔓薔薇をからませよう。黄もっこう、それともアンジェラかな?悩みは深まる。
それにパーキングの上ってもったいない、あの上にもベランダを繋げよう。コンテナの花畑ができる。垣根から溢れるイングリッシュローズ、ジャスミン、足下にはラベンダー、レモングラス、ローズマリー、、、、私の妄想は無限に膨張してゆくのである。
そこで、この庭の登場人物は???

あぁ、神様!この庭の主の年を半分引いて下さい。お願い!



遊心記09/3/13<インシデンタル・アフェアーズ>うつろいゆく日常性の美学

小雨の中、久し振りに南港のサントリーミュジアムに行く。淀屋橋から時間にしてわづか30分位の移動だが気分がすっかり変わる。潮風、往来する船、キリンのような大型クレーンなど目に映る風景画非日常的だ。海はこころを解き放ってくれる。
さて、インシデンタル(incidental)とゆうなんだか難解なテーマの展覧会、意味は「偶発的な」と「とるに足りない」などの意味だそうだ。 もう少し詳しい説明では〜日常生活の中で私たちを取り巻く物事は、刻一刻と変化しています。その変化や偶発性をうつろいゆく美として捉えることで、普段の何気ない事柄が新たな美意識として甦ります〜とのこと。
すれば、私にとって南港に足を運ぶ行為そのものが<インシデンタル・アフェアーズ>であるのた。
〜国内外で活躍する現代アーティスト17名の作品を通して、現代の新しい美意識を探り、私たちの日常的な感覚の中に潜む新たな価値観や感覚を呼び起こします。〜 現代の新しい美意識ってなんだろう?美意識に新しい古いってあるだろうか?美意識って呼び覚まされる、触発されるものではないだろうか?生命体の根源的要素から。古い蛸壺のように浮世の苔が堆積して鈍感になったスピリットを目覚めさせてくれる、その一つがアートではないか。感じるか感じないかは別にして誰もが共感する普遍性の層までアーティストは自分自身の内を観するのだ。まるでファイバースコープのように。 だから無いものを発見するのでは無く元々在るもの要素を自覚する見つけるのだ。 アートはスピリットのクリーニングでもあるのだ、日常の塵芥で埋没したこころの。

宮島達男は1999年のヴェネチア・ビエンナーレ出品の作品で、本格的な宮島の作品を体験するのは始めてなので感動した。折り悪しく闇になる一瞬には出会えなかった。 東恩納裕一の蛍光灯のシャンデリアは美しかった。トニー・アウスラー、ミシェル・ロブナーの不気味さ、横溝静の写真の人物の実在性、榊原澄人とさわひらきにはすっかり好奇心の虜になってしまった。 実にインシデンタル・アフェアーズな一日だった。



遊心記09/3/23<北野大茶会>

 山本兼一氏(今年の直木賞受賞作品)の「利休にたずねよ」の<北野大茶会>の項を読んでいて思った、これは凄いアートイヴェントではないかと。
町人、百姓、商人、数奇者であれば身分問わずとは、よくぞこの時代に。日本国中はもとより唐国からの参加も OK とはなんと国際的な。 〜座敷は北野の森の松原に畳2畳分を設置し、服装・履物・席次などは一切問わないものとする〜なんとフラットな、がんじがらめの身分制度であったこの時代に。

秀吉の権力鼓舞のためとはいえこれは秀吉企画の一大文化事業である。目的はともかくもこの時代に大衆を巻き込んだ文化事業が行なわれたのだ。但し10日間の予定が権力者の気まぐれか、はたまた地方の反乱の情報かで一日で終わったのである。参加者はさぞや面食らったことだろう。

今日のアートフェアーの権力者は経済、リーマンショック級のパンチを一つも食らえば尻尾を巻いて店じまいなのだ!

ご参照!
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



09/4/13「杉本博司の歴史の歴史展」<北野大茶会>

 オープニングレセプションに行った。いきなり化石の陳列、エッ!杉本博司といえば写真家と私はインプットしているのでなんで?と、ゲンダイビジュツは落とし穴があるからご用心!アンモナイトやザリガニ、こうもり、、、ともかくも美しい、そして繊細だ。造りものかと目を凝らすがパンフレットに始新世5500万年とか4億4500万年と記されている。しかし何で化石が展示されているの?との疑問ふを抱きながら次のコーナーに行くと見たことのある杉本の建築の写真ありやっぱり杉本博司展だと合点。そして古い仏像が、古色蒼然と表装された仏画や金泥の経典がある。昨日行った妙心寺展の京都博物館と錯覚しそうなった時、地平線の海のシリーズコーナーに。何度目にしても圧倒される。惹きこまれる。

芸術にとって生命の根源、海は永遠のテーマであり、名作も多々ある。しかし海の本質である<生命の根源>としてこれほどインパクトのある作品は思い付かない。SUGIMOTOの海はまさに地球上に生命体が生じる時の海なのだ。じっと見ていると私の脳幹の記憶装置が超高速度で巻き戻されるのを実感する。 すると隕石、アポロの月面活動の写真が、月の写真の軸の前の三宝には月の石が、何で?ホンマニ月の石かいな?とゆう疑問も猜疑心もインパクトある雰囲気で押し込まれてしまう。 最後にマルセル・デュシャンの肖像とラージグラスが、なるほど合点!これが杉本博司を解くキーなのだ。
杉本は現代のデュシャン。デュシャンが便器や鍬やスコップを展示して認知の常識を鋭く衝いたように、SUGIMOTOは俗世間では趣味や考古学と分類され日常生活から遊離して認識している概念に<骨董・化石など時間の蓄積>した物(ブツ)を突きつける。そして誰しもが宇宙とゆうか神とゆうかの法則の中に在ることを知らしめる。決してそのルールから逃れることは出来ないものを。歴史は時間の集積。時間は如意棒、瞬時と永遠の間に存在する。そしてこの如意棒は残酷無慈悲だ。誰もこの支配から逃れることはできない。広大な始皇帝の墓もピラミットも権力者がこの如意棒から逃れようとしたあがきの証なのだ。

SUGIMOTOに触発された私の脳は勝手に飛躍していきそうだ。
これほど脳味噌に刺激を承けた展覧会は久しく無い。展覧会とゆう概念を越えている。SUGIMOTOの無尽に駆け巡る宇宙観に翻弄される仕掛け場だった。
それにしても昨日は京都・智積院で長谷川等伯の障壁画を独り占め(ホント!国宝を独り占めできるなんてさすが KYOUTO、もしTOKYO で観たら長蛇の列で3分がいいとこ)利休好みの庭園も貸しきり、贅沢は身近にあり、このような時は酷い如意棒からも解き放たれているのではなかろうか。



09/5/27「素晴らしきかな、わがいほり?」

 庵?あんにしたら寂聴さんみたいにスキンヘッドにしなければならない、そこまではちょっとね。コテージ?いくら化けても年齢詐称になるし、、、。 あずまや(注;庭園などに設けた四方の柱と屋根だけの休息所)だって、これだね!うちの庭のネーミングは。だって花が主だもの。
ともかく皐月のわがあずまやは素晴らしい!まずナニワイバラが幕上げ、茶花になるような白の一重咲きが楚々と咲き出す。が、瞬く間にナニワのおばさんの本性丸出し、モーレツな勢いで咲き狂うのである。 ホント、今年の花のエネルギーは格別だ。きっと根元の堆肥が効いてきたのだろう。それにトゲも凄い。つり針形でうっかり素手で触ろうものなら深手を負う。
ナニワイバラの花が盛りを過ぎたかなっと思う頃ジャスミンが馥郁と芳香を放つ。このジャスミンも年代物、シブトク根づいて陣地取りゲームのように庭を侵略している。 わがあずまやを通る人々は視覚+嗅覚のショックを受けて立ち止らざるを得ない。

今、庭創りをしている。面積は限られているが立体的にすればと二階にデッキと螺旋階段を付けた。
タコ糸で二階の窓に引ぱられていたゴールドバーニィとアイスバークがさっそくそれらに誘引され貴婦人のように優雅に咲き乱れている。馬子にも衣裳じゃないけれどバラもやっぱり舞台だな、と独り合点する。 花音、ダブルデライト、スヴニール・ドゥ・アンネ・フランク、脇役のカラー、マーガレット、ラベンダー、クレマチス、、、まるでバレーの舞台のようなグッドタイミングで咲く。全く見事な演出だ。 昨日、塀を兼たフェンスが建った。これはつるばらのショーウィンドウ、さあて何を植えようかな、今度はよーく考えなくちゃ。
樫の木の下は森の雰囲気に、真ん中は広く空けて芝生かクローバーで草原のイメージに、ガレージの屋根はずるっとした草屋根に、上を見ればつるばらのサーカス、あずまやの主の妄想は無限に広がっていく。


09/6/15「1000万年の接ぎ木」

 国立新美術館で<変化する相—時・場・身体~野村仁展> を観た。入ってすぐ、大きなダンボールの積み重ね、これは大阪の国立国際美術館のもの派展で観た。
野村仁といえばもの派グループのメンバーで最近は月とか星の写真の仕事くらいしか私には認識がなかった。 会場を進むに連れて彼の創作活動の葉脈が繋がっていく、私の内に。そして私の好奇心は洪水のように押し寄せる彼の創造の連鎖に猛烈な刺激を受け瞬く間に野村仁の宇宙観に取込まれていった。

彼のパーソナリティは物理学的要素だと思った。ものへの熟視からその焦点は宇宙にと展開していく。太陽や星への視覚と聴覚のアプローチ、渡り鳥や隕石、ソーラーカーも実証の証なのだ。
だけど1000万年の接ぎ木の化石にはおったまげた!ホント腰を抜かすほど驚いた。こんな発想するなんて、そして実際に目の前に在らしめるなんて。 この前の大阪国立国際の杉本博司展の化石にも深い衝撃を受けたが、やっぱこの1000万年の接ぎ木の方がもっとスゴイなぁ。それはきっと生の楠木と1000万年の木の化石をドッキングしたそのコントラストを突きつけられるからだろうか。
あぁ、この化石に一瞬でいいから触りたい、しかし私の気持ちが見え見えのように監視人は隙を与えてくれなかった。ザンネン!


09/6/29「<庭遊び>その後」

工務店の仕事が終わりようやくガーデニングが始まった。
さあ、これからなのだ、庭遊びは!
私の頭の中ではイメージが出来ている。
が、造園屋さんにわかって貰わないことには始まらない。一生懸命伝えたがさあ、どうなることか。


まず庭のメインは<草原>、モンゴル草原のような広い空間のイメージ。緑は何にしょうかな?芝生?あたりまえすぎてツマンナイ。クローバーかな?サンルームからクローバーの草むらにひょい、三つ編みの女学生が四つ葉を探してたりしてたら絵になるなぁ、なんて空想していた時<ヒメイワダレソウ>を知った。ともかく早く草原にしてくれたらいい。あたらしもの好きな私は即決。

道路に面したフェンスの塀はばらのショーウィンドウ。
あの小山内さんが手ずから選んでくれた<アンジェラ>、私が一度咲かせたかった<ピエール・ロン・サール>、息子が選んだ黄緑の葉が美しい<サマー・スノー>、ここの先住民の<ジャスミン>の親分、実際このジャスミンの花期は昆虫から人間様までその香で支配されるのだ。控えめな古株<ロー・ブリッター>、そして<ネゴンド・カエデ・フラミンゴ>が貴婦人のように立つ。
来年は無理かもしれないがバラ様方が機嫌よく馴染んでくれたら凄いことになりそうだ。実に五月のバラは美しい。
まるで舞台のシナリオのように次々と咲いて飽かさない。
ご近所の方々が、犬と散歩する人が、道行く人が楽しんでくださるのではとひとりよがりしている。


タカシ工房に造ってもらったミロのような鉄の門扉、これもとっても気に入ってる。水飴細工のように伸びた鉄紐が心地よいリズムを奏でる。
目を落とすとグレーのアンテックレンガ道。百年前のレンガがぐっと気持ちを落ち着ける。濡れると黒が一段と深まる。


大きな楠の下は<森>。
シダやクリスマスローズにユキノシタ、ベアグラスやギボウシやアイビーなど緑の交響楽が奏でられる。
水がめには睡蓮が咲き、メダカが泳ぐ。
あぁ、そこに水の流れが、瀧が欲しい。
水の流れ、そうだ!ガラスのオブジェを置こう。
ガラスは水面のように日の光を煌めかすだろう。
夜はスポットを当てれば冴えるだろうなぁ、きっと。


さぁて、肝心のモンゴル草原には何を置こうかな?
きっとモンゴル草原の星空は凄いだろう。
たまには隕石も降ってくるのでは、
この前新東京美術館で見た野村仁の「百万年の接ぎ木」凄かった。腰を抜かす程オドロイタ。
隕石のようなオブジェがあったらなぁ!
なんて考えつつ上がる。
この白い螺旋階段は決して人間様用ではない、ゴールド・バーニーさまのために付けたもの。長い間他の木の借り家住まいさせてゴメンナサイ。この螺旋階段はあなたさまのためのお家です。どうぞ手足ならぬ枝を延ばせて華麗なワルツを奏でて下さい。
だから私は遠慮しつつはじっこを上ります。


軽やかな白いデッキ、ネービーブルーと白のオーニングをひろげればさぁ、<マイ喫茶店>の開店。
柵の朝顔が日に日に伸びてゆく。白とブルーに絞ってランダムに植えたが咲くのが楽しみだ。
<マイ喫茶店>があるなんてナントナント贅沢なこと!
朝のコーヒー、夜のビール、これほどの至福の時はないだろう。
但しマスター兼ウェイトレス兼客の一人三役だけど。




09/7/28「〜格闘から生まれた絵画〜白髪一雄展」

 待ちに待った展覧会が関西・尼崎で始まりました。この全国巡回展は白髪氏の生前から企画されていて、ようやく氏の生地の尼崎市総合文化センターで開催されました。 晩年足腰を痛めておられた氏は電話で〜もう新幹線や飛行機にはようのれへんのや。大阪にもよういかれへん、車椅子は キツウてすかんわ〜と嘆いておられたのが今も耳に残ります。この地元の展覧会はどんなにか楽しみにしておられましたのに、実に残念です。
 久し振りにまとめて目にしその画業の凄さ、そしてKAZUO SHIRAGAとゆう稀なる画家への認識を重く実感しました。

今回の展覧会のキーワード<血><密教><歴史><物質>を切り込み口にしてスポットを当てています。
なんといいましても<血>のイメージの作品は凄すぎる、かって我々の祖先が日常茶飯事に獲物を捌いていた縄文時代にタイムスリップさせられます。これはチョーカゲキなことです。 具体のメンバーはそれぞれ凄いことやりましたが、凄みでいえば白髪を越えるメンバーを思いつきません。リーダーの吉原氏の包容の範疇さえ越えました。 <血><密教><歴史>は制作のキッカケであって、創作の本質は絵具とゆう物質との格闘であったと思います。それは快感でもあったでしょう。物凄いエネルギーを必要とする。  制作行為に入るには儀式が必要であったでしょう。肉体と精神の統一には濃密な集中力を要します。丁度競技直前のスポーツ選手のように。作品はSHIRAGAとゆう生命体の、宇宙の、一瞬一瞬の存在の証です。それは何億年前の化石のように確かなものです。 ですから視る者の理性とか知性とか小賢しいものが一辺に吹っ飛んでしまうのです。前頭葉など脳味噌の表面的な部所では無く生命体の根源の脳髄あたりにズシンとくるのです。そして、その衝撃は脳髄から骨髄に広がって体中に反響していくのです。 この強烈なパンチを何発も喰らいながら思いました。スポーツジムで背骨の積み上げを繰り返しさせられますが、このパンチを喰らうと精神の背骨を矯正されるのではないかと。ひ弱になった、歪曲したこころの背骨はこのパンチを喰らってしゃきっとなります。

それにしましても若年のあの美形のええしのぼんぼんに、あの温厚な晩年の白髪氏にこれほどの凄みのエネルギーを埋蔵しておられたとは! 白髪氏の画業を反芻するほどに人間への謎がますます深まるのを憶えます。 尼崎文化センターでの展覧会は9月6日までです。


09/9/12「OSAKAがオモロイよ!<水都大阪2009>」

 早くから橋本知事や平松市長のはしゃいだ大首が水に浮かんだポスターがあちこちで目にしていた。「一体なんのコッチャ?同じ大首ならもうちょっとイケメンなら見てても気分ええのになぁ、、、」くらいの認識だった<水都大阪2009>。散歩がてらに中之島界隈まわってみてナルホドガッテン!このプロジェクトの趣旨と気合いの入れ方がわかってきた。中之島界隈の住人としてそのドンなこと主催者に申し訳ない。淀屋橋/北浜/天満橋、中之島が生き生きしている。見慣れた土佐堀川や堂島川の河岸風景が変わってきた。それに人出が増え活気ずいてきた。実際散策してみてオモロイ、好奇心が揺さぶられる。

天満の八軒家浜の巨大アヒルに、大阪市役所玄関ホールのジャンアント/とらやん。こんなに賑やかな市役所のホールを目にしたのは初めてだ。トラやんのまわりは人だかり、それに喫茶店もあるなんて。目の前の歴史的建造物の日銀の正面には川口龍夫、後ろのこれも歴史的建造物の図書館は森の映画館が開かれている。東洋陶磁器館の横も広々とした河岸公園のようになった。薔薇園に向かって散策していくと大きな魚にてギョッとしたりドラゴン船に出会ったり、ここ「水辺の文化座」会場はともかくアートの宝庫だ、何度も回りたくなる。そして美術館のように受け身ではなくジョイントできクリエィトに参加できることだ。

中之島とゆうこの地形がいいなぁ。河が現実への意識の防波堤になってくれるのだろうか、現実への対応の脳活動を休めていつも押し込まれている脳味噌を解放してくれるように思う。 「適塾」には今村源、芝川ビルには河口龍夫の北斗七星他、大阪証券取引所には大久保英治、朝日新聞ビルには元永夫妻の立体、なにわ橋にはヤノベケンジがぎっしりと街中の散策も見るもの多い。

まだまだ仕掛けは山のようにある、涼しくなったのでこれからが本番だ。この秋はオモロいOSAKAを満喫しよう。

09/9/28「アイ・ウェイウェイ展」

  先日アイ・ウェイウェイ展を観た。北京オリンピックスタジアム設計したと聞いているので興味深々足を運ぶ。森ビルは久し振りだなぁ。
会場に入るや一トンの茶葉の立方体があるのにドキモを抜かれた。さすがお茶、馥郁としたいい香りが会場に満ちている。茶葉という物質とスケールの大きさで一瞬にして中国大陸に誘われてしまう。写真は取り放題だって、なんだかのびのびするなぁ。実際最近の展覧会って規約が多くて窮屈だもの。

自転車の組み合わせの美しいオブジェはダイナミックなリズムを奏でる。古寺の廃材のオブジェはその中に立たずむと古代の森の中にいる様、俯瞰すれば中国大陸を模っているのだって。そうそう他のスペースに転がっている大木も中は大陸に切り抜かれていた。四川大地震の遺児のランドセルの大蛇が天井をのた打ち、見る者にリアルな認識を突きつける。

だけどデカイものばかりではない。
骨董コレクター溜飲の唐時代の壺を割ったり、コカコーラにしたり、カラフルにペインティングしたりの強烈な諧謔。まるで穀類のように無造作に漏られた淡水パール山、これもしかり。真ん中に穴の空けられた箪笥が並列されている。これも仕掛けあり、月の満ちかけを著しているのでーす。

会場のいたるところにある椅子も映像室の椅子も全部アンテック椅子なのである。決して見るだけのオブジェではなく座ってもイイノデス。嬉しい! 様々なアンテックの椅子が並ぶ映像室、映像作品が実に面白い。まるでラウシェンバークの作品のように中国大陸の今がコラージュされていて興味が尽きなく長時間居座ってしまった。古椅子の座り心地が良かったこともあるのかも。
アイ・ウエィ・ウエィは思想家だ。アートはその手段なのだ。つまり彼は<アートが人類の意識を変えられる、人類の未来を創造できる>ことを実行しているのだと想った。

今読んでいる「三国志」と交叉して大陸ならではの度量の深さに想いを馳せる。



09/10/19「KAZUO SHIRAGA 私見」

 想えば、白髪一雄氏との関わりはたまたま初期の100号の作品がオファーされ、ただただその凄みに打たれて入手したのがハジマリだった。

その当時の私は白髪一雄氏はもとより具体美術に対しても殆ど無知であった。その当時は今のように高騰していなかったとはいえ資金不足の私にとっては大金であった。今思うとよくもこんな大作をいきなり購入したものだとつくづく素人画商の強さを憶える。勿論ビジネス的な目算など皆目無かった。

あれから白髪先生の作品が数多く扱わせて戴き先生とも親しく交流させて戴いた。彼の画業を識るほどにその高峰に在への隔たりに唖然とし、今更ながら自分の無知に恥じ入る。あの柔らかな上方の語り口に惑わされてつい心安く思っていたか、それは飛んでも無いことに気付いた。実は私のような凡人とは次元の違う高邁な軌道に座するお人さんなのでした。

先生が亡くなられて後、展覧会などで作品に触れる度にその思いが強まるのです。 それにしましても尼崎のええしのぼんぼんのどこにこのような強烈なマグマが胎蔵されていたのでしょうか? あの品の良いお顔ゆるやかな上方の語り口のどこに獰猛ともいえるスピリットを包んでおられたのでしょうか? いまだに私は解せません。 そこで勝手に推測するのですが、中国大陸のDNAだと思う。 彼の作風は日本的ではない、いわゆる日本的に矯正された精神構造では決してあのような制作行為はできないと思う。

ちなみにタイトルも圧倒的に<中国大陸>が多い。「水滸伝」とか「三国志」とか文学・歴史上の人物そして地名。 きっと無垢な感性の幼少時から中国文学に傾倒されておられたのではないでしょうか。誰しも幼少時は自己の本質に一番素直な時代ですから。

実際作品を前にすれば自ずと識るでしょう。この日本的な枠をけ破るスピリットを、エネルギーを。
そうだ!これは先日観た中国の巨匠アイ・ウェイウェイの波長だ。彼の波長と対峙するだろう。
こんな日本人離れした精神の波長を持って生れられた白髪氏はさぞや窮屈だったでしょう。それが中国文学への傾倒や刀などのコレクションに、そして具体グループにと誘われたのでしょう。具体美術でやっと自己を開放される場を得た。そしえそのグループのリーダーの吉原氏を持ってさえ辟易とさせるような獰猛な表現行為をした。あの猪狩シリーズの作品。無頼漢とエネルギーの塊のような具体美術のメンバーも白髪氏と比較する時こじんまりと見えてくるのだ。 水滸伝の「天魁星呼保義」が、「天異星赤髭鬼」「天暴星両頭蛇」が、そして「天空星急先鋒」達がこの末から横須賀美術館で暴れ回ることだろう。出会いが楽しみだ。


格闘から生れた絵画<白髪一雄展>
横須賀美術館
09/10/31〜12/27


09/10/24「私見 KAZUO SHIRAGA—水滸伝シリーズー」

 白髪氏が中学生頃から原書まで読むほど傾倒した<水滸伝>、60年代から始まったこのシリーズは氏の仕事の核だと思う。 2001年の地賊星鼓上蚤を持って完結されたがこの108点のシリーズの内、約80点が‘60年代に制作されている。しかもこの時期は名作が多い。氏の一番のお気に入りは京都国立近代美術館蔵の天暴星両頭蛇だ。 ちなみに天暴星両頭蛇は猟師だった。鉄砲や刀への執心、猪狩と氏の琴線と最も共鳴したのではないかな。
白髪氏の画業を識る上で<水滸伝シリーズ>の展覧会があってもいいのではないかと想う。 そこで、このシリーズの作品は一体何処にあるのだろうか?何処で観られるのだろうか?とデーターをとってみた。ささやかな資料から。 が、判明するのは半分以下だ。おそらく海外にも沢山いってるのだろう。 水滸伝一同のメンバーが集結する展覧会は不可能だろうが、せめてお遍路さんのように世界中を尋ねてみたいものだ。 だけど海外に在る作品のサーチは大変だなぁ、この難解な漢字のローマ字表記では。


天魁星呼保義(てんかいせいこほうぎ) 京都国立近代美術館
天暴星両頭蛇(てんぼうせいりょうとうだ) 京都国立近代美術館
天罡星玉麒麟(てんごうせいぎょっきりん)宮城県美術館
天機星智多星(てんきせいちたせい)目黒美術館
天間星入雲龍(てんませいにゅううんりゅう)兵庫県立美術館
天勇星大刀(てんゆうせいだいとう)栃木県美術館
天雄星豹子頭(てんゆうせいひょうしとう)-ミシェル・タピエの捧ぐ-国立国際美術館 
天猛星霹靂火(てんもうせいへきれきか) 高知市美術館
天威星双鞭呼延灼(てんいせいそうべん こえんしゃく)高松市美術館
天英星小李広(てんえいせいしょうりこう)千葉市美術館
天富星撲天鵰(てんぷせいぼくてんこう)尼崎市
天満星美髯公(てんまんせいびぜんこう)兵庫県立美術館
天傷星行者(てんしょうせいぎょうじゃ) 尼崎市
天暗星青面獣(てんあんせいせいめんじゅう)兵庫県立美術館
天祐星金鎗手(てんゆうせいきんそうしゅ)広島市現代美術館
天空星急先鋒(てんくうせいきゅうせんぽう)兵庫県立美術館
天異星赤髪鬼(てんいせいせきはつき)兵庫県立美術館(山村コレクション)
天殺星黒旋風(てんさつせいこくせんぷう)いわき市立美術館
天究星没遮攔(てんきゅうせいぼっしゃらん)兵庫県立美術館
天寿星混江龍(てんじゅせいこんこうりゅう)兵庫県立美術館
天剣星立地太歳(てんけんせいりっちたいさい)カンティーニ美術館
天平星船火児(てんへいせいせんかじ) 青森県立美術館
天罪星短命二郎(てんざいせいたんめいじろう)兵庫県立美術館
天損星浪裏白跳(てんそんせいろうりはくちょう)宮城県美術館
天敗星活閻羅(てんはいせいかつえんら) 横須賀美術館
天慧星べん命三郎(てんけいせいへんめいさんろう)東京国立近代美術館
天微星九紋龍(てんびせいくもんりゅう)
天貴星 小旋風 柴進 (しょうせんぷう さいしん)
天孤星 花和尚 魯智深 (かおしょう ろちしん)
天立星 双鎗将 董平 (そうそうしょう とうへい)
天捷星 没羽箭 張清 (ぼつうぜん ちょうせい)
天速星 神行太保 戴宗 (しんこうたいほう たいそう)
天退星挿翅虎 雷横 (そうしこ らいおう)
天牢星 病関索 楊雄 (びょうかんさく ようゆう)
天哭星双尾蠍 解宝 (そうびかつ かいほう)
天巧星浪子 燕青 (ろうし えんせい)
地煞星鎮三山(ちさつせいちんさんざん) 芦屋市立美術博物館
地勇星病尉遅(ちゅうせいびょううっち)大分市美術館
地傑星醜郡馬(ちけつせいしゅうぐんば)兵庫県立美術館(山村コレクション)
地数星小尉遅(ちすうせいしょううっち) 個人
地威星百勝将(ちいせいひゃくしょうしょう)高松市美術館
地猛星神火将(ちもうせいしんかしょう)滋賀県立近代美術館
地文星聖手書生(ちぶんせいせいしゅしょせい)国立国際美術館
地羈星操刀鬼(そうとうき そうせい)国立国際美術館
地捷星花項虎(ちしょうせいかこうこ)国立国際美術館
地佑星賽仁貴(ちゅうせいさいじんき) 田辺市美術館
地霊星神医(ちれいせいしんい)滋賀県立近代美術館
地暴星喪門神(ちぼうせいそうもんしん)兵庫県立美術館(山村コレクション)
地然星混世魔王(ちぜんせいこんせいまおうい)ポンピドゥセンター
地進星出洞蛟(ちしんせいしゅつどうこう)芦屋市立美術博物館
地察星青眼虎(ちさつせいせいがんこ) 和歌山県立近代美術館
地鎮星小遮攔(ちちんせいしょうしゃらん)ふくやま美術館
地魔星雲裏金剛(ちませいうんりこんごう)岐阜美術館
地走星飛天大聖(ひてんたいせい)
地煞星七十二座 (ちさつせい ななじゅうにざ)
地魁星 神機軍師 朱武 (しんきぐんし しゅぶ)
地雄星 井木犴 郝思文 (せいぼくかん かくしぶん)
地英星天目将 彭玘 (てんもくしょう ほうき)
地奇星 聖水将 単廷珪 (せいすいしょう ぜんていけい)
地正星 鉄面孔目 裴宣 (てつめんこうもく はいせん)
地闢星 摩雲金翅 欧鵬 (まうんきんし おうほう)
地闔星 火眼狻猊 鄧飛 (かがんさんげい とうひ)
地強星 錦毛虎 燕順 (きんもうこ えんじゅん)
地暗星 錦豹子 楊林 (きんひょうし ようりん)
地軸星 轟天雷 凌振 (ごうてんらい りょうしん)
地会星 神算子 蒋敬 (しんさんし しょうけい)
地佐星小温侯 呂方 (しょうおんこう りょほう)
地獣星紫髯伯皇甫端 (しぜんはく こうほたん)
地微星矮脚虎 王英 (わいきゃくこ おうえい)
地慧星 一丈青 扈三娘 (いちじょうせい こさんじょう)
地猖星毛頭星 孔明 (もうとうせい こうめい)
地狂星独火星 孔亮 (どっかせい こうりょう)
地飛星八臂哪吒 項充 (はっぴなた こうじゅう)
地巧星玉臂匠 金大堅 (ぎょくひしょう きんたいけん)
地明星 鉄笛仙 馬麟 (てってきせん ばりん)
地退星翻江蜃 童猛 (ほんこうしん どうもう)
地満星玉旛竿 孟康 (ぎょくはんかん もうこう)
地遂星 通臂猿 侯健 (つうひえん こうけん)
地周星 跳澗虎 陳達 (ちょうかんこ ちんたつ)
地隠星 白花蛇 楊春 (はっかだ ようしゅん)
地異星白面郎君(ちいせいはくめんろうくん)
地理星 九尾亀 陶宗旺 (きゅうびき とうそうおう)
地俊星 鉄扇子 宋清 (てっせんし そうせい)
地楽星 鉄叫子 楽和 (てっきょうし がくわ)
地速星 中箭虎 丁得孫 (ちゅうせんこ ていとくそん)
地妖星 摸着天 杜遷 (もちゃくてん とせん)
地幽星 病大虫 薛永 (びょうだいちゅう せつえい)
地伏星 金眼彪 施恩 (きんがんひょう しおん)
地僻星 打虎将 李忠 (だこしょう りちゅう)
地空星 小覇王 周通 (しょうはおう しゅうつう)
地孤星 金銭豹子 湯隆 (きんせんぴょうし とうりゅう)
地全星鬼瞼児 杜興 (きれんじ とこう)
地短星 出林龍 鄒淵 (しゅつりんりゅう すうえん)
地角星 独角龍 鄒潤 (どっかくりゅう すうじゅん)
地囚星 旱地忽律 朱貴 (かんちこつりつ しゅき)
地蔵星 笑面虎 朱富 (しょうめんこ しゅふ)
地平星 鉄臂膊 蔡福 (てっぴはく さいふく)
地損星 一枝花 蔡慶 (いっしか さいけい)
地奴星 催命判官 李立 (さいめいはんがん りりゅう)
地悪星 没面目 焦挺 (ぼつめんもく しょうてい)
地醜星石将軍 石勇 (せきしょうぐん せきゆう)
地陰星 母大虫 顧大嫂 (ぼだいちゅう こだいそう)
地刑星 菜園子 張青 (さいえんし ちょうせい)
地壮星 母夜叉 孫二娘 (ぼやしゃ そんじじょう)
地劣星 活閃婆 王定六 (かつせんば おうていろく)
地健星 険道神 郁保四 (けんどうしん いくほうし)
地耗星白日鼠(ちこうせいはくじつそ はくしょう)
地賊星鼓上蚤(ちぞくせいこじょうそう)
地狗星金毛犬 段景住 (きんもうけん だんけいじゅう)





09/11/05「横須賀の白髪一雄展」

先日上京の折り横須賀まで足を伸ばした。この美術館には初めて訪れる。東京湾に面して素晴らしい景色のシーサイド美術館はやはり船のイメージ。内には船を模した円窓、そこから実際に海が、船が見える。高い天井からは燦々と自然光が降りそそぐギャラリー。

会場に入ると「尼崎ではちょっと窮屈だったなぁ、ここでは思う存分暴れられるわい」と水滸伝のメンバー達が云ってるように思われた。実際、天暴星両頭蛇が、天異星赤髭鬼が、天敗星活閣羅が、本性発揮の大暴れに唯々圧倒されるばかり。 改めて白髪氏が凡人を装った異星人であったことを強く識らされる。きっと今頃は梁山泊で君臨しているのではないだろうか。

<初期作品><血のイメージ><密教シリーズ><歴史への憧憬><アプローチの多様性>と展示も良かった。—白髪が生前構想していたシリーズ区分による展示を採用し、油彩約50点を中心に展示を行います。(横須賀美術館HPより)—ナルホド!納得。
白髪氏の本質は<血のイメージ>だと思う。私はこのシリーズに一番惹かれる。


←back



09/11/10「正倉院展」

 久し振りの奈良、間もなく終わる正倉院展に行った。入館待ちを覚悟してきたが長蛇の列の風景なんて見当たらず鹿も人ものどかな奈良風景だ。 もし、このお宝が東京に行ったらどんなだろうか、きっと美術館は長蛇のとぐろで巻き絞められてしまうことだろう。やっぱり関西はええなぁ、と独り言。

 今年の目玉は<紫檀木画槽琵琶><平螺鈿背円鏡>光明皇后の<楽毅論><伎楽面 呉女><金銀花盤>あたりかな。 <紫檀木画槽琵琶>は優美で精緻な造形に眼を見張らせる。会場に流れるはその音色は素朴で現代が亡くした古代を想わせる。

豪華な<平螺鈿背円鏡>これは紛れもなくお宝だ。このような精緻な技術と希少な資材、一体どこからきてここにあるのだろうか?溜息ばかりなり。 書とゆうものはリアルだ。書き手の一瞬一瞬の生の証でもある、千年経ても、何百年経ても。だから私は古書に心打たれるのだ。<楽毅論>見ていると光明皇后のお姿が眼に浮かんできそうだ。眉目麗しく色白でふくよかな容姿、その柔らかな御手で机面に座して集中されている御姿を。そしてなかなかの気丈のあるそしで繊細なメンタルの持ち主だったろうと字体から推測する。

古文書といえば<続々修正倉院古文書>のたぐいがリアルで面白い。写経生の勤務評定や報酬つまり給料などの生々しい記述がある。あとで調べてみたが当時の写経生はエリートではあったが一日7時間程の作業、その作業は集中力を要するものである。誤字・脱字には罰金が科せられたとか、厳しい仕事だったのだ。印刷技術の無かった時代の文化の重要な任務だったのだ。その御陰で遥かなる時代の人間の営みを計ることができるのだ。

力士や崑崙の伎楽面の造形やふくよかな親しみのある呉女の伎楽面に打たれた。実際に演じられた時はこれらの伎楽面がどんなに生き生きした表情を見せたことだろうか。 織物類は素人にはその素晴らしさを知るにはあまりにも時間が痛めている。しかし<金銀花盤>など工芸品はそれほど時間に犯されていないので古代を共感できる。<桑木木画棊局>はついいましがたまでやんごとなき公達が座していたような錯覚を憶える。

ともかく久し振りの奈良、正倉院展そして秋の大和を満喫したひとひだった。


←back



09/11/20<イサム・ノグチ>

 先日久し振りに草月会館に行った。イサム・ノグチのシンポジュウムで。牟礼町の庭園美術館の開館10周年記念のイベントでテーマは「イサム・ノグチが遺したもの、未来への贈り物」。

シンポジュウムはイサム・ノグチの作品集の出版者、篠山紀信から始まったがつい先日の公共でのわいせつ撮影事件に照れながら「ノグチの作品はどんなアングルからでも美しい!」と。だけどヌードの無い紀信のノグチの写真なんて、ちょっとつまんない。イサム・ノグチの作品を摂る写真家なら他に沢山いると思う。あの口うるさいノグチも自分の石の作品の中に入ってしまったのだから、今度はイサム・ノグチ+ヌードの写真集は如何ですか?きっと作品集の売り上げ倍増間違いないでしょう。期待しています。

その他広井力、堂本尚郎、ドゥス昌代、磯崎新、安田侃各氏のノグチの思い出と人間観の話し。おそらく後期高齢者の先生方が多いので記憶装置の作動がランダム、きりなく話しは続いた。私の頭に残っているのは丹下健三と長年口を聞かなかったとか、あれだけライバル視していたヘンリー・ムーアが入院した時にお見舞いに行ったとか、誰かの話にイサムは外国で出合うと瞳が黒く日本で出会う時は瞳が青く見えたとか、ともかく<したたかな人物>であったと。

自己の内に対立する DNA を御しながら、決して同化できない二つの文化を土俵で燃焼した強烈な光を放つ星だったと思う。


←back



09/12/15<古家で遊ぶ>

 このところの私の行動範囲はホームセンター、東急ハンズ、百円ショップそしてギャラリー。今年はとうとう紅葉も見ずに年が暮れる。
このところのガーデニング遊びに家の中のリフォーム遊びが加わったのもので。
うちは築40年近くの古家、古家といってもなんの特色もないごく普通の民家。全くおもしろくない家です。 今更建て直すのもね、そこでセルフリフォームしょうと。 オヒトリサマは気楽千万、口煩い家族のストッパーが無いからひらめくままに思う存分やれるのです。

色あせたリビングのクロスは使い古したスポンジタワシにアイボリーのペンキにポスターカラーの紅とレモンをちょっと混ぜて、パンパンパンパンと叩いていけばピンクの部屋に変身。叩く快感、タワシの痕跡がリズミカルで味がある。 なんだかリー・ウー・ハンの作品みたい。
キッチンのドアーは鮮やかな木綿のクロス張り。御洒落になってウットリ。ガラスはちょっといたずらしてブルーのアクリルで流し、小さな丸のシールを気の向くままに張れば小宇宙。 玄関ドアーが重くてガーデンにそぐわない。取替えずに変身する方法は?そうだ!ペインテングすればいいんです。 アイボリーの淵に赤と緑を入れればすっかり軽やかなドアーに変身。こんなドアー見たことないなぁ。 ドアーの上のガラスに彩色したらステンドグラスばり、朝夕の光がとってもきれい、Goo! うっかりアイボリーの筆を附けてしまった平凡な靴箱、ついでに塗ってしまったら、アラアラ、カントリー風のいい雰囲気になった。 成功事例は大胆にする。全く独りよがりの成功事例だけど。

長年辛抱しているヒビが入っている洗面所のボウル。これも模様にしたらいいのだ、とヒラメイタ途端ペィンテング。ヒビも模様の一部に溶け込んで豪華な洗面ボウルに変身。 注意事項;決して赤を使わないこと。なぜならば下手に入れれば鼻血を連想するから。 今階段の板壁に取り組んでいる。二階のヴェランダにつづくので草花模様にしたい、そこで試みに朝顔の浴衣生地を張ってみたがいい感じ。だけど一反では足りないし階段の壁は高いので難工事。ひと私案中です。

二階の6畳の洋間はウイリアム・モリスの葉模様壁紙にしたらなんて次々とイメージが先走ってイソガシイのです。 でも日々変身する家って実に楽しいのです。自分の栖に見惚れている毎日です。






09/12/24<Anu Tuominenk の手袋>

なんとクリスマス・イヴは私の誕生日なのです。この世界的な祝日に便乗して生れてくるなんてなんとしたたかなことだろうか。 クリスマス・イヴなんて洒落た慣習のなかった当時、年末の多忙な最中の出産であまり歓迎されなかったことでしょう。

珍しく息子から誕生祝いが届いた。”Anu Tuominenk ”の手袋が。 これは の展覧会の時、ー私ならこれ買うねーと云った作品。

黒い手袋から手が覗いていて不気味でもあり、妖精のような可愛い手がキュウートでもある。実にオモロイ!私はこの発想に一目で魅かれた。 そして古手袋からこのような発想を生み出す作家 Anu Tuominenk に興味が湧く。 きっと純なこころの持ち主だろう。世俗的な精神構造からは決してこのような発想は出てこないだろうと思う。 こころの水準器の指針が低いのだと思う。水準器の指針が低ければ低い程精神は自由闊達になる。自由闊達な精神こそ創造の根源である。

いつの間にか私も一瞬の生の尊さを痛感する年になった。アートを櫂にして生を探検していこう。






10/1/7「今年の自訓<思い込みに注意しよう!>」

新年早々私の特技のハヤトッチリで三十三間堂に初詣でした。近いのに久しく行っていない三十三間堂。 本当は岡本光博さんの虎縄文展を観に行くはずが私の頭の中でいつの間にか三千院が三十三間堂にすり替えられていたのです。 三十三間堂の通し矢で有名な広い庭を隅から隅まで探しても見つからない。寒い、寒い今年のお正月の寒さは半端でない。 だけどどこか思わぬ所に展示しているのではとこの私はしつこく探すのです。 でも見つからないので門の受付の人に聞いたらーそんなんあらしまへんえ、よそさんちがいまっか?三十三間堂ゆうてもここだけではのうてこのあたり一体をゆうのどすえ。ほかさがさはったら?ーそんなパワーもうおまへん。

今日の収穫は久し振りに拝観した千手観音坐像、千体千手観音立像、風神・雷神と二十八部衆と広大でシンプルな建物。 このスケールの大きなお堂の建築、高雅な精神の造形・仏像群に新鮮な感動を覚えた。 此程の精神性を感じる造形物と対峙するのはホント久し振りだと思った。宗教は人間の能力を高めることを認識せざるを得ない。 奈良・興福寺の阿修羅さまは去年はエライ人気で奈良のお堂に戻っても長蛇の列が続いてる。 なのにここではまだお正月とゆうのにゆっくりと拝観できるなんて、関西人はホント恵まれていると思いました。

岡本さんかんにんどすえ!家に帰って案内状見たら三千院どしたわ。また日い改めて見させてもらいますどすえ。 以前ギャラリーはねうさぎでライオンの親子見た時おもろさにショックを受けましたわ。 今度は虎が勢ぞろいしているとか、これはみものですわ。 中古も中古のマイコンピュウター、<七条・三十三間堂>を消去して<大原・三千院>を確かに入力しましたえ。

今年の自訓<思い込みに注意しよう>






10/1/13「皇帝ダリア」

 ガーでニングしていると<生命力>をビビットに感じることがしばしばある。が、うちの皇帝ダリアさんには見る度に感嘆させられる。
皇帝ダリアの植栽は初めての体験。螺旋階段や二階のヴェランダを越えて青空に向って燦然と咲いてくれるのを夢見て二本植えた。 哀しいかな、真夏の暑さに一本は枯れてしまった。なんとか残った一本だが皇帝ダリアの開花が話題になった頃も背丈は伸びたが蕾も付かない。そのうちに師走に入り霜もおりクリスマス年末頃には寒波が押し寄せた。
あぁ、それなのに立っているのです、そして蕾から花びらが溢れ出している。
普通、皇帝ダリアはいくら咲き誇っていても一夜の霜で枯れると聞いているが。
なんとうちの未熟児の皇帝ダリアさんは霜にも負けず寒波にも負けずに立っているのです。 よく見ると霜焼けしているような蕾にちじかんだ花びらだががんばっている。
普通は花を咲かせたから、任務を終えたからスパッと霜枯れできるのだろうか。うちの未熟児さんは未だ任務を果たせなく頑張っているのではないだろうか。 この寒波の中に立っている皇帝ダリアさんを見ていると改めて生物のしたたかさと勁さを実感する。

この歳の自分が今在るのもまだ生命体としての任務を果たしていないのではなんて逆に問い掛けられているようだ。






10/1/14「ウィリアム・モリス<ウイローボウ>の部屋完成 」

厳寒期は庭仕事が休みになるのでひたすら部屋のリフォームに勤しんでいる。昨日ようやくモリスの部屋が完成した。子供が使っていた何十年も経た味気ない板張りの部屋だった。が、最後の仕上げに昨日見つけてきたインド製のランプを灯すとドンピシャリ!なんと素晴らしい部屋だこと。私はひとりよがりの満足感、達成感にひとり乾杯した。

モリスの壁紙ウイローボウ、一目見てこの紋様が気に入ったがモリス定番の人気柄と後で知った。輸入壁紙は45 cmの小幅なので初体験の私でもなんとか手に負えた。 でも結構悩まされたなぁ、模様合わせ、糊付け後の伸縮となかなか思うようにいかない。阿修羅さまのような多手であったらと思いながら、長い紙を持って脚立を上がり下りしながら格闘したことだ。しかしこの壁紙を扱っていてとても楽しかった。いくら見てても飽きがこないし深みがある、さすがモリスだと今更ながらずれた感動している。古典の神髄を識った思いがする。

模様合わせすると端切れが結構出るがそれが少しも無駄にならないです。小物にあしらうと部屋のメンバーになって落ち着く。 モリスを活かすために木面を残した。そこには柿渋を塗ったら木目が活きていい感じに、やっぱり自然の塗料は奥行きがある。天井は背の高い助っ人に柔らかなイエローのバターミルクペイントを塗ってもらった。

ガーデンとヴェランダの喫茶店付きのモリスの部屋、わが東屋もちょっと格上げしたかな? ペンキを塗る、ニスや柿渋を塗る、それに壁紙を張ることが加わり我がリフォームのレパートリーが広がったものだ。 この調子で家と遊ぼう!和室はどんな部屋に変身させようかな、なんてもう次のターゲットでワクワクしている。









10/1/21「絵画の庭 」

 中之島の国立国際美術館に高校生や若いカップルがこんなにたむろしているのを見るのはホント始めて。いつもの高年齢とは雰囲気がこんなに変わるものだと会場を歩く。 それもそのはず。展示会場の作品からフレッシュなフェルモン放出されているのです。これは自然現象。

中之島移転5周年の記念展としての企画、美術館の方針が明確に伝わってきますね。昔の千里万博公園時代とは大違い、Goo! な変身です。 文化予算が一段と締めつけられ美術館の存亡がこころもとなく思われる今日、このような美術館の会場に接すると危惧が払拭されるようでほっとする。 美術館のスタッフの尽力・努力に感謝、今後の活動に期待が膨らみますね。

奈良美智の“The Little Judge”が看板娘、やっぱ不思議な魅力を感じさせるよ、あの目線は。
始めて見る草間弥生のシリーズも<目>がテーマ、大作では無いが一室を占領している。まるで胎内から放出された糸が線となりキャンバスに定着したようだ。その線は全く迷いやためらいを感じさせず蔦のように伸びてフォルムを産出する。草間さんにとっては画くことは自然現象だとゆうことが実感できます。 O JUN は以前から惹かれるが改めて洒脱な画風と軽妙なタッチの洗練さに魅了された。

そうそう、町田久美は大作だ。やっぱりこの不思議な存在感は大作のド迫力で倍増されると思った。 プリミティブな加藤泉はアフリカやニューギニアの原始の造形を視る時のように下腹に衝撃を受ける。でもカワユイね。

高速回転の頭脳から絞られたエグさを覚えさせられる会田誠、その表現技術は抜群だが人間のド迫力は無いねぇ、あくまで抽象的だ。 だけど加藤美佳、青木陸子、タカノ綾、はまぐちさくらこ達と共に高校生たちの波長と同化するのだろう。できることなら私も高校生になって視たいものです。

なんだかズシーンと響いたのは正木隆さんのシンプルなモノトーンの作品、不思議なそして勁い存在感を知らしめる。百花繚乱の中に在って唯我独尊。 惹かれる画家だ。






10/2/10<ガーデニング日記;銀の舟>

ピナリー・サンピタックのオブジェが入った。三人がかりの搬入、やっぱりデッカいなぁ! さぁてと、この庭にどのように納めたものかな?まず石を取り除かなければ、この石をモンゴル草原の岩山に見立てていたのだが、仕方ない。 それにしても不思議なオブジェだ。月に昇ったかぐや姫がこれに乗って帰ってきたボートとか、奈良の大仏・慮舎那仏さまが夜な夜な救い難い人間の性を哀しんで流される涙壷とか、見ていると次々とイメージが湧いてくる。

この作家はタイの女性でその造形の源は自分自身、女性の体だ。従ってロジカルと対極するエロスが特色だ。だけどこのエロスが頗る品が良い。
生命体の雌は <無限に増殖し、全てを飲み込む>要素がDNAに組み込まれている。草間弥生がそれを鮮明に造形化している。彼女のように女性を、雌の本性を明確に表現した造形家は原始時代まで戻らなければいない。男性・牡のDNA がリードした有史以来の女性的表現はあくまで男性から見た、そして願望したの女性の表現だった。また女性の造形表現も社会的要素でしょっぱなから洗脳された。
草間弥生は自分自身を掘り下げた、社会的な要素に振り回されずに。そして自分自身の水脈から汲み出したものを造形化しているのだ。なんてゆうことはない、女性なら誰もにもインプットされている雌性を表現しているだけのことだ。だが、人間社会の厚い壁の中にあっては如何に勇気とエネルギーを必要とすることだろうか、それこそ希有の星の元に生まれた者にしか成し遂げられない。
ピナリーもその本質は草間弥生と共通する。しかし、その表現方法が違う。違うからおもしろいのだ。草間はストレートに生々しく表現する、彼女はオブラートで包む。だから上品で口当たりはいいのだが決して柔いものではありません。雌性の本質は草間と同じなのですから男性はご用心!

さぁて、この庭にどのように調和させるか、私のアートの始まり!






10/2/11<白髪一雄展 in 碧南市藤井達吉現代美術館>

白髪先生、今日がんばって碧南 に行ってきました。
刈谷までは JR ですから思てるより早よう着きましたが名鉄がえろう長かったですわ。
駅降りてもほとんどお人さんがいはりませんしえらいとこにきたものだとちょっと不安になってきました。
無人の 古い町並みを暫く歩く、でも美術館はすぐに見付かりましたよ。
こじんまりしてますがモノトーンの品の良い建物でしたわ。

なんと、美術館の中は人出が多いんです。フツー、街中は人出が多くても美術館はひっそりしているのが多いのですが ここは反対なのにちょっとオドロキでました。けど、先生の展覧会やから特別なのでしょう、きっと。
来てはるお人さんも熟年から若者までと巾広かったです、兄ちゃんがきてはるのは嬉しいですよね。
これは Kazuo SHIRAGA の引力がますます増殖してるとゆうことや、ええことです。
もう少し前では考えられしませんでしたね。

展示室に入って1954年のクレムソンレーキ一色の3点の作品、低い天井がすごく作品を集中して、始めて出会うような新線な衝撃を受けました。 そして先生のお気に入りの「天暴星両頭蛇」が、「天魁星呼保義」「天異星赤髭鬼」「天傷星行者」「地察星青眼虎」と水滸伝の大物がシコを踏んでちょっと窮屈な空間から今にも飛び出しそうな、、えらい圧巻でした。 この中に居るともう先生の生死がどうでもええことのように思えてきましたわ。実際先生はもうこの世においでやないけど、先生の分身とゆうか産出されたこれらの御作品は煌々と輝き観る者の生命のエネルギーを充電してくれるのですから、それも無限に。 ここの美術館はそんなに広く無いので展示作品は絞られていました。そやけど凡人はこれだけでエネルギー切れになりそうです。 美術館のラウンジはお客の対応に応じきれずパニックになってはったので外に出て鰻を食べました。先生の作品観るとガーンとお腹が空くんですわ。

美術館の丁度向かいに<西方寺>があります。東本願寺系のお寺さんですがこのド迫力、Kazuo SHIRAGA の衝撃をがっちり受けてくれる存在感でした。そうそう先生の生地の尼崎にも立派なお寺が沢山ありますね。先生の引力で始めて碧南の土を踏ませていただきました。






10/2/23<階段ギャラリー>



画廊を営んでいると展覧会のポスターがやたら送られてくる。関西圏はともかくも北海道から九州まで。

うちは淀屋橋の土佐堀通りに面した一等地、だけどこんな良いスペースに貼れるのもタダではないのですよ。

ところで古いポスターでこんな遊びをしてみました。決して腹癒せではありませんよ。

ともかく二階への上がり下りがオモロウなりました。









10/2/28 何必館で観る<北大路魯山人展>



日曜美術館の途中から津波のニュースに一変。海の近くの人達にはえらいことだが内陸部に棲む者には臨場感が湧かない、すみません。
すっかり春めいた日差しに誘われてブラリと京都に出た。京都が散歩感覚のロケーションに住まいする幸せ。
祇園界隈を歩いていたら<北大路魯山人展>のポスターが目に付いた。何必館はほんとうに久し振りである。
昔はよく行ったものだ。パウル・クレー展、山口薫展、村上華岳展など今も鮮明に焼き付いている。

一歩中に入ると浮かれた繁華街とは別世界、ビシッと感覚が研ぎすまされる。これぞ建築空間の力、これぞ美術館の本質だ。
そしてすぐに魯山人の大鉢がドシッと目に入るのです。大抵の者はこれでイカレてしまうでしょう。 こじんまりしたスペースを上手く使って二階に、地下に、最上階にと事業仕分けの連坊ならぬ見事なに仕分け方にに脱帽。

主客の魯山人をもてなすのにこれほどのしつらえはないだろう。サイコーの<遊心>した一日だった。





10/3/24 <没後三年 hommage 白髪一雄展>

白髪先生がお亡くなりになられてこの四月八日で三年になります。ほんまに早いもんですは月日の経つのは。

離脱された先生の魂はもう足腰の痛みに煩わされることのうなり、融通無碍に宇宙を駆け巡っておいやすと思います。

ひょっとすると、今頃は梁山泊で水滸伝のメンバーと飲んでおいでかもしれまへんなぁ。

 そやけど先生のお気に入りの「天暴星両頭蛇」「天魁星呼保義」「天異星赤髭鬼」「天傷星行者」「地察星青眼虎」さん達はいはらしまへんえ。なんでかいいますと<格闘から生まれた絵画〜白髪一雄展>が国内を巡回してまして、今丁度碧南市の美術館に出張してはりますのや。せんにわたくし行ってきましたけんどここでもえらいことでしたわ。もう建物から飛び出さんばかりの勢いなので美術館のお人が見張ってはりましたわ。

ほんまに先生の子分達は凄いですなぁ!日本だけやおまへん、世界中で睨みをきかしていやはりますもん。

 そらそうですわなぁ、なんちゅうても先生は<足で絵を描く>ことの開山祖師でおいすやもん。吉原治良さんに「人の真似するな、これまでにないものを創れ・・」といわれはったそうやけど、まさか足で描くなんて、ほんまにほんまにえらい事考えつかはりましたもんや!そしてそれをずっ〜と続けはりましたんやから。そら並の人間業ではおまへんは。やっぱり隕石のようにどこか遠い宇宙から尼崎に降ってきた星やと思います。そう思わなわたしは納得いかしまへん。

 こんなどえらいアーティストの展覧会をうちみたいな小さな画廊でやらせてもらうなんてえらい厚かましいことやとよおわかってます。そやけど供養はなんちゅうても展覧会や思いますさかいやらせていただきます。

 この展覧会の値打ちはあまり皆さんが観はったことのない白髪先生の分身が集まらはることです。そやさかい何が始まりますやらわかりまへんがそれは教外別伝です。お越しの節はどうぞ四股を踏んで足腰鍛えておいでてください。あなたさまのお越しを心よりお待ち申しあげます。

 あとになってなんですがこの展覧会のために貴重なコレクションをお譲りいただきました方々におおきに!と深く御礼申し上げます。

(白髪先生の上方訛の口調に翻訳させていただきました)


「由布院」(だんじり)
 この作品は制作地から由布院と付けられていますが本当のテーマは<だんじり>です。 「昔から、だんじりが好きでした。貴布禰神社のお祭りにはよく出かけました。大きな掛け声とともにだんじりがぶつかり合う子どものころ見た鮮烈なイメージが、今もはっきりと記憶に残っています。」(あまがさきノートより)




10/4/20 <白髪展を終えて>



久し振りの展覧会<白髪一雄展>を先週末に終えた。実に久し振りだ、展覧会らしい展覧会をしたのは。 ギャラリストとして納得ゆく内容だった。これ程うちのギャラリー空間の質が高まったのは始めてだと思う。 改めて白髪氏の画業に 深く敬意を覚えた。

今回の展覧会のメインはなんといっても二曲屏風の「湯布院/だんじり」だ。 この作品は布に墨彩、足跡生々しい作品である。 これぞ足の画家白髪氏の真骨頂の作品だと思う。

よく知られているように白髪氏は古美術・骨董に造形が深い。またコレクターでもあった。 とりわけ硯や墨に対する蘊蓄は半端ではないと聞く。ー墨は古いものが良い。水分が抜けきった四千年前の墨は軽い。少しの墨液で大きな画面を画けるーと言っておられたと又聞きする。 この作品の制作ドキュメントが残されている。場所は湯布院、まず不動尊のお加護を受ける制作前の神事、富士子氏の摺墨、真っ白い画面の最初のひと墨を置く瞬間、 体中のパワーが足を通して画面を展開していくダイナミックな様子、そして最後のサイン入が入る。なんとゆう緊張感だろうか!ヒシヒシと伝わってくる。貴重な資料だ。 展覧会中 ’63年の油彩の名作「鬼子母神」と対峙するところに掛けていたがその存在感、迫力は油彩に一歩も退けをとらなかったのです、本当に。

作品はマテリアルとは無関係であることを、瞬時に生を移行する墨の作品の方が制作密度が緊密であることを、識った。




←back

10/4/23 <白髪一雄の密教との関わり>




法会, 1974, 油彩・パネル、20号
思いもかけず白髪氏のコレクターから貴重な資料を沢山お譲りいただいた。しかも殆どサイン入り。 整理しながらふと目にした対談の密教との関わりについてのくだり、これは白髪氏の制作の神髄、キーワードだと思った。

「ぼくの場合は、自分が絵を描く状態というものとか無意識のうちの意識みたいなものですねぇ、それからまぁ非常に必要なような気がするというところで、それがまぁ、密教が一種の恍惚状態に至達するのがひとつの、なんとゆうか目的のようらしいんけどねぇ。それと関係があるような気がするんです。(1974年東京画廊—白髪一雄展—カタログより)」

この言葉を反芻しながら改めて作品に対峙すると観る者の波長が共鳴していく。





10/4/27<白髪一雄「飛天」>


 最近珍しい白髪氏の作品を入手した。このようなカラフルで軽やかな作品は始めてだ、目にするのは。

神戸の月刊センターの「センター」の表紙絵に使われ<表紙絵によせて>とお若い白髪氏の写真と文が載せてある。 〜十二月になると町は慌ただしくなり、ジングルベルの音楽がわれわれの生活をせわしくかきたてる。クリスマスが近づくとすぐ次はお正月で大人は忙しいが、子どもはプレゼントやお年玉に期待して胸をふくらませる。

聖画のキリストやマリアの像のはるか上を、エンゼルが羽根を羽ばたかせながら、楽器を奏でたり、弓矢を持ったりして舞っている。十二月やクリスマスとゆうとこのイメージが浮かんでくるが、仏教では極楽変相図というものがあって、阿弥陀様を中心にいろんな菩薩が楽しげに、衆生と共にこの世界の安楽を享受しておられる様が描かれている。 その図の上方にエンゼルと同じように楽を奏しながら飛天はとんでいるのである。美しい天衣をたなびかせながら〜 

「飛天」1983年、72.8x60.8cm, 20号





10/5/11<ばら狂想曲>


新聞をとりにドアーを開けるや満開のナニワイバラともの凄い蜂の羽音、寝ぼけ眼にはめまいがしそうだ。ともかく前期高齢者にはチョー過激な庭だ。

昨年から気合いを入れて庭作りしてきたがまさかこれ程までになるとは!四寒三温のような不順な今年の春だけど植物は時期が来れば芽を出し花を咲かすものだといたく感服する。 

このささやかな庭の舞台、ナニワイバラが散り出すとジャスミンが悩ましき香りを放ちながら咲き出す。
可憐な赤い単衣のカクテルが登り咲けば、白い八重のアイスバーク(白雪姫)がヴェランダを徘徊してゆく。
すると表のアンジェラが踊りだし気位高いピエール・ロンサールがおもむろにほころび始める。
脇ではローブリッターやサマー・スノーが出番を待ちだし、玄関横ではネグンドカエデフラミンゴがステップを踏んでいる。螺旋階段の踊り場ではバル デュ ノワールが、伊豆の踊り子がアン・ドゥ・トロワとステップを踏んでいる。裏庭からはダマスク系のローズ・ドゥ・レッシュがバラ香水を放出している。この中で朝のコーヒー、夕のビールを飲む幸せ、これこそ至福とゆうものだ。







10/6/23<「梅雨と掛けてオークションと解く」>


ハイ!整いました。
そのこころは?どちらも時折予想が外れます。(お粗末でした)

梅雨に入り、マイガーデンは植物の生存競争の坩堝と化してきた。
毎朝、ワンダーで始まる。
蔓性の植物の逞しさといったら、全く暴力的なのです。
その細い触手はまるで目があるようにあらゆるものを巻き込んでいく、一瞬の間も休む事なく。

ガーデニングって決して優雅ではない。
うっかりそのままの格好で庭に降りようものならたちまち蚊の餌食になってしまう。
まず、蚊除けネットジャケットで武装し手には庭挟みをしっかり構えて、まるで戦場に行くような覚悟が必要。
梅雨時期の作業はひたすら切る事。
瞬く間に伸びたハーブ類をザクザクと切り込んでいく。
と、たちまち庭中に強烈な香りが充満する。ハーブの香りはとても強い。

だけど決して不快な香りではない。感性をリフレッシュしてくれるそ自然で逞しい香り。
ふと上を見上げるとヴェランダからキュウリが下がっている。トマトの赤い実がちらほら。
バラのためのヴェランダの優雅なデッキが今やキュウリ、ゴーヤ、メロン、スイカの蔓でびっしり。
いつの間にかヴェランダはキッチンガーデンになってしまった。
パセリや三つ葉、茄子にモロヘイヤ、トウモロコシにピーマン、レタス、、こんなに植えてどうするの?
きっと戦時体験した者のとらうまかもね?



10/7/12<「現代美術 夢」 を拝読して>


実川 暢宏 様

  梅雨お見舞い申し上げます。

さて、貴著「現代美術 夢」拝読させていただきました。断片的だった実川さんへのイメージや事象がクロスパズルのように結び付き全体像が掴めました。 だけどまだ謎?が一杯ありますよね、秘密のベールが。

それはともかく<日本の現代美術>への功績に脱帽します。なんと云っても自由が丘画廊時代が魅力ありますね。皆さんの実川さんへの一目おいた評価が納得できました。

もし実川さんがおられなかったら日本の美術界の巾が狭まっていた、遅れていたのは間違いないと思います。

具体的事項では、うちで扱ったマルセル・デュシャンの源泉が判明したこと、イタリアからがっぽり攫っていった具体の作品、その行く末が気になりますね。

そうそうカイ人・尾崎正教もはるばる枚方まで来られましたよ。



それにしましてもただのド素人のおばさんをよくも次元の違う実川さんと接点を持ったか、持つ事ができたか我ながら自分の厚顔さに赤面しています。

本当にただのおばさんがよくぞ銀座のギャラリーにお邪魔したものですね。何も知らない程怖いもの無しです。それにしましてもよくぞ相手にしてくださったと遅ればせながらお礼申し上げます。

実川さんの魅力を一言で云えば“カワイィ”ですね。男も女も惹き付ける磁波を発しておられる、それが周りの者を動かして希有な仕事を成就なされた、と思います。

それにしましても、よくぞ“カワイィ”坊ちゃん父さんが酸素ボンベと闘病されましたこと、生還されて穏やかになられましたね。

“カワイィおじいちゃま”の軌跡を注目しつつ。


草々




10/7/14 <"Naught ">


助っ人が来て壁面を塗り直してくれた。ホント、久し振りの壁紙更新。釘穴だらけの薄汚れた壁が一新した。塗料もバターミルクペイントなのでナチュラル、皮膚に全く違和感が無い。

掛けたくないなぁ、 "Naught "何にも無いって実に気持ちがいい、美しい。釘を打つ気持ちにならない、暫くこのままでいようかな?

その時、客が入ってくる。私はさりげなく1点の作品を掛ける。そして作品の前に対峙する、ただ黙って。そして帰り際にはナチュラルに商談が成立している。

あぁ、そんなギャラリーになりたいものだ。これぞ白昼夢。





10/7/23 < ちょっと待った!!>


これはイチハラエツコさんの作品ではない。夏バージョンに壁を塗り直したところを写していた時の全くの偶然である。確か朝日放送だったと思う。 それにしてもなんたるグットタイミング!ダコト。記念すべき一枚になった。

ピンクだった壁がバターミルクペイントのイエローに日々侵出されて行く。そして天井にブルーの雨雲が浮いている。だけどスカイブルーに変わるかも。富田菜摘さんの蜘蛛、その横に 柳ヨシカズさんの蟻をかけてみよう。そして蟻の目線の鬼百合を壁面に描いてみようかな? さて、多田正美さんの星の軌跡をどう結びつけるか?ダ。

安田侃さんのカレンダーは年中三月、この白い大理石の作品がえらく気にいている。生命のカタチを感じる。 サグラダファミリアじゃないけど私のリフォームはえんえんと続くのです。





10/8/31<台北アートフェアー>


台北アートフェアー&故宮博物館をテーマに始めての台湾旅行。日本の酷暑で覚悟はしていたが以外にも涼しかった。

フェアー会場近くの グランドハヤットホテルに泊まったがホールの李在孝の作品がまず眼に入った。ホテルのシンボルとして空間とマッチしている。

会場では台北の Ever Harvest Art Gallery が出展していた。アートフエアーは質も高く見応えのある作品多々あったがなぜか李在孝の作品が今も印象に残る。



確か大阪府のトリエンナーレのグランプリを受賞したことを思い出し JR大阪駅の地下を探索した。大阪駅の地下も昨今やたらと触手が伸びて迷路のようだ。

やっと東西線の先に鎮座している作品に出会えた。ここは地下の行き止まり、人気の少ない所にひっそりと在った。

同じような作品もホテルのロビーとは随分違うように見えるものだ。これだけの作品を片隅に置いておくのは勿体ないと思う。

町の風景はよく見たくないものを見せつけられる。このような作品こそ日常茶飯事に眼に触れたいと願う。 OSAKA のイメージアップにも繋がるのに。





10/9/9<暑気あたりの庭>


台風のおかげで久し振りの雨、くたばりかけていた草木が少し生気を取り戻したようだ。土の湿っている間にと今朝は草引きをする。草引きしていると枯れ枝が枯れた草花が次々出てくる、草の陰に。生気溢れた春の日の緑や花は昔日のこと、あぁ、無惨なり!人間も生きているのが精一杯の体たらくの亜熱帯化した今年の夏。植物だって同じなのだ。

外のプランターのドラセナも息絶え絶え、一体何本生き残ってくれるかな?心配していたネグンド・カエデ・フラミンゴは案外大丈夫そう。頗る元気なのはナニワイバラに藤にジャスミン、カンナそしてピナリーさんの作品の内のホテイ草と金魚なり。来年の夏のガーデニングのポイントは亜熱帯植物だよね。

←back



10/9/12<白髪一雄水彩展 開催中!>


九月に入ってもいっこうにおてんとさまのパワーは衰えまへんなぁ。この調子やと年内一杯アッパパとステテコがいるかも、そやけどーアッパパやステテコーゆうても知らはらへんお人が多うなりましたわ。

今うちでは白髪先生の水彩展やってます。なんで企画したかといいますとえらい珍しいもの入手しましたさかいに。巻物ですわ、白髪一雄+元永定正+向井修二による合作です。1966年やから白髪先生も42歳、他の作家さんも同時代の精気果敢ときの作品です。どうゆうきっかけでおつくりになられたのか、ともかくお三人の軌跡が交らわはりました一瞬の証拠物件です。勝手に GUTAI のドラマを推測するのもオモロいですわ。和紙には裏に<どうさ>が引かれてます。<どうさ>はにじみ止めの和紙の下準備です。これはおそらく京都市立芸術大学の日本画にいかれた白髪先生がなされたのでは?白髪先生は扇子模様で226 cm, 元永さんはカワイィ!魅力で 152cm, 向井さんはギッシリと142.3cm、合計 520.3cm のナガーイ作品です。

合作ですから全部お見せしたいものと努力しました。東急ハンズでアクリルを加工してもらいましたがやっぱりうまいこといきまへんでした。長いものはやっぱ難しいですわ。仕方ないのでショーケースで白髪先生のとこだけ展示しています。えらいすみませんが他は HP で見て下さい。 勿論、他にも魅力ある水彩の作品数点していますさかいどうぞお越しください。

初めに戻りますが結構<アッパパとステテコ>族がようお出くださいます。しかも皆さんお元気ですわ。

まだ来週一杯やってますさかいどうぞ観にきておくれやす!





10/9/16<白髪先生と膝痛>


 白髪先生の展覧会するとさすが地元、ゆかりのある方が来られる。先日は晩年の主治医だった M医師が見え体調のことが話題になった。
内科医的には高血圧症以外は特に問題は無かったそうだが膝が相当悪化していて整形外科に通っておられたそうだ。「血圧は紹興酒で下げておられましたわ」と。
~検査したけどなんも引かからへなんだからまだ当分生きられますわ~っておっしゃってたお声が今も耳に残っている。だけど膝の方は相当悪化していたようだ。
2007 年 12月 2 日付けのお手紙にも「紅葉を見ようと家内と近くの公園え参りましたが、とても体調が悪いのかしんどいので、早々に帰って参りました。病院の方では体調は良いと言ってくれますが、実際はしんどいの一言につきます。もう歩かないようにいたしますので、ご安心下さい。お酒は相変わらず沢山飲んで居ります。」

足で描くといってもただ力任せに絵の具を捏ねているのでは無い。足に全身の神経を集中させる。それには体重をコントロールしなければならない。
その要(かなめ)が膝、膝に全身の重みとブレーキがかかるのではないだろうか、微妙な筋肉や靭帯や神経を使う山道の下りの膝のように。
否それ以上に膝にかかる負荷は大きいのではないだろうか?この墨彩からも膝のコントロールが推察される。

晩年は鎮痛剤を飲んで制作されたとM医師から聞いた。足で描くアーティストとして評価される白髪の制作の陰で膝は相当酷使されたのだろう。
割と早くに足腰を傷められたのが納得できたが白髪先生はいかほどご辛抱されお辛かったことだろうか。
しかし作品はそんな辛さなんか微塵も感じさせずに生命の飛沫を放って在る。





10/9/21<王文志「小豆島の家」>


 王文志「小豆島の家」を観るとゆうより体験したくて〜瀬戸内海国際芸術祭〜に行った。リズムカルに広がる棚田の中に巨大な落花生のような物体が転がっている。 それを目指して畦道を歩く。真夏のような日差し、だけど苦にならない。 近ずくと巨大な変形落花生に尻尾が生えている。

巨大変形落花生の正体は竹であった。デカイなぁ!なんだか宮殿に見えてきた。

竹の露地の竹の路を踏み分けながら宮殿に入る。と、結構広い。なんだか落ち着くなぁ、こころが一度に素っ裸になるわ。



竹の編み目のこもれ陽がなんとも心地よい。光と空気の流動が体全体に伝わってくる。



ひんやりとした竹の柔らかなゴツゴツ感が背中を心地よく刺激する。天然のマッサージルームかも





10/11/16<京都・大原・三千院>


久し振りの大原、山波は黄砂で一筆の濁色がかかっていた。近くに住みながらもほんとうに久し振りの大原だ。 今年の酷暑にも関わらず見事な紅葉、改めて自然の営みのしたたかさを覚える。

三千院では丁度「往生極楽院」で僧都のガイドがあった。お坊さんのタレント顔負けの話術にすっかり魅き込まれてしまった。お寺さんも客商売だなぁ!と感嘆する。 大きな阿弥陀さんが狭い柱や梁が剥き出しのなかに窮屈そうにおわす。建物と仏像のバランスが全くとれていない。 なんでかな?もしかすると御堂を焼け出されての避難場所かも、タレント坊さんの説明を聞く程にその疑問は解消された。

ここは仏教の一大テーマパークだったのだ。

大仏さまの頭上すぐの舟底型の天井から壁面全てが極彩色の仏画が描かれていたのだった。今は開戸になっている側面も壁画で覆われていたのだ。

その痕跡をライトで照らしながらのお坊さんの話はおもしろおかしく続く。

〜黄金に輝く大きな阿弥陀如来、今まさに立ち上がる姿勢の観世音菩薩と勢至菩薩、上を見ると天空を極彩色の天女や諸菩薩が舞っている。周りもビッシリと極彩色の天女や諸菩薩が舞っている。お香が体中に沁み入る。そして声明や鉦の音が響く〜こんな空間にもし置かれたら凡人は瞬く間に没我の境に誘われてしまうだろう。

想像しただけでも仏教のインスタレーションの仕掛けの凄みを憶えるのだ。





10/11/29<ちょっと永観堂に>


日曜日、永観堂に散歩に行った。案の定大変な人出だ。紅葉は葉先を枯らしながらもシーズンのラストチャンスとばかりに彩を放っていた。

申すまでもないがこのお寺は<みかえり阿弥陀仏像>で有名である。

近くに住まいしながらなんと始めての拝観である。想ったより小柄で、艶っぽくて、そしてエレガントな仏さまと印象を受ける。

「永観、おそし」と声をかけられた僧都はどんなにか胸ときめいたことだろうか。歴代の修行僧達のこころをどんなに魅了したことだろうか、そして修行に励んだのではなかろうか、なんて凡人の心境から想いを馳せる。

それにしてもこのような洒脱な仏像を造った仏師、そしてその時代の仏教とはどんなものだったろうか?現代人の仏教の概念と大分違いがあるのではないだろうか。

↓の鮮やか再現されたこの極彩色の御堂に金箔に輝いておわしたのだ。


ー仏教自体がもっと人のこころ精神に密接であった。だから寺院は仏教のテーマパークであったのだ。お寺参りは仏と結縁を結ぶ場でもありレジャーでもあったのだ。日常のしがらみから放たれこころが自由に解き放たれる非日常のの場であった。寺院の僧都はプランナーでもあり仏師、庭師、絵師たちと組んでそれぞれのテーマパーク造りに創意工夫して競いあった。だから権力と富が集中した京の都に沢山の寺院が残されたー

甘酒をすすりながら老弱男女に埋め尽くされる庭園を目にしていると着飾った古人たちと重なってきた。現代のテーマパークがどれだけ残っているだろうか、改めて古人の仏教テーマパークの仕掛人に脱帽する一日だった。





10/12/06<ぶらり美術館>


小春日和に誘われて中之島の国立国際美術館いに<ウフィツィ美術館「自画像コレクション」>を観にいく。中世から現代の画家のこれぞ顔見世だ。客観的な自己との対決そして自己顕示欲との戦いはさすが見応えある。特に抽象画家の一筋ならぬ自己 表現はおもしろい。作品としてはシャガールは随一だと思う。これだけのシャガールを観るのは久し振りだ。 常設を覗いたら田中敦子の500号、白髪一雄、吉原治良、元永定正などの大作が揃い踏みしていた。エネルギーに満ち溢れている現代美術ファン必見の常設<具体美術協会の作家たち>。美術館の本当の価値は常設展だと改めて痛感した。ちなみにうちでは今<GUTAI 白髪一雄・田中敦子・元永定正>展を開催している。

昨日は神戸・脇浜まで足を伸ばして<ヴィンタートウール>のコレクション展を観た。威圧的な大作ではなく個人コレクション的な小品の逸品、しかも始めて見る新鮮な作品に画家へのイメージが広げてくれた。カンデンスキー「はしごの形」はシンプルでストレートにくる。シスレーの「朝日を浴びるモレ教会」は実に素晴らしい。マイコレクションに出来たらなんて妄想を起させる。さすがスイス、ジャコメッティ、クレー、ホードラーそしてル・コルビジェとオザンファンのピュリスムの名品が並んで在った。ピュリスムの作品なんてめったに観られないものだ。勿論ピカソ、ゴッホ、ルドン、ルソー、ドガなどの絵画や彫刻の逸品に溢れた実に贅沢な空間であった。 すっかりお腹が一杯になってしまい気がつけば、阪神「岩屋駅」を越え JP「灘駅」を越え阪急「王子公園駅」まで歩いた。 





10/12/13<直島 李禹煥美術館>


そろそろ瀬戸内海国際芸術祭のほとぼりも冷めたことだろうと直島に行った。お目当ては<李禹煥美術館>。 生憎の曇り空、しっとりとした海の色がこころを落ち着かせてくれる。

丁度テラスレストランと地中美術館の間位の坂の下にあった。 プロローグの細くて長い階段を降りて行くと、一度に視界が広がる。海と空と地面を結びつけるように「関係項ー対話」が在った。 それは在るべくして在った。

美術館はどこかと視線を前に移すと、三重(みえ)に重なるコンクリートの壁と垂直の柱が交わっている。その柱は高く高く宙を指して直線を引いている。 なんだかル・コルビジェの「直角の詩」がイメージに浮いてくる。

入り口はとゆうと、さりげなく壁の後ろから建物の内へと誘う。コンクリートの小路をゆくと「照応の広場」、三角形とゆう空間でのインスタレーションは始めてだと思う。 「線より」「点より」「風と共に」など平面の間に入るとなんだかこころが和む。

しかしそれも束の間、「沈黙の間」「瞑想の間」と否応無しに自己との対峙が迫られる厳しい空気が流れてくる。 これは安藤忠雄と李禹煥と直島の風土とのコラボレーションの作品だ、と思った。 そしてこれぞもの派の、李さんの真髄だと体感できた。

地形と建物とアートがこれ程一体となった空間はあまり体験したことない。 実現なし得た福武 總一郎氏の見識と実行力に改めて尊敬の念を憶えた。 

久し振りに地中美術館でモネを観る。 これ程モネの睡蓮の作品を活かす舞台はないと思った。 観るのではなく一体化する場だ。 囲まれていると「涅槃」とゆう言葉が浮かんで来た。 仏教的な要素が引き出されてくる。 モネの睡蓮と出会うサイコーの場だと思う。

< I ♥ 湯>で日常にギアーチェンジして宇野港にと向かった。





11/1/19<アジアのパワー "ART STAGE SINGAPORE 2011">

第一回の"ART STAGE SINGAPORE 2011"に Art-Uroom が参加したので行った。 16年振りのシンガポール、爽やかな風は同じでも斬新なマリーナベイサンズなど近似未来都市になっていたのに驚く。 会場はマリーナベイサンズのすぐ近くのコンベンションセンター、カジノや商業施設と一体となったスケールの大きなスペース。 シンガポールでは始めての本格的なアートフェアー。規模、内容とも充実していた。 さすが選抜されたギャラリー、質も高く何よりも東南アジアとゆうClimateが明確であったのが印象的だった。 タイのカミン・ラーチャイプラサートとアニッシュ・カプーアで勝負、さすが作家の力か、実績に結びついた。


今回の収穫は許仲敏氏との出会い。足掛け10年になろうか、うちで展覧会した許仲敏氏が招待作家として特別展で参加していたのだ。 レーザー光線を使った大規模な作品だがその本質は同じである。以前の木版と同根で表現手段が変わっただけだ。 10年大昔の今、母国に帰った許仲敏氏は大先生になっていた。それにも関わらず私達のことをしっかり憶えていて感動の出会いになった。 彼の熱きハグでギャラリスト冥利に尽きる思いがした。
私は心密かにタイのカミン・ラーチャイプラサート、中国の許仲敏と偉大なる息子が増えたと、豊穣なこころを翼にゆだねて関空に降りた。





10/3/2<遊心記「ナルニア国ものがたり」とマックス・エルンストのコラージュ作品>

 大学生の孫と「ナルニア国ものがたり」をテレビで観た。ライオンを主人公にした荒唐無稽の物語だが、田舎に預けられていた女の子ルーシィがかくれんぼで飛び込んだ古い衣装箪笥からファンタジーなものがたりが展開する。 私はすぐにマックス・エルンストのコラージュ作品を連想した。「カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢」を手に取った。そしてその根源は「ナルニア国ものがたり」と同じだと独り合点したのである。 それにしても久し振りに観るエルンストのコラージュ作品の魅力に新鮮な驚きを覚えた。 ルイス(1893~1963)のナルニアは は1950 年代に刊行、エルンスト( 1891~1976) のカルメルは 1930 年に刊行されている。その因果関係は知らないがシュルレアリスムの、エルンストの影響を感じる映画はよくある。




これらは「カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢」の1ページだが熟視すればする程興味が深まる、そして新鮮だ。 ヒッチコックの映画を思い浮かべる絵柄も多々ある。 今更ながら智と感性の探究者ーシュルレアリスム軍団、マックス・エルンストに脱帽する。丁度、<シュルレアリスム展―パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による―>が国立新美術館で開催されています。

尚、マックス・エルンストのコラージュ作品はこちらにどうぞ☞ http://www.mmjp.or.jp/art-u/contents/print/ernst1.html -





10/3/29<アニッシュ・カプーア " Anish Kapoo"展>

 アニッシュ・カプーアとの奇縁は金沢の21 世紀美術館のこの作品。 開館時、この作品に出会った時の衝撃は今も新鮮に蘇る。 その衝撃を伝える言葉は今だに思いつかない、とても左脳で整理できるものではないから。 唯々、大鐘の音のようにその波長が響き渡っている、今も私の内に。



カプーア病に罹ってると自然に瓢箪プロジェクトの作品が数点集まってきた。



そして初期の時代の版画も集まってきた。



それで私はカプーア病を伝染したい欲望に駆られ展覧会を企画した。 免疫のある方、無い方もこのカプーア菌の実験を試みては如何。

<展覧会の要項> 
         ~Origin of the world~アニッシュ・カプーア " Anish Kapoo"展

インド、ムンバイ出身、ロンドンに在住、特にスケールの大きな立体作品が特色で国際派的に評価の高い造形家です。 国内では金沢21世紀美術館のパーマネントコレクションや立川市のプロジェクトで知られています。 今回の展覧会では 1990 年のヴェネツィア・ビエンナーレ受賞前の版画と山口県楠町 瓢箪プロジェクト 1993~1995 の立体で構成しました。いずれも今日のように名声の高まる以前の大変力の漲った作品です。 ギャラリーサイドでの展覧会は希有でしょう。どうぞご高覧下さいますようにご案内申し上げます。


展覧会名;~Origin of the world~アニッシュ・カプーア " Anish Kapoo"展
展覧会内容;銅版画・木版画11点、立体2点
展覧会日時; 2011/4/11mon ~ 4/23 sat , am.11.00~pm5.00, 日曜日は休み
場所;大阪市中央区北浜3-2-24北沢ビル1F、地下鉄・御堂筋線&京阪「淀屋橋」3分。
Tel. 06-6201-0221 / Fax 06-6201-0255
E-mail: art-u@osaka.email.ne.jp
http://www.mmjp.or.jp/art-u/index.html



←back