北村富三
(1903〜1956) 略歴  
1903年明治36年4月3日、滋賀県神埼郡五ケ荘町宮荘にて、父、北村庄七(塚本商店-現塚本商事- 支配人)母、北村みつの三男として生まれる。生まれつき病弱にて21、2才まで闘病生活を送る。
1926年23才。京都の寺松国太郎に師事し、初歩から指導を受ける。
1929年26才。帝展に「笛の音」が初入選する。その後本格的に修業するため上京し安井曾太郎の門下生となる。東京の下落合に居を構え、精進する。二科会に「松の大樹」を出品し、入選。
1933年30才。1月に阿知波ヒサと結婚。「初夏の水田」が二科展に入選する。
1936年安井曽太郎が一水会を創立する。師についてその後一水会に出品する。
1940年〜この頃より冬季に日本で制作し、春より秋にかけて満州に渡るようになる。大連、新京、吉林を回る。大連では山中氏が後援。新京では向坊氏(当時満鉄理事)後援にて、政府筋、官庁筋に作品を納める。吉林では妙心寺の住職の厚意を受け、居を構え制作する。
1943年戦禍厳しくなり、関釜連絡船「黒龍丸」にて帰国する。
1945年東京より滋賀県に一家疎開する。五位田、宮荘と転宅する。
1952年「長女の像」一水会に出品、入選する。
1953年「庭のばら」が一水会に入選。絶筆となる。この頃から肺結核が進行して入院する。
1956年昭和31年1月25日、八日市国立療養所にて没。享年53才。



入選

帝展、二科展、国際美術協会展覧会、槐樹社展、一水会
日本アンデパンダン展、関西美術展覧会、太平洋画会





「五個荘町史」第4巻(1)考古・美術工芸(五個荘町役場発行)




安井曾太郎
明治21年生まれの洋画家。聖護院洋画研究所に入り、浅井忠らの指導を受け、渡仏。ピサロやセザンヌの 影響を受けた。帰国後二科会会員に推され、昭和の初めから風景画、肖像画、静物画の各ジャンルに個性あ る近代的な様式を開いた。昭和19年から27年には東京美術学校(のちの東京芸術大学)教授をつとめ、戦後 は幅広く美術界に尽力した。

一水会
1936年、安井曾太郎が中心となって二科会よりわかれ発足した。



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